40 世界線係数の色

 ロイス・カルエルの裁判が終わったらしく、マリーがようやく学院へ行けるようになった。マリーは再び狐面をつけて学院へと向かった。


 途中、広間から出入りしている貴族たちとすれ違った。貴族たちは慈悲深いだとか流石陛下だとか言っていたが、マリーはなんのことか分からなかったので無視したのだった。



 今日の目当てはユリウスにもう一度会って、世界線係数のことを聞き出すことだ。学院二階層へと上がるとちょうど暇そうにしていたシグルスがいたので捕まえた。


「うげ、お前は噂の狐面!?」

「うげはないでしょう、シグルス。ってあれ? 噂って何の噂?」


「狐面の少女が騎士クラスの連中をボコボコにしたという噂だ。学院でもっぱら噂になってるぞ」

「人聞きが悪いわね。私は友人を助けただけよ。ああ、また世界を救ってしまったわ。私ってなんて罪深いのかしら? なんてね」


「どちらかというと魔王よりの台詞だと思うんだが。エスカリエ兵も配置されたし、あんた一体何者なんだ」

「何者って……」


 マリーは言葉を詰まらせた。当たり前のようにマリー・ルーン・エスカリエを演じてきたが、果たして正しいのか判断に困っていた。


「さあね? ただの狐面の少女よ」


 シグルスに司書長室へ案内させている間、マリーは終始疑問を浮かべていた。


 連絡通路のエスカリエ兵は当たり前のように跪いた。それこそ、マリーであればシグルスなしでも通れるのだが、あとあと噂されるのを考えると、案内人はいい盾になる。


 それはいつか本当のマリーが現れて、マリーが追放されることを見越してのことだ。


 自分は本当のマリー・ルーン・エスカリエなのか、それとも偽りのマリー・ルーン・エスカリエなのか。いまだ、その答えはでていない。


 周りがそう認めるから、演じてきているものの。マリー自身、胸を張ってエスカリエの女王マリー・ルーン・エスカリエだと言い切れる自信はなかった。


 司書長室へ入るとインクと本の匂いが漂ってきた。


「相変わらず、それしかすることがないのね。ユリウス・ランダウアー」

「褒め言葉として受け取っておきます、女王陛下。この歳になっても、仕事が与えられ誰かの役に立つのは嬉しい限りでございます。いい時代になったものですな。こんな老人でも活躍できるとは。ワタシの若かりし頃は想像もできなかった」


 戦争がはじまり領土が増えた。当然、植民地になった地域もある。その中でもエスカリエの中心部で仕事が許されたのは『適正』が破壊されたものだけだ。あるものは足を、あるものは手を、あるものは目を代償として支払っていた。


 ユリウスはもともとエスカリエと敵対するグラディウスの出身だった。ゆえに、ユリウスの右目は閉じられていた。


「それで? ここへ来られたのには訳があるのでは? この老人にできることであれば、なんなりとお申し付けください」

「そうね。本題に入りましょう。世界線係数という言葉に心当たりはないかしら?」


 ユリウスはその膨大な知識の中から一つの単語を探しだす。百五年の人生と五十億点の書籍で構成された記憶から一つの単語を導きだした。


「ええ、知っていますとも、『第五次元空間の完全性の喪失』でございますな。しかし、あれはこの間、写本をつくったはず、いや、わざわざここに来られたのであれば、紛失したか、誰かに譲ったということでしょうか」

「話が早くて助かるわ」


『第五次元空間の完全性の喪失』はカルヴェイユが綴った《想いの力》の取り扱い説明書だ。すべての《想いの力》が詳細に綴られた辞書であった。


 ユリウスは新しい紙を取り出すと、その四本の指で記憶の一部を写本しだした。そしてその内容を独り言のようにつぶやいた。


「《想いの力》には原点となる《完全なる世界の顕現》のみ存在し、それ以外の力は《完全なる世界の顕現》から派生した力である。この世界が不完全であるがゆえにその力となった《不完全な世界の顕現》。完全なる世界を一時だけ召喚できる《完全なる世界の再現》。新しい並行世界を創る《新たなる世界の複製》。別の並行世界を観測する《傲慢なる信奉者の謁見》。別の並行世界へ移動する《正当なる観測者の権限》。ただし、同時に二者の《想いの力》が行使されたとき、世界線係数が大きい方を優先する――ほうほう、おそらく、陛下が知りたいのは次の文章ですな」


「何が書いてあるの?」


 ユリウスは人指し指を立てて自身の顔に近づけた。


「――世界線係数は《想いの力》を詠唱した際の色によって明らかになる」

「……色?」


「淡い光は未来を示す世界線係数0を、白色光は現在を示す世界線係数1を、緑の光は過去を示す世界線係数2を。そして過去でも現在でも未来の存在でもない者は世界線係数3を示す黄色の光である。それは《想いの力》の詠唱時に発せられる光であり、現実世界へと召喚された並行世界のもの、あるいは、人も同様である。おや、まだ続きがあるようですな。世界線係数が4と世界線係数が5を示す色のことです」


「いえ、もう十分だわ」

「ふむ」


 ユリウスは一万ページに及ぶ『第五次元空間の完全性の喪失』の中から世界線係数にまつわる文献だけを書き写し巻物にしてマリーに渡した。


 司書長室から退出する際、マリーはユリウスから声を掛けられた。


「マリー様、また来てくださいますかな。この御老体でよろしければ、何か御役に立てることもございましょう」


「それは……ごめんなさい、約束できない話だわ。また、その運命を引き当てるときがきたら会いましょう」


 マリーは部屋をあとにした。

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