41 ボーアの証言
シグルスを開放したあと、マリーはその足でボーアの研究塔へと向かった。
同じ写本を持っているリンド・リムウェルなら詳しい話を聞けると思ったからだ。
「色ですか、確かに、リンド・リムウェル卿の《想いの力》は緑がかった光をしていた気がします」
「マリー様は、黄金色。つまり、黄色でしたね」
「そうね……」
《完全なる世界の再現》の詠唱時、マリーの剣は黄金色の光を放っていた。黄金色を黄色だと解釈するならば、マリーの世界線係数は3になる。
現在の世界線係数が1なら未来は0で過去は2。なら、3を示すマリーは過去でも未来の存在でもないことになる。
(私がこの世界の存在ではない、という可能性か)
マリーは見知らぬ花畑で目覚めて以来、偽りのマリーを演じている。でも、この世界の本来の女王が確かにいたはずだ。
(もし、私がこの世界の存在でないならば)
正真正銘の偽りの女王である可能性がみえてきたのだった。
ボーアの教授室に入ると、ソファで眠っているリンドと同じくソファで丸くなっている黒猫ミーアがいて、教授椅子に座るボーアがコーヒーを嗜んでいた。
「おや、陛下。何か御用ですかな」
「そう、少し気になったことがあってね。ねえ、ボーア、《想いの力》に色があるのを知っていた?」
ボーアはチェーン付きの丸眼鏡を外して拭きながら言った。
「ええ、世界線係数のことですな。あの論文を書いた者はよく知っておりましたからな」
「リンドの《想いの力》は緑色の光をしていたよね。なら、リンドは過去の人間だったてことにならないかしら?」
「うむ……」
ボーアは言葉を詰まらせた。
リンドは寝ぼけた声でいった。
「姫様は変なことを気にするね。ふあああ。時間で区別するなら、どこまでが過去でどこまでが未来か決めないといけないよ。姫様にとって、どこまでが過去でどこまでが未来なんだい」
「どこまでが過去って自分がしたこと、未来はこれからすることでしょ?」
「それは姫様の意識にある現在のものだろう。つまり、過去も未来も現在からみた主観にすぎない。過去も未来も幻想にすぎないと考えたら、物事の順序を決めるのは……ふあああああ、眠いや、僕はもう少し寝る」
「お疲れのようですね、リンド・リムウェル卿」
カルネラはリンドに毛布をかけた。
時間は存在しない。かっこいいフレーズだが、マリーとて、昨日の自分がいて、明日の自分がいるという感覚をもっている。
「まあ、人間尺で考えるならば、朝に日が昇り、夜に日が沈むという事実を時間と形容するので十分なのですが。あいにく、我々は世界を相手にしておりますからな」
そう言いながらボーアは、マリーにコーヒーを出した。
マリーはソファに腰を下ろした。
「たとえば、このコーヒーにミルクを入れると混ざり合う。コーヒーを置いておいてもコーヒーとミルクに分かれることはない。これが時の進みを現している、と以前まで考えられてきました」
「以前まで?」
「ええ、ほら、ワシがコーヒーにミルクを入れるという自由意志は必要でしょう? つまりはコーヒーがミルクと混ざり合う前に、先行した自由意思が存在する。お湯を沸かすのだってそうだ。水を眺めてたってお湯はできませんからな。お湯を沸かすという自由意思が先行しお湯は存在する。その先行した自由意思の前なのか後なのかで我々は時間を区別する。先行した自由意志の後なら、時間は経過したと我々は感じ、前ならば時間が経過していないと我々は感じる」
「それで世界線係数の説が生まれたのかしら?」
「ワッハッハッハ! とんでもない! その逆ですよ、陛下。我々はただの傀儡にすぎない。神の手のひらで転がされていたのですよ」
「どういうこと?」
「世界線係数の説が唱えられる以前より、ワシは世界線係数の説を知っていた。そうこれはまるで、電子が発見される以前より電子が存在していた感覚ですな。ワシは、説が唱えられる前に、『第五次元空間の完全性の喪失』を読んでいたのです。まるで答え合わせをしているようだった。研究者を志した頃は、自分が世界の真実を解き明かすなどと思っておりました。だが、違った。我々は創造主によって造られた傀儡に過ぎなかったのです」
マリーはミルク入りのコーヒーを口に含んだ。どうやらボーアはカルヴェイユを創造主だと勘違いしているようだ。なるほど、だからボーアは《想いの力》に傾倒した研究者になったわけだ。
「それで? リンドの《想いの力》が緑色の原因は?」
「リンド・リムウェル卿が過去の人間だっただけということでしょうな」
「それ、本気でいってる?」
「しかし、信じるしか他ありません、陛下。現に、リンド・リムウェル卿は過去を示す緑色の《想いの力》を使っているのですから」
マリーはソファで眠っているリンドに目線を向けた。
世界線係数は相対的なものだと聞いた。この世界の世界線係数が分からなくても、この世界から見れば過去の存在は違う色に見える。そういうバロメーターだと。
つまり、色が違う時点で別の時間軸あるいは別の並行世界の存在なんだと察しがつく。
マリーはコーヒーを飲み干すとおもむろに立ち上がり、
「ごちそうさま。また機会があれば寄りましょう」
「ええ、いつでも。今度はミルクなしのコーヒーを容易しております」
「機会があれば、ね」
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