幕間(中)

「呼吸してセシリアちゃん!大丈夫だよ、ここは安全だから、ね!」

「ひっ、ひぃぅ、すっふ、ひぐっ」


 売り言葉に買い言葉、煽り煽られ引くに引けず、汚名返上名誉挽回、気付いた時には四面その声ゾンビの歌声叫び声。このままミイラになってしまうんじゃないかと思うくらい、目鼻口から額や首筋手足や背中、ありとあらゆるところから水が流れ出ている。あたし僧兵の訓練でもこんなに汗をかいたことはないし、こんな情けない声が口をついて出るとは思っていなかった。花も恥じらう乙女の17歳、恥や外聞もなくタキちゃんに抱きついているけど、この年で失禁するような恥だけはかきたくない、いやもう出る水分ないのかも。タキちゃんのいう通りに水の魔石だけは多めに買ってよかった、後でちゃんと補給しなきゃ、すぐ出る水分になるんだろうけども。


「見えない、聞こえない、何もいない、あーあーあー」


 タキちゃんの細くキュッとしまったウエストからゆっくり腕を離す、ことが出来ないのでちょっと緩める。いいよあたし肩の力を抜いて、こわくないよ、そうそうあたしは大丈夫。


「いいよセシリアちゃん、そうそう、腕の力を抜いてー、っふはぁ」


 頭の上でタキちゃんが大きく息を吸い込む音が聞こえた、もしかして苦しかったのかしらと心配する余裕が出てきた。そう、あたしの背後には聖壁の魔石が張った白く光る魔力の壁がある、その向こうには何もいない。何も聞こえない、この行き止まりの通路にはあたしとタキちゃんだけ。


「VVVOGAAAAAUUUU!!!」

「あびゃあああぅ、うぎゅうううううぅぅぅぅっ!?」 

「きゅっ、セシリアちゃん、腕、うで!!」 


 なんか聞こえた、でも聖壁があるから、タキちゃんがいるから大丈夫、とにかくあたし大丈夫。紫と赤に光るお化けなんか見えてない、ゴーストとかそんな触れない化け物はいないから大丈夫。腐った死体とか片目が飛び出してぶらぶら下がってるワンちゃんなんて、見えない見てない見たくない!


「落ち着いてセシリアちゃん、ボクも気を引き締め直そう、うんでもウエストはもう引き締めなくて大丈夫だよ?」

「ひっ、ひぃっ、ふっす、ひぐぅ」


 だめいや助けて、どんなに大丈夫と言い聞かせても怖いものは怖い、買った言葉を売り戻したい、いやただでいいから誰か引き取って。あたしたちは今、ケルドラ王都からちょっと離れた死霊の住まうダンジョンの1階層にいる。死臭ただよう闇の中、冷たい石壁、湿る苔、どうしてあたしはこうなった。



 ケルドラ王都の外周区にある教会へ着いて気が休まる間もない翌日、タキちゃんに連れられて城下町の魔石屋で幾つかの買い物をした。2泊3日の旅にかかる費用とばかりに、あいつから渡された皮袋にはケルドラ金貨が30枚も入っていた。城下町で暮らす人々の1ヶ月での収入以上の額だ。城下町の人は城壁内という安全を得るためにはその中からさらに人頭税を払わなくてはいけないから、ちょっとした大金を受け取った時にあたしは驚いた。


「使って残った分がタキへの依頼料だ、お前はともかく黒の冒険者にタダで頼むわけにはいかねえ」

「いいよいいよ〜ラッセル、キミの頼みならボクお金なんて要らないよ〜」

「もらっておきなよタキちゃん、こいつ金には執着ないみたいだしね、神父と違って」


 こいつらと1ヶ月ちょっと暮らして分かったことのひとつに、守銭奴とお金に無関心な奴の組み合わせだなということがある。そろそろ神父じゃなくてキースと呼び捨てにしてもいいんじゃないかと思うようなことがあったり、一見お金の扱いが無造作に見えて費用の見立てや器物の目利きと色々な計算ができる子供という組み合わせ。だから今回の金貨もあいつなりに考えがあってのことだろうと、あたしは思った。

 携行食、野営用の寝具、ダンジョン探索に必須のロープやピッケル、マップ用の升目紙などを揃えたあと、あたしたちは魔石屋を訪れた。店先の吊り下げ看板は石板で出来ていて、そこに数個の魔石が貼り付けてある、見ただけで何の店かわかるのが看板には大事。食料品なら骨つき肉や野菜、野営用品を揃える店は天幕、ロープやピッケルの意匠を入れた看板なら道具屋という具合だ。その他にも剣や鎧、盾のマークを看板に入れているところは分かりやすいし、意匠が酒のジョッキなら飲み屋で、冒険者相手の宿なら吊り下げ看板にベッドの形が彫ってあったりする。女の顔みたいなのがある看板は、まぁあたしが入ることはない店だ。


「まず水、灯り、炎、回復、毒消し、身体強化やレジスト、あとは大事なのが守りの結界絡みだね」


 タキちゃんから冒険に必要な魔石を教えてもらう、魔石はとても便利で指先程度の大きさのものがあれば十分な飲水を得られたり、短時間から長時間の結界を張ることができる。自分が使えない魔法を携行できるというのも大きなメリットね。その分ひとつ金貨1枚前後するものがほとんどだけど、水だけで何リットルも携行しなきゃいけないことを考えると冒険には安い出費らしい。この前はニックの馬車に十分な水を積んでいたから気付かなかったけど、携行量が限られる場合は魔石で代用できる物から削るというのがセオリー、とタキちゃんに教えられた。


「うっわ、結界の魔石って高いのね、ひぇぇコレなんて金貨5枚もする!」

「野営用のだね〜、そりゃあ長い時間のものは高いよ、追い込まれて危ない時にも使えるし当然な値段だよ」

「え、ダンジョンに潜り続ける時は、2泊ならこれ2個も買わなきゃいけないの?」


 そんなやりとりをしながら必要最低限の魔石だけにしようと押し切ったその時のあたしを、今のあたしはぶん殴ってやりたい。そして魔石屋のお買い得品に目をつけたことは『怪我の功名』という言葉がいいと思う。


「え、これ安いんじゃない、それに魔力チャージできてこの値段?」


 強い魔力を込めた魔石は使うと壊れる、長い時間かけて込めた魔力の放出衝撃に魔石の強度が耐えられないから。弱い効力しか出ないものなら魔素溜まりに長時間置いてチャージしたり自分の魔力を注げれば再利用できる、あたしは今回のダンジョンに良さそうな魔石を見つけた。


「へぇ聖壁の魔石、1方向に魔物を拒む光の壁を出せて何度か使えて──3つで金貨1枚、安いじゃない!」

「使い勝手は良くないよ〜、ほら持続時間も短いし1方向だよ、ダメだよセシリアちゃん?」

「いいのいいの、あたしチャージできるし、買い物も節約すればタキちゃんの実入りが増えるでしょ!」

「ボクは平気だけど────荒療治でもいい、のかな?」


 そうしてタキちゃんの考える必要最低限を大きく下回る、あたしの考えた必要最低限の買い物だけで魔石屋を後にして、目的地方面に行く街道馬車へ乗ったのだ。

 後にあたしは教訓を得た、ダンジョン探索は先輩のいうことを聞きましょう、これ大事。



 沢山の人が相乗りする街道馬車を途中で降り、森の中へと続く草が踏みつけられた道を1時間ばかり入っていく。時間の頃合いは3時か4時、前を歩くタキちゃんのもうすぐ目的地に着くという話を聞きながら、あたしはだんだん不安を募らせていた。目的地があるであろう場所の上には、黒い雲。歩く道を覆う森の木々が揺れるたびに幽霊のように見える、実際はいないんだけど気になってしまうと止まらない。

 子供の頃は夜の闇も怖くなかった、母が死んで貴族区に行きほどなく神聖区の修道院に入ったあたりから暗がりの先に怖さを覚えるようになった。陰口はいい、無視するかいい負かせば倒せるから。女たちの派閥はいい、徹底的に無視して相手が実力行使してきたらチャンスとばかりに力で脅せるから。女が僧兵訓練に参加するのが気に入らないと嫌がらせをしてくる男は別にいい、殴れば黙る。

 暗がりの先に怖さを覚えるようになったのは、今にして思えば歳不相応の魔力を宿してしまい『よくないもの』を感じ取るようになっていたからなのだろう。神聖区といえば悪いものが寄り付かないと思っている人が多いのだろうけど、その実、常に生死が関わる場所なので色々な噂と実体験があるもので。

 階段に現れる顔と足首を掴む手、天井を見上げると目が合う闇、ベッドの下に潜む息遣い、揺れるカーテンから見える足首だけの何か、テーブルの上を滑って落ちて割れる皿、舞い踊る修道服そして中身はない、思い出すだけで身の毛がよだつ。幼い頃のあたしはひとり怖がって震えるしか出来なかったし、大きくなってからのあたしはこともあろうか恐怖のあまりそれらに殴りかかって蹴り飛ばそうとして何もできず、パニックになりかけていたところに耳元で。


「 う し ろ だ よ 」


 そう囁かれて卒倒してからというもの、怖いものがダメになったのだ。

 何がダメってゴーストの類いは殴って倒せない蹴って吹き飛ばせない、こちらから何も出来ないのが怖くて怖くて恐ろしい。それ以来ゴーストと一緒にいることが多いゾンビ系の魔物もダメ、死体が動くなんてゴーストが中に入っているんだから同じだもの、あたしに植え付けられたトラウマはかなり根深いと思うのだ。気になってしまうと止まらない、思い込みだと言われればそれまでだけど怖いものは怖いんだし、怖い時は別のことを考えて意識を逸らすしかない。


「────、────!」


 ああどうしてあたしはラッセルの口車にのってしまったのだろう、こうしてダンジョンが近づいてくるだけで胃がキリキリ痛んできたような気がする。確かにあたし遺跡調査ではあまり役に立たなかったし暴走しかけたような気がするけど、よく考えたら苦手なことをさせようとかあいつ子供のくせに鬼畜────


「セシリア!!」

「あ、ひゃい!?」


 耳元でタキちゃんが大声であたしを呼んだ、いけない気付いたら目的地に着いていたみたい。うわぁ雰囲気がある、淀んだ空気、朽ちた石柱が並び割れた石の転がる足元は歩きにくい。廃屋もあって割れかけた窓から何かがこちらを見つめているような不気味さ。誰が立てかけたのか柱のそばに木の板が斜めにあって、その裏に何かが潜んでいそうな感じがする。時々遠くから烏の鳴き声がする、夜烏じゃなきゃいいな、大烏もこちらをじっと見てくるから苦手。古びた大きな布が不自然に旗めいていると思ったら、石柱や廃屋の間に蜘蛛の巣やその糸が張り巡らされていて、そこにひっかかっているのだ。いやそんな人が隠れるくらいの大きさの布をくっ付けている蜘蛛の巣って、ちょっと何それ?


「うわぁ雰囲気がある」


 思わず考えが口をついて出た、タキちゃんが苦笑いしながらあたしに説明をしてくれる。


「いいセシリアちゃん、地表層は明るいうち野犬程度で大した敵は出ないけど、日が暮れるとゾンビが徘徊したりゴーストが飛び回るの、でも身を隠す場所もないから明るいうちに入り口を探して地下1層に潜るわね」

「へ、へぇ」

「地下はゾンビやスケルトン、ゴーストがランダムに徘徊している迷宮タイプ、マッピングしないと方向感覚がなくなって地上への道がわからなくなるから、ちゃんと自分の位置を確認すること」

「ふ、ふぅん」

「今日は地下1層で安全地帯を確保してダンジョン内で野営、ボクと交代で見張りだよ、地下2層と3層は明日になったら踏破するからね」

「だだだ大丈夫、覚悟はしてきたから、あたし」


 あたしは足を踏み出した、パキンと何かを踏んだ音がする、ガラスか何かね、うん大丈夫、もう1歩足を出した。右手の廃屋からガラスの割れる音がして黒い影が飛び出してきた、ひきつる顔をなんとか維持してステップで体勢を変えてそれに向き合う。背中側にある木の板が大きな音をたてて倒れる、突然の後ろからの音で背筋が凍る。何が出てきた、あ前にいるのは犬だゾンビだ腐ってる飛びかかってくる、じゃ後ろは何?


「セシリア!」


 タキちゃんがあたしの目の前に迫るゾンビ犬へ鋭い飛び蹴りをしてカバーしてくれた、あたしが意を決して振り向こうとしたとき、不意に耳元で幼い声が囁く。


「 ね え 、 あ そ ぼ 」


 息が止まる、あたしは絶叫しながら裏拳を横薙ぎに放って何もない空を振り抜いた。

 何もなく────はない、青白い顔が、眼孔が真っ黒に空いた子供のようなゴーストがそこに浮かんでいた。

 あ、これあたし死んだかも。

 

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