第16話

 ケルドラは他国に比べて特殊な地形に囲まれている、北に長く連なる山脈は人族には乗り越えることができない自然の防壁で、王都を守るかのように白磁の城の背後に高くそびえている。その白い城が守るのは数百年前の大戦で山腹にぽっかりと空いた昏き深い大穴で、そこから真っ直ぐ南へ順に王城、神聖区、貴族区、水堀を境に城下町と続いている。

 王城から城下町を見下ろすと区や街は扇状に広がっていて、それを囲む城壁は横幅7キロメートルを超える。俺はそんな雄大な景色を見たことはないが、キース曰く『王城から見下ろす景色のそれはもう、人族の頂点に立ったような錯覚を覚える絶景ですよ』とのことだ。バカと煙は高いところが好きというから、見たくねえな俺は。

 ケルドラの国土も同じように扇形に整備されている。王城を中心として、内領が3つ、外領が5つある。その領がどの方角にどういう順序であるか数える時は簡単な方法があって、王都から南をみて自分の右掌を下にしてこう数えるのだ。


「内領が、親指ファーストで東、中指セカンドは南、小指がサードの西」

「知ってるわよ正確には東じゃなくて東南東で西じゃなくて西南西、ところであんたあたしを何だと思ってるの?」

「外領は手をそのままで、親指フォースで東、人差し指フィフスの南東、中指シクスが南、薬指セブンスが南西、最後に小指がエイスで西だな、各領を数字で呼ぶとか風情はないけど単純で合理的だよな」

「もう!いい加減!あたしを!誤魔化すのを!やめなさい!」


 本当はこの後それぞれの区をつなぐメイン街道の成り立ちと呼び方の話をしようと考えていたのだが、相手が知っている話はネタにならない。ケルドラ王都をゼロ番として、街道が結ぶ区を数字に読み替え01街道とか26街道と呼ぶのだという話はまた次の機会に持ち越しだ。

 俺たちが01街道を通って初日の投宿地とするフレイニル領ファースト区は、人口約1万人の中規模の領だ。牧畜と農耕が中心の平和な土地で、外敵からの侵入に備えるべく多めの駐屯兵を置いている外領に比べ、その1/3の300人くらいが領の守備についている。1万人規模といってもひとつの街に全員が住んでいる訳ではなく、街道沿いの要所に町があって多くの人が住んでいる他は、領内の各地に農耕民が小さな村落を作って暮らしているのが普通だ。そういう村には決まった名称がなく、代表者の名前で呼ばれることがほとんどだ。

 俺たちはニックが操る警備隊の馬車に乗ってケルドラから40キロちょっとの街道を通り、夕日が沈む前に最初の街道街についた。そこに着くまでに俺の誤魔化し話術のネタは尽き、いよいよセシリアは本気で怒り始めたような気がする。キースがその笑顔を変えていないからまだ余裕はあるかと思っていたが、いやこいつ怒ったセシリアが俺をどうするか楽しみにしているのかも知れない。関所の駐屯兵に通行手形を見せているニックも、流石にウンガと化したセシリアと小さくなった俺に『静かにしてくださいっス』と真顔で苦情を言ってきた。その時に見かねたのかタキが声をかけてきた。


「わかったセシリアちゃん、ボクが今晩少し話してあげるからもう怒らないであげて?」


 意外なところから助け舟が出された、今晩は泊まる宿があるから男女で分けてセシリアはタキと同室だ。そこで話すということは俺が話される内容を止めることが出来ないという懸念はあるが、片道4日の行程で初日から誤魔化す限界を迎えているのでもうタキの裁量に任せるしかない、と俺は諦めた。いずれ話す必要があろうが、今の俺がまだ話したくないだけなのだから。


「思えばあんた達と一緒に行動するようになってから色々ありすぎて落ち着いた話もできなかったからね、覚悟しなさいあんたの話をきっちり聞き出しておいてあげるわ!」


 この女ノリノリである、俺を指差しながら勢いよく馬車の中で立ち上がったから天井に吊るしてある野営用の支え棒に頭をぶつけていやがる。元お嬢様だから行軍用の馬車は居住性が悪いのを知らないんだろう、こういう時ばかりは俺の身長がありがたいと思えるから複雑な気持ちだ。



 あたし、セシリア・イーリスは女の中で育った。7歳で母と死別するまでは母にべったりだったし、死別して悲しむままなく領地から貴族区に移ったと思ったら修道院に入れられた。つい先日までは父があたしを邪魔に思って修道院に追いやったのだと思っていたが、その父の日記を読んで初めて知ったことがあった。母の死を境にあたしが年不相応の大きな魔力を宿してしまい、そのコントロールを身につけさせるため貴族区に隣り合わせた神聖区の修道院に入れたということだった。何故そうなったかは分からなくても、幼子が膨大な魔力を持てばどうなるかは今のあたしにも容易に想像ができる。父があたしを思ってそうしたのだと知ることができたのは、あの日記を手にしてよかったことのひとつだ。

 なんでそんな昔話を思い出したかというと、その魔力で同い年の修道女たちから疎まれたりやっかみを受けたり、今までの環境で女の敵は女と身をもって知っているからだ。面倒なのだ、女の中で仲良くするとか足を引っ張るとか性分に合わないのだ。だから僧兵の鍛錬の方が楽しくなって男どもを打ち倒してきたし、勉学や神聖魔法でも同い年の女どもには負けなかった。言葉遣いや作法は興味がなかったので考えない、ひと皮剥けばドロドロに汚い女の園で同性嫌悪をしないわけがなかった。昨日までは。


「はぁ〜、タキちゃん天使ほんとお姉さんみたい」

「嬉しいなぁボク、セシリアちゃんみたいな妹が欲しかったんだ〜」


 宿で夕食を済ませて水浴びしたあと、あたしはタキにラッセルの話を聞こうと急いで彼女を部屋に連れ込み、寝台に座っていた、はずだった。今は2人で寝台に横になって顔を近づけて話し込んでいる。

 ラッセルのひとつ歳上だと聞いた、それなのにどう見ても二十歳を軽くこえていそうな身体つきと落ち着き具合、傷だらけでボーイッシュな髪型なのに自分のことを甘めの声で『ボク』というギャップ、とどめは何かあるとすぐ抱きついてその大きな胸で思考力を奪ってくる彼女に、あたしは骨抜きにされつつあった。こんな女の人に会ったことない、もう心が幸せ。


「今はラッセルより背が高いけどね、10歳ころまではボクの方が小さかったんだ〜、前髪で顔を隠したりおどおどしててね、いっつもラッセルが助けてくれてたんだよ〜」


 しかもラッセルの話をする時はめちゃくちゃ笑顔で可愛い、とても黒札で冒険者相手に雇われレンジャーという荒事をしているとは思えないくらいだ。レンジャーは戦闘においては支援に回るが、索敵やマッピング、罠の解除から魔物の攻撃パターンや弱点の知識まで幅広い役割を担うらしい。時には治癒魔法や回復の魔石が無い時に、薬や器具を使って怪我の処置をすることもあるそうだ。あたしの知らない冒険者稼業の話をしてくれるタキのペースにすっかり乗せられている、それが分かっていても話を聞くのが楽しいから止められない。


「タキちゃんそれだけ仕事できるのに、なんで黒札なの?」


 あたしは不思議に感じていた疑問をぶつけてみた。白札と黒札の違いは戦闘力ではない、ケルドラへの貢献度合いだ。普段は白札に雇われて昏く深い大穴に潜っている彼女の経験談は、大穴の探索経験がない私が聞いても白札たちと遜色ない活躍と知識に思えたのだ。

 タキは目を丸くして、コロコロと表情を変えながら話すかどうか考え、はにかみながらあたしに教えてくれた。


「ラッセルに白札にはなるなって言われてるんだ、ボク」

「あいつに?なんで?」

「白札は年に1回の給金も貰えるし、探索で手に入れた素材の買い取りも高いんだけどね〜」

「やっかみかしら?」

「ラッセルはボクが傭兵軍になって戦争に行くのを、反対してくれているんだ」


 あの子猿そんなことまで考えてタキに話してるんだ、あたしは思わず感心してしまった。

 傭兵軍として駆り出されることは稀だ、ここ数年は正規軍と駐屯兵団で何とかなっている。だが傭兵軍として戦争に参加したら、殺す相手は人族になる可能性が高い。薄々わかってはいたが、あいつはそういうところを気にしている節がある。赤き旗の盗賊団の仕事でも、悪人だから殺したという噂を聞いたことはほとんどない。神父は殺した方が早いなら事実そうしていたし、ラッセルは時々合理的でないんですよとも言っていた。

 でもあいつはあたしの父、魔族になってしまった父を倒す時も『すまん』と謝ってくれた。その後も交換条件を突きつけたとはいえあたしを受け入れてくれた。そこからの1ヶ月も、めちゃくちゃ仕事をして色々なことを考える暇もなく、気付けば笑って会話していることも増えてきた。父が魔族になって死に、イーリス家は取り潰され、家名を奪われるという屈辱を受け、あたしは教会からも除名になって行く先のあてもなかったのに?

 それに気がついてしまったら、あいつの身上を聞き出してやろうと言っていた自分がとても小さく思えてしまった。たぶんそれが顔に出たのだろう、タキの顔がぱぁっと明るくなった。


「セシリアちゃん、ああ見えてラッセルはいい子だよ〜」


 タキが優しく微笑んだ、ああ、やられたなあ。ここまで気付かされたら何も聞けないや、あたしは困り顔で微笑み返した。いずれ必要なことなら知る機会があるだろうし、神父はどうか分からないけどあいつはあたしも含み相手の事を考えているのは確かだ。あたしも気持ちを切り替えて仕事に集中しよう。


「わかってくれたようでボクもうれしいよ〜、明日は野営の仕方とか夜の見張り番のことを教えるから、今晩はボクとゆっくり寝ようね〜」


 あたしはタキに腕枕をされながら眠りについた、こんなに安心して目を閉じられるのは何年振りだろうか。遠い記憶で母に抱かれながら眠りについた時の匂いを思い出しつつ、あたしは深い眠りについた。

 

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