第17話

 俺たちの旅は初日でファーストまで、二日目はファースト領内を半日かけて抜け、その日の夜から街道沿いに野営をすることにした。3日目と4日目は森の中の整備されていない道を辿って遅い歩みになるから、比較的安全なのは今日までとなる。

 街道沿いは森や林であったり、開けた平地や川の近くだったりする。俺たちはできるだけ平地で見渡しの良い場所を選んで野営用の天幕を張り、日が暮れて食事を済ませた後は早めの就寝にした。見張り番は2時間交代、馬車を操るニックは番無し、女のタキは1回、今のところ暇を持て余している俺とキースがそれぞれ2回という割り振りにした。なおセシリアは見張りのレクチャーを受けさせるためにタキと組ませている。

 平野で出くわす魔物はそう多くない、どちらかといえば魔物化していない普通の動物の方が多い。それでもウサギだと思って気を抜いていたらアルミラージでしたということもある、人族の支配地域よりもそうでない場所のほうが遥かに多いのだから気を抜けば何が起こっても不思議ではない。例えば南にあるラルフ・ラロッセルなどは樹上の川から落ちてしまえば生きて帰ることは出来ないと有名だし、地上では生きていけない島もあると聞いたことがある、それらに比べたらケルドラ国内はかなり安全な方だ。

 そういえば初日の夜が明けてから俺へのセシリアの追及は止んだし、心なしかタキに話しかけていることが多くなった。俺としては気楽になったのだが、今度はタキがセシリアに何を吹き込んだのか気になってしまう。ままならないものだと、俺は馬車の屋根の上で今晩2度目の見張り番をしていた。


「ふぁぁう、気を抜いちゃいけないとわかってても、ねぇ」


 焚き火、野営の天幕、馬車と並んでいるので、俺がいる屋根の上は焚き火が照らす光を受けずに闇へ身を潜められている。こういう野営時は男女問わず同じ天幕の中で休むのが当たり前だ、場合によっては水浴びだって一緒にすることもある、身体差を気にして敵襲を受けたりしたら笑い話にもならないから。中には天幕の中で致す馬鹿者たちもいるらしいが、その場合は『分別なし』という不名誉な烙印を押される。キースから教えられたが生き物には生存本能というのがあって、それぞれの生存環境や寿命の長短により子孫を残す頻度や一度に出産する数で比例が見られるそうだ。短命で死にやすい生き物は生き急ぐように子作りをして沢山産んでその成長過程で多くが死んでいく、長命で死ににくい生き物は子作りを急がず産むにしても1度に1匹か2匹でその成長過程において死ぬことはほどんどない、とか。人族は後者に該当するらしい。


「娼館に入り浸る神父サマが言っても説得力が、ねぇ?」


 キース曰く繁殖行為を娯楽に発展させているのは人族の中でも只人だけで、それだけ文化が発展成熟している証とのことだ。あいつに教えを請うようになってから、こういった知識なのか雑学または研究とでもいうのか、義賊の仕事に必ずしも直結しない事柄を色々教えられてきた。仕事に役立つことはないが、色々考えるきっかけにはなっているので感謝はしている。ずいぶん長い間あいつから思考訓練をされ続けているので、今となっては習慣化して何も考えない時間の方が少ないから不思議だ。


「ん?」


 俺の耳は遠くの茂みで何かが動く音を捉えた、時間は夜中の3時前後なので夜行性の動物を想定して音を探る。獣の鳴き声に近い会話めいた音が聞こえてきた、これはゴブリン特有のものだと判断して闇夜に目を凝らす。俺たちが野営している平地から樹木や茂みは50メートル以上離れている、明るいうちにその辺りは見て回っているから、奴らの体躯だとしても茂みに隠れられるのは3匹程度だと予測できる。こちらの様子を伺っているだけで近づいてくる様子はないので、俺は手首に仕込んである鉄板を少し触ってキースにこう告げた。


「天幕から焚き火を0時として11時の方向、距離50メートル、立木のしたの茂み、ゴブリン3匹前後、眠り魔法スリープいけるか」

『問題ありませんよ』

「カウント3で頼む」


 間髪入れずに応答があった、昔からキースは『私は眠りがとても浅いんですよ』と言っている。普段から目を閉じているような顔なので昼間も寝ているんじゃないかと何度か不意打ちをしたことがあるが、悉く防がれるどころか反撃された経験があるので、キースは本当にいつも起きているような状態を保っているのだろう。

 こう考えているうちに天幕から生きた水のような魔力の波が闇夜を泳ぐように流れていき、俺が指定したあたりで薄紫の霧が立ち込め効力を表した。くぐもった鳴き声のような音がしてすぐ静かになったのを見届けて、俺は首元の黒い布を引き上げ鼻までかけてから、一足飛びに馬車の屋根から飛び降りて駆け出した。真っ直ぐ駆けるが立木の茂みからは何の反応もない、念の為ステップを入れて立木の方に横飛びしてから背中に隠した刃を抜き茂みの裏手に飛び込んだ。2匹のゴブリンが茂みに覆い被さるように倒れて眠りこけていた、俺は容赦なくその首を切り落とす。こいつらは俺よりも小柄だし骨張っているから、前のめりに倒れているなら首の骨にうまく刃をあてて体重を乗せることで切断することは可能だ。俺の手に嫌な感触が残り、毛髪のない汚れた肌の頭部が転がってきて足元で俺に顔を向けてきた。


「この骨張った吊り目の顔、何度見ても嫌なもんだな」


 ゴブリンは捕らえたところで意思疎通は出来ないし、こいつらは邪悪の申し子と言われるだけあって悪意の塊だから殺してしまうに限る。下手に知能がある奴は人族の言葉を鳴き真似て助けを乞う振りをするものだから、経験の浅い冒険者はそれで剣を納めたところに毒の短剣を突き立てられる。集団で行動し盗み奪い殺し犯し嬲る、特に人族の女を孕ませることができる悍ましい魔物なのでどこの国でも厄介な害獣とされている。なお唯一魔石を持たない魔物である、駆除しないと害があって駆除しても得られるものがない、マイナス要素しかない魔物なのだ。


『皆は起こしてあります、必要なら動くので指示してくださいよ』

「ああすまん応援は不要、2匹駆除した、他はいない、あまり汚れていない腰布、不似合いな短剣を持ってる、冒険者から略奪した物だと思う」


 魔物なら倒した状態で多少の違いはあるものの、魔石を残して徐々に霧散していく。動物はそうならないし、魔石を持たない人族も死んだからと言って肉体が霧散したりはしない。それを前提にすると嫌な話なのだが、ゴブリンも殺したところでその醜い肉体が残ってしまうのだ。埋めるか焼き払わないと後々そいつらの同族に後をつけられる危険性も出てくるので、キースに警戒を任せ俺とセシリアで穴を掘って埋めておいた。

 こんな街道近くまでこいつらが出てくることに違和感がある、もし調査隊が音信不通になったことに関係しているなら不釣り合いな短剣を持っていたことも頷ける。白の冒険者がゴブリン程度に負けることはあり得ないが、それ以外の何かに襲われた可能性の方を高めに想定しておく。まず今は日が登ったらすぐ森に入って2日間で遺跡を目指すことが重要だ、俺たちは予定通りの行程についた。



 3日目は特に問題なく、曇天の中で林に囲まれた細めの道を進んでいった。先に通ったであろう白札たちの予定ルートを進んだが気になるような痕跡もなく、道中で何かあったわけではないようだった。野営に良さそうな開けた場所を見つけて天幕を張ったら、ちょうど火を焚いて片付けたような跡もあったので間違いないだろう。気になることがあるとすれば、野生の動物の息遣いがあまり感じられないという程度だ。

 4日目はあいにくの雨模様で、幸いにも森の中に差し掛かっていたのでそれほど濡れることもなく、ただ夜のように暗い森の中の道を進むこととなった。御者席の庇にぶら下げた火時計で概ね午後2時を過ぎたと思われるころ、俺たちは2つの調査隊が消息を絶ったと思われる過去の遺跡にたどり着いた。


「なかなか趣があるね」


 いつもの革鎧の上から雨除け用の薄いローブをかぶっている俺は、深い森の中にぽつんと開けた土地の中に建っている古い遺跡を見上げて感嘆の声を漏らした。

 一辺が1メートル以上ある四角い岩を何百個、何千個と積み上げて神殿のような作りになっている。遺跡は下が40メートルくらいあって広く上に進むに従いその幅が狭まっていく、小さな山のような形だ。四方から上に伸びる階段が行き着く先には石造りの建物に入れるであろう黒い穴がぽっかり開いており、その上に大して厚みがないことを見るに内部は下に造られているのだろう。

 しかし積み上げられてから何十年いや何百年経っているのだろうか、岩肌をよじ登るように蔦の類と苔がびっしりと張り付き、遺跡の中腹までを緑で覆っている。ではその上に何があるかといえば、見たことのないような妙な黒っぽい木が生えているのだ。雨霧の中にあるその木は暗い雲が発する鈍い逆光で黒く見えているのか、そして風に靡くような様子はない。遺跡自体の高さは20メートルちょっとなので、雨に濡れるその黒い木の細部までは見えないが、不気味な黒い葉が幾つもぶら下がっていて普通の木ではないことがわかる。どうしてそんなものが遺跡の頂点に生えているのか、土もないのにだ。その答えだといわんばかりに黒い木の根は遺跡の岩肌に絡み、その根のほとんどがぽっかり開いた穴に侵入している。


「森では見たことない形の樹木────でも遺跡は力を集めるタイプの造りで、あそこが採取口となると出入り口が他にあるかなぁ」

 

 タキは本職レンジャーの知識で遺跡の外観を眺めていた、何か妙な印象がありそうで自分の顎に手をかけてブツブツと考えを口にしている。これは俺が小さい頃のタキに教えた方法だ、いくら思っていても口に出さなければ相手に伝わらないのだからまず口に出せ、いつしかそれは自分の考えをまとめる時にも使われるようになった。あの頃は引っ込み思案をどうにかしようと思いそうさせたのだが、今こうやって役に立っているから良しだ。


「兄貴、神殿の裏手に荷馬車があったっス、酷く荒らされてるんで残骸っスけどね」

「ラッセル、ボクが思うにこれ、階段の横に本来の入り口が隠してあるタイプだと思うよ〜」

「あんたの言う通りぐるっと回ってみたけど、争ったような形跡は見当たらないわ」

「ずいぶん立派な木ですね、でもこの近辺の森や草原では目にしない色形の樹木ですよ」


 俺とキースが馬車と馬を見ている間に、他の3人組で遺跡の周囲を歩いて回らせた。一般的な攻撃力を備えているであろう警備隊の装備を身につけた戦士と女2人、もしゴブリンのような魔物が潜んでいたなら釣れるかなと思ったけどそういう動きもない。というか俺が耳を澄ましても、雨音の中に他の生き物たちの気配が感じ取られないので、動物たちは遺跡付近には近づかないよう遠巻きにしているのだろう。それともあの妙な木に何かがあるのか、俺は雨の降る中で遺跡を下から見上げて告げた。


「セオリー通り、周囲と下から調べよう」

 

 それぞれの報告を聞いて、俺はまず遺跡の上部にある黒い穴以外の出入り口がないか探すことにした。馬車と馬車馬の守備または敵があればその排除をキースに任せ、何かあったらまず対魔結界アンチイビルフィールドまたは物理結界シールドで馬と資材を守るよう指示しておく。指示しておかないと『何もしなくていいと思っていたんですよ』って俺のミスを指摘してくるからな、キースはどんな時でも俺に考えさせる教育方針なんだ。


「俺とタキが階段脇の調査、くれぐれも遺跡の中段より上には行くなよ、あの木は変な感じがする」

「あたしはどうするの?」

「お前はニックと荷馬車の残骸から使えそうな資材や魔石がないか調べてくれ」

「わかったっス兄貴、昔みたいで楽しいっスね!」

「このバカ、お前んとこの依頼で来てるんだから少しは真面目にやれ」


 セシリアの怪力なら崩れた残骸でもひょいと取り除けるだろう、隠しギミックを調べるのとか性格的に苦手そうだし、なんかあれば殴って壊しそうだし性格的に。俺はタキと2人で、遺跡の4辺から上に伸びるそれぞれの階段脇を調べてみることにした。

 程なくして俺とタキは残骸となった荷馬車のあった側の石階段に隠してある入り口を見つけ、仕掛けにより手で押して動かせる四角い岩をずらし────息を呑んだ。


「中にまで根みたいなのが張ってるねぇ、でもボク、これ根と言うより血管みたいに見えるよ」


 俺が危険を察知してセシリアとニックを見やると、その頭上から静かに音もなく幾本もの黒い枝が伸びてあいつらに襲い掛かろうとしていた。俺は首元の黒い布を引き上げ口と鼻を隠しながら叫んだ。


「吸血樹だ!全員警戒しろ!!」

 

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