第18話

「何よ吸血樹って!?」


 突然音もなく頭上から枝分かれしながら伸びてきた枝を、セシリアは手近にあった馬車の残骸で振り払ってちぎった。俺たちに言葉を投げかけるくらいの余裕はありそうだが、自分がちぎり落とした枝先を見て表情を顰める。落ちた枝は蜥蜴のしっぽ切りのようにビチビチと跳ねて暴れ、獲物が逃げられる範囲を潰してくる。ニックも左腕の小さなラウンドシールドで枝を防ぎながら手にした剣で遅いくる枝を切り飛ばしている。


「沢山の枝で獲物を絡め取って、根を突き刺して血を吸い尽くすめっちゃ危険な魔物だよ〜」

「肌に触れさせたらダメっス!こいつ有害認定されてる半樹半魔の化け物っス!」


 俺も知識では知っていたが見るのは初めてだ、基本的にこいつらは迷宮の奥深くに生えていて地上で発見された例は稀だったはずだ。そもそも吸血樹は人より少し大きい程度で葉がない枯れたような樹木だと────だったらさっき見た黒い葉は何だ、俺は急いで手首の鉄板を操作しキースに連絡を入れた。


「キース!吸血樹に火を放てるか!」

『ああ無理ですね、100匹程度の血吸い蝙蝠に対魔結界アンチイビルフィールドを張ったのですよ』


 しまった、黒い葉に見えていたのは吸血樹と共生する血吸い蝙蝠だ、俺は枝からぶら下がっていたのを『葉が下向きに生えている』と勘違いしたのか。そして対魔結界アンチイビルフィールドは魔物や魔法を遮断することができる代わりに、結界の外側に魔力干渉することができない。可能なのは結界内での魔力行使だけだ、羽を広げれば横幅1メートル近くの大きさに加え毒系の魔法を使うという血吸い蝙蝠を防ぐには物理結界シールドは不向き、馬と資材を守る目的のキースが対魔結界アンチイビルフィールドを張った判断は正しい。

 そもそも雨の中で濡れた吸血樹に火炎の魔法を放ったところで、焼け石に水のように無意味なのは同じ。撤退しキースと合流するだけの短い時間を稼ぎたかった、だが迫り来る無数の枝から俺たち4人の身を守るのが先決だ。


「いけないラッセル、森からゴブリン、多数だよ!」


 タキの声でそちらを見ると、壊れた馬車の向こうにある茂みから醜い魔物が飛び出てきたところだった。多分野営中に俺たちの様子を探っていたゴブリンの仲間か、その数15匹程度だった。頭上から音もなく遅いくる吸血樹の枝を払いながら、足元に群がるゴブリンの相手をするのは無理だ。そう判断した俺はふたりに指示を飛ばした。


「お前らこっちに来い!遺跡の中で体勢を整える!」


 既にキースと分断されている、これ以上の戦力分散を避けるべく、俺は遺跡内部への侵入を選択した。



 セシリアとニックを隠し入り口に引き入れた俺たちは、逆手順で入り口を閉じようとした。その時に一手間踏んでおこうと見回したら、ちょうどセシリアが馬車の廃材を手にしていたので取り上げて石と石の隙間に挟んで仕掛けを止めておく。血吸い蝙蝠が入ってこれるような隙間ではないし動かせるわけでもない、ただ石の隙間は外の光を僅かに取り込んで、もし内部で光源を失っても何らかの選択肢には影響してくれるだろう。

 しかし吸血樹とは妙な木だ、知識で知っているのと実際に目にしたことがあるとでは雲泥の差があることを思い知らされる。もしかしたらキースは吸血樹であることに気付いていたのかも知れない、だが俺が気付けていないなら無意味だし、思い返せば奴の言葉は俺の記憶を想起させようとしての選択だったかも知れない。

 知れない、では何も知れない。選択こそ知るための唯一の道だ、俺は今選べる最適を出すために仲間と言葉を交わした。


「本来地上にいないはずの吸血樹がある、誰かが何かの目的で植え付けた可能性が高い」

「吸血樹と血吸い蝙蝠で、じゃあ吸血鬼っスか?」

「それならあたしの目的のひとつよ、願ったりだわ」

「セシリアちゃんは勇ましいねえ、でもボク吸血鬼対策のアイテムは持ってきてないよ〜」


 普通はそんなものを持ち歩かない、当たり前だ。むしろ俺たちはキースが居ることで神聖魔法やそれに類する法具を携行していない、俺が仕事道具として常に聖水や銀杭を衣服に仕込んでいる程度の手持ちしかないのだ。俺は肩口に隠しておいた細松明を取り出し火打ち石で灯りをつけて、仲間の意識をこちらに向けさせた。


「ニック、俺たちの目的は?」

「遺跡調査隊と、それを追った第二班を探して救助することっス」

「タキ、冒険者の心得で大事なことは?」

「死ぬな生き抜け死ぬのは間抜けな奴らだけ、だね〜」

「セシリア、仲間の安全と自分の目的、優先させるべきはどちらだ?」

「あんたバカ?わかってるわよ独断専行はしない、これでいいでしょ!」


 オーケー各自判断は正しい、俺たちの目的は制圧でも殲滅でも迷宮踏破でもない、音信不通の白札と神父の安否確認と生きていれば救助だ。もし死んでいたらそれを報告するだけで、人数分の白札や許可証を持ち帰ることができたら御の字だ。俺は目的を絞り込んで、次に期限を設けた。


「この細松明は消えるまでに1時間程度だ、探索はこの松明がついている間だけ、いいな?」


 3人は俺に頷き、各自の行動指示を待つ。


「タキ、この手の遺跡の代表的な構造はどうなっている?」

「側に制限があるから似たり寄ったりで、荷重がかかる基礎部分には玄室があるかな〜、その上は祭事室や宝物庫っていうケースが多いけど、ここは上に黒い入り口があったから、何かの儀式の祭事室だと思うな〜」

「多くて2〜3層って感じか?」

「そうだね〜、何かの力を貯めたり凝縮する感じの遺跡だから、重要なものは下かな?」


 予想される構造と遺跡の大きさから推測し、俺は祭事室にあたる箇所に吸血樹の根が入り込んでいるんだろうと仮定して、そこを調べて可能なら根を断ち切るよう指示をした。長めの刃物を持っているニックを先頭に俺、タキ、最後尾を獲物がなく素手のセシリアにした。僧兵のような徒手空拳での戦闘を得意とするセシリアだが、治癒魔法ヒール解毒魔法デトックス、意外なところで浄化魔法ピュリフィケーション解呪魔法ディスペルが使えたりする。前衛の戦闘力と後衛からの回復を担えるので、こいつが加わって俺の選択肢も増えているのがありがたいが本人には伝えていない。過度の自信や驕りは慢心になるからね、俺自身も常に気をつけているつもりだ。

 

「兄貴、この通路すぐ先で中心の方に折れてるっス、俺が行くっスか?」

「俺と2人で行く、タキ松明を頼む」

「はいよ」


 孤児院の頃は遊びで探索ごっこをやっていた、まさか今になって同じ顔ぶれで似たようなことをする歯痒さを覚えながら、俺はニックと通路の先に足を踏み入れた。

 足元にぬめる感触が伝わる、吸血樹の根が張っているのだろう。俺たちの後ろから照らす松明の明かりは暗い部屋の中をぼんやりと映し出した。


「ああ、こういうことか────ひどいな」


 部屋の上部にある入り口、通風孔か採光用の穴は吸血樹の根がその半分以上を塞いでいる。その根は真っ直ぐ下に垂れ、その根は部屋の中央に積み上げられた肉塊たちを貫きながら絡み付いて緩やかに脈動している。遺跡付近にいた動物たちや調査隊がこれなのだろう、積み上がった肉塊の中に薄白く光る札を認めて俺は呟いた。濃い魔素を宿す白札たちを餌にして吸血樹はあそこまで大きくなったのだ、白札たちを倒せる何かは想定していたが白札たちを餌にできるほどの強力な存在までは俺でも予想できないって。


「白札が吸血樹程度で全滅するはずがない、それ以上の何かがいるぞ、円陣防御で警戒しろ!」


 積み上げられた肉塊の中から、人の形を留めている物体が動き出した。ゾンビだ、セシリアの短く高い悲鳴が合図になって俺たちは戦闘態勢に入った。



 頭や体に根が刺さっているゾンビとか嫌すぎる、部屋の上に風が通る穴はあっても密室で火を使うのは危険すぎる、こんなところで盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを使うのは早すぎる。


「ニック前衛、俺とタキでバックアップ!セシリアは後衛で浄化魔法ピュリフィケーションを使え!」


 こういう時このふたりは心強い、俺が叫ぶと同時に迷いなく走り出し武器を振るい、普段から鍛えている通りに戦える。特にニックは右手の長剣と左手につけた小さいラウンドシールドを使い、巧みに攻撃と防御を切り替えながら戦士の役割を果たしている。警備隊の中でも優秀な平隊員という噂は本当のようだ。

 キースから渡されている魔石を使わない特殊な通信道具は魔法や魔素による障害を受けない反面、至ってシンプルな弱みもある。遮蔽物に弱い、直線ならかなりの距離があっても通信できるが木より漆喰壁、漆喰よりも岩のようなものを苦手とする。奴がいればゾンビ程度は一気に浄化できるのだが、地道に1体ずつ倒すしかないと俺は短剣に聖水をかけて、後衛のセシリアを見た。


「へ?」


 セシリアがすごい形相で両手を握りしめてガタガタと震えている、戦闘中なのに俺が拍子抜けするような顔、何だこれ怖がってる女の子みたいだぞ?


「きっ────」

「き?」


 思い出した、セシリアの入団をテストするために選んだ仕事の中でひとつだけ妙なことがあったんだ。セシリアは下水道通路で大鼠に出会った時、全身の毛を逆立てた猫のように顔と身体を引き攣らせたことがあった。その時は全力で俺にしがみ付いて、あれは外骨格がなければ両腕の骨が折れていた危険があるくらいの怪力だったが────取り乱した時の目が点になった表情、今の顔はそれだ!


「きゃあああああああああああ!?」

「避けろタキ!ニック!?」


 これ多分光の具合からみて、治癒魔法ヒール浄化魔法ピュリフィケーションだと思う、魔法や魔石はその系統によって光る色が違う、白や黄色は治癒や浄化系なので今セシリアはその両方が入り乱れた色で、全身を覆われている。普通は杖に魔力を収束させたり印を結んだ手から魔法を行使するが、全身から発するという荒技は普通の人族にはできるものではない。


「あっち、いけえええええええん!!!」


 いやお前があっち行け、叫ぶか泣くのどっちかにしろ。それでもセシリアは魔力をまとい発光したままでゾンビたちに向かって駆け出し、それを避けた俺たちには目もくれずに両手を振り回して敵を弾き飛ばした。ああこれは子供が喧嘩でやるあれだ、ただ振り回す腕の勢いが尋常ではない。まるで高速で走る馬車に轢かれたかのように、数体のゾンビが魔法の光で苦しみ崩れながらふっ飛び吸血樹の根元にぶつかる。


「このウンガ女!魔力まで強いとかどんだけだよ?!」


 崩れ去るゾンビにまとわりついていた魔法の光は、そのまま落ちた先のゾンビや吸血樹の根にまで伝染していく。発声機関を持たない魔物の木はその根を暴れさせ、細い根から生気が失われたように枯れていった。積み上げられた死体は浄化魔法ピュリフィケーションを受けて塵と消え始めていて、俺たちの目の前に吸血樹が上から垂らしている主だった根が露わになった。


「タキ、ニック!今のうちに根を切り落とせ!」


 このタイミングを逃したらここまで巨大化した吸血樹を殺しきることはできない、俺はふたりに手当たり次第で目についた根を切らせた。見立てた予定の外でも結果よければ全て良しだ、俺も手にした刃で次々と根を切り落とす。そして我を忘れて暴れた後にペタンと座り込んだセシリアから魔力の光が消えるころ、俺たち3人は目ぼしい根の全てを断ち切り終えていた。


「ラッセル気をつけて!吸血樹が暴れて────天井が崩れてくる!」


 タキの警告は正しかった、俺たちが壁際に退避するのとほぼ同時に遺跡の頂上部分に組まれていた石がずれ落ちはじめ、支えを失った吸血樹がその根本から落下してきた。茫然自失としていたセシリアはタキが抱えて退避してくれた、俺とニックは崩れて落ちてきた石が落ち着くのを見届けてから安堵の表情を浮かべて口笛を吹いて戯ける。崩れた天井の先から僅かに雨粒と光が降り注ぎ、少しだけ視界が明るくなった。遺跡の基礎部分の石が1メートル四方の大きさなのに対して頂上部分は一辺50センチ弱の石だ、落下したそれが当たればただでは済まない大きさだが、瓦礫に埋まった白の冒険者たちの遺体から白札を探し出す分には、石は少しでも小さい方が助かる。そうだセシリアに片付けさせるか、なんてことを考える余裕も出てきた。


「このウンガ女、お前にはちょっとペナルティだ」


 目の前に落ちてきた吸血樹が徐々に勢いをなくし始めている、これなら共生関係にあった血吸い蝙蝠も拠り所を失って散り散りになるだろう。これでキースとも連携できると思いながら立ちあがろうとして、俺は自分が気を抜いていたことに気付いた。忘れていたのだ、ゾンビになった白札たちは結果的に浄化されたが、では誰が白札にそんな真似ができたのか?


「昏倒せよ────」


 俺たちがこの部屋に入ってきたのと反対側、ちょうど天井を破り落ちてきた吸血樹の向こう側に人影が見えた。それと同時に濃い紫の魔力の波が俺たちを包み込んで、まるで耳元で囁かれるようにその言葉が聞こえてきた。

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