第10話

 キースがゆっくりと歩み寄ってくる。手にした司祭杖は血塗れで、豪奢な司祭服にも返り血が飛び散っている。俺の指示が遅れたり間違っていた場合、キースは何もしないか奴の考える最適な方法を取る。自分に寄ってくる領民の頭部を司祭杖で殴り飛ばしながら、いやこれは頭を潰して殺しているのだろう、しかし顔にはいつもの笑みを貼り付け平然としたキースが死体を踏みつけながらその場にいる全員へ語りかけてくる。


「私の仕事は教会の暗部を抜けたネクロマンサーを捕縛または殺害することです、そして私の目的はこの領民大量殺害事件を巷で噂の赤き旗の盗賊団が解決したという実績づくりなんですよ」

「何をいっているんですか、神父様?」

「すみませんセシリア、あなたのお父様が怪しい動きをしていたのも内偵されていましたし、呼び出されたあなたに加護布を持たせるよう遠回しに指示したのは私なんですよ」


 セシリアが目を見開き耳を疑い言葉を失っている。

 無理もない、俺もキースに騙されていて後から真実を知ることが何度もあったが、偶然出会った神父が自分の行動を知ってさらに関与していたなど、気持ち悪いどころの話ではないだろう。ある程度の状況を推測できる立場の俺ですら、気分が悪いのだから。


「教会に暗部があるという噂、ケル・ムントお前がとはな、神父もその口かね?」

「昔の──話だ──」

「いいえ元領主様、今はとある義賊の参謀みたいなことをしておりましてね、その中でイーリス領主が一人娘を突き放すように修道院に入れたこと、どれだけ話を持ちかけられても後妻を迎えないこと、後継を産ませもしなければ養子も迎えないこと、10年の休養を経て何故か元の領地に就くことを強く希望したこと、そういう情報があったところに元暗部の魔族が絡んでいそうだと、旧知から対処を頼まれたんですよ」

「ほう──若輩がなにを──頼まれた──と?」

「ええ、だから教会の暗部を抜けた若輩の捕縛または殺害を頼まれたあなたの先輩ですよ」


 それが合図になった。

 俺は動揺がおさまらないセシリアを左手で抱えて一足飛びにキースの横に位置を移した。レイモンドは上着の襟を正すと優雅な足取りでこちらに歩み寄りながら、キースに撲殺された領民へ掌を向けての魔素、いや魂なのかを取り込んでいる。ケル・ムントという魔族が領主のメイドに何かをしたのか、女は服が破れるほど筋骨を肥大化させ人狼に変貌し咆哮をあげた。なるほど蝙蝠や人狼はこの魔族の支配下にあるのだと理解する、この魔族が吸血鬼かその親がそれなのだろう、たぶん親がいる。


「状況はわかったが後でぶん殴らせろ、このエセ神父!」

「できるものならどうぞ、その前にあなたが指示を出さなければ私は動かない約束ですよ!」

「キースは人狼に拘束魔法バインドした後に魔神像用の魔封ディスコネクトを準備、セシリアはキースの影に隠れてろ!」


 俺は覚悟を決めた、キースが俺を騙してまで連れてきて引き合わせたのだ、避けていた過去の失態に向き合わなければこれから先には進めないという意味なのだろうと唇を噛む。右手に持っていた刃を背中にしまい、その手で鉄の背甲に隠している俺本来の剣の柄に手をかけた。

 一瞬でカタをつける前に、セシリアに一言だけ謝っておく。


「セシリア、俺は────お前の父親も殺す、すまない」

「や────やめて!?」

「いくぞ、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤー!!」


 右の逆手で背甲に隠したもう1本の短剣に切り替えて引き抜く、肘から手首ほどの長さで厚みのある湾曲した両刃剣はその刀身の中心線に植物の蔓のような金細工がされ、鍔のない柄には黒い革紐がきつく巻かれ、柄尻に赤い宝石が埋め込まれている。盗賊殺しの短剣を引き抜いた瞬間に全身の筋肉に激痛とも思える収縮が起こり、俺は周囲の音を置き去って駆け出した。

 二歩でレイモンドの足元に飛び込んだ、下から見上げる形で左手に隠し持っていた布を突き上げる。セシリアを抱えて飛んだ時に掠め取っておいた教会の加護布を彼の胸にある魔石へ押し当てる、ほんの一瞬だが魔力の伝播を遮られたレイモンドの動きが止まる。

 その一瞬の隙だけで十分だ、すぐに動き出し伸ばした爪で俺を串刺しにしようと振り下ろされた両手よりも早く、俺は右逆手に持った盗賊殺しの短剣を彼の胴体に最速で斬りつける。


「すまん」


 腕を伸ばし、肩を上げ、右の背を伸ばし左の筋を縮める、左足を軸に据えながら右足は腿、膝、脹脛、足首、指先に至るまでの全てを盗賊殺しの短剣を振り抜く速度に込めた。

 俺の右手は空気の厚みを押しのけた速度で盗賊殺しの短剣を振り抜く、空気が破裂するような音と共にレイモンドの硬い肉体はバターのように容易く上と下に斬り分けられる。一時的に速度の上がった俺の身体は視界や思考もそのスピードに追いついて、元領主だった魔族の上半身がスローモーションのように吹き飛んでいくのを見た。

 そのまま俺は痛む右足を地面につき残った左足で天井に向かって大きく跳躍し、ケル・ムントに襲いかかる。死霊のような顔の魔族は構えていた魔法を俺に放った、何の魔法かはわからないが黒い霧から3本の大きく鋭い爪のような形の衝撃波が飛び出してきたように見える。


「無駄だ」


 左手で首元の燻んだ赤い布を掴み、引き剥がしながら宙で横に回転して布を振った。ケル・ムントの放った魔法が霧散する、弾いたとか切り裂いたではなく、魔法そのものを押しつぶした。

 驚く魔族の顔を見下ろしながら、天井についた両足へ力を込めた俺は軋む骨の音を無視して魔族の左肩から胸の魔石を避けて盗賊殺しの短剣を振り下ろすべく、全身のバネを使って跳躍した。再び空気の破裂音が響き、それと同時に四つん這いに着地した俺を中心に爆発したような砂埃が舞い上がる。

 レイモンドの硬い肉体と異なり、死霊のような顔の魔族の肉体は常人のそれと大差ないのか、あっさりと左肩から右の腰に断ち切られ紙屑のように飛んで祭壇の土壁に打ち付けられた。これで終わりだ。

 俺は身体中の筋肉が悲鳴をあげるのを抑え込んで、ゆっくりと立ち上がった。



「ふぅ────」


 僅か2秒の出来事だった。

 軋む腕でゆっくりと盗賊殺しの短剣を背甲に収める、そこでやっと俺の耳に外の音が戻ってきた。父を呼び叫ぶセシリアの声、拘束魔法に捕らわれ唸り声をあげている人狼の女、晴れやかな気分というわけにはいかないその空気で、俺は一瞬判断を遅らせてしまった。


「我が神よ──我が命──ここに捧げ──奉らん──」


 ケル・ムントは残った右腕で魔神像を掴み宙空に掲げ奉った。

 呼応するかのように奴の周りに漂っていた黒いもやの中から青黒い土のような色をした大きな腕が飛び出てきたかと思うと、人のそれよりも指の数が多い手の平で魔神像を包み込む。ケル・ムントの胸のあたりが黒く光ったと思った次の瞬間にはその光が失せ、それと一緒に魔神像を掴みとった腕も霧のように消失した。俺は判断をミスしたことを悔いる前に、手足の先から崩れ始めている奴に近寄り一言だけ問いかけた。


「お前の神は、────か?」

「違うバラン──だがその──御方なら───ずれ蘇る──死ねば終わ───人族や魔族と──違─」


 大きな腕が薙ぎ倒した蝋燭の火が乱れて揺れて、静けさが訪れた。

 ケル・ムントは自分の命を捧げて、少なくとも指は6本あった悪魔を呼び出したのだろう。自身の魔石から紫の黒い光が失われ、全ての魔素を失ったこの魔族は塵と崩れ落ちた。その魔力を注ぎ込まれていた人狼もひと声かぼそく泣いてから、人間の女の姿に戻り倒れ伏した。

 この魔石こそが魔族の角ともうひとつある弱点だ、胸の魔石が破壊されるか内包される全ての魔力が尽きることでその身体は塵になって消える。もっとも魔力が残る魔石を破壊すれば魔力暴走が起こり辺り一帯は爆砕され塵も残さず消え失せることになるから、事実上は角だけが弱点だ。

 最後に残った魔石も細かいひびが走り砕け散った、辺りを見回し状況を確認する。

 魔神像は奪われたが魔族は殺した、その魔族が操っていたと思われる領民たちは糸が切れた人形となり崩れ落ちていた。もう1人残るレイモンドも塵に返すべく俺は痛む体に鞭を打って振り返った。セシリアが自分の父親だった魔族の上半身を抱えて半泣きで声をあげている。

 血に汚れた司祭服のキースが、血塗れの司祭杖を携えていつもの何も変わらない笑みを顔に貼り付けたままセシリアへ語りかけている。


「一度魔族化したが最後それを元に戻す術はありません、よろしければ私が引導を渡しますよ」

「────っ!────っ!!」


 セシリアが声にならない声でキースの言葉を拒否している。

 十数年前に母が死に、十年前に親元から離され、目の前で見知った執事やメイドが魔物となって無惨な死に倒れ、いま手の中で自分の父が魔族に成り果てている。

 魔族は心臓が止まろうとも魔力があれば死なない、しかし魔族化で膨大な魔力を使い切った後ではそうもいかない。胸元に残った魔石は魔族化したときよりも更に澄んだ色をしており、魔力の蓄積がどんどん減っているのが俺にも見てとれた。

 胴体をふたつに断ち切られレイモンドは自らの傷口を塞ぎ切ることはできず、自分を抱き抱えられながら泣きじゃくる娘を見る表情は落ち着いていて、自分が朽ちることを悟っているような顔に見えた。


「死なせ、ない────!」

「止めなさい、セス」


 セシリアが目を閉じ精神集中を始める、その両手に白い光の粒が宿り急速に光量を増やした。神聖魔法────治癒キュアだ、魔族の肉体にも治癒の効果は発現する。肉体の稼働構造や強度が異なるだけで中身は同じなのだとキースから教えられているから俺は彼女が何をしようとしているのかは理解できた。そのキースはことの成り行きを冷淡に見つめている。レイモンドもキースの眼前でそれをしたら彼女がどうなるかわかって止めたのだろう、俺はその意図を汲んだ。


「止めろセシリア、そのまま看取ってやれ」

「ラッセル?いけませんよ!」


 俺はキースの制止を聞かずに左手でセシリアの白い右手首を掴んだ、彼女の両手から光の粒が消え失せる。セシリアがいくら魔力を注ごうとも、彼女の手に魔法の光が出現することはない。何が起こったかわからない、しかし自分が抱える父親の命が急速に失われようとしていることだけが肌で感じ取られる無情さに、セシリアの顔は悲痛な色に染まっていく。

 父だったとはいえ魔族に手を貸せば教会はその者も魔族と認定して有害であると判断をする。やっとそれに気づいたのかセシリアは言葉を失い、代わりに俺が口を開いた。


「これでお前の娘は教会に有害認定まではされない、最後に残す言葉はあるか?」

「ふむ────盗賊に娘を助けられ看取られる最期か、しかし何も感じないのだよ、特になにも思わないのだ、不思議とな」

「娘にした仕打ちにも、何も感じないのか」

「そうだな、妻が賊に殺されたことも、生き返らせようと国営図書館の文献を読み漁った日々も、魔族からの誘惑に耳を傾けたことも、愛娘のセスを生贄にすると決めたことも、今こうして死を目の前にしていることも、その全てが特になんのことはない、ただの事実という記憶でしかない」


 セシリアの両眼が大きく開かれた、絶望はその目から光を奪う。レイモンドが少しだけ複雑そうに口元を歪め、言葉を続けた。


「盗賊、我が書斎机の引き出しにここ十数年の日記がある、我が選び行ったことを記してある」

「わかった」

「でもご心配なく、証拠なら既に私の依頼主が用意していますよ」

「神父どもが、知った上で泳がせ民を見殺しにしたか、我らより余程の悪魔で────」


 魔族の証たる胸の魔石が光を失うと同時にレイモンドの瞳もその光を失い、娘の手の中で崩れ始める。セシリアがいくら手で掬おうとも崩れる塵を止めることはできない。最後まで手に残ったのは色を失った魔石だけだったが、それも小さく甲高い音を立てて砕け散った。

 そこまで見届けて、俺も力尽きて両膝をつく。

 盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーは諸刃の剣だ、どんなに素早い盗賊をも遥かに圧倒する速度を与える代わりに、使い手もその速度と衝撃に耐え切れない。そこで意識を失った俺は、両手をつくこともできずそのまま血溜まりのある地面に倒れ込んだ。

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