第9話
「ようこそ、侵入者諸君、よく我が娘をここに届けてくれた」
遠くから男が話しかけてきた、我が娘というからには領主本人だろう、ようこそという言葉は馬車にあった血文字だ。
この地下空間、横幅と奥行きが30メートル四方、高さは3メートルといったところか。俺たちが入ってきた場所を入り口とすれば向かい側に土壁を掘った簡素な祭壇があり、その両脇と手前の穴には朽ちかけた人の死体が数十以上は積み上げられている、臭いの原因はこれか。ようこそ死の渦巻く地獄へ、といったところか。
馬車の御者が身につけていた服が見えた、攫われた乗客はここで捧げ物にされたようだ。
簡素な祭壇の前には領主服を身に纏った壮年の紳士、その周囲には意識が朦朧としたようにふらつきながら立っている領民が数十名いて、領主を守るようにこちらを生気のない目で見ている。
領主が背にする祭壇には、俺たちの目の前で奪い返された魔神像が据えられていた。その魔神像の周りに大小様々沢山の蝋燭が揺れている、領主はその光を背にこちらを見つめているが、本来なら逆光で黒く見えにくいはずの表情が、いやその瞳がよく見える。僅かだが確かに光を放っている、それは魔に侵された者の特徴だ。
キースがいつもの笑顔を貼り付けたまま歩み出て、恭しく言葉を紡いだ。
「お初にお目にかかりますイーリス領、領主レイモンド・イーリス伯爵、私は三神教司祭キース・キーストンと申します、いやいやその双眸が光るご壮健ぶり、まるで魔族のようですよ」
「教会の神父か、お前らの神に弔われるような魂はここにはいないぞ」
「人間死ねば生き返りません、死んだ瞬間に魂は別の世界に行きます、弔いなど生者のエゴですよ」
「死を恐れさせることで信仰させ、信じる美しい心をを金に変える教会の神父が、抜かすわ」
「ええ金は良いものです、人と違って嘘がなく美しい、死人が蘇るというのは伯爵がおっしゃる通り美しい嘘ですよ」
キースと領主の間に緊張が走り、静寂が訪れる。キースがこうやって作り出している僅かな時間は俺に次の一手を考えさせるためのものだ、それは分かっている、それなのに記憶という雑念が俺の思考を侵食してくる、後悔という黒く暴れる感情が冷静な判断をかき乱してくる。落ち着け俺、会話の裏で敵の配置と伏兵の有無を耳で探れ、早く次の一手を考えて動き出す準備をしろ。
「我が妻の魂はこの地にある、身体は朽ちようとも魔神像で新たな器に魂を込めれば、蘇る」
「それは最早別物です、娘の命を捧げて得られるのは冷たく虚な人形ですよ」
「パパ!目を覚まして、こんなことをして何をするつもりなの!?」
「セシリア、お前の母が死んだ時から私はずっと闇の中にいたようだったのだよ、今は────妻を生き返らせればいいと気付いてからは、その十数年が嘘のように目の前がハッキリと覚めているんだ、お前の母を殺した薄汚い盗賊どもも既にウイリアムに探させ引き裂き、僅かばかりの慰めと虚しさを得られたのだよ」
俺は、硬い何かで頭を撃ち抜かれたような衝撃を感じた。誰に何をされた訳では無い、自分の中の古い記憶が俺の血の気を一気に引かせた。目を背け続けてきた事実が耳にべっとりと纏わり付く、止めていた息が行き場をなくして思わず口をついて出る。
「──ぅあっ」
不用意な俺の挙動が敵に攻撃の糸口を与えてしまった、領主を囲んでいた虚な目の領民がこちらに押し寄せる。俺たちが通ってきた道は後をついてきたであろう領民が塞いでいて、既に逃げ場は無かった。
「さあラッセル指示を『あなたが』どうするかを決めるんですよ」
「わかって、いるっ!!」
考えろ考えろ考えろ今すべきことだけを考えろ!
たかだか30メートル四方の狭い空間で数十人に押し寄せられればあっという間に押しつぶされ捕らえられてしまう、既に死んでいるかも知れないとはいえセシリアには領民を殺すような真似はできないだろう、火を使うのは空気が足りなくなる、ならキースの魔法で領民を、いやその選択は魔神像に力を与える可能性がある────
「キースは
「わかった!あんたは!?」
「俺はお前の父ちゃんを、止める!」
俺は地面を蹴り上げ、天井に着地すると同時に斜め前に駆け、領民が作る肉の壁を避けてイーリス領主の懐に飛び込んだ、常人ならば反応すらできなかったであろう刹那の間だ。背中に隠していた片刃剣を逆手に持ち、領主の動きを止めるべく左腿に切りつけようとした。しかしその刃は、甲高い音を立てて領主の左手で止められた。
いや手ではない、突如伸びて鋭利な針のようになった黒鉄の如き爪だ、領主は顔の向きを変えず薄く光る瞳だけを俺に向けて呟いた。
「盗賊風情が、盗み奪い犯す薄汚いゴブリンのような塵芥、何度この私の前に湧いて出る気だ蛆虫が!!!」
領主の呟きは怒声となり、その体から紫の黒い光が迸った。
上半身を包んでいた領主服が紫に燃え落ち、その胸元に拳大で縦に長い菱形の魔石が露わになった。その魔石が一際明るく黒い紫に輝くと、それに応じるように胸元から肌が薄黒く変色していき、セシリアと同じ茶色い髪の毛の間から前頭部に1本の角が生えてきた。全身に魔力を巡らせた魔石は特徴的な色合いから弱く薄い青紫の光を発する程になり、まるで底をついたかのように静まった。
これは────魔石による魔族化だ。
領主は魔神像に魔力を集め死者蘇生をしようとしていただけでなく、自分の肉体を魔族化する準備も整えた上で妻を甦らそうと二重に準備していたのか?
領主から噴き出る憎しみで黒くなった魔力の渦を前に、俺は肩口から首元を覆っている燻んだ赤い布をきつく撒き直し対魔族の思考に切り替えた。
「あんたと奥さんには悪いが────既に魔族なら容赦はしない、あんたの黒幕を吐いてもらうぞ!」
◇
キースの
「キースはセシリアを援護!こいつは俺ひとりでやる!!」
魔族化した領主は体の具合を確かめるように右手を開いたり閉じたりしている。
俺は膝を曲げ腰を低く構え、片刃剣を持った右手を背中に回して左手を正面に構える。右足を強く踏み込み一気に距離を詰める。レイモンドのだらりと垂れた左手がその爪を伸ばしながら鎌首を持ち上げるように俺を迎え撃つ。俺は左に避けながら左手に隠し持った銀杭を2本投げ飛ばし、彼の意識がそれに向かった瞬間、右手の片刃剣でガードの空いた脇腹を斬りつける、僅かに表面を裂いただけでダメージはない。
「硬質化!成り立てがそこまでやるかよ!」
魔族化は人族であった頃の特性を色濃く反映する、肉体派であればより強力な肉体に、魔法を使う者であればより強い魔力を宿したりその変化は千差万別と聞く。レイモンドは肉体が強化されたのだろう、こうなっては見た目で判断はできない。その肌は鉄だ、その拳は岩だ、そして長い爪は鉄の針だ、それが尋常ならざる速度で俺に襲いかかってくるのだと気持ちを引き締め直す。
レイモンドの右手は銀杭を弾き飛ばしたまま俺に向かって振り下ろされる、俺は左手で大きめの輪に巻いたワイヤーを彼の手に絡めて引き絞り、その手首を中心にワイヤーでぶら下がるように弧を描いて後ろに回り込む。普通の人間ならよろめくところだろう、しかし彼の足腰は少しも揺るがない。
ワイヤーを引き返される前にその端をレイモンドの左足に絡め体勢を崩させてから、俺は右の逆手に持った片刃剣を彼の背骨にそって切りあげる。ダメージは通らなくても痛みがあればいい、思った通りレイモンドの首が痛みにのけ反った。
「詰みだ、大人しくしろ」
背後から頭髪を掴み背中側に強く引き下げてながら膝裏を蹴り飛ばし片膝をつかせる、彼の前頭部に生えた片刃剣へ刃を添えていつでも切り落とせるようにして俺は話しかけた。
「この角は魔族にとってアンテナとかいうものらしい、落とせば弱体化するか死ぬかの大事なものだ」
「盗賊風情が随分と詳しいな、お前も教会の手の者か?」
「やめてくれ気色の悪い、まさかだ」
魔族は角を除けば人族の外見で、体の中身もほとんど同じだというが決定的に異なることがある。胸の中央部に拳大で菱形の魔石が埋まっていてそこから循環する魔力が体を動かす。その代わりに心臓は殆ど動くことを止め、日に数度しか鼓動を刻まないから人族の何倍も長寿だという。だから心臓を刺しても死なないし、頸動脈などの大動脈からの出血も魔力で循環操作できるから、人族としての弱点は魔族の弱点たり得ない。手足を切り落とされようが肩口から大きく袈裟斬りされようが、魔族はその命を繋ぐことができる。ふたつある弱点のひとつが頭部に曝け出される、魔族特有の1本から数本の角だ。
そこに刃を当てられているというのは、首元に刃がめり込んでいるようなものだ。
「そんなことより、どうやって魔族になる方法を知った、黒幕は誰だ、悪魔なら名は」
「悪魔ではない、ただの魔族だ、その上には悪魔がいると聞いたな」
「随分と簡単に話すんだな、狙いはなんだ?」
「簡単な話だ」
「ラッセル後ろ!!!」
セシリアの叫び声と同時に俺の全身が肌が粟立つ、レイモンドから手を離してセシリアの居る方に大きく飛び退いた俺の目に、まるで黒い幽霊のようなもうひとりの男の姿が映っていた。
「引き付けておいたのに仕留め損ねるとは情けない、少々動きが緩慢ではないかケル・ムントよ」
「成り立ての──魔族が──偉そうに──よほど──気分が良い──ようだな」
「心身ともにすこぶる快調だ、人の頃の悩みなど今思えば道端の石ころのようだな」
「して──どうしたいのだ──元イーリス領主」
「領主としての面倒な仕事も終わりだ、決めていた通り娘を生贄に妻の魂を魔族として蘇らせる、人であった頃の望みを叶えてからその先を考えよう」
「よか──ろう──」
俺の背中に片手を当てているセシリアの悲痛な表情が容易に想像できる。
実の父が魔族となり自分を贄に死んだ母を蘇らせる悪魔の儀式をする、そのために見る限りでも数十人の領民を生贄にして魔神像に力を注ぎ込んでいる、まるで死霊のような魔族と共に笑いながら自分を見ているのだ。
死霊のような魔族────ケル・ムントといったか、そいつは身体の周りに黒いもやを漂わせ、魔神像の祭壇の横にある小さな部屋から出てきたようだ。レイモンドがふたつ拍手をするとその部屋から獣の耳を生やしたメイド服の女が出てきた、魔族化の時に焼け落ちた領主服の上着を持ってきて素肌の背中からそれを着せている。
セシリアは小さくその女メイドの名前を呟いた、人狼であった男と同様にこの女もセシリアの知った顔なのだろう。自分の父も幼少の頃から知った顔も魔族となり人狼となり、その衝撃のほどは計り知れない。
その緊張が優しげな声で破られた。
「ああ本当に良かった、これで役者が揃いました、いつになるのかと待っていましたよ」
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