第4話

 太陽が西に傾き始める頃、俺は20人が乗れる大型の街道馬車が屋根の上に積んだ荷物の山に寝転んで、頭の中で計算をしていた。こういう移動時はできるだけキースと別行動をする、神父の正装で司教杖と経典を持っている姿をみて話しかけてくる信者は少なくないし、その横にみすぼらしい格好の子供が付き歩いていては誰しもに疑念を持たせてしまうからだ。だからキースから離れて、距離や移動速度を計算したり、出発から到着の時間を求めたりという頭の体操をするのが常だ。

 ケルドラ王都からイーリス領サード区までは40キロメートル、整備されて平坦な耕作地を行く街道馬車の平均速度は6キロメートル毎時、道中何もなければ馬の休憩含み7時間あれば着くから、11時出発で18時着。そんなことを考える。これが歩兵の行軍で時速4キロなら、警備隊の騎馬なら、正規軍の飛竜隊なら、白の冒険者達で構成される傭兵軍だったら、途中で待ち伏せをするならどういう場所が狙われそうか、救援を求めて馬を走らせるなら行き先や伝達内容は、など色々なケースで計算を繰り返す。

 それと一緒に聞き耳も立てる、人の耳は聞きたい音を拾うことができるそうで、鍛えればこれも隠れた武器になる。街道馬車の中で乗客が行き先のことを話しているのに気づいて、俺は計算を繰り返しながら同時に耳をそば立てた。男がふたりでよく喋る、馬車の屋根にいる俺にまで聞こえてくるとはずいぶん楽しく話しているようだ。


「サードもイーリス領に戻って税が楽になったよ、領主様々さ」

「でもあれなんだろ、後継なしの没落気味って噂じゃねえか、娘がいたって後妻も取らなきゃ縁組みすらしないって聞いたぞ」

「清貧なんだよ領主様は、他の貴族みたいに肥え太らないんだよ、一公二民とか8領の中で一番領民思いだ、人頭税だって城下町の比じゃねえよ」

「どうだかねえ、そりゃこの前までの領主よか余程マシなんだろうけどさ」

「お客さん方、壁に耳あり障子に目ありって言いましてね、そこら辺にして下さいよ」


 流石に御者から注意の声が入る、領民による領主批判なんてどこで誰に聞かれるかわかったものじゃない。特にサード区の前領主は五公五の民重税やあれやこれやの懲罰で評判が悪かったし、今は別の区とはいえ領主として君臨しているのだから密告か何かでその耳に入ったら、御者にはたまったものじゃない。

 ただ今の領主に対してはそんな心配はなさそうで、御者は付け加えた。


「あとお客さん方、今の領主様は亡き奥方様とね、お似合いだったんすわ、この区にも弔いのために戻ってきたんじゃないかって話もありますし、10年やそこらじゃ割り切れねぇ人情に深い領主様だって思っといて下さいよ」


 お似合いの、だったのか────

 

「ああ悪かったね、つい暇で噂話に夢中んなっちまったよ」

「そういやお前さん聞いたかい、また城下町に出たんだってよ、何だかの盗賊団とかいう────」


 やれやれどこにもで噂話が好きな奴はいるものだ、城下町で新聞屋に聞いた話をあちこちに伝えているつもりなのか、伝言ゲームはどんどん内容が変わっていくことを知っている俺は彼らの話す内容に呆れてしまった。しかし内容が変わるのも無理はない、言葉だけでは正確に伝達はできないし、かといって平民が読み書きできるかといえば殆どの場合は無理だ。

 俺がキースから教え込まれたことは多い、読み書き、算術、歴史、体術、隠形その他、1年は360日で繰り返すという暦やその基本となる太陽の位置と季節の関係、空に見える2つの月がどうなっているのかという空想学に至るまで様々だ。知れば知るほど物事の関わりの複雑さが分かるし、数年前の無知な自分がどれだけ愚かだったのかが嫌でも何度も繰り返し繰り返し突きつけられる。

 そして生きる上では権力や治安、税制や貴族制度、歴史や背景を知らなければ判断できない物事はとても多い。人伝の情報は正しいと限らず、自分で調べた以外はわかる範囲の中で考える力が必要だ。

 筋力は鍛えなければ弱まる、頭は考えなければ愚かになる、魔素を取り込めば生命力が上がり命も大きく長くなり、取り込めなければ人族は100年を待たず寿命を迎える。しかし寿命を伸ばせても魔素で頭はよくならない、知識を増やすのは勉強だ。だから俺は街道馬車が目的地に着くまでは色々考えて過ごし、イーリス領サード区に着いたら今晩は頭と体を休めて明日も続く馬車旅に備えようと思っていた。



 逢う魔が時────

 黄昏を告げる時間は魔物が目を覚ます時間という昔話を聞いたことがある。あと1時間ほどでイーリス領サード区の停車場に着くであろう頃合い、馬車の荷物の上で進行方向の森の木々に沈んでいく太陽を見ていた俺は違和感を覚えた。

 夜告鳥の鳴き声がしない、やけに森が静かだ、それに革鎧と首に巻いた赤い布で隠された胸のあたりがチリチリする。


「魔素が、濃くなった?」


 俺は荷物の上に立ち見渡せる限りで森を見て、遠くの音に聞き耳を立てた。

 魔素はこの世に満ちている不思議な力だ、より危険な場所に多く存在する。ケルドラの国営ダンジョンに限らず、各地に点在する地下迷宮や森の奥深くに存在する朽ちた遺跡、人の寄り付かぬ山腹にある洞穴など、魔物が住み着くような場所に濃く満ちている。魔素を取り込むことで人族は強くもなれるし、数は少ないが魔物の上に存在する魔族はより多くの魔素を蓄え、おそるべき力をその身に秘めるという。

 魔素を加工する技術から生み出された魔石は灯りや火をつけたり、人の生活を便利にする上で欠かせない必需品になっているが、同時にとても危険なものだ。自分の身の内にある魔素を媒介にすれば誰にでも発動させることが出来る分、護身や治癒に、ひいては攻撃手段としても使うことが出来るからだ。そして何より、こんな整備された街道に魔素が自然発生することは、あり得ない。

 俺はすぐさま馬車の屋根の端をつかみ逆さになって顔を出し、中にいたキースへ叫ぶ。


「キーィ、ス神父サマ!急に魔素が濃くなっています、近くに魔物がいるかも知れません!」

「ふむ、御者さんよいですか、私と従者がここで囮になり魔物を退治しますので馬車を全力で次の街に走らせるように、安心してください簡易結界の魔石をここに置いておきますよ」


 キースは何の迷いもなく判断し指示をしながら自分がすべき行動を選んだ、こういう即座の判断を見習わなければならないと俺は思っている。平時は見習っちゃダメなところばかりだが、見習うべきことは有事の中に多くある。

 馬車の御者がわかったと頷きながら馬に鞭を入れる準備を始めるのを確認して、キースは流れるような手つきで司祭杖を持ち荷物鞄に経典をしまうのと逆にそこから親指大の結界魔石を取り出し発動させて座っていた席に置き、空いた片手で窓につかまると身軽に走る馬車から飛びおりた。

 俺はキースより先に飛び降り、速度をあげて走り去る馬車を目視したまま状況を整理する。

 空はまだ明るいが森の中は暗く見通しが効かない、ほどなく街道に等間隔で灯されている魔石の光以外はなくなるだろう。同時に耳で周囲の音を探る。


「街に向かって2時の方向、複数の音、二足歩行だ、剣戟のような音はない、もうすぐ街道に出る」

「いいですねラッセル、判断が早く正しい、ではどう対処するかの指示お願いしましたよ」

「先頭が見えたら対魔結界アンチイビルフィールドを展開、それに阻まれた奴を俺が無力化する、不足の事態に備え拘束魔法バインドを用意!」


 キースは街道の真ん中で、俺は森から飛び出てくるであろう何かを目視できるよう、街道を挟んで反対側の木に駆け上った。何が出るかわからない以上、手持ちの暗器からできるだけ殺傷力の低い鉄礫を取り出して俺は様子を伺った。

 程なく木々の間から人影が走り出て、それを追いかけるように5、いや6人が走り出てきた。鉄礫を投擲して追手の虚をついて怯ませる、この暗器なら魔素がないから対魔結界をすり抜けて攻撃できると俺は判断した。

 キースの展開した対魔結界アンチイビルフィールドが術者を中心に半球の光体として出現する、人には無害な防御魔法だ。魔物や魔族、魔法や強い魔素を帯びた呪物だけを結界で拒む、そういう特殊な防御領域を作り出す。先頭の人影はまるで魔法の性質をわかっているかのように迷わずそこに走り込もうとして────空気を震わす爆発のような音と風が周囲に飛び散った。術者であるキースも爆風を受け後ろに転がるように倒れたのが見えた。


「結界が、壊された!?」


 予想外の出来事に俺は木から飛び降り、先頭を走っていた人影を見て状況を即座に判断する。衝撃で倒れた人、女、手元から包み、黒い物体、魔素が濃い、追手はそれを狙ってる、黒い物体を見る、手が重なるような形、いやそれは幾本もの角状の────


「まずい、魔神像だ!」

「まさか結界を壊すほどとは、先に追手を無力化、ラッセル任せますよ!」


 俺は布のローブを脱ぎ捨て、首に赤布を巻いた革鎧姿になり駆け出した。右手を背中に隠していた片刃剣の柄に添え状況を見る、キースは派手に吹き飛ばされたから距離が離れている、俺がやるしかない。衝撃で倒れている女の側に転がっている魔神像に飛びつこうとする、何らかの魔力を感じさせてくる追手の腕を斬りつけようと足を踏み切った瞬間。


「やめて!領民なの、殺さないで!!」

「ちょ!?」


 既に前傾姿勢で突進していた俺は減速のステップをひとつ入れ、抜いた片刃剣を逸らすのが精一杯でそのまま追手に体当たりしてしまった。さっきから予想外が続きすぎだ、魔神像を狙うのが領民、何が起きている?

 俺がもつれて倒れ込んだ隙に他の追手が魔神像をかかえて逃げ出そうとしている、なんて失態だ、俺はキースに叫んだ。


「キー、、ス神父サマ、拘束魔法バインド!」


 司祭杖を構えたキースの放った魔法が魔神像を抱えた男を捕らえた。しかし身じろぎひとつ出来なくなるその魔法を受ける直前、男は片手で像を上に掲げていた。それを見越していたかのように、突如森の中から飛んできた黒い何かの集合体がその像を飲み込んで、再び森に飛び去ってしまった。残りの追手4人もそれを追いかけるように森に消えていく、像を奪われてから一瞬の出来事だった。


「何なんだ、一体?」

「領民を使役して魔神像を追わせていたんでしょう、ほら、ちょうど日が暮れていましたよ」

「魔神像絡みで、日光を嫌う眷族を使役するって、面倒だな」

「それよりまずは目の前のこちら、ですよ」


 キースが目をやったのは俺が最初に体当たりしてしまった領民と思われる男。俺を制止した女が、その男を抱き起こし声をかけているが全く反応がないようだ。

 拘束魔法バインドをかけられた男に目を向けるが同様で、さっきまで感じていた魔素は帯びていないし、それどころか生気すら無いように見える。やはりというべきか、キースに魔法を解かせると糸の切れた操り人形のように力なく倒れてしまった。俺はキースと目を合わせ、短くハンドサインを交わし、この状況だからなのか顔に悲壮感を漂わせている先程の女に声をかけさせた。


「お嬢さん、私は三神教の司祭キースと申します、解呪ディスペルを試みます、その人達を横に並べてください」

「は、はい!」


 おいキース、意識のない人間は極端に重いぞ、そこは女に持たせるところじゃないだろうと思ったら、彼女は軽々と男を抱え上げてもう1人の男の横に並べた。そこで俺も彼女の服装に気づいた、羽織っている長衣の下に隠れた服の端に、黒い三角のだんだら模様が縁取られている、それは僧兵が身につけるものだ。キースはそれを見て判断していたのだ。俺もまだまだ観察や判断が甘いと反省しつつ、自分の知識を掘り起こす。


「では離れていてください、ええ二人ともですよ」


 三神教は宗教だから教皇を中心とし大司教が統率する教会組織であり、主に神聖魔法を習得した神官で構成されている。そいつらが布教活動の他に回復や治療、王都や防衛拠点の防御結界の維持を主軸とした活動をするのが十字軍と呼ばれる神官兵団だ、キースも一応はそこに属しているはずだ。それとは別に存在するのが僧兵、教義を守りつつ肉体を鍛え、戦場における戦力かつ回復役を担っている。そのどちらもが、必要とあれば白札や黒札達に加わって昏く深い大穴に入ることもあるそうだ。その他にあるのは修道院、そこは戦力にはならないから詳しくない。

 神官はともかく僧兵に女がいるというのは珍しいが、黒いだんだら模様がついた服を身につけている以上、彼女はその武闘派集団のひとりということだ。それでキースの対魔結界を見て迷わず飛び込んだことも理解できた、ただ抱えていた魔神像がキースの結界を吹き飛ばすことになるとは彼女にも想像がつかなかったのだろう。

 俺が知識を掘り返して納得したあたりで、キースは解呪ディスペルを終えた。だが少し表情が曇っている、あとで彼女に聞かれないように理由を聞いておこう。


解呪ディスペルは終わりました、魅了チャーム傀儡パペットの類ですかね、ではラッセル彼らの気付けをお願いしますよ」

「わかりました、神父サマ」


 俺は左の膝から下に巻き付け紐で止めている布の中から気付け薬を取り出し、横たわっている男たちに少量ずつ飲ませた。強い吸気をして咽せ始めた男たちが漸く意識を取り戻す。それを見た僧兵服の女が持っていた革袋の水を飲ませて落ち着くよう声かけをしている間に、キースにハンドサインを送り、彼らの意識混濁が落ち着いた頃合いを見計らって声をかけさせる。


「う、あ、ここは────」

「イーリス領からケルドラに向かう街道、街から数キロ離れた場所です、あなた方はそこに倒れていたんですよ」


 一言目で彼らが自らの意識外で魔神像を追いかけていたと判断したキースは、彼らが混乱しないよう行き倒れという設定に切り替えて質問を変え、幾つか情報を引き出した。

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