第3話

 ケルドラの城壁南門を出ると、石畳でこそないが整備された道がまっすぐ南に伸びている。その道の付近は見晴らしの良い草原や丘陵が広がっている。この道は途中で分かれ、ケルドラ内領の3区につながっている。

 外周区や貧民区はこの道の近辺にはなく、東門と西門の外側に城壁を囲むように密集している。この南門は国内外を行き交う人々の主な通用口として、周辺への居住が認められていない。俺がいま住んでいる場所も東門寄りだが、3つある門のうちこの南門から出入りすることが多い。東の外周区を通り抜ければ東門の方が近い、ただ不特定多数の出入りが多い南門の方が気楽なだけだ。知った顔が増えるというのは、思わぬところで足がつくという危険もある、目立たず多数に紛れるのが一番いい。

 この高い城壁を越えることもできなくはないが────、実は城壁を媒体に城下町の上空から貴族区や神聖区、そして王城まで高度な魔法障壁が張り巡らされているので、間抜けな侵入者は即刻捕縛されて極刑に処される。城下町の建物の高さが制限されているのはその魔法障壁が理由だし、通行証を持っている者なら普通に出入りするのが一番安全で確実だ。もしも門を通らず城壁を越える方法を知っているなどとバレた日にはケルドラ全土に十罪人として手配されてしまうだろうから、そんな危険は犯せない。

 しばらく歩くと粗末な布で作ったテントや、雨風を凌ぐだけで十分という掘立て小屋が見えてきた、貧民区だ。そこかしこから煮炊きの煙が立ち上り、布切れ1枚で体を覆った貧民の子供達が数人で遊んでいるいつもの景色が目に入ってきた。そこから程なく歩くと、一応家としての体を保っている小屋や、煉瓦を積み上げた家々、そしていま俺が住んでいる朽ちかけの教会が見えてくる。

 ケルドラの国教である三神教、剣と魔法そして祈り、この3つを信仰の柱にしている宗教だ。それをモチーフにしたマークが建物の軒下に高く掲げられている、もちろん屋根には細い鐘塔があって、一番上に十字架がある。その教会に雇われている下男ということになっている俺は、立て付けの悪い大きく重い扉がついている正面玄関からではなく横から入れる小さめの木扉をくぐり、年相応の子供のような声色で建物に入った。


「キース神父、ただいま戻りましたー、うへぇ」

「演じる時は最後まで演じなさいラッセル、そう言うところを詰めが甘いというのですよ」


 教会の中には屋根に空いた穴から幾筋もの細い光が差し込み、少し傾いた説教台に立ちながら金を数えている男がいた、キースだ。

 金色で少し縮れ気味の髪はやたら優雅で、薄汚れた教会とは対照的に青い縁取りの白い法衣には金色の糸でそれなりの刺繍がされているものだから、やたら上手に張り付いている笑顔と相まって人当たりの良い神父にしか見えない。司祭帽もあれば見た目だけはちゃんと司祭なのだが、被り物は嫌いだという理由で俺もその類を頭に乗せているキースを見たことはない。目だ見た目だ見えないと言えば、こいつの細目は糸のようで本当に見えているのか時々不思議に思う、まぁ見られてないというところまで見破られるから細くても見えているんだろう。

 俺は信者に座ってもらったことがない可哀想な長椅子に座り、背もたれに両手を広げて悪態をついた。


「うるせえエセ神父、説法を説く客がいねえからって説教台で金勘定してるんじゃねえよ」

「いいじゃないですか客なんて誰もきませんし、何より金貨は日にあたってこそ輝きますし、人と違って嘘がなく美しいのですよ」

「客って呼ばれてる三神教の信者って可哀想だな、で昨日の金の配分はどうなった?」


 義賊の仕事────、露見していない悪事を暴きその相手から金品を奪うことを俺は「仕事」と呼んでいる。キースが様々な情報を得て標的を定め俺が下調べ、悪事を確信したら俺とキースで計画を練り準備して、俺が実行するという役割分担だ。

 この2年は1ヶ月に最低10回前後の仕事をするくらいの情報を得てきているのがキースだから、仕事の取り分は金銭を8で割って俺が1、キースが2、残りの5はキースの伝手で貧民区や外周区貧困層に「赤き旗の盗賊団」からとして配られたり使われている。

 時にはデモンストレーションとして俺が仕事終わりの恥ずかしい名乗りをしたあと野次馬に銀貨をばらまくこともあるが、原則は貧困層への生活支援だ。下手に渡しすぎて自力で生活しなくなっては元も子もないし、そういう難しい塩梅のことはキースの方針に任せているから分配も多くしている。

 ちなみに貴金属類はキースが闇市場で売り捌いて装備や仕事道具の資金に充てている。


「金貨97枚で銀貨70枚ですから合わせて金貨103枚相当、はいラッセルの分で12枚ですよ」


 こいつ、しれっと嘘をつきやがった。

 いつどんな時でも相手を疑って自分で確認や計算をすること、この数年いやというほど叩き込まれた。読み書き、算術、歴史、体術、隠形、その他ありとあらゆることはキースから教え込まれたので、相手がキースでなくとも常に自分で考えるのが身についている。ケルドラ通貨は金銀銅の3種類で、半透明に焼いた丸く平たい硬貨に複雑な三角形で金銀銅を流し込んだ、偽金を造られたことのない精密なものだ。仕組みは単純で、銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚になる。価値は、銅貨1枚でリンゴひとつ、銀貨1枚で腹一杯の昼飯くらい、または女性に人気のケーキとかいう甘い食べ物ひとつ買えるくらいだ。金貨はその10倍だから寝床さえ確保すれば金貨5枚で1ヶ月の生活は問題ない、つまり金貨1枚は大きな価値だということだ。

 だから計算は大事だ。


「違う、合わせて金貨104枚を8で割って余り無し、あと14枚が俺の取り分だ」

「おや暗算を間違っています引っかけで答えは13枚です、間違えてしまうとは私は悲しいですよ」

「お前が抜いた金貨8枚、入れて計算し直せ」

「おやおや、私へ預ける前に数えていたのですね、前はよく騙されてくれたのに私は悲しいですよ」

「ぬかせ詐欺師」


 大事なものを確認もしないで預けるのは馬鹿のすることだ、果物ひとつを買う時も短剣1本を買う時だって目利きをする、当然だ。仕事で相手から奪うのなら確認のひとつもしなければおかしな話だろうと気づいたのは、だいぶ騙されてからのことだった。

 

「でもその8枚はラッセルにはできない仕事の経費でして、だから13枚で手を打ってくださいよ」

「やかましい娼館に行ったのはお前の趣味だろ、お前の取り分から出せ」

「おや、いつの間に私も気づけない隠形を身につけたのでしょうか、それが本当なら私は嬉しいですよ」


 会話の間ずっと笑顔を張り付けたキースはその表情を崩さない。俺が引っかけで娼館に行ったのだろうと言ったのも本当かどうかがわからないくらい、ごく自然な表情をしたまま受け答えする。


「はぁ~、こうはなりたくないなあ俺」

「安心してくださいラッセル、高身長かつ美形でどんな魔法でも使える賢い私のようにはなれませんよ」


 事実だけに腹が立つ、俺はずっと149cmでキースより30cm以上も低い。魔法が使えないのは仕方ないが、こう数年来ずっと成長が止まっていることに不満は感じる。こいつと仕事をする間にいろいろ教え込まれて知識と経験は大きく増え成長したが、その出元は全てこいつの知識と経験だ。腹が立とうが悔しかろうとも、事実は事実として認めなければいけない。

 俺は自分の取り分を腰のポーチにしまっている革袋に入れ、溜息をつきながらキースに問いかけた。


「まあいいか、俺はこうやって少しでも良い街にしていけるなら十分だ」

「でも割りに合わない仕事をいつまで続けるのですかラッセル、もっと大きな仕事をしてみたい欲があってもいい頃合いですよ?」


 赤き旗の盗賊団のメンバーは俺とキースだけだ、2人だけだがキースの強い要望で団ということにした。この教会を拠点にしてからは3年ほど経過したが、俺はメンバーを増やすつもりもないし義賊の活動を大きくしようとも思っていない。信用できる人間に巡り会うことがどれだけ難しいことなのか嫌と言うほど知っているから仲間は少ない方がいい。それに自分ができることはそう多くない、無知が虚勢を張ってどうなるかは身を以て知っている。

 悪事を暴き、困っている人々を影から助ける、俺みたいな奴が義賊として生きているだけでも既に満足している。こんな日々を続けていくことでも俺には十分な役割なのだと、自分に言い聞かせていた。


 

 とある日の朝、三神教の呼び出しから帰ってきたキースは、いつもの笑顔を張り付けた表情で片腕に女を纏わりつかせていた。法衣に身を包んだ男女が体をぴったり寄せて寂れた教会の中にいると、宗教ってのは一体なんだっけと訳がわからなくなる。

 

「喜んでくださいラッセル、私の仕事に下男として同行させてあげます、気楽な2人旅ですよ」

「断り────たいけど、その陰険女を連れてきてるってことは何だ、もしかして今すぐ出発か?」

「キース様に同行させていただける幸いを噛み締めなさいこの下郎、私が代わりたいくらいだ、チッ」


 女はウィズリ、三神教でキースの部下である副祭だ。

 黒い髪はまっすぐで長く、特に片側の前髪が顔の半分を隠しているので不気味としかいえず俺は苦手だ。というか初めて出会った時から何かと俺を敵視していて、会話には罵倒か舌打ちか射殺すような冷たい眼差しがセットでついてくる。キースに心酔しているのに、常時神聖区に不在なキース司祭の代理として神聖区から出られないもんだから、いつもキースの側にいる俺へやつ当たりしてくる面倒臭い女だ。あと162cmと俺より身長が高いので嫌いだ。

 ちなみにキースは正式には司祭という役付きだ、その敬称が神父で、神父つまり司祭を補佐をするのが副祭、だからウィズリは副祭という役になる。神父と副祭という呼び方は三神教の知識がないと違和感を覚えるらしいし、副祭には助祭という呼び方もあるとか何とか、祭り事は面倒極まりない。

 さて仕事は仕事だ、内容はきっちり聞く。そう教え込まれたし、俺の経験則でもそうしない時に限ってミスをするからな。


「どこに、何しに行くんだ?」

「私を無視するな子猿、お気に入りだからっていい気になってんじゃねーぞクソ虫が」

「いけませんよウィズリ、聡明でかわいい貴女には穏やかな言葉遣いが似合いますよ」

「はいキース様!こんな道端のお排泄物には構わず高貴な貴方様の望まれる通りにいたします!」

「教会ってやばい奴ばっかりか」

「では私はラッセルに旅路を説明しますので、ウィズリには今から教会の留守を頼みましたよ」

「はいキース様!お留守の間はキース様のお部屋を片付け何人たり侵入を許さず生きて帰しません!」

「教会ってやばい奴ばっかりだ」


 ウィズリを部屋に追いやって、キースの俺への説明は概要から入った。

 ケルドラの王都────今俺たちがいる外周区や貧民区を含んだ地域を首都として、首都から扇状に広がり手前が3つと奥に5つの計8つの領地があって、それぞれの領を貴族が管轄している。国境に近い外側の領は駐屯兵が常駐し外部からの侵略を防ぎ、内側にある領は農耕や牧畜の生産を担い、お互いがギリギリ1日で行き来できる距離の街道で結ばれている。ケルドラ王都の北側は険しく人の住めない山脈が続いているので、北側からの踏破不能の山を背に防衛拠点と兵站拠点を備えたケルドラは、有事の際に騎士団を中心とした正規軍に加えて流動的運用ができる傭兵軍という特殊な軍事力と、それらに守られた経済力により栄えていた。


「何度も聞いた、今は内領がフレイニル、クレイオール、イーリス、外領がシルバーワンド、ナゴシェ、マクギリアス、イグニシア、サラディンだな」

「よくできました、知識は戦力です、教養は戦略ですよ」


 貴族は12家あり、ひとつの領を10年管轄した後は領を移りまた10年の管轄をし、その20年を終えたところでケルドラ王都の貴族区に戻って10年の休暇を過ごす。常に首都に4貴族で、内領3貴族、外領5貴族の8区交代制になっているから領運営が平均化できるそうだ。キース曰く定期的に転居させることで貴族の資金力を適度に削り内需経済も回すという側面もあるらしい。

 ひとくちに貴族といってもそれぞれに特徴があり、顕著なのは一族の人数だ。一族郎党含めて数百人いる豪奢好きな大貴族から、清貧を旨とするごく少数の一族、歴史をもつ貴族だったり当代で名を上げ国から貴族に召し抱えられた珍しい一族もいる。領地の住人達は誰が領主になるかでその先10年が大きく左右されるから、8区交代制は良し悪しとも言われている。


「エイス区で5日ほど幾つかの教会の監査をします、私の世話係が今回のあなたの立場ですよ」

「てことは街道馬車で、あー、イーリス領サード区で1泊して2日目にマクギリアス領エイス区で、行き来含め9日間か」

「思うところがあるのは仕方ありませんが、昼前の馬車で出るのでラッセルには荷造りを────」


 ボロい教会の薄い壁、キースの部屋から女の不気味な笑い声が微かに聞こえてこなくもない。どうせキースの下着を嗅ぎまくって興奮したウィズリの声しかあり得ないんだ、毎度のことに俺は額に手を当ててため息をついた。


「お前も大変だな、後のことは後で聞くわ」

「私の荷造りは私がしてきますのでラッセルは先に停車場へ行っていてください、頼みますよ」


 少しだけ引き攣った面白い顔のキースが見られたので、俺はそのまま長椅子から立ち上がって教会から出て城壁南門に向かって歩き出した。俺には身支度なんてものは要らない、仕事道具は常に身につけているし愛用の刃はいつも背中に隠して身につけている。同行といっても神父の下男として小綺麗な正装をする必要もない、下男でも従者や護衛だろうが、その時々で臨機応変な都合の良い立場で対応する。こういう遠出の仕事の時は隠形と諜報の実践が俺の役割だ、キースは表でいい顔をして俺は裏で思いつく限りあちこちに探りを入れる、そういう分担にしているのだ。



 外周区から貧民区に入ったあたりで人が集まっている、こんな昼前の時間帯から酔っ払いがいるわけでもなし、人混みの向こうに頭ひとつ出た姿が見えたので俺は少しだけ寄り道することにした。


「わかった!悪かったもうしない!ここのルールには従うから離してくれ」

「覚えておけこの『札無し』が、東の貧民区は俺様の縄張りだ、このゴンドリア様を忘れるな!」


 屈強な体つきであちこちに傷跡があり何といっても顔の怖い男が、流れ者の冒険者を掴んで持ち上げていた。許しを乞う言葉を確認してから、ゴンドリアはそっと冒険者を降ろして解放した。そいつが逃げ去るのを見てから何人かのゴンドリアの腰巾着が集まった貧民達を散らす、ボスがボスなら腰巾着たちもチンピラにしか見えない風体だが、こう見えて彼らは貧民区の用心棒集団だ。縄張りだ元締めだと言って入るが貧民区の住民から金品を巻き上げることはせず、キースから支払われる給金でこのあたりの治安を維持している。

 冒険者として一旗あげようと流れてきて、黒札になったはいいが強くなれず札無しになる奴らも少なくない。俺たちみたいに人頭税を払って証明書を得て外周区で生活の基盤を作るならいいが、落ちぶれ崩れて貧民区で憂さを晴らそうとする質の悪い奴らをここに馴染ませるのが、ゴンドリアの仕事だ。

 住人達が散っていく中でひとり立ち止まっている俺に気づき、ゴンドリアは腰巾着達をその場から離れさせた。そのまま仁王立ちで固まり、人が引けたところで俺に手招きをした。

 俺は満面の笑みで歩み寄って、脂汗をたらしはじめたゴンドリアに小さく話しかけた。


「ちゃんと仕事してるねえ、うん安心安心、うん」

「おう────、すんませんラッセルさん、あっしも人目があるんで、手で呼んだりしてすんません」


 直立不動で2メートルを越す身長の男が顔にダラダラと汗をたらしてか細い声で呟いている、トラウマというやつは3年たっても癒えないらしい。でも俺からコテンパンにされた過去は手下に知られてはいけないし、仁王立ちで威厳を保っていても目を泳がせるくらいは仕方ない。


「俺とキースは仕事で10日くらい空けるよ、教会はウィズリが居るからこの辺のことよろしくね」

「わかりやしたヤサには近づくなってことすね、ご不在の間はあっしらにお任せくだせえ」


 俺とゴンドリアはすれ違うように別々の方に歩き出した。

 元々客足がない教会ではあるが人が近づかないようにしておけばなお安心だ、女がひとりといえどウィズリはあの通り危険だし。キースも30分ほどすれば追いつくだろう、俺はぶらぶらと歩きながら南門外にある街道定期馬車の乗り場に向かった。

 

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