第2話

 南の太陽は空の青色を際立たせて、西の空もまだまだ明るい。

 東にうっすらみえる月は、大小ふたつが寄り添うように白い。

 俺の目の前にあるケルドラ城下町の南門からは、北にほど遠くにみえる王城が黒い雲を背負って聳え立っている。その白磁のような色合いの城が、黒く淀んだ空を背景にひときわ目立つ。王城の北にある昏く深い大穴の上にはいつも暗雲が立ち込めているから、この国に入ろうとする者は必ずこの光景を目にする。

 王城の背後には昏く深い大穴から湧き出る暗雲があり、時折地の底から天に向かって折れ曲がった光の枝が轟音とともに立ち上り、どんなに晴れていようともここだけは地獄の口が空いているかのような光景になっていた。

 さらに北には逆さ山脈と呼ばれる酷く険しい山々があり、人族の足による踏破を阻んでいる。なぜ逆さ山と呼ばれるかは数日かけて行ってみれば分かる、雲を抜けて出た麓の緩やかな傾斜は徐々にその角度を増やしていき、寒さが厳しくなる高さに到れば垂直となり、そこから見上げると今にもこちらに覆いかぶさらんばかりの抉れた山になっているのだ。それが崩れることもなく数百キロにわたって横に伸びているから逆さ山脈と呼ばれ、もし人族に翼があっても飛び越えることも出来ない高く連なる山々だ。なおこの山の見える方角が常に北だ、方位確認の常識はまず北を確認することになっている。


 城下町に入るには南門、または東門か西門の3つのいずれかを通る必要がある。

 王城を高い壁で囲む神聖区、その外側へ扇状に広がる貴族区、その境目としてある長い水堀のさらに外側が城下町だ。

 今日の俺の仕事はキースのお使いだ。

 城下町は30メートル以上あろう高い城壁で外周を全て覆われており、この城下はケルドラ建国以来ずっと外敵からの侵攻を防いでいるという。

 俺たちが暮らしている城壁の外側、外周区や貧民区、そして国内の各地にある貴族の管轄領は何度も魔物の襲撃や諸外国の侵攻で被害を受けてきたが、歴史上ケルドラ王都は外敵の侵入を全て退けてきたそうだ。もっとも城壁だけではない、確固たる戦力があってのことだが。

 俺は南門から城下町に入ろうとする人々の列に紛れながら、フードを被ってこう呟いた。


「壁の外の俺たちは基本、自分たちで生き延びなきゃいけない、そういうことだよね。」



 ラッセル・クレバー、俺の名だ。

 元々はラッセルだけだった、恩人がクレバーという姓をつけてくれた、親なんてものは知らない。

 身長は149cmでどう頑張っても150cmに届かない、年齢は15歳ということになっている。黒い髪は襟足がすぼむように揃えられ、真ん中でわけた前髪の下には猫のような尖った瞳が光っている、あと童顔だ。

 ケルドラ城下町の南門を入ると、幅50メートルはあろう大きな通りが出現する。

 道の端には二階から四階建ての様々な店や宿が立ち並び、まるで市が開催されているかのような活況ぶりだ。

 灰色の石畳が敷き詰められ整備された道を多くの人や牛車が行き交い、剣を持った人間の戦士、ドワーフが作った坑人斧を背負った筋肉男、弓矢を携えた美しいエルフ、真っ黒なローブを羽織った魔法使い、三神教のマークが入った神官服の女、他にも身なりは悪いが屈強な肉体を皮鎧で包んだ大男などがそれぞれ徒党を組んで歩いて、幌馬車で移動している者達もいる。

 ケルドラは王都内に国営ダンジョンを持つ珍しい国だ。

 昏く深い大穴は厳重に管理され、国に登録した冒険者や研究者だけがその大穴に潜ることを許される。冒険者達は地の底から湧き出てくる魔物を狩って人族の領域を守り、時に魔物に命を刈り取られることもある、そんな危険が大穴には常にある。

 しかし得られた資源、器物や鉱石、時として見つかる大戦前の遺物は国に召し上げられ、冒険者はその対価を手にすることができる仕組みだ。手に入れた器物をどうしても自分の物にしたい時は国に安くはない対価を払う必要があるところも、よく出来た仕組みだ。

 それらの対価以上に冒険者を惹きつけるのが、大穴の中に満ちている「魔素」だ。魔素を多く取り込むことで冒険者はその身体機能や魔力を高めることができる。この大穴の魔素は特に濃いからなおさらケルドラの国営ダンジョンは多くの冒険者たちを惹きつけて止まない。

 例え多くの冒険者が、謎が満ちた大穴に潜む魔物と命のやり取りをして、地上に戻ることが出来なくなったとしてもだ。


 俺はそういう目立つ冒険者どもを避けて大きな通りの路地に入る。

 城下町は東西南のそれぞれの門から王城へまっすぐで幅の広い大通りが、約4キロメートル伸びている。城下町は横幅10キロメートル以上、奥行き4キロメートルの半円状の形で、城壁内を建物が埋め尽くしており近隣諸国でも類を見ないほど人口密度が高い。この発展は山手にある王城から神聖区、貴族区といったゆるい傾斜がかった土地に、城下町にまで張り巡らされた上下水道設備による衛生環境があるからこそ維持できている。こんな密度で人が住んでいて、もし疫病でも出たものならとんでもないことになるからね。

 その大通りを横道に入ると、格子状だったり網の目状だったり、大小様々な路地が張り巡らされている。大通りを表通りとすれば横道から先は裏路地だ。国内外から集まる冒険者どもが表通りで装備を整え飲み食いし宿で休養するとすれば、裏路地が国民の暮らす場所。

 少し雑多で生活感に溢れる建物の間を右に左へ鼠のように小走りし、物陰と日陰に身を隠しながら跡をつけられていないか確かめ────人の目に映らないスピードで高く跳躍した。



 アムネリスはケルドラ第3警備隊の隊長で、齢115歳という若さで9つある警備隊のひとつを任されている唯一の女性隊長として有名だ。

 彼女が普段の執務をする監視塔を兼ねた隊舎は防衛拠点でもあり、頑丈な石造で高さもある。城下町の建築は高さが制限されていて大きくても四~五階建くらいに揃っている。隊長室はその屋根を見渡せる高さ、物見櫓はさらにその上にまで伸びている。城下町の外周を囲む高い壁と街中に幾つも点在する警備隊舎が、この城下町を守っているかたちだ。その内側にある貴族区や神聖区には、それぞれに守備を担う別組織がある。

 彼女の明るめで茶色い髪の毛は後頭部の高い位置で縛り上げられ、右額から無造作にかき分けられた前髪は時折その青緑の瞳を隠すが、左右にツンと伸びた長い耳は彼女がエルフであることを自慢げに主張している。人族なら115歳といえば中壮年といったところだが、ことエルフなら若い盛りである。目を細めながら書類をめくり読んでいるその姿は、俺から見ても人ならざる美しさがある。

 その耳が少し動き、アムネリスは手を宙空に向けて語りかけた。


「風の妖精さん、雲が形を変える短い時間だけ、扉周りの空気を止めてちょうだい」


 彼女のポニーテールから幾つかの淡い光が躍り出て手にまとわりつき、扉の方に飛んで弾けて散った。人の目には見えない空気の断層がつくられ、空気は音という震えを部屋の外に伝えなくなった。音の仕組みは物質の震えだと教えられた時、空気の存在をうまく理解できず何度も嘘だろうとキースに詰め寄った頃が懐かしい。


「ほら、入ってきていいわよ」


 俺は隊長室にある窓の上から逆さに首を出して、リスが木を駆け降りるように隊長室に入って彼女の机に腰掛けて愛想を振りまいた。アムネリスが呆れ顔をしている、魔法や精霊術も使わずに監視塔を登ってくる俺が不思議で仕方ないらしい。第3警備隊の隊長としては毎回易々と部外者の侵入を許しているわけだから、眉間に皺を寄せるのも仕方ない。


「よおアムネリス、昨夜は捕物お疲れ様、あとシワが増えるぞ落ち着きなよ」


 あ、さらに皺が深くなった。

 

「ふ…ざっけんな!おかげでこっちは寝てないんだわ、面倒なやつばっか捕まえやがって!!」

「はいはいごくろーさん、これキースからの報告書」


 整った顔を鬼の形相に変えて怒り肩になっていたのも一瞬、アムネリスは俺が差し出した折り畳まれた紙を受け取りその内容を一読して、深いため息をついた。


「査定の焼印を消して帳簿を改ざんとか悪い方に頭が回る奴らね、他には、奴隷、その貴族のルートは私が洗っておく────黒札だけじゃなく白札まで取り込まれてるとか世も末ね」

「今の俺なら白札相手でも出来そうだし、手伝おうか?」

「あんた数年前に痛い目みてるでしょ、あと貴族に手をだしてお兄ちゃんに迷惑かけたら許さないからね」


 半目で俺を睨みながらアムネリスは再び宙空に手をかざし、火の精霊を呼び出すと裏取した情報が書かれた紙を精霊に食べさせた。警備隊にも識字の苦手な者が多いとはいえ貴族絡みの危険な情報までが書かれた紙を残してはおけないということだ。

 俺が昨晩捕まえた黒札────黒の冒険者のようなケルドラ国営ダンジョンに入ることが許されている上に、より深くまで潜る実力を備え国と専属契約をしているのが白の冒険者だ。一定の年俸がある代わりに国からの召集に応じることを義務付けられた冒険者は、魔法で白く光る金属の板を与えられ常に首にかけている────だから白札と呼ばれる。

 普段は昏く深い大穴を探索したり国内外に冒険の旅にでることもある彼らは、ひとたび召集をかけられればケルドラ傭兵軍として戦争に狩り出される。騎士隊と警備隊から編成される正規軍を表として、裏からケルドラの強さを支える傭兵軍、それが白札達だ。

 そういうところまで不正が蔓延っているのが現状で、俺たちはそれを調べては白日の元に晒している。他にも神聖区で専守防衛を是とする十字軍もあるが、キースからそこに不正は無く、あるのは狂った正義だけと聞いているので、俺は調べるべき対象とは考えていない。


「ここ数十年は大規模な傭兵軍の招集もねえし、質が落ちてきてるんかね」

「否めないわ、私の部下達も実戦経験が少ないからもし龍祭みたいなのが起こったら大変よ」

「勘弁してくれよ、そんなんじゃ大穴から魔物が溢れてきても対応できねえじゃん」

「だから頭が痛いのよ、警備隊の錬成訓練、不正取り締まりや何かかにや、もーエルフがする仕事じゃないわよ!あーもふもふの幻獣に埋もれて寝たい!!食っちゃ寝してたいサボりたい!!!」


 手足をジタバタさせて駄々をこねる子供のように喚き散らす声は、アムネリスの召喚した風の精霊によって部屋の外には一切漏れていない。この精霊達は主に彼女の威厳を守るために使われている、こういう姿を知っているのは警備隊ではニックくらいなものだろう。今こうして喚いている姿にはエルフの高貴さも隊長の威厳も感じられないが、彼女はこう見えて白の冒険者クラスの実力がある。168cmの長身から伸びる細く華奢な手脚に似つかわしくない大きな刃がついたハルバートを自在に操り、そのうえ四大精霊の祝福を宿しているエルフなんて滅多にいない。

 人間の倍近い500年以上の時を生きる長命な彼らは、そのゆっくりとした鼓動と似た周期を持つ深い森の中を好み、忙しない人間との交流を避け、まるで草花や樹木のような生活をすると聞く。人里に降りてきて冒険者のようなことをしているエルフというのは、彼らの種族からみれば長い命を無駄に忙しなく使っている異端の存在だ。俺が知る限りそういう例外的なエルフはとても少ない。

 アムネリスはひとしきり溜まった鬱憤を吐き出して、ピタリと動きを止めた。俺は彼女が次にすることを黙って待つ。

 座ったまま姿勢を正すと左手で前髪をかきあげ、隊長らしい凛とした表情で俺を見つめて言った。


「義賊も結構、好きにおやんなさい、ケツは大人が持つわ。ただ何事も変わらないものはないの、自分が本当は何をしたいのか、常々考えておやんなさい。」

「ああ、俺は俺ができることを地道にやっていくさ、じゃまたなアムネリス」

「もうっ!」


 俺は隊長室の窓から目にも留まらぬ速さで壁を駆け降り、そのまま城下町の路地に消えるように走り込んだ。幾つもの裏路地を駆け抜けて誰にも跡をつけられていないことを確認してから、俺はフードを被り直しケルドラの大通りに出た。

 昼下がり。

 果物売りの屋台で赤いリンゴを買って、大きな通りの交差点にある噴水の縁に腰掛ける。おもむろに頬張りながら、灰色の石畳を行き交う人々を何の目的もなく観察する。

 普段から色々なものを観察するよう、時間があるときは街の様子を見る癖をつけている。通りには建物の1階に構えた立派な店から、屋台や露天という売り方をしているところもある。初めてこの王都に来た者には、武器や防具から洒落た服の店、肉や野菜から色とりどりの果物の露天、何もかもが目新しく映る。商品を見て何を売っているか分かる店から、絵柄が組み合わさっている看板を見て初めて何の店か分かるところもある。女性の顔を意匠した看板が何だろうと思って入ったら夜の店だったなんてこともある。このあたりの国ではここまで栄えている街はないから、初めて来たのなら目に映るもの全てが新鮮に映る。

 何でもあるから、こんな商売までもがある。


「さあさあお次は!住民がふいっと消えると噂のとある領のお話でさあ!」

 

 他にも王都で耳に残るのは新聞屋だ、読んで字のごとく新しく聞いてきたことを路上で話して売っているのだ。識字が難しいなら口伝で話を売る、人気のある新聞屋は実際の情報を面白おかしく脚色して聞き手を楽しませるものだから、ある意味で吟遊詩人であり道化であり、普通の人々にとっては娯楽かつ情報収集の手段なのだ。ちなみに俺も何度か聞いたことがあるが、また義賊が活躍とか赤き旗の盗賊団が云々という内容に耐えきれずそっと話の輪を離れて以来、出来るだけ聞かないようにしている。情報収集は相方の仕事だしね。


「じゃあ最後は今日の目玉、黒の冒険者が査定官と結託してたのを暴いた噂の────」

 

 俺は踵を返して話の話から離れて周りを見渡す、いろいろな店や人々がいる。そしてやはりこの大通りで目立つのは豪華な装備の冒険者、ボロボロの風体の男、異国から来たと思われる見慣れない肌の色の女、意気揚々と冒険に挑もうとする目をした者、虚な目で足を引きずるように門に向かう者、一口に冒険者といってもその姿と心のうちは様々だ。

 徒党を組んだ冒険者の後ろをついてあるく盗賊風の男も少なくない。その中に怪しい動きをしている奴がいたので歩きながら注視していると、案の定すれ違う他の冒険者を獲物に相手の懐から何かをスリ取っていた。

 俺はリンゴの芯を齧ったようにして、嫌悪感に歪んだ表情を誤魔化した。

 盗みでもしなければ生きていけない貧困は確かにある、俺にも経験があるから嫌と言うほどわかる、一概に盗賊が悪いとは言わないし冒険者なのに盗まれたことに気付けない間抜けにも責任はある。その油断、これが大穴の中だったなら命取りだ。


「俺は大穴には挑まない────、俺は地上で人助けをするって決めたんだ」


 昏く深い大穴に挑む冒険者には気高い誇りを持ってほしいと願っている俺には、目に入った盗賊風の男が自分の写し鏡のように見えて苦々しく感じられた。

 城下町の様子はいつも通りだ、何も問題はない。

 俺は自分達の拠点に足を向けた。この暫くあと自分に降りかかる転機を知る由もなく。

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