クリュードⅢ 〜赤き旗の盗賊団〜

真崎 迅

第一章

第1話

 ケルドラという国がある。

 剣と魔法そして祈り、この3つを信仰の柱とする国家として大陸屈指の人口と戦力を備えている。数百年前に邪神クリュードとの大戦があった。その跡地にぽっかりと開いた昏く深い大穴を守るように村ができ、街になり、邪神と相討ちとなった勇者の子孫を初代国王としてこの国が始まった。

 未だその昏い大穴は封印の隙間から魔物を湧き出させる。しかし封印を守る王国は、魔物から得られる富と戦いから育つ者達を国お抱えの傭兵として用いることで、周辺国家よりも大きく発展していた。

 ケルドラ歴335年、その国内でひとつの盗賊団が噂になっていた。



 ケルドラの夜は明るい。

 城壁に灯る魔石の光、警備兵が照らし出す街角の闇、それに囲まれた城下町の大通りは夜な夜な冒険者たちが飲み食いして遅い時間まで騒がしい灯りがひしめく。ここは無数にあるそういった灯りのひとつだ、王城を中心として放射状に伸びるそれぞれの大きな通り、横道には同じような灯りが沢山ある。屋根の上から見るその灯りの糸は、まるで夜に張り巡らされた蜘蛛の糸のように見える。

 月のない夜は屋根の上も暗い、俺は屋根に敷き詰められた素焼きの瓦を猫のように駆けていた。手足に巻き付けられた布は風を切る音もなく、柔らかい革で編んだ靴は屋根の音を立てることもない。革鎧の擦れるかすかな音が僅かにするだけで、そんなものは夜の喧騒にかき消されていく。

 右足をついて前に蹴り出した瞬間、既に左足は前に着地して足の指が屋根を掴んで俺の身体を前に引き進める。右足が左足よりも前に出たらすぐ蹴り出し、同時に引き進める。単純に足を早く回転させているだけのその動作が、屋根の上を吹く夜風を切り裂くスピードを出す。普段から縄梯子を使った訓練を欠かさないことが、こういう脚力を生み出す秘訣だ。

 地上から十数メートルの屋根から同じくらいの高さの屋根に飛び移り、煙突に掴まってくるりと回転、勢いを止めながらその影に身を隠す。まるで黒い猫が屋根を飛び移り隠れたかのように誰にも気づかれず、そして闇の中からふたつの目を上下左右に凝らす。

 大通りから少し裏路地に入った娼館が今日の目標だ。四階建ての娼館は入り口をきらびやかな光で飾っている、二階から上は部屋になっていて灯りはない。窓は暗いが、聞こえる男女の声の数で繁盛しているのが分かる。ただ、耳を凝らせば四階だけは男の話し声しかしない。


「位置についた、そっちはどうだ」


 肩口から首元を大きく包んだ燻んだ赤い布の隙間から、俺は左手首に仕込んでいる4cm四方の四角く薄い金属板に小さく声をかけた。これはキースがアリオベック公爵から下賜された、魔石を使っていない特殊な道具だ。指で叩いたり円を描いたりする動作で声を送ることができる、俺でも操作できる手軽さのうえ刃物でも傷ひとつ付けられない謎に満ちた優れものだ。

 俺は応答する声が前後左右どちらの方向からくるのか、煙突の影に隠れている中から猫のように耳を立て目を凝らして探してみるが、キースが潜んでいる位置は皆目見当がつかない。


『頭が動きすぎです、影に潜んでください、私は9時の方向から監視中ですよ』


 応答の方向は嘘だと考えそれ以外の方向も探してみるが、それでも奴が潜んでいる場所は見つからない。どこかの建物内に侵入する訳にもいかないはずなのに、何だよその隠形、俺のスキルよりも高いじゃないか。


『予定時刻です、私を探すのはその辺にして準備を、あっちの足止めは順調ですよ』

「足止めは10分だな、取引前に片付ける」

『目標は四階南端の部屋、他の部屋は貸し切りで無人、最終的な無力化は────任せましたよ』

「りょーかい、やってくれ」


 俺が想定していなかった方向から、キースが放った魔力の波が生きている水のように宙を流れてきた。俺は魔法使いではない、魔力が見えている訳じゃない、感覚として分かるのだ。怖気というか違和感、または目には見えない圧迫感と言い換えてもいい。その魔力を形にする呪文の完成と共に、娼館の四階から上だけを包むように薄紫の霧が生じ、音もなく魔法の眠りが襲う。数秒待つ、窓から聞こえていた男女の声はそのままに、四階から聞こえていた男達の話し声だけが無音になる。

 俺は首元から黒い布を引っ張り出して鼻と口を隠し、屋根の軒先に片手でぶら下がる。空いた片手に針金を持ち、窓の隙間から打掛錠を外して開け、片足をかけて流れるように室内に侵入する。城下町の建物はほとんどが煉瓦か石造、混ぜ土だから床が軋んで音がすることもない。ただ木で作っている扉と窓、ベッドだけは別だ、動かせば音がでる。

 俺は音がでないよう慎重に部屋の扉を引き────身を屈めて娼館の廊下に転がり出た、頭上の土壁から衝撃、いや破壊音がする。俺が出てきた部屋の土壁に両刃の斧が水平に斬り付けられていた、そのまま出てたらそこに転がっている木の扉みたいに胴体がまっぷたつになってるところだ。胴体がと言いたいところだが俺の身長だと首から上が跳ね飛ばされてるくらいか、悲しいかなここ数年は身長が全く伸びていないから。

 廊下に転がり出た俺はわざとらしく立ち上がって肩や肘の埃を払い、騒ぎに感づいた下階の客が逃げ出す時間を稼ぐため、斧の持ち主に話しかける。


「冒険者ってのは厄介だね、不意打ちの眠り魔法スリープを素でレジストしちゃうんだから」

「このチビ、子供のいたずらじゃ済まねえぞ、俺様が岩砕きのランドルフ様と知っての事か!!!」

「うん、知ってるよ~?」

「死にてえのか、ガキ!!!」


 大男が両刃の斧を引き抜きながら大声で威嚇してくる、いやいやその顔だけで十分な威嚇だよ、そう思った軽口を止めて相手を観察する。壁の燭台が発する光に照らされる身の丈は2メートル以上、腕が俺と同じくらいのサイズだから魔素を膂力に振っているのが分かる。しかし魔法抵抗力まで上げていたのは意外だった。ちょっと人間離れした身体バランスといい、こいつが魔物と戦うには最適な方法なんだろう。うん、事前に調べていた特徴ときっちり一致している。


「お前ら国営ダンジョンの査定官と結託して魔物素材を横流し、再買取させてるんだって?」


 大男の顔つきが変わった、全身に殺気が漲る。


「ガキ────警備隊の犬か?」

「よしてくれ柄じゃない、俺はただの────」


 大男は斧を上段に振りかぶった瞬間、脳が回転するような錯覚に陥ったはずだ。自分の体が膝をついて後ろに倒れるのを不思議に思ったころだろう、強い殺気が呆気に変わるのが俺には感じられた。

 斧を手にしていたはずの右手は宙を掴み、首が何かで締められているのだ、両膝をついて天をみるかのように体を仰け反らせて固まったのだから、何が起こったのか分からない恐ろしさ。

 なんてことはない、三角跳びで壁を蹴り上がる時に手首の腱を切りつけそのまま廊下の天井を足場にワイヤーを大男の首にかけながら背後に飛び込み、片足着地と同時に短剣で踵の腱を切り残った片足で膝裏を蹴って体勢を崩させ、首にかけたワイヤーを大男の足首に引っ掛けて結んで終わり。

 それが早すぎて、大男には見えなかっただけだ。

 体の後ろで首と足首がワイヤーで結ばれ、足首には力が入らない。無理に足を動かせば首が締まるように海老反りにさせれていることに気付いた男には、もはや首のワイヤーに指を入れ首を守る以外のことができないはずだ。目の前にいたはずのガキが、動けない自分の背後から静かに声をかけてくる恐怖。


「俺はただの義賊だ、あと俺は────ガキじゃあない」


 俺は大男が手から落としたくそ重たい斧を振りかぶり、天を仰ぐ青ざめた顔面に勢いよく打ち下ろした。もちろん刃を横にして、斧腹で。

 義賊だからね、不必要な殺しはしないんだ。



 四階の南端部屋には大男、ランドルフと徒党を組むメンバーの男が4人居て、全員魔法の眠りで意識を失っていた。首に下げているタグを見るにどいつも黒の冒険者だが、こいつらは魔法をレジストできなかったようだ。俺は右手に巻いた布の中から極細のワイヤーを引き出し、全員の手足を縛り上げていく。ついでに有り金と貴金属は全て頂戴しておく、斧や装備も売ればそれなりになるだろうが足がつくし、大穴に潜るための魔石は俺には邪魔でしかない。

 そろそろ足止め予定の10分になる。俺は左手首の魔道具に小さく話しかけた後、四階の窓から男達を投げ落とした。なあに仮にも黒の冒険者だ、これくらいの高さから落ちたところで死にはしない、多分ね。

 娼館の窓から男が降ってきた大きな音に気付いて、何事かと人が集まってきた。窓の影から様子を見ている俺に連絡が入る。


『目標、そちらの窓から2時の方向、いま路地に逃げた茶色いローブの男ですよ』

「りょーかい目視した、拘束して吊るす」


 人が降ってきた様子を見に集まる野次馬からひとり逆に離れようとする男にターゲットを絞り、俺は四階の窓から路地の方の建物に飛び移る。野次馬は落ちてきた男に気を取られ俺の姿に気付いた者はいない。幾つか屋根を飛び移り目標を視認したところで、そのまま路地を逃げる男の目の前に飛び降りた。鼻から口元を布で隠したまま、俺は逃げようとしていた男に人差し指を突きつける。


「ここまでだ査定官さん、大人しくしてればそれほど痛い目には合わせない」

「なんだこのガキ、盗賊? まさか噂の────」

「あたり」


 目にも留まらない速度で間合いをつめた俺は、そのまま人差し指を男の喉仏の下に突き入れた。そんなに痛くはないだろう、思いっきり苦しいだけだ。男は呼吸ができずのたうち回り動かなくなった、死なれると困るので息だけ吹き返させる。ローブを剥いで荷物を探り査定済みの焼印がしてある魔物素材をつめた布袋を確認してから、男とその袋をワイヤーで縛り上げ、罪状と証拠の在処を書き込んでおいた羊皮紙を差し込む。もちろん有り金は全て抜き取る、仕事の基本だ。

 俺は男を持ち上げ肩に乗せて、そのまま路地の壁を真っ直ぐ上に蹴って飛び、屋根に登った。簡単な話だ、真っ直ぐ地面を蹴る、右足を壁にかけ体を引き上げながら左足をその上に向け、次は左足で壁を掴んで蹴りあがりながら、右足をまた上に出す。足の指の力だけで身体を持ち上げることくらいできなきゃ荒くれ者たちを相手にする義賊なんてやってられない。気絶した人ひとり抱えて飛び上がるくらい出来なきゃ、魔物を相手に仕事をしている奴らを圧倒するなど無理な話だ。仕事はちゃんとやろうね、こういう汚職をするような査定官になっちゃいけないよ。

 屋根を飛び移ってさっきの娼館まで戻ったら仕上げだ、意識のない男を縛り上げたワイヤーの片方を煙突に結びつけ、目を覚ませて屋根から蹴り落とす。意識が戻ったら落下して四階の軒先にぶら下がっていた、そりゃ大声で助けを求めたくもなるか。なあに、ちょうどいい客引きみたいになる。

 路地の騒ぎを聞きつけてケルドラ警備隊の下っ端が野次馬を掻き分けて駆け付けているのを確認して、もう一度左手首の魔道具でキースに問いかける。


「一応聞くけどさ、これってどうして必要なんだ?」

『いずれ説明する約束です、私が間違ったことを教えたことはありましたか、いいえありませんよ?』

「はいはい、お前嘘はいうけど間違わない、もんな」


 俺は肩口から首元を覆った燻んだ赤い布を緩め、風になびくように旗めかせて声をあげる。同時に俺の背後の暗い空に光球ライトの魔法が出現する、あいつの魔法遠隔操作は恐ろしいほど正確だ。その逆光の中で、俺は分かりやすい説明と決まった口上を叫ぶのだ。


「岩砕きのランドルフとその一味、国営ダンジョン査定官と結託し横領をしていた!」

「よって我々が罰を与える、証拠はここに吊り下げた男を調べるがいい!!」


 俺は旗めく赤い布から腕を高く掲げてひと呼吸おいてから叫ぶ。

 これ言うの、恥ずかしいんだよな────


「我ら『赤き旗の盗賊団』、義を以て悪を討つ者なり!!!」


 口上を叫んだ直後、盛り上がる野次馬を背に俺は踵を返して全力でケルドラの闇夜に逃げ、いや溶け込んだ。

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