第20話

 古い遺跡、崩れた天井から差し込む弱い光と僅かな雨程度では吸血鬼の動きを止めるまでには至らない。暗い祭事室の淀んだ空気の中、俺は無意識にタキとセシリアの側に二、三歩と後ずさる。


「醜い悲鳴を聞かせるが良い、この吸血鬼カル────」

「いまだやれ!!!」

『ジ、──ジジッ』


 俺は天井に向けて顔と左手を真っ直ぐ上げて叫んだ、頼む気づいてくれ。吸血鬼も外にキースがいることは気付いていたからか、僅かに警戒し動きを止めて天井を見上げた。死角とは意識の外に出来るもの、それを作り出すのが俺の手だ!


「これでもくらえっス!!!」

「なんだ?!」


 やってくれた、俺がニックにかけられた昏倒の魔法を解除して意識を取り戻させていた意図を、ニックはちゃんと理解してくれていた。俺が吸血鬼の意識を引きつけている間に、その背後から音もなく近づいてきてくれた。

 ニックは右手に握ったそれを吸血鬼の背後に強く押し当て、左の片手で吸血鬼を羽交い締めにした。警備隊でアムネリスの側付きをしているニックは平隊員といえど鍛え上げられている、例え片手であろうが俺の両手よりも力強い。聖水を浴びせた時以上に激しい白い煙が吸血鬼の背中から発せられる、よし白く燃え始めた。だがその炎はニックを燃やすことはない、ニックが孤児院にいた頃から身につけているシスター・シアからもらったロザリオが持ち主を害するわけがないのだ。


「この────吸血鬼カル──ッ」

「言わせるかよ!」


 俺は最後に残しておいた銀杭を左逆手に持ち吸血鬼の胸に突き立てた、それをさらに打ちつけるように、右手の拳で上から全体重を乗せて殴りつけた。背中のロザリオ、胸に銀の杭、いくら吸血鬼といえども聖なる金属に焼かれ激しく燃え上がり始めた。


「UGOOOOOAAAAAAA!!」


 ずっと紳士ぶっていた血吸いの魔族は本性を表し、燃え上がる身体で叫びながら手足を振り回して俺たちを振り解いた。勢い余ってか自らの左手も千切り飛ばして左手で掴まれたままの魔神像が硬い石床の上に転がって行った。やがて吸血鬼は膝をつき、腰を折り、叫び声をあげる喉も失いながら白い炎に焼かれて灰と崩れ落ちた。


「やったっスか、兄貴?」

「やったんじゃないか、あと兄貴は────まあセシリアが寝てるから、いいか?」


 振り解かれ転がった俺たちは無様なその姿のまま、お互いの顔をみてニヤリと口元を歪めた。ニックが体を起こし石床に座り込んで手にしたロザリオを見つめ、俺に話しかけてきた。


「兄貴もこれ、持ってたんじゃないっスか?」

「俺のか?ああ────なくしたんだよ、ラルフ・ラロッセルの森の底じゃないか?」

「シスター・シアに言えば新しいのもらえるんじゃないっスか」

「いいよ、お前やタキが持ってればさ、こういう時に使ってくれれば助かるよ」


 ニックは不思議そうな顔をしながらロザリオを首に付け直し、話を続けた。


「俺もう身体が空っぽのガタガタっスよ、蹴り起こされて気付いたら盾は取られて丸腰だし、ああロザリオを使えって意味がわかるまで色々考えちゃったっス」

「まだまだだな、装備つけてたらそれに頼るし、音も出ちゃうから取り上げたんだよ」

「でも何で俺だったんスか、タキ姉もロザリオ持ってるし俺より強いのに?」


 吸血鬼が何らかの品定めをしたとき、ニックにあまり興味を示していなかったのが理由のひとつだ。あと起こしやすかったのが理由、まぁそこまで話してやる必要もないか。俺はそう思って立ちあがろうとして自分の甘さに気付いた、だから気を抜くなとあれほど。


「魔神像よ、我に力を────」


 魔神像からその角が1本落ちて崩れた、その魔神像を掴んでいた吸血鬼の左手から無数の細く黒い糸が伸びて人の形を作っていく。吸血鬼が自らの身体を修復するよりも早い速度で手から腕が伸び体と頭や足が生え揃った。これが魔神像の力のひとつ、角1本でこれほどの効果があるのか。手数と駆け引き、意表をつく戦略でやっと倒した吸血鬼が息を飲むほどの間で復活したのを見て、俺は自分の甘さに気付いた。

 俺が本気なら敵だって本気だ、相手は白札や司祭を手玉に取った規格外の化け物だといい加減気付け。何で黒き眠りの槍の妖精が手間をかけて俺たちをここに来させたのか、自分の認識の甘さを嫌と言うほど思い知らされた。



「褒めてやろう子供、その機転、勝負強さ、見事であった」

「それはどうも、光栄でございます吸血鬼さん」

「盗賊風情がここまでやるとは、なかなかに見所がある」

「盗賊じゃないんだよ、義賊でね、あんた『赤き旗の盗賊団』って知ってるかい?」

「しかしよく見れば、ふむ、隠しているが魔素も濃い」


 俺は時間稼ぎに精一杯の強がりをいいながら立ち上り、左手を前に、右手を背中に回しいつでも盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを抜き放てるように構えた。しかしこの短剣は、俺に破滅的なスピードを与えてくれはするが魔力を帯びた攻撃手段にはなり得ない、どこまで行っても物理攻撃の武器だ。吸血鬼の肉体にそれは通用しないし、逃げる手段として使うことは可能だが仲間3人を抱えてあの速度世界に飛び込めば殺すに等しい結果しか待っていない。俺が打てる手はもうこれしか残されていない。


「で吸血鬼さん、その見所がある俺をどうしてくれるのかな?」


 左手で芝居じみた見得を切りながら尋ねる俺に、黒いスーツに内側が赤いマントの紳士的な魔族は、細く鋭い三日月の光のように裂けた笑い口を作ってこう答えた。

 

「子供よ、お前は我が初めて口にする男の血となる、盗賊の身で糧になれることを光栄に思うがいい、この吸血鬼カル────」

「いまだ、やれ!!」


 俺は吸血鬼を見据えたまま左腕を前にして叫んだ、吸血鬼も俺を見つめたまま動かない。幸い魔眼を使われてはいない、だがニックも身動きが取れずタキとセシリアは昏倒したまま、俺が持っていた最後の銀杭もさっき使ってもう品切れだった。策のない無駄な時間稼ぎ、吸血鬼はそう断じて俺に憐憫の目を向けた。


「見苦しい、何をどうしようともう遅い、お前はこの吸────」

『何をどうしろと、勝手にやってしまいますよ?』


 俺の方から聞きなれない声がしたことに吸血鬼が動きを止めた、声と殺気の発せられる方向が違うと気付いた吸血鬼が横飛びにそれを避けようとした時には既に遅かった。音もなく天から鋭く投げ下ろされたそれは、吸血鬼の身体を安易と縦に貫きそのまま石床に突き立って甲高い金属音を響かせた。キースの司祭杖が上から投げ下ろされて吸血鬼の身体をその場へ磔にしたのだ。


「高いところから失礼、ラッセル、指示は端的で的確にお願いしますよ?」


 遺跡の天井に開いた穴からいつもの笑顔をしたキースが首だけ出して声をかけてくる、さっき通信にノイズが混じったから近くまで来ているとは思っていた、その可能性に賭けて当たりを引けた。キースは俺の指示がなければ何もしないか、または勝手に最も合理的な対処をしてくる。本職の司祭の杖に貫かれた吸血鬼はそれに触れられず抜くことも叶わず、聖銀の発する熱で徐々に朽ちていく身体をかきむしりながら苦しみの叫びを上げた。あとは最後にどうするか、その一手を引き当てるために俺は吸血鬼を嗾けた。


「UGAAAAAAAAAA!!」

「さあこのまま滅びるか、それとも子供相手に逃げてみるかい吸血鬼のカル何とかさん!」

「言わせておけBAAAAA、この子DOMOOO、盗賊風情GAAAAA!!」

 

 吸血鬼が両手を広げ、その指先や片先から、広げたマントの裾から次々に小さな蝙蝠が飛び出してくる。吸血鬼は司祭杖に縛られたその身体を、無数の眷属の肉体に置き換えて逃げるつもりだ。いや両足だけが大きな何かに変化し始めた、黒狼だ、真っ黒な体毛に覆われ鋭い牙と爪を持つ狼は俺に嗾けるためのものか。


「この場は預けた、またAOUUUUUUUNNN‼︎」


 吸血鬼の全身が散ってその場を埋め尽くす数の蝙蝠と二匹の黒狼になり、狼は大きく吠えた。逃げると襲うの二面作戦とは恐れ入る、俺も本気で応えないと失礼にあたるので鼻と口元を覆う黒い布をしっかりと上げ直す。なにせ俺の狙った一手を選んでくれたんだから、眷属相手なら物理攻撃が有効だという最後の賭けに!


「全て切り裂くぞ、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤー!!!」


 俺は背甲に隠したその短剣を引き抜く、指から手のひら、手首から肘を通って肩まで僅かな痺れが走り、その先は背中を伝って頭の天辺から足の爪先までもが鋭敏な感覚で接続される。それは目にも伝わり、目の前は明るく後ろの方は薄暗く、光の加減が変わった。

 俺が右逆手に持ったそれは、肘から手首ほどの長さで厚みのある湾曲した両刃剣だ。刀身の中心線沿って蔓のような金細工があり、鍔のない柄には黒い革紐が巻かれている。柄尻の赤い宝石は普段の鈍い光から、手にした時だけは熱を発するような明るい色を宿す。一歩を踏み出した俺は全身にまとわりつく空気の壁を破り、一歩間違えば壁のシミになるであろう超音速の世界に飛び込んだ。

 全てが止まって見えるかのような錯覚と、どの手順で手足を動かすか決めようとする無数の選択肢に、頭の中身が沸騰する。

 右手で片方の狼を口から尻までの2枚におろす。手首を返しキースの司祭杖に引っ掛けてそれを軸に回転しながら手近の蝙蝠を次々手当たり次第に薙ぎ払う。回転に加えて石床を蹴って、蝙蝠を切り裂きながら天井に開いた穴まで飛び上がる。今俺がいる場所とは違う方に目を向けているキースは、次に何が起こるか予想できていたようで、その顔に手をかざして地理や風が目に入るのを防ごうとしている。いやお前のその細い目に入るわけがないだろう、そう思いながら天井までの一直線上にいた蝙蝠を切り飛ばした俺は、天井を床に見立てて斜めに飛び降りる。この祭事室は斜めの天井になっていて、その全てが石造だ。これなら俺の蹴る衝撃程度は吸収してくれるだろうと判断し、斜めの天井を足場に対角線や隣に、上下に右左に、天井から床スレスレまで縦横無尽に飛び跳ねながら無数の蝙蝠を切り刻んでいく。

 俺が一直線に飛び抜けた後には空気が巻き込まれる渦、風の道が出来る。俺が壁を蹴って別方向に飛び抜けると別の風が道を作り、道と道の間で空また気の引き合いが生じる。また俺が上下左右に飛び抜けながら刃で敵を切り裂いていく時、この狭い空間では空気の爆発と収縮が絶え間なく発生した。俺が壁を蹴る音より空気の爆ぜる音が無数に重なって、遺跡全体が悲鳴をあげたかのように爆音の響きと一緒に激しく揺れる。

 刃と風に裂かれ揉まれ蝙蝠は布の切れ端のように散っていく。身体中に仕込んである外骨格は着地の衝撃を吸収し俺の身体を守る、1回や2回の衝撃なら軽々受け止める外骨格も、10回20回の衝撃を中に溜めるに従い徐々に熱を帯びていく。キースからは運動エネルギーを熱として吸収していると聞いたが、100回以上の衝撃で既に外骨格は肌を焼かんばかりに熱を帯びる。いまさら骨折や肉離れに加えて火傷をしようと、決めるべき時に決められなくて何が義賊だと俺は歯を食いしばって暗闇を飛ぶ獲物を襲い続ける。


「ああ、あああああああ!!!」

 

 荒れ狂う風の中で切り裂けなくても擦れば十二分、俺という弾丸が四方八方から襲いかかってくるのを避けられる飛行生物がいるなら是非とも会ってみたい。俺のように体をボロボロに壊さず済む方法を是非ともご教示願いたいものだ、あともう少しだ気合いを入れ直せ。

 高速移動中は恐ろしいほどの思考処理をするので余計な雑念が多く生じる、それを振り払いながら目に映る蝙蝠を次々と消しとばし、最後の1匹を切り裂いた俺は天井を蹴って石床に飛び降りた。降りた先には最初に俺に襲いかかってきたもう1匹の黒狼がいる、俺の姿を追いきれずに身動きをとめたその真上から攻撃された。正確には攻撃ではない、超速の世界から通常の速度に戻る時の大きな衝撃を、俺の鎧に仕込まれた外骨格と黒狼の肉体が吸収してくれたのだ。まっ平に押しつぶされたその死骸は、魔石由来の魔物と同様に塵となって消え始めた。盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを使っている時は視力も極度に強化される、その目を使って残った蝙蝠と黒狼がいないか、全て倒し切ったかを確認した。安堵とともに全身の骨と筋肉が痛みに悲鳴をあげはじめ、目の前の世界が薄暗い室内の色に戻る。


「今度は、きっちり、倒し切った────ぞ」


 この間5秒。

 両手両足を石床に付けた俺は鼻と口にかけた黒い布を引き下げる、それと同時に身体の中からこみ上げたものが口から吐き出され激しくむせ込んだ。外骨格で衝撃を吸収しようとも身体の中まではどうしようもない、苦しい中でも俺は息も絶え絶えに左手でベルトの位置にある隠しボタンを押した。瞬時に両肩と両胸、そして腰の両脇にあるアーマーが跳ね扉のように上に開いた。少しだけ遅れて背甲のアーマーが甲虫の上翅のように開き、まるで下翅のように収納されていた金属の布が展開され羽のようになる────放熱形態だ。


「すっげ、大丈夫っスかラッセルの兄貴、って熱ッ⁉︎」

「あー、今は近づくな、大丈夫だから、大丈夫」

 

 本当は大丈夫ではないし正直ニックが何を言ったのかあまり聞こえていない、外骨格に熱がたまるほど盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを激しく長い間使うことはなかったし、放熱が始まったからいいようなものの腕や足は火に炙られたかのように熱く、全身から揺らぎ立ち登る熱気で息が苦しい。

 俺は数百匹を超え四方八方に逃げた蝙蝠の群れと、俺に襲いかかるため放たれた2匹の黒狼を全て葬り去り、力尽きて倒れる前に軋んだ腕で盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを背甲にしまいながら、天井で顔に手をかざして目を細めているキースに話しかけた。耳に入る自分の声はまるで他人の発する音のように聞こえていたが、それも徐々に元に戻ってくる。


「魔神像の回収と、あいつらの回復を頼むわ、あと────外のゴブリンを対処しといてくれ」

「ゴブリンなら済んでます、魔法の矢マジックアローなら私30発いけますからね、楽勝でしたよ」

「お前、それで血吸い蝙蝠も倒せてたんじゃねえの?」

「いえいえ、大きな蝙蝠は100匹くらい居たので一気には落とせない数でした、どうやって指示通り馬と資材を守ろうかと私、困っていたんですよ?」


 嘘だ、お前が困るところなんで見たことない、しれっと嘘をつくな、お前どうなるか状況を楽しんでいたんだろう。確かに駆け出しの魔法使いは魔法の矢マジックアローを1本か2本しか使えない、キースのように同時に30本使えるような玄人は極々僅かだ。キースの言う通り相手が100匹で同時に倒すには足りず、俺はふとそれを同時に100本以上使える自称大魔導士の男がいたなぁとその邪悪な顔を連想した。いかんやはり頭が混乱して思考があちこちに散らばる、暴走する思考とは逆に放熱が終わった外骨格は下翅から上翅、それぞれのアーマー部分の順でカチリと音を立てて元の形状に戻り閉じていく。ニックがすげーとか言ってるな、タキとセシリアはどうなったか、この外骨格はどういう技術なんだよ、俺は次々湧き上がる雑念を振り払いながら今やるべきことだけを口から絞り出して倒れ込む。

 

「動けん、寝る、あと頼む────」


 俺は意識を失って顔から石床に倒れ伏す、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを発動した5秒は俺の身体には長すぎた。

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