第47話

 嫌な感覚だった、自分の身体から紅の黒い光が迸り始めている。確かセシリアの父親の時は紫の黒い光が炎となって彼を包んで魔族化がなされたと思う、俺は赤なのかとぼんやり思った。キースの見立てではまだ余裕があるということだったが、多分あれだろう、先般のカーム砦での件から回復し切っていない状態だったものだから、体力つまり精気が不足しているところに魔力ばかりが過剰になったので、予想外に早く魔族化が進行したのだろう、俺はぼんやりそう思った。


「ラッセル!ラッセル!」


 誰かが俺の両肩を掴んで揺さぶり、何度も名前を呼びかけてくるような気がした。ふっと目を開けると眼前にセシリアが悲痛な表情を浮かべ、何度も俺の名を叫んでいるのが目に入った。コードネームはどうした、本名を叫ぶんじゃないと言いたくても身体がいうことを聞かない。周りの状況がとてもゆっくり流れているように見える、俺を呼ぶ声もとても間延びして音も変に聞こえている。まるで盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを使っている時のような感覚に、ああこれが今際の際というやつなんだなと思わされる。正確には只人としての死であって魔族か何かの新しい生の始まりなんじゃないかと考える。もし俺が魔族化したらどうなるんだろう?


「ラ────ッ────セ────ル────!────」


 引き伸ばされる時間の中、昔の記憶が呼び起こされる。ケルドラに戻ってきた時にキースと引き合わされた、そこで語学やら算術とか歴史や雑学を教えこまれた日々、シスター・シアに詰め寄ったこと、俺は人助けをしたいのに許可がされないもどかしい日々のこと、キースと何度も口論したこと、キースと袂を分かって俺単独で義賊の真似事をした日々。

 その中で深く後悔しているのが、素行の悪い仲間たちから当時のイーリス領サード区の領主が怪しいという情報を得て、忍び込んだ日のこと。イーリス領が豊かだったから領主はさぞため込んでいるだろうと盗みに入り、実は質素清貧というよりもさらに切り詰めた生活をしていると知ったこと、領主館の女性に発見されて仲間がそれを斬り付けてしまったこと、駐屯兵に追われて素行の悪い仲間は捕まったこと、俺も弓矢を受けながら命辛々逃げ出したこと。

 領主館から川を辿ってずぶ濡れになりながら逃げたこと、行き着いた小屋で息絶え絶えだったところに出会った少女から看病されたこと────その少女の名前が、セシリアだったこと────


「ラッセル!」

「2人まとめて、死ねえっ!」


 何度も名前を呼ばれ意識を取り戻した時、俺の両肩を掴むセシリアの向こう側から斬りかかってくるファーレン・マクギリアスの姿が見えた。咄嗟に俺はセシリアの脇を持って俺と位置を入れ替えるように身体を捻らせた。それが幸いしたのか斬撃のポイントがずれて騎士団長の剣の鍔元が俺の左肩へ食い込むようにして止まった。俺の外骨格は特殊な金属で出来ているので生半可な斬撃では破られることがないのだが、鍔元でそれだけの力が込められているとは騎士団長の実力予想を上方修正しなければいけない。


「大丈夫か────セシリア」

「あんた────あの時の────なんてもん見せてくれるのよ」


 顔面蒼白になったセシリアを見て俺は察した、今俺を包む紅の黒い光という魔力が何の因果か俺の走馬灯としての記憶をセシリアにも見せてしまったのだ。

 そう、俺たちの当時の悪行はそれだけでは済まなかった。誤った情報で盗みに入った俺が後で風の噂で知ったことは、イーリス領の領主夫人が侵入した賊に斬り付けられ、その傷が元で死亡してしまったという無残な事実であった。

 セシリアと出会った時の事件、魔族化したイーリス領主を一瞬でカタをつける前に、セシリアに一言だけ謝っておいたあのセリフ。


「セシリア、俺は────お前の父親も殺す、すまない」

 

 この言葉は、間接的に俺が彼女の母親を殺してしまったこと、それに加えて父親にも手をかけてしまうことへの詫びだったのだ。



 あたしの幼い頃の記憶、ある日の母は突然怪我をして伏せったの。約束していた散歩も音楽の練習もお菓子作りもできないので、執事のウイリアムと川遊びに行ったの。その時に炭焼き小屋で倒れている人がいて、あたしが覚えたての治癒魔法ヒールで治療してあげたの。当時はなんでかわからなかったけど、あれがラッセルで、当時すでに魔石に侵されていた彼に魔法を使ったことで魔力を根こそぎ吸い取られて、あたしは倒れ込んだわ。執事のウイリアムがそんなあたしをすぐ運んで手当てしてくれたからことなきを得たけど、数日たってあたしが意識を取り戻した時には既に母が亡くなっていた────そんな幼い頃の記憶。


「あんたが、あの時の────」

「すまないセシリア、せめてお前だけでも助けたい、逃げてくれ────」


 魔族化の兆候が始まったラッセル、魔族化した父を殺してくれたラッセル、間接的とはいえ母の死因になったラッセル、行く先もなくなったあたしを助けてくれたラッセル。あたしはごちゃごちゃな感情をごちゃ混ぜにしてこう叫んだ。


「キース!こいつを助ける方法はあるか!」

『助かる可能性は非常に低いですが、こうなっては、魔石を砕いてください!』


 魔族化が完了すればラッセルが元のラッセルと同じでいられるか保証はない、少なくとも父はあたしへの親の感情すら失ってしまっていた、ラッセルもそうなるに違いない。だからあたしはこう叫んで、


「1人の死を悔いているなら100人を救って見せろ!甘えるな!!」


 全力でラッセルごと魔石をぶん殴ることにした。



 「治癒魔法ヒールパンチ!!」


 超至近距離からセシリアが全力のパンチを俺の胸目掛けて放とうとしている、時間が引き伸ばされているから状況を把握できているが、あとはこの打撃を受けるか否かの選択をする時間しか残されていない。いいんだろうか、運を天に任せて魔石を壊してもらって、生き延びたらラッキーで死んだらアンラッキー、それでいいんだろうか?

 キースでも除去はできないといっていた魔石をセシリアに任せていいんだろうか、そんな重責を、俺の生死をこの1人の女の子に任せてしまって良いのだろうか?

 もし俺が死んだらどうなる、どうあってもセシリアは責任を感じるだろう、ともすれば赤き旗の盗賊団を受け継ぐとか言い出さないだろうか、やりかねない。キースはどうする、タキはどうなる、本当にこれでいいのか。


────俺は地上で人助けをするって、決めたんだ────


 その約束を反故にして、自分の運命をセシリアに任せる?


「できるわけ、ねえだろう!!!」


 セシリアのパンチが俺に襲いかかる刹那、俺は両腕をクロスして自分の胸を守ろうとした。激しい痛みと衝撃、吹き飛ばされる俺、爆音、隊舎の壁に激突し石煙が上がる。何事かと呆然とする騎士団員たち、騎士団長、タキ、どうなったのかと見守るキース。



 乱戦の最中、一際大きい爆発音がした、俺が壁に激突した音だ。全身が痛い、特に両腕と後頭部が痛い、血が出でいたけども止まってもいるようだ、不思議な感覚だ。俺の身体がぼうっと柔らかい光に包まれている────これは治癒の光だったはずだ、俺の全身が激しい痛みを受けるのと一緒に癒されていく、痛いんだか痛くないんだかさっぱりわからない状況だ。

 ごく短時間で状況を整理して考えた、普通の治癒魔法ヒールならゆるやかに掛けられるから魔石に吸収されるのだろうが、今回のそれはセシリアの全力の攻撃に乗せられた治癒魔法ヒールだった。過去にも何度か強力な魔法攻撃を吸収できないなどの状況があったから、今回それと同じ状況が起こったのだろう。激しい衝撃で治癒魔法ヒールが吸収されずに俺の身体を癒した、そう考えることにした。

 騎士団の隊舎に衝突して崩れた壁の瓦礫の中から、俺はゆらりと立ち上がった。さっきまで全身を包んでいた紅の黒い光という魔力は既に霧散している。胸から感じていた鼓動に近い魔石の蠢きももはや感じない。ああそうか、体力が回復したから魔力とのバランスが取れて魔族化が止まったんだろう、そう思った。両手を握ったり開いたりしながら確かめる、痛みはあるけど万全、身体や足も同様、斬り付けられた左肩の痛みも綺麗さっぱり消えている。治癒魔法ヒールすげえ、それと回復のおかげで空腹感がめちゃくちゃすげえ。


「わかったよ、100人でも200人でも、助けてやろうじゃないか」


 全力で俺をぶん殴ったセシリアに向けてそう語りかける。ここまできたら俺も覚悟を決めるぞ、キース。今までは目に見えるだけの人々を助けられれば十分だと思った、でもそれじゃ足りない。もっともっと多くの人々を助けることが、俺にはできなくても、俺たちにはできるはずだ。俺もあの人たちと同じように表舞台に立ってやろうじゃないか。

 瓦礫の中で俺は両目を見開いて、敵を見定めた。

 

「なんだ、まだ動けるのか、この子供!」


 ファーレン・マクギリアスが何か言っている、無視だ無視。俺は肩口から首元を覆った燻んだ赤い布を緩め、風になびくように旗めかせて声をあげる。


「第六騎士団ファーレン・マクギリアス団長、城壁の補修汚職、麻薬密売事件、土地管理局の不正、違法な奴隷売買といった数々の罪を改めてここに糾す!」

「忌々しい、今度こそ終わりだ!」

「拠って俺が罰を与える!」

「ええい魔法騎士、再度、放て!」


 壁際でゆらりと立つ俺に向けて無数の魔法が放たれる、火炎魔法バーニング氷結魔法フリーズ拘束魔法バインド弱体魔法デバファロー、その他いくつもの魔法は俺に向かって襲いくる。

 

「いくぞ、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤー!」


 俺は右の逆手で外骨格の背甲に隠した短剣を引き抜く、短めで厚みのある湾曲した両刃剣はその刀身に植物の蔓のような金の細工があり、鍔のない柄には黒い革紐が巻かれ、柄尻には胸の魔石を思わせる赤い宝石が埋め込まれている。盗賊殺しの短剣を引き抜いた瞬間、俺の全身の筋肉に激痛とも思える収縮が起こり、治されたばかりの身体は悲鳴を上げ、しかし俺は周囲の音を置き去って駆け出す。

 さっきまで俺が立っていた位置に着弾する魔法を避け、右に左にステップを刻みながら俺はファーレン・マクギリアスに駆け寄っていく。しかしやつとは目線が合わない、俺の動きについてこれないからだ。やつの目には俺が消えたようにしか見えないことだろう。

 乱れ飛ぶ魔法の弾の雨を避けて俺は騎士団長の目の前に躍り出た、ここまでくれば後は詰めの1手だ。


「これで終わりだ!」


 右の両手を後ろに引き、全力で前に突き出す。両刃の剣はその刀身を光り輝かせ全てを切り裂く勢いでファーレン・マクギリアスの眼前に迫る。そして俺は盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを握った右手の拳で、やつの顔面を撃ち抜いた。赤き旗の盗賊団は無用な殺しはしないんだよ。

 超高速の挙動からの一撃をくらい、さっき俺がセシリアに吹き飛ばされたのと同じように、ファーレン・マクギリアスは隊舎の壁に激突していった。

 俺はその場に立ち、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを握ったままの右手を天高く突き上げてこう叫んだ。


「俺は『赤き旗の盗賊団』ラッセル・クレバー、義を以て悪を討つ者なり!!!」


 こうして俺は、表舞台に立つひとりの義賊として初めての名乗りを上げた。

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