第37話

「ちょっと待ったあ!」


 俺を乗せたクルーガーは天井に開いた穴から室内へ着地すると、がくりと膝をついた。この状態はタキと同じだと判断した俺は、素早く背中から降り、クルーガーに後ろへ下がるように手振りをして彼の着衣を放り投げた。


「申し訳ないラッセル殿、拙者、身体に力が入らぬ」

「きゃっ、犬が全裸の男に!?」


 クルーガーは獣化を解き人の姿に戻った、当然着衣がないので全裸なものだから、目の前で犬が突然裸の男になったのを見たセシリアが、柄にもなく小さく叫び声を上げていた。そのやりとりを見ている魔女の隙をついて、俺は背中でハンドサインを作りキースに信号を送っておく。


「小鼠と────我が封じた犬ではないか、どうやって強制魔法ギアスを解いた」

「はっ、教えてやる義理はないね、それより約束通りきたぞ、赤眼の魔女」

「だいぶ痛めつけておいたつもりであったが──存外、丈夫だな小鼠よ」

「しぶといのが取り柄でね、俺の物を、俺の赤い布を返せ、魔女」

「余興のつもりであったが──中々に愉快、我と相対して手も足もでぬ小鼠が、言うわ」


 渦巻いて外にまで暴発していた魔力が、途端に落ち着いた。アムネリスやキース達を包んでいた殺意の魔力は霧散し、凪のような静かな、しかし強力で濃い魔力が場を支配している。教会に現れた時と同じだ、姿だけを見れば成人女性のそれでしかない体躯なのに、吹き出している膨大な魔力はその姿を巨人に見紛うばかりに大きく見せてくる、そして気を抜けば一瞬で魅了されてしまうような妖しい眼差し、それが赤い服と赤い髪の中で真っ赤に揺らめいている。


「ラッセル、あなた────」

「アムネリス、ここは俺に任せてくれ」


 俺の少し後ろで槍戦斧ハルバートを構えていたアムネリスの問いを制し、俺は俺ひとりで魔女に相対することを告げた。


「遊びたいんだろう、赤眼の魔女、俺とひとつ賭けをして遊ぼうじゃないか?」

「何をふざけたことを────ぬ、ぐぅ────何をして遊ぶの!」


 掛かった、この魔女やっぱりそうだ、何の理由があるのかわからないが人格がふたつある。教会でも子供みたいな人格が出たのを俺は見逃さなかった、そちらであれば俺が付け入る隙はあると思い賭けてみたが、大当たりだ!


「簡単だよ、鬼ごっこだ」

「なにそれ、どうやるの?」

「君が逃げる、俺が追いかける、君はそれを邪魔してもいい、俺が君にタッチしたら俺の勝ちだ、場所はこの部屋の中全部──どうだい?」

「そんなの私が飛んだら終わりなの、あなた飛べるの?」

「必要なら飛ぶくらいするさ、俺が勝ったら赤い布を返してもらうよ!」


 俺と魔女の距離は10メートル程度、魔女は豊満な胸の上についた艶やかな顔に不似合いな幼い笑みを浮かべて笑っている。それを見て俺はうかつに動けない、相手が只人なら俺の速さをもってすれば瞬時に片をつけられるが、この魔女を相手にそんな下手を打ったが最後、飛んで逃げられるか強力な魔法で迎撃されることだろう。俺は首元の黒い布を自分の鼻先に引き上げながら、頭の中をフル回転させながら表情には出さないようにする。

 俺も精一杯の笑みを顔に貼り付けるが、張り詰めた神経が額に汗を滴らせる。じり、と動きに備えている俺に、魔女は幼女のように笑いかけてきた。


「ソニアが邪魔してもいいのだったね、いくの────火炎魔法バーニング!」


 魔女の背後に10を超える火の玉が浮かび上がり輝きを増していく、並の魔法使いならひとつかふたつしか同時に操れない火炎魔法バーニングをそれだけ、何の詠唱もなしに出現させる魔女の力量を目の当たりにして俺は身震いした。魔女がその華奢な腕をひとふりすると、浮かんでいた火の玉が次々と俺に向かって飛んできた。

 ここだ、ここから一瞬で勝負を決める!


「いくぞ赤眼の魔女、盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤー!」


 右の逆手で外骨格の背甲に隠した短剣を引き抜く、短めで厚みのある湾曲した両刃剣はその刀身に植物の蔓のような金の細工があり、鍔のない柄には黒い革紐が巻かれ、柄尻には魔女の瞳を思わせる赤い宝石が埋め込まれている。盗賊殺しの短剣を引き抜いた瞬間、俺の全身の筋肉に激痛とも思える収縮が起こり、病み上がりの身体は悲鳴を上げ、しかし俺は周囲の音を置き去って駆け出す。


 俺は火球を避けるように左に飛んだ。

 魔女の顔に驚愕が浮かぶ。

 迫りくる火球を避けた俺は真っ直ぐ魔女に向かって足を進める。

 超速の世界の中で、魔女は瞬時に魔法を唱えて宙に浮かび上がり始める。


土壁魔法クレイウォールですよ!」


 キースの唱えた魔法は魔女の周囲に高い土の壁、いや土の柱を7本生成する。

 俺はステップを刻んで手近な土柱に向かって飛び、それを足場に次の柱に飛び移る。

 中空に飛んで逃げようとする魔女の周囲を俺が飛び回り、逃げることを阻止する。

 魔女は不規則に前後左右を飛び回る俺に処理が追いつかず、あの魔法を唱える。


「邪魔なの!紅蓮禍陣グレンマガジン!」


 魔女の足元に落ちていた石礫が激しく燃え上がりつつ、地面から中空に浮き始める。


「落ちろ、小鼠!」


 悲鳴にも似た魔女の叫び声と同時に無数の石礫が燃えながら、上空を飛び交う俺に向けて発射される。

 1点に向けて発射されれば脅威となる魔法も、7本の土柱の間を飛び交う俺に向けて広範囲に放たれれば、自ずと弾丸の密度は薄くなる。

 そしてここだ、唯一の空白地帯に俺は滑り込んだ。


「下がお留守だよ、魔女!」


 僅かな被弾でも俺自身の速度で致命傷となるが、それを意に介さず俺は宙に浮いた魔女の真下に飛び込む。

 下から上に攻撃があれば、当然発射地点は空白地帯になる。

 地面から魔女の脚とドレスの裾を見上げながら、俺は最後の2手を取るために真っ直ぐに飛び上がる。


「スカート、めくりっ!」

「きゃああああ!?」

「はぁ!?」


 外野から呆れた怒号が聞こえてきたが気にしない。

 俺は魔女の目の前に飛び上がりながら、その服の裾を大きく上にめくり上げる。

 魔女の白い両脚があらわになる、なるほど脚には刻印は刻まれていないようだ。

 言っておくが見たい訳じゃないぞ、別にそんなもんに興味はない!

 ドレスの裾をめくられれば反射的にどうする?

 両手でドレスを押さえるよな、両手が塞がるよな!


「覚悟しろ!」

 

 俺は飛び上がり魔女の眼前で、左手を前にして右逆手にもった盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを大きく振りかぶった。

 両手で裾を押さえた魔女の表情が驚きに染まる。


「からの────タッチ!」

「ひゃっ」

「あ」

「え」

「なにしてんの!あんたはっ!」


 魔女、驚き。アムネリス、驚き。キース、驚き。セシリア、罵声。

 盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーで斬りつけるような無粋はしない。

 そんなことをしなくても十分なのだ。

 俺は前に出した左手を、そのまま魔女の胸の谷間に滑り込ませた。


「き、きゃああああああああああああああああっ!?」

「これで俺の勝ちだ、吸魔ドレイン!」


 俺の左手が魔女の胸の谷間に深く埋もれている彼女の魔石に触れる。

 瞬間、その胸の谷間、いや魔女の魔石から恐ろしい量の魔素が噴き出る。

 その濁流に押されて俺も吹き飛ばされてしまうが、これでいい。

 俺は魔女から離れた場所に着地し、素早く背甲に盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを仕舞い込む。

 どっと、超速の世界から現実に戻った時の身体の重さが俺に襲いかかってきた。



 魔女の胸元からまるで血が吹き出すように、真っ赤な魔力の渦が噴出している。室内からさっきまでの重苦しい雰囲気は消え、俺もキース達も安堵の空気に包まれる。しかし目の前の魔女だけは、必死に漏れ出す魔力を止めようと胸元を押さえて足掻いている。


「我に何をした、小鼠ぃ!?」

「あんたの魔石からちょっと魔素を抜き取らせてもらった、この手でな」

「只人の子供に、そんな真似が────いや貴様、まさか」

「あんた曰く、俺は「連なる者」なんだろ、それが出来て不思議じゃないだろ」

「ぬかったわ────ぬぅ、ぐ──意識が──」


 俺は石の玉座の横に安置されるように置かれていた、赤い布を手にとって、いつものように首元にぐるりと巻きつけた。やはりこれがないと落ち着かない。

 その横にもうひとつ安置されていた魔神像を手にし、俺はそれをうずくまり始めていた魔女に向かって放り投げた。


「魔女ならこれで自分を治癒できるだろ、持ってけ」

「ラッセル!」

「いいじゃないかアムネリス、どうせこれ神殿絡みの厄介物だ、持ち帰ってもらおう」


 制止するアムネリスを他所に、俺は魔女に魔神像を持たせた。怪訝そうな顔をする魔女だったが背に腹は変えられないとばかりに、片手で胸元を押さえ、残る片手で魔神像を鷲掴みにした。


「この我を見逃そうというのか────小鼠」

「見逃すも何も俺はあんたに用事がない、取られたものを取り返せばそれでいい」

「いずれ──、なんなのもう!ひどいの!あんまりなの!」

「どっちにしろ、その主人格がはっきりしているうちに治癒しないと、大変になるんじゃないか?」

「それはそうなの!おぼえているの!」


 魔女は浮遊魔法フロートを唱えて浮かび上がり、天井に開いた穴から飛び去ろうとした。俺はキースの作った土柱に飛び乗り、腰に仕込んだ仕事道具のうち鉤爪付きのロープを天井に開いた穴へ引っ掛け、屋外に出た。既に身体は悲鳴をあげ今にもうずくまりたい衝動を押さえて魔女と向き合い睨み合った。

 魔女はカーム砦の外壁に出ると、横から吹いてくる風の中、飛び去る前にもう一度、俺に向かってこう言った。


「おぼえているの!私はソニアのレッドアイズなの、いつか仕返ししてやるの!」


 仕返しも何も一方的に被害にあっているのは俺の方なんだが。まぁいい、俺は風に旗めく赤い布から腕を高く掲げてひと呼吸おいてから叫ぶ。

 これ言うの、久しぶりじゃないか────


「俺は『赤き旗の盗賊団』ラッセル・クレバー、義を以て悪を討つ者なり!!!」


 そこで俺の体力も限界がきて、同時に外骨格に溜まった衝撃が換算された熱も放熱しなければいけなくなった。飛び去る魔女を見送るまもなく、俺はカーム砦の崩れた外壁に両手両足をついて、右手でベルトの位置にある隠しボタンを押した。

 瞬時に両肩と両胸、そして腰の両脇にあるアーマーが跳ね扉のように上に開き、少し遅れて背甲のアーマーが甲虫の上翅のように展開されていく。まるで下翅のように収納されていた金属の布が展開され羽のようになる────外骨格の放熱形態だ。


 あとから思えば、名乗りが余計だった、放熱形態が余計だった、外壁に出ることすら余計だった。その余計が全て、悪い方向に影響してしまった。


 遠くから声が聞こえる。

 

「なんだあれは!」

「例の盗賊団を名乗っていたぞ!」

「ラッセル?」

「翼が!悪魔の翼じゃないか!?」


 俺は外壁から下の方を見やる、なんかどこかで、いやついさっき見かけたような連中が砦の外に大勢でいる────騎士団だ!

 連中に見られた、聞かれた、タイミングが悪すぎる!


「魔女ということだったが、あれこそが悪魔なのではないか!?」


 ひどい勘違いをされているけど、状況からして、そう見えるよねえ!

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