第25話
これ以上ないタイミングで俺は魔女に肉薄した、俺を炎で焼き尽くしたと思い込み興味を失った瞬間、ここで魔女に決定的な一打を与えることが出来なければ二度目はない。魔法で作られた炎の壁から飛び出してきた俺に、無数の石礫の嵐で打ち据えボロボロになっている俺に、予想外の事態に魔女は驚愕の表情を浮かべ身動きが止まった。あれだ、叩き潰したと思った羽虫が自分の顔を目掛けて飛んできた時のような、時間が凍りついた僅かな一瞬。
このまま魔女を振り切って逃げるか、却下。魔女が本気を出せば威圧だけで俺を動けなくできるくらい強力な悪魔だというのは肌で理解している。
魔神像を確保してそれを盾にするか、却下。そもそも俺を探していた、魔神像は目印になったというだけで魔女の目的ではない。
対話、却下。魔なき者というのが何かわからないが、悪魔と対等に話すには何らかの対価が必要、またはこちらが同等の力を持っていなければ不可能だ。
運良くキースが駆けつけることはない、運悪くセシリアがここに居合わせなかっただけで十分な幸いだ。
だから俺が選べる方法は、唯一、これしかない。
「────届けっ!」
俺は最速で飛びかかりながら、魔女の首元目掛けて左手に強く握った燻んだ赤い布を鞭のように振るった。俺の全身は熱せられた石で打撲しあちこちが焼け焦げ、露出していた皮膚には火傷があるがそんなことは気にしていられない。そんな俺が手に握る赤い布は、ひとつも焼けることなく元から燻んだそのままの色で、まるで生き物が手を伸ばすかのように魔女の眼前に迫った。
魔女の顔か首元に巻きつくと思われた赤い布は、その寸前で魔女が突き出した右手に阻まれた。俺はもちろんだが魔女自身が咄嗟の動きに驚いている、無意識に防いだのだろうか、しかし赤布は魔女の腕を包むように巻いて絡まった。
「いっ、痛っ⁉︎」
魔女が腕の痛みに顔を歪め短い悲鳴を上げる、手首から肘までを包んでいる布は柔らかく巻き付いているように見えるが、しかし露出したままの手首から先は魔素を霧散させながら崩れ始めている。しまった、頭か首に巻き付けられたなら優勢に立てたのに、魔女の腕1本では次に打てる手が殆ど無い。その最後の1手で畳み掛けるか、俺は一瞬だけ迷った、そこが失敗だった。
────魔女がその左手に宿した魔力で、自分の右腕を、その白い二の腕を断ち切った。
魔女が宙に浮かび、俺と距離を取った。千切れた右手からは青黒い血が溢れ出て、魔女は残った腕を左手で強く握っている。しかしもう俺からは届かない、例え
「抜かった、子供と思って侮った、聖骸布などふたつと無いものを────」
「どうするよ魔女さん、次は手か足か、その首を落としてもいいんだぜ?」
出来ないから、もう攻撃手段が残っていない、口撃しか出来ないぞ。できればこのまま引いて欲しい、魔女の目的はその「魔なき者」らしいが、俺には心当たりがない。どうか俺から興味を失って他所に行ってくれないかなと思っていたら、魔女が美しい顔を苦痛に歪めながら叫んだ。
「IYAAAAAAAAAHHHH‼︎」
失われた右手が瞬時に生えた、文様が刻まれて黒い長手袋をしているように見える左手とは違い、真っ白で傷ひとつない右腕が生えてきた。肉体の制御、膨大な魔素を注ぎ込んで自らの身体を強化したり修復することができると聞く、人族には無い魔族だけの特殊な能力。魔族にできるなら、悪魔にも出来て当然だというその事実が目の前に突きつけられた。そして叫び終えた魔女は、疲れてぐったりした表情の中に、再び炎を宿したかのような鋭い双眸を妖しく光らせ俺を睨みつけた。
「静止────脱力────封魔────浮遊────衝撃────」
俺の身体が意思に反して静止した、全身が脱力し左手に持った燻んだ赤い布を手放す、布が地面へ落ちる前に光の渦が布を丸く包んでいく、赤布は魔女が差し出した左手に導かれるように浮かんで飛んでいった、そして俺の全身は見えない力で全方向から同時に太い棍棒で殴りつけられたような衝撃を受けた。
まさか言葉だけで複数の魔法を同時に使ってくるとか、そんな敵を想定することなど出来ず、俺にはなす術がなかった。
「魔なき者ではなくこれで魔素を絶っていたか、無ければこの通り────」
俺は頭から腕から足から、血を噴き出させ服にも赤黒いシミを染み込ませた。革鎧の下で全身を包んでいる外骨格が、外部からの強い衝撃を跳ね返すことが出来ず歪み弾け誤作動し、胸や肩の鎧が弾け飛ぶ。俺は立っていることが出来ず、その場に膝をつき、かろうじて尻餅をつくように座り込んだ。
もう声を出す気力も残っていない、目が霞んで自分の死を意識した。こんなにもあっけなく終わるとは思っていなかったが、今の人生は既にオマケみたいなものだから仕方ない。あの人に貰った布を取られたのは申し訳ない、本当に情けない。せめて最後にもう一度、俺の生に幕を下ろす相手を見てやろうと悪魔に目を向けた。
魔女が俺の目ではなく、その少し下を見つめ、こう呟いた。
「面白い────この魔力、キプロニウスに連なる者か」
血が流れすぎて朦朧としていた頭に激しく血が上る、全身が震え出し口は噛み合わずガチガチと音を立てる。軋んだ腕とひび割れているであろう足に力がこもり、俺の目に憎悪の光が灯った。
「てめえブチ殺すぞ!あのクソが、それ返せ!どこに居る!洗いざらい────」
魔女が指を1本動かすと、俺の足元に転がっていた大きめの石が飛び上がって、斜めに顎先を掠めていく。その小さな衝撃だけで、俺の意識は混濁し始めて再び全身から力が抜けて崩れ落ちていく。
「興味が湧いた────余興だ、南西の古戦場、カーム砦跡で明後日まで待とう」
南西、カーム砦、俺の意識はそこで途絶えた。
◇
とんでもない場に立ち合わせてしまった、ボクが魔力持ちでなくて本当によかった、多少はあるけどあの魔女の意識に留まる程度の強さじゃなかったんだと思う。だからよかった、魔女が飛び去っていった瞬間にすぐラッセルを助けに入ることが出来たから。ボクは教会を遠目にできる瓦礫の影から様子を伺い、ラッセルを助けるタイミングを図っていたけど何も出来ず、でも今ならまだ手当すれば間に合うと思って全力で駆け出した。
「ラッセル!今手当てするから、死なないで!!」
あの時は何も出来なかった、今もあの魔女には何も出来なかった、でも危機がさったならボクにできることは幾つかある。心臓のあたりは触らずに首元で脈を取る、よし心臓は動いている、止めちゃだめだ。彼を抱き上げようとして見た目にそぐわぬ重さでよろめく、そうだ外骨格だけで大人くらいの重さがあるんだった、その重さで身体に変な圧力がかからないようにできるだけ平な残骸の上にラッセルを寝かせて、ボクは自分のポーチから非常用の治療薬を手で探りながらあたりを見回す。
ラッセルに魔石での治療は効果がないから、薬の類いで対応する、よかった教会が吹き飛ばされたけど薬箱の残骸が転がっている、運良く数本の薬瓶が無事だ。ボクは転がるようにその瓶に飛びついてすぐに戻り、焦る気持ちを落ち着けるために声を出しながら手を動かす。
「ああ、もう!」
ボクはラッセルを左手に抱いて右手で瓶を持って、口で封を切り捨てる。薬液をぐいと口に含んで、意識のないラッセルの口を唇と舌でこじ開けて彼の喉に流し込む。頭と首の角度をちゃんとしないと肺に流れ込んでしまうから、左手でラッセルの頭を調整しながら何度も薬液を飲ませる。むせて吐き出された液がボクの顔を覆うけど何でもいい、回復させる薬をできるだけ飲ませるのが今、唯一、ここでできることだもの。
意識のない人の身体は重い、外骨格があるから鎧を装備した大男を担ぐくらいのつもりでいればいい、だが問題はラッセルが受けたダメージだ。脈拍が弱いというのは深刻なダメージを受けた証拠で、先日の探索で受けた怪我が治りきっていない状態で魔女と対峙しなければならなかったのは不幸中の不幸だ。安静に運ぶならいい、だけど手荒くなることを覚悟する必要がある以上、出来れば意識を取り戻すくらいはして欲しい。ボクは手当たり次第の治療薬液を口移しで飲ませたあと、口と鼻に強い刺激を与える気付け薬と口に含み、ラッセルの口と鼻穴にねじ込んで様子を見た。
「死ぬな生き抜け!死ぬのは間抜けな奴らだけ、だよ!」
でも教会を留守にするから怪我人の相手でもしておいてくださいよと頼まれていて本当に良かった。大きな爆音を聞いてから駆けつけたのでは、とても間に合わなかっただろうと思う。あの神父は何をどこまで予見しているのか、ボクはいつも気味が悪いくらいだと思っているけど、今日ばかりは感謝しなきゃいけない。
そうだ、大きな爆発音を聞いて駆けつけるならもう少しだけかかる、だからボクはその少ない時間でできる限りラッセルに薬を飲ませ手当てをして、急いでこの場を離れなければいけない。できるだけ誰にも見つからずに、可能な限り。
「急がなきゃ────警備隊が、きちゃう前に!」
ボクは赤き旗の盗賊団がここにいると、あの魔女が声高々に響き渡らせてしまったことを苦々しく思いながらラッセルを手当てした。
◇
ケルドラ警備隊は9つあり、その部隊毎に守備する警備塔がある。ケルドラ王城から城下町を見た時、左端から第1警備隊で時計回りに部隊の数字が増えていく。王城から左というのは、東だ。東から第1、西は第9となって、南が第5だ。城下町を大きく分けている南通り、東通り、西通りは、それぞれ城壁の南門、東門、西門に直結している。
つまり、最も東門に近いのは第1警備隊であり、アムネリスが隊長をしている第3警備隊は王城からみて南東の方向にあって、東通りと南通りの中間に位置する。有事の際に最も早く動けるのは、第1、第5、第9警備隊で固定されている。この時ばかりはアムネリスもこれを忌々しく思った。
「どけいッ!フォーン・マクギリアスの道を塞ぐ者はその首を跳ね飛ばすぞッ!」
ケルドラ第1警備隊は、貴族警備隊である。今はケルドラ12貴族が一時的に11貴族で治められているが、その貴族には規模や勢力の違いがある。大規模か小規模かの違いで見た場合、マクギリアス家は最もケルドラ王族に近い勢力と立場を持った大貴族だ。三神教に、騎士団に、警備隊に、領地運営にそれぞれ大きな影響を持っている。
だからマクギリアスの名を冠する者は、強者であり為政者であり時に横暴であることが常だ。
「フォーン隊長、通りには人が多ございます、速度を落とされてくださいませ!」
「構わんッ!城外の庶民なぞ無視して進めいッ!」
先陣を切る第1警備隊長が駆る馬は、己が主人の手綱通りに走るよう世話係から仕込まれている。例え東門を出て外周街の人通りの中を早駆けする時、目の前に人族の子がいようともその蹄を迷わせることはない。マクギリアスが『どけ』といったのに退かない民の方にこそ非があるというのが、貴族の考え方で貴族警備隊のやり方だ。
「あっ」
外周街の通りは城下町のそれと違って広くはない、慌てふためき第一警備隊の早駆けする馬を避ける人々の中で、それに気付けず逃げ遅れた庶民の少女が、通りの中央に近い場所で唖然とした声を上げた。フォーンがそれを認識したかしなかったかは定かではない、ひとつ確かなことは彼の駆る馬が少女の立ち尽くすタイミングで駆ける速度を上げたことだけだった。蹄に踏み潰される、誰もがそう思った瞬間────
「危ない!」
栗色の髪が乱れ靡いて、赤と白の何かがその少女に向かったと思うと、次の瞬間には馬の眼前に何もなかったかのように少女とともに姿が掻き消えていた。
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