第24話
突然の出来事だった、何の前触れもなく教会の屋根が上空に吹き飛んだ、ただの爆発ではない。俺たちがアジトにしている教会には幾つかの防御策が施されている、教会のシンボルである屋根高くに掲げた十字架には、キースによって上面を守る
その屋根が1発で天井ごと吹き飛ばされたのを見て、俺は破片が降り注いでくる中を素早く駆け抜け、魔神像を安置した教会の祭壇を見通せる位置にある壁際の長椅子に身を隠した。俺が駆けている間にこの教会の屋根を吹き飛ばした何かがケルドラ城壁に衝突したであろう爆音が轟いた、爆発音だけではなくケルドラ城壁から上空に伸びる結界が魔素を阻む時に出す金切りのような不快音も響く、だからこれは魔法による攻撃だ。それもキースが施した結界を易々と打ち破る、そんな強力な魔法を操ることができる何者かの魔法。そしてケルドラ城壁に張られた結界をも大きく震わせるような、まるで邪神大戦のころに使われたという強大な魔法。
「おいおい、直撃してたら俺も魔神像ごと木っ端微塵だろうが、何だよこれ」
今朝いちばんであの口の悪い助祭が持ってきた安っぽい加護布で魔神像を包み直しておいて良かった、他の装備は身につけていたけど俺は首元が寒くて落ち着かなかったんだ。俺はいつも通りの装備の上から首や肩に巻いた燻んだ赤い布があることを確認して、物陰の中で気配を消し音を立てずに様子を伺った。相手は何者だ、こんな強力な初手を撃ってくるあたり余程の手練れ集団か、まさか先日の魔族を討ち漏らして徒党を組んで襲ってきたか。首元の黒い布を鼻まで引き上げ次の動きに備えていると、思いがけない方向に相手を目視した。
「この辺りか?」
遠くから女の低い声が聞こえた、上からだ。吹き飛ばされた教会の上空に赤い何かが浮いている、目を凝らすとそれがドレスか長衣を纏った何者かだということがわかる、それが何の道具も使わずただ宙に浮いていた。であれば魔法使いの類か何らかの魔族、その証拠に身を潜めている俺にもそいつの放つ圧倒的な魔素量がわかる。確実にキース以上、黒き槍のあいつ並かも知れないが圧が強すぎて違いなんて分からない。そしてその女以外に他の誰かの姿は見えない。まさか、軍隊による集合魔法なんじゃないかと思えるほどの攻撃を放ったのが、このひとりの女なのか?
女の周囲、前後左右に光る三角の何かが4つ浮かび出た。下から見上げているから複数の三角形に見えるだけだ、術者の方が小さく外側に向けて大きくなっているその形を見て、俺は場違いな魔法を思い浮かべた。
「何で、
大人数での教練や戰場での大音響通達に使われる声を大きくする魔法のように見える、それが前後左右に展開されている、何をする気だ?
『お前の持つ魔神像を受け取りに赤眼の魔女ソニアが来た、出てこい────赤き旗の盗賊団!』
耳が割れそうなほどの大音量でその女の声が響き渡った、ちょっと待てこれ外周区や貧民区はもちろん城下町にも聞こえるくらいの爆音だぞ。音は空気の振動だ、俺は両耳を押さえながら振動で震わされる身体に驚いた、こんな爆音じゃそれだけで子供や老人は気絶してしまいそうだ。しかも問題だろうが、まるで俺たちが魔神像を持ってるように言うんじゃない、いや確かに今それ持ってるけど、それ俺んじゃないから!
◇
何人かに聞いてるうちに「アカキ旗のとウゾくだン」じゃなく「赤き旗の盗賊団」だってわかったの、私のふたつ名と同じ赤が入った名前だから少し楽しみなの。
ケルドラの王都にいるって聞いたから来てみたの、でも誰も「赤き旗の盗賊団」がどこにいるか分からないんだって。
そしたらさっき、急に魔神像のにおいがしたの、箱の蓋をあけてみたらすぐ像が見つかったの。
の。
魔素のにおいを隠そうともしてないんだもの、きっと私がここに来るのを迷わないようにしてくれたんだと思うの、もしかして親切?
だったらその「赤き旗の盗賊団」というのも近くにいると思うの、大きな声で呼び出せば来てくれると思うの。
あれ?
呼び出してみたら変なことに気づいたの、1箇所だけ魔力のないところがあるの、私の────真下なの?
◇
こんな化け物相手に隠れている意味などなかった、何もかも想定外だ。突如その女────魔女は上空から俺を見下ろした、俺からは顔も認識できない距離なのに燃える炎のような双眸が眼前に迫ってきたような錯覚に襲われる。巨大で恐ろしい魔獣に睨みつけられたような目眩を何とか歯を食いしばって耐え、俺は空を見上げて魔女を睨み返した。
意識を保ったまま魔女を見て改めて感じた、目に見えるその姿は只人の女のようであっても、俺たちとは全く違う存在だ。その纏う雰囲気、いや魔素というか魔力が、その姿を巨人のように見せてくる、見えないはずの顔が朧げに見える気がする。俺の頭上50メートルくらいに魔女は浮かんでいる、その高さに頭部がある巨躯のように感じられ、気を抜けば魔女の発する圧迫感で意識が持っていかれそうになる。
魔女、それは魔族ではない。
人族は俺たち只人、耳長のエルフ、短躯のドワーフなどを指す。動物に対して魔素を持つのが魔物、動物や魔物よりも知識や社会性を持つ生き物が人族、その人族に対して存在するのが魔族だ。では人族や魔族よりも上の存在というものがあれば何と呼ぶのか。
「魔女かよ────久しぶりに見た、な」
悪魔とは主に男を指し、女の場合は魔女と呼ばれる。
生き物の本能が逃げ出したいと暴れて俺の思考力を奪う、圧倒的な威圧を前に自分の存在感が希薄になりすぎて、精一杯の強がりを口にでもしていないと足元から溶けていきそうだ。俺はもう一度頭を小さく振りながら宙に浮かぶ魔女を睨み返そうとする、しかし既にその女はそこに居なかった。
「子供、お前は何だ」
魔神像は元の場所にあって、崩れたステンドグラスや瓦礫が避けるように周囲に落ちている。しかし包んでいたはずの加護布は燃えて黒い灰になって崩れ落ち、魔神像がむき出しになる。俺は目線をあげた、露わになった像の少し上に、何もない宙に立つように浮いているこの魔女が加護布を焼き払ったのか。頭を振った一瞬の間に魔女はそこに移動していた、俺は長椅子の背もたれを片手で掴んで立ち上がり、魔女に相対した。
「赤き旗の盗賊団、俺がそうだ」
駆け引きや隠し立ては出来ない、これだけの圧倒的な差を見せつけられては小細工程度では何ともならないと判断した俺は短く答えた、悪魔の容赦なさは知っている。
魔女が俺を見下ろしてくる、俺より背が高いやつに見下ろされるのは嫌いだし、高いところから見下ろされるのも気分が悪い。普段なら軽口のひとつも出てきそうなものの、今は震えて音を立てる歯を隠すために硬く閉じているから何の強がりも出せない。
宙に浮いた魔女が動けないでいる俺に向かってゆっくり近づいてくる、目が離せない。
赤い目、白い肌、燃える炎のように乱れて風に靡く長い髪。肩紐のないドレスは彼女の瞳や髪の色と同じ赤に黒が混じって真紅の薔薇にも見えて、その豊満な胸元から足先までを隠している。肩先から二の腕までは白い肌が、肘から先は黒い刺青のような模様がまるでレースの長い手袋をつけているかのように見える。いやこの模様はその顔にも刻まれている、額の両脇、両方の頬、鋭くそして湾曲した模様が化粧をしたかのように妖しく煌めく真っ赤な双眸を彩っている。とても美しい、人外の魅力というものか、時折風に吹かれ髪の間から除く2本の角すらも美し────
「って!んなわけ!あるか!やいババアてめえ俺に何しやがった!」
「ふぇ?」
あっぶねえこれ
雰囲気に飲まれるな、動け考えろ何かしろ、俺!
「ばーかばーか!お前ら悪魔って何で初手すぐ魅了とか支配とかするんだ!このババア!」
「ば────、ばかじゃないの!ババアじゃないの!ピチピチなの!まだ300歳台なの!」
「話し方がガキならやることもガキだな!突然ひとんちの屋根を壊すなよこのガキ!」
「チビにガキとか言われたくないの!何なのあなた失礼なの!私怒っちゃうの!」
「うわっ!」
両手を振り回して子供のように捲し立ててきた魔女の雰囲気がガラッと変わった、霧散していた魔力が急速に高まって俺を再び渦巻く圧迫感の中に閉じ込める、まるで黒い魔力の濁流に飲み込まれたかのようだ。魔女は両手で頭の髪の毛を掻きむしって、その隙間から俺を睨んで低い声で問いかけてきた。
「子供、お前が赤き旗の盗賊団という者か、ならば────」
「なんだ、人格が?」
声も変わった、魔女の言葉が俺の身体に刺さるかのように思えた。
「魔眼が効かぬ、私が探し求める────魔なき者か?」
子供のように喚いた魔女と全く違う、同じ魔女だが別人のように殺気を放ちながらそいつは問いかけてきた。何だその「魔なき者」とかいうのは?
だが考えるのは後だ、魔女は地上に降りてきた、俺の目の前にいる。高い上空ではなす術もなかった、例えどんなに素早く動けようが空を飛ぶことは出来ない、今ならこちらから仕掛けられると判断した俺は後ろに宙返りしながら背甲に仕込んだ
「何のことかわからん!だが魔女なら俺の
右の逆手で
「違うなら燃えろ、
魔女が叫ぶと地面に落ちていた無数の石の破片が炎を纏って宙空浮かび上がり、満天の夜空に灯された星々のように俺の視界を埋め尽くし、真っ赤な渦となって一斉に俺めがけて放たれた。きっと1発だけでも人ひとり焼き焦がす炎と石の打撃だろう、それが全方位から同時着弾するなら避けることは出来ない、俺は起死回生の一手はここだと信じ左手に力を込めて、覚悟を決めた。
「護って──くれ!」
首元に巻いた燻んだ赤い布を左手で引き剥がし、俺は全身を回転させて赤布を振り回した。伸ばせば2メートル以上ある赤布は俺の身体を包むかのように、回転する俺を護る球体のように舞った。その俺に襲いかかった魔女の炎は、俺に直撃すると同時に爆音をたてて弾け飛び、衝撃と熱を撒き散らしながら次々と誘爆して炎の渦となった。熱風が上空に噴き上げていく、炎は教会全体を大きく震わせ、間近にあった椅子や木の破片を瞬時に燃やし尽くした。
「やりすぎた、か?」
燃え上がり瞬く間に散っていく火の粉を見ながら、魔女は小さく何かを呟いたようだ。
悪魔にしてみればこれでも炎で炙った程度のつもりなのかも知れないが、その強大な魔力を受けたなら消し炭にならない奴はいないと断言する。自ずと相対した敵は初手で無力化されるから、俺のように常に二手三手と先を考えた戦い方をする悪魔は少ない。蟻を潰さない力加減で踏みつけることは出来ないのと同じことだ、踏んで死ぬ程度ならそれで終わり。敵を陥れる時には逃げ道のない悪辣な手を思いつくこいつらも、力を振るう時には油断が生じてしまうというものだ。
「まだだっ!」
俺は魔素が作る炎の壁が消える前にそれを突き破って、魔女の前に躍り出た。
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