第30話

 南西にあるカーム砦は自然の要塞で、北に大きく連なり天へ張り出している逆さ山脈、200年と少し前にその欠片が落ちてきて出来たと伝えられている。今は整備されてセカンド区とサード区の中間地点に位置するが、当時を知っている人の話では大惨事だったということだ。

 ある日突然、天から小山ほどの石の塊が落ちてきた。数百年間崩れることもなく北天を覆っている逆さ山脈の先端が、たまたま何かの理由で落ちてきた、いや理由も何もないのかも知れないが落ちてきた。ケルドラ歴100年頃、まだ大穴周辺に冒険者街や村落が出来て城下町になるずっと前の頃、大穴から数十キロ離れた場所にその小山ほどの石は落ちてきたらしい。大爆発にも似た暴風と飛礫、建物が崩れ人は押しつぶされるほどの大地震が起き、落下地点はそこを中心に焼け野原のように木々すらも吹き飛ばされていたという。

 大地が掘り返され落ちてきた石の周りには円状に窪地ができ、十数年かけてそこは自然の水堀になった。掘り返された大地は肥沃な土地に生まれ変わり、ケルドラ内領の農耕を発展させる契機になったし、遠く離れた冒険者街や村落までもが被害を受け作り直さざるを得なくなったことで、現在の城下町の基礎が出来た────そう修道院で教えられた。

 神父曰く、理由はあったらしい。数百年どころかもっと長い間、落ちてくることのなかった天空の逆さ山が一部とはいえ崩れる要因が、その200年以上前の崩落時にあったというのが教会の口伝で、邪神クリュードに関係していたのだろうということだ。だから落ちてきた石は後々に平原を守るための砦で緩やかかつ落ち着いた様子という名前のカームと呼ばれ、その実は過去に何があったかを調べるために兵や僧侶が派遣され続けてきたという。


「それが今のように廃砦になったのは、ケルドラ歴310年の三英雄による『カーム砦の攻防』が原因なんですよ」

「魔女はそこで待っている、と言ったわけね」


 もともと内領にあって平原の真っ只中、整備された街道から遠いカーム砦、正確にはカーム砦跡に今は駐屯兵がいない。その辺りはあたしも授業で習ったからうろ覚え程度で知っている、今は酷い廃墟になっていて人が常駐できる環境ではないし、歴史的な研究価値以外で戦略的防衛拠点としての意味は元々にない。いつ崩れてもおかしくない場所なので人族や魔物も寄り付かないから、魔女が根城にするにはちょうどいいのかも知れない。


「いいように話を誤魔化されたような気がするけど、帰ってきたら神父、色々答えてもらうからね」

「ええ、無事に帰ってきたら、彼を交えてゆっくりお話しますよ」


 あたしは集合早々に神父を問い詰めようとしたのだけど、神父は斥候を放って情報確認していた大司祭から得た悪魔いや魔女ソニアの件を、アムネリス隊長はニックと集めた魔女の逃走先と「明後日」という何らかの期限を、それらに対してあたしはタキちゃんを待っていただけで何の収穫もなかったから何も言えなかった。あと第三警備隊が状況説明をさせられた相手が第六騎士団だったということで、アムネリス隊長の機嫌は最悪のピークを維持していたものだから、あたし如きがキャンキャン吠えている時間はもらえなかった、このハイエルフ怒ると怖い。


「まずは別個で砦跡地に向かう、新顔お前はニックと私について来い、いいねキース?」

「お任せしますアムネリス、セシリアはちゃんと言うことを聞くんですよ」

「はいはい分かったわ、半分の原則ね従うわ」

「あの、俺はその数に入んないんっスか?」

「お前如きがキース様と同じに数えられると思うなこのクソ猿が」

「俺が猿なら、助祭さんも数に入ってな──いてっ」


 足を蹴られて悶絶するニックを他所に、カーム砦へ向かう組分けはこのようになった。

 神父はウィズリを伴い、追って派兵されるだろう対魔女装備の騎士団と一緒に砦跡へ向かう。

 警備隊は先発で、アムネリス隊長、ニック、16名の警備隊員にあたしも加えてもらって18人の3個分隊相当で現場の調査確認をする。

 ゴンドリアさん達は貧民区の後片付けをしながら、もしラッセルがきたら状況を伝える役割を与えられて、実質の金庫────キースの魔法陣の番。


「あいつに恩を売って、いろいろ聞き出すチャンスね」


 あたしはアムネリスの部隊に加わって、カーム砦へ先行することにした。



 俺が目を覚ましたのは見慣れない天井で、鼻をつくほどの甘い香りが立ち込める薄暗い部屋の中だった。窓からあかりは入ってこない、これはベッドか、枕元でゆらめく蝋燭の優しい灯りの中で、俺は緩やかなぬくもりの中で微睡みたい気持ちを無理やり押さえつけ手で顔を拭おうとした。あれ動けない、何かでがっちり絡め取られているのか、柔らかいもので包まれているのか、痛くはないけど動けない。

 身体を横たえたまま左をゆっくり見て、部屋の壁が見える。そのまま右をゆっくり見やると、視点を合わせられないほど近くに見慣れた顔と疵痕があった、タキが俺にしっかり抱きついていやがる、それで動けないのだと理解した。加えて目線を合わせてはいけないほど薄着の肢体で抱きついていることも理解した、おい待てこれ俺下手に動けないぞ?


「あの、タキ──さん?」


 思わず敬語になってしまった、どうやら俺もだいぶ頭の中が混乱しているようだ。下手に動いて下手と言われたら立ち上がる前に立ち直れなさそうだから、俺は下手にタキへ声をかけながら彼女の目を覚まさせようと数分頑張った、頑張った。その甲斐あってタキが目覚めたかと思ったが、目を覚ますなり飛び起きて俺を放り出してベッドの下に転げたりお互い緊張して何から話していいのかぎくしゃくしたので、真っ当な会話に至るまではさらに小一時間かかってしまった。

 いくら俺でも何があったのかは推測できる、ナニに近い方法で俺の活力という元気を引き出してくれたのだろう、かなりダメージを受けていたはずの俺の身体は熱って力が漲っているので、それだけ頑張ってくれたのはよくわかる。そりゃあ子供の頃は同じベッドで寝たよ、うん、でもほら今はそういう感じじゃないからね、うん。

 俺たちはお互いに感謝や賛辞を述べあいエールを送り合って、背中を向けたまま着衣を身につけ、タキのセーフハウスの窓を開け夕方の日差しを採光しお互いが落ち着いてから、状況の確認を始めた。



「それじゃ、考えようか」

 

 俺はカーム砦までの移動手段、回復してもらったとはいえ大きなダメージを負った自分の身体、その身を守るための外骨格の修理、魔女への対策の考慮、いくつもあったが順番をつけて時間のかかることから着手をすることにした。


「タキ、このセーフハウスに炭はあるか、人を寝かせるくらいの量が必要なんだ」

「あるけど何それ怖い、いったい誰を焼く気なの!」

「違う、外骨格の修理に使うんだ、修理するのに炭火が必要なんだ」

「そういうことならちょっと足りないよ、少し買い足さなきゃ」

「あと幾つか買ってきて欲しいものがある、頼めるか?」

「水臭いなぁ、そんなことならボクに任せてよ」


 そういってタキは立ち上がろうとして、途中から力を失ったかのように前のめりに倒れ込んだ。すかさず抱き止めたが、四肢にまったく力が入っていないのか俺よりも身長が20cm高いタキの身体がのし掛かってくる。俺は彼女を抱き抱えてベッドに横たえて、彼女が俺にしてくれたことの反動だという事に改めて気がついた。


「ごめんラッセル、何か身体に力が入らないんだ」


 房中術というのは俺の知識では、お互いのエネルギーを循環させる事で体力を回復させるという不思議な仕組みのはずだ。お互いが回復するというならまだしも、瀕死で丸一日意識を失っていた俺相手になら、水が高いところから低いところに流れるかのようなものだろう。その上、俺が相手では尚更だ。


「魔力欠乏も併発しているんだろう、無理すんな、休んでいてくれ」

「ごめんね────」


 俺はそのまま眠りに落ちるタキを休ませて、まだ少しくらくらする頭を振って痛む身体を動かし始めた。

 このセーフハウスは幸いにも居住地から少し離れていて、薄着の俺が家の外に出ても周囲に人気は感じない、人の目がないことに安心して俺は上着として羽織った服の首元から身体を覗き込んでため息をついた。魔女にあちこち痛めつけられているので全身は痣だらけだ、幸い外骨格が鎧のように俺の身体の要所を守ってくれたからこの程度で済んだものの、防具がない状態であの攻撃を受けていたら今頃俺は全身くまなく骨折して瀕死だったことだろう、お陰で俺の外骨格が身代わりに瀕死状態だ。

 外骨格はアリオベック公爵による特製品で、正直俺もこれが何の素材でできているのか、どういう仕組みで強烈な衝撃を吸収しているのか、分かっていない。表に出ている部分は革鎧のように見えるのに、出ていない部分と同質の金属で作られているという、ドワーフの名工による工芸品かというばかりの逸品だ。俺はその逸品を修復すべく、スコップを持ってセーフハウスの横の空き地に浅い穴を掘り始めた。

 ざくざくと単調な音が続く、単純作業をしていると頭が冴えてくる、今回の騒動は何がどうなって俺に降りかかってきたのか、魔神像絡みだということ意外は何もヒントがない。却って幸いだったにせよ、セシリアやキースがいないところで襲われたのは偶然にしちゃ出来過ぎだ。そういえばキースが神聖区にいる大司教から呼び出されたというのが無関係だと思う方が、タイミング的にむしろ無理があるだろう、俺は浅い穴を人型になるまでざくざくと掘り進める。

 あいつらはもう出発したことだろう、ゴンドリアを捕まえて事態を把握したいが、今は俺の代わりに動けなくなったタキを残していく訳には行かない。


「はぁ〜」


 俺はスコップを地面に突き立てて、そこに額を押し付けながら深くため息をついた。


「どっちにしても外骨格の修理にひと晩はかかる、うん────よし!」


 出来ることとできないことを仕分けよう、身体はひとつで出来ることは限られている、ならそれをやるのが先決だ。俺はやっと鮮明になった思考をフル回転させ始めながら、掘った穴に炭を敷き火を熾し、あちこち折れて曲がった外骨格を寝かせて置き、タキが目覚めるのを待つことにした。しかしそのタキが目覚める前に、俺の目の前に意外な来訪者が現れた。

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