幕間(前)

 悔しいけど、あいつから教えられることはたくさんある、正直なところ目から鱗というのはこういうことだと思うし、悔しい。


「常に考えろ、計算しろ、何ができるか何が危険かを考えろ」


 特に先日の探索から帰る途中ずっと、帰ってからずっと、ずっとそういうことを言われている。あたしが目にしていたけど何も思わなかったあいつの訓練方法にも、理由があるのだということを懇々と説明された。修道院、いや僧兵と一緒に訓練していたのが、考え方の根底から覆された気がしている。

 例えば────


「特に打撃の場合、威力は重さと速さ、そして硬さの掛け算だ」


 そんな教え方をする僧兵はいなかった、というか足し引き算はできても掛け算となれば、できない者の方が多いからそこまで考えたことがなかったのだ。僧兵の訓練では筋力を中心に鍛えていた、それはそれで正しいのだけど、あいつに言われたのは────


「筋力で殴るのか、威力で殴るのか、それ考えてみ」


 ということだった、さっぱり意味がわからなかった。

 拳を作る握り順、指にも握る順序があると知った。

 バンテージ、怪我を防ぐためにつけるのかと思っていたが、硬さを補助するためと知った。

 手首を鍛える意味、あるいはそこにバンテージを作る意味、力を真っ直ぐ伝えるためと知った。

 常に筋力全開でいくのか、打撃の瞬間に力を込めるのか、意識するようになった。


「お前の体重の場合、うわなにをするおいやめろ!」


 あたしの軽い体重を打撃に生かすには、筋力任せの力押しで殴るよりもイメージとして『拳を投げる』つもりで打撃の瞬間に振り抜いた方がより強力だということを知った。槍を投げるためのアストラルという道具があることも知った、試しにそれで槍を投げてみて威力が段違いだったから納得せざるを得なかった。足腰から身体の捻りを加えつつ肩で腕を投げるようにして、最後に肘先で拳を投げるようなモーションを作って殴ってみたら、訓練用のサンドバッグが大きな音を立ててふたつ折りになった。教え方が的確で、例えがわかり易く、投げやりな口調と呆れ顔を除けば、あいつはとんでもなく良い指導者だった。


「ウンガの腕の太さに相当するのは、お前のその脚だうわだからそれやめろ!」

 

 ちなみに脚で『拳を投げる』つもりをやると拳の3倍以上の打撃力になることも教えられた、数字で知るとどこで蹴りを使うか頭で考えて戦略を組み立てるようになった。緩急をつけて、目眩しの攻撃、ここぞという一撃に使い分けることで受け手が嫌がる精神的な揺さぶりになることも新しい視点だった。今までは力で押し出すように蹴っていたが、脚をしならせて鞭として叩きつけるようにしてみたら、足の甲が痛かったけどとんでもない衝撃を出すことができた。

 重さ×速さ×硬さ、あたしに当てはめると『打撃部に乗せる重さ×打撃スピード×拳や足先の硬さ』だ、意識して訓練してみたら威力が倍近く上がった、あいつがとても嫌そうな顔をしていたからあたしは少し痛かろうがとても満足した。


「打撲や骨折したらすぐ治癒魔法で治せ、筋や骨が再結合して強くなる、あと栄養と魔素を補給しろ」


 治癒魔法ヒールは魔素で身体を治すものと聞いていた、でも違った、魔素で身体の再生力を活性化させて怪我を治すのであって、魔素が血や骨を作る訳ではないと知った。だから治癒の後は体力が減るし補給しないと立ちくらみで倒れたり考えが鈍るとか、貧血という状態になるそうだ、知らなかった。


「スピードを上げるためラダートレーニングでもしとけ、速さは強さだ」


 探索に行く前、あいつが教会の裏庭で縄梯子を地面に敷いてパタパタと走っているのを何度か見た。それが日課のひとつということで、別段気にしていなかったがそれがあいつの脚力の秘密のひとつだそうだ。地面に置いた縄梯子、その四角に開いた箇所とその両脇を足場に見立てて、素早く足を交互に置いて前に進んでいく訓練だ。最初は縄梯子の端に立ち、手前にある四角の空白と縄の左右を3つに見立てて、左から123としよう。右足を1、左足を1、右足を2、左足を2、右足を3、左足を3、そうしたら左足をその先の段の1に出して、左足で先の1、右足を先の1、左足を先の2、右足を先の2に、素早く交差させて置いていく。


「腰を落として、身体だけは縄梯子の内側にあるように、そう脚だけを動かせよ」


 あいつの指導を受けてやってみた、最初はゆっくりだった、手拍子で早くタイミングを取るようにされてからどんどんキツくなっていって、1秒間に足を4回動かすあたりであたしは早さに耐えきれなくなった。当面の目標は1秒間に6回、それで30段ある縄梯子を前に進みながら足を刻めという指導で、今それを全力で1分かけて縄梯子の片道分をやっただけであたしは息を切らせて座り込んでしまった。あいつはこの訓練を、逆立ちした状態でも行うことができるそうだ、今は探索で受けたダメージの回復に専念するため見せられないが、ラダートレーニングを教えてきたキースを驚かせるために自分で考案したらしい。


「お前には十分、俺はこれを5回往復、5分続けてやるのを日課のひとつにしてるんだ」


 悔しい、何気なくみていたあいつの日課という名の訓練の大変さを何かの遊びだろうと気づいていなかったあたし。傍目にはカサカサこそこそ動いているようにしか見えなかったんだもの。他にも教会の裏壁につけてある複数大小の滑車を組み合わせたロープで遊んでいるように見えた道具も、腕だけで自重を支えて無限に縄上りする訓練装置だということを聞いた。訓練用でしかも一緒に井戸水を汲み上げることができる優れもので、教会の二階に水を貯めて飲用と炊事や水浴びそして排泄に使っている、まるで城下町の上下水道を小さく再現しているかのようだった。装置自体は神父が用意したということだけど、装置の仕組みはあいつがよく理解できていて、聞いたあたしには理屈がよく理解できなかった。こういうことを平然とできる筋力と速さがあるから、あいつはいざという時に考える力があってそれで、強いんだ。

 目の前にあって何も考えていないから気づかない、これからのあたしは、それではダメだ。父を亡くした、家と名前を失った、居場所を追われ、今ここにいることを何とか認めてもらっている。


「いつかあんたに!お前すごいって!みとめさせてやるから!」


 縄梯子の横で足腰をガクガクにさせて倒れ込みながら、あたしはあいつに啖呵を切った。どんなに自分より小さくても、今のあたしは起き上がることも出来ずにみっともない格好で精一杯の格好をつけようとしている情けない女だ。あいつは子供、それなのに強くて、赤き旗の盗賊団という義賊をやっていて、あの胡散臭い神父を従えている、くりくりと丸く吊り目の謎に満ちた少年。


「おー頑張れ頑張れ、でもその前にひとつやってもらいたいことがあるぞ?」


 そのくりくり丸く吊り目の顔が、獲物を捕らえた猫のよう細目の微笑に変わった、あこれなにかやばいやつだ。


「なによ」

「タキとちょっと冒険してきてくれ、克服してもらう」

「なにをよ」

「ショック療法というんだ、苦手を克服するためにその苦手をやり込んできてくれ」

「なんなのよ」

「はいは〜い、ボクだよ〜」


 いつの間に。気づいたら塀で囲まれて侵入口がないはずの教会の裏庭にタキちゃんが現れていた、どうやら私が慣れない縄梯子訓練でへばっている間に入ってきたらしい、気づかなかった。タキちゃんは黒の冒険者だ、シーフやレンジャーの技能を持っているし、普段着だからあちこちに露出させている肌に刻まれた様々な傷が、彼女が歴戦の冒険者であることを雄弁に語っている。もしかしたらあたしが気づかなかっただけで、もっと前からここに来ていたのかもしれない。


「これ必要な経費とタキへの依頼料だ、持っていけ」

「はぁ?なんなのよ、ほんとにもう?」


 あいつが差し出した革袋は予想外に、ずっしりと重かった。

 その重さがイコール大変さだということに気づくには、あたしはまだまだ考えが足りていなかった。



 教会の裏庭から出ていった2人を見送って、俺は振り向かずに問いかけた。


「なんだよキース、ニヤニヤしてるんだろ、どうせ」

「おやおや当たりです、私の隠形に気づけるのはなかなかすごいですよ」


 こいつの隠形は俺でも見破れないことが多い、今回はたまたま勘が働いたのとこいつ自身が気づいて欲しいと思っていたのだろう。俺は痛む身体の向きを変えキースの顔を見ながら、言わんとすることを否定することにした。


「セシリアに色々教えているのは、余計なことを考えさせないようにするためだ」

「赤き旗の盗賊団に馴染ませるため、でもいいんですよ?」

「逆だ、元お嬢様をこの道に引き込むのはダメだ、いずれ教会に戻したい」

「まぁ今も教会預かりというかたちですよ、このままでもいいんですよ」

「やかましい、大司教に会うとき頼んでおけ、家名は仕方ないとして修道院に戻せってな」

「これ以上、借りを作りたくないんですよ」

「いま魔神像を預かっているだけでも十分な貸しだろうが、あんな危ないモンを」


 俺が首に巻いている赤い布は、未だ魔神像を包むのに使われている。そのお陰で魔神像が発する高濃度の魔素が遮断されているから安心なものの、逆に俺の首元は寒々しく、とても心地が悪い。俺は何の存在感も発していない、教会のステンドグラスの下あたりへ無造作に置かれているであろう魔神像の方を見やった。キースに向き直り、もう一度同じことを繰り返す。


「セシリアに色々教えているのは、余計なことを考えさせないようにするためだ」


 いずれ修道院に返す、あいつは俺と同じ道を歩む必要はない、僧兵でも何でもやればいい。そんな俺をキースは目を細めてニヤニヤしながら見ている、ああ腹が立つ。


「信念因縁、合縁奇縁、両親の死にまで関わったんだから面倒見なさいよ」


 一瞬だけ、キースはその鋭い目を開いて射殺すような眼差しを俺に向けた。俺はなんなくその圧を躱して飄々と両手を上げる。


「やだね、面倒見切れない、あと絶対あいつにいうんじゃねえぞ」

「はぁ、私からは言いませんが、誰かいうかも知れませんよ?」

「そんな心配よりあれだ、今まで助けた奴らをどうやって黙らせているのか、何を企んでいるのか、そろそろ教えろ」

「ずっと騙されていたことはもう怒っていないなら、教えてもいいですよ」


 イーリス領の事件を解決した直後にセシリアから聞いた、キースには記憶操作の魔法などないこと、それを俺だけ騙していたこと、今まで助けてきた人々には助けられたことと俺の記憶があることを。あの後その理由と目的を何度もキースに問いただしているが、のらりくらりと躱され続けている。今となっては既にどうしようもない事だから取り返しのつかない事実でしかない、だからそれはもういい。


「どうやって黙らせている、何を企んでいる」

「黙っていてと頼んだだけです、そしてあなたを表舞台に立たせたいのですよ」


 こいつ、しれっと本当のことを言いやがった。何だこれ誤魔化しか、いや冗談を言っているふうには見えない、俺は慎重にキースの表情を見ながら次の言葉を選んだ。


「俺は大穴には挑まない────、俺は地上で人助けをするって決めたんだ」


 キースは細い目をさらに細めて、満面の笑みを浮かべた、ああ気色悪い。


「結構結構、それで結構、どんどん人助けをしてください、期待していますよ」

「企みの方向はそっちか」


 何も言わずにキースが教会に戻っていく。俺はそれを見送りながら、痛む身体を動かして裏庭にいくつか転がっている木樽へ腰を下ろした。

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