幕間

 教会に戻った俺はキースの定期診断を受け「ちょっと進んでますよ」と注意をされた程度で復帰した。

 留守を任されていたウィズリは教会の空き部屋をひとつ女性用に準備するよう頼まれていたそうで、そこに自分が住むことになると解釈して大きなベッドを持ち込んでいた。キースはその部屋にセシリアを住まわせる可能性を考えて用意させていたらしく、ウィズリは大きなベッドと一緒に一言『余計ですよ』と放り出された。どこまで先を読んで手を回しているのか少しゾッとするが、キースに放り出されるとき尻を蹴られて喜んでいるウィズリに感じた悪寒がそれを上書きしてくれた。

 

 それから数日、俺とセシリア向きの初仕事を持ってくるといって、奴は今日も娼館遊びに出かけている。何をしているのかを調べるため今までに何度か尾行したことがあったが、いちど奴の親に絡まれてからは近づかないようにしている。どういうルートで情報を得ているのかはわからないが、奴は今日も片目を瞑った女の顔が彫ってある看板の店に行っているのだろう。

 セシリアはといえば、邪念を振り払うかのように教会裏の鍛錬場で身体を鍛えている。僧兵武術の徒手空拳の型とでもいうのだろうか、強く足を踏み込んだり声と共に正拳を繰り出したり、俺のスタイルとは大きく異なっているのが見てわかる。朝早くから鍛錬していたのだろう、身に纏う布には汗が染み込みその手足を振り抜くたびに滴る汗が飛び散っていた。

 そういえばセシリアは教会を除名された、そもそもにイーリス家自体が取り潰しになったので教会に汚点を残さないための判断なのだろう。今代領主の悪行の重大性そして世継ぎがないこと、他貴族への見せしめの意味も含んでいる教会側からの強い申し入れもあって、数百年続いた12貴族制が変わり目を迎えた。キース曰く三神教は貴族側の勢力を削ぎたいと思っていたところに今回の件だった、らしい。


「こんなに早い対応をされちゃうと、裏で何か準備されてた感じがするよねぇ」


 俺の呟きにセシリアが動きを止め、ツカツカと強い歩調でこちらに向かってきた。俺は空の水樽の上に腰掛けている、ただ樽を斜めに傾けて樽底の角を立てているので、手足を広げてバランスをとっている姿はセシリアには面白く見えなかったようだ、顔が怖い。


「ちょっとあんた何してんのよ!暇なの仕事ないのあたしのこと馬鹿にしてるの!?」

「してねえよ、両手両足にヒビが入ってるから筋力トレーニングしながら体幹鍛えてるだけ」


 盗賊殺しの短剣バンディット・スレイヤーを使った後は身体のどこかしらかが壊れる、初めて使った時は全身の骨が砕けたかと思うほどで死ぬかと思ったし、外骨格を仕込んだ鎧をつけてなおこれだ。ただ今ここで樽に座って弥次郎兵衛のようにふらふらしている必要もないので、俺は樽から降りた。


「セシリア、説明した通りキースが情報を集め、俺とキースが計画を練り、そこから実行だ」

「それは聞いた、その間は身体を鍛えたり世の中の情勢を勉強したり、それも分かってる!」

「うん、尻の筋肉だけで樽の角に座るのも大変なんだぞ、気を抜くと尻が割れるからな」

「そういう話じゃない!!!」


 俺が何もしていないように見えるから不満なんだろう。教会に帰ってきてからキースと3人で何度か話したが、彼女にとって俺は「魔族に落ちた父を解放してくれた存在」で決して「人間であった父を殺した仇」ではないそうだ。レイモンド・イーリスを魔族になるよう拐かした存在こそが自分の仇で、それを討つために赤き旗の盗賊団に居たいという考えだ。俺たちは仇討ち集団ではないことを何度も説明したがその実、俺もある悪魔を探している側面はあるので、セシリアの考えを頭から否定するつもりもない。親の仇をとる気持ちが今彼女の生きる力になるというなら、何もマイナスばかりではない。


「噂の義賊集団って、もっとこう何かないの!?手下が100人居るとか、秘密の地下アジトがあるとか!」

「ないし、俺とキースの2人だけだ」

「あの噂ってなんなの!美形の剣士とかエルフの忍者とか、本当にあんただけなの?!」

「俺も知りたいし、噂って怖いわ〜」


 そこは俺も本当に確認したくて教会に戻りすぐキースを問い詰めた、今まで助けた人々の記憶を消したというのは嘘だったのかと。その通り嘘だった、キースが記憶操作という便利な固有魔法を持っているというのは嘘だった。仕事の中で俺が助けることになった人たちはキースが「説得」して、3つを約束させていたそうだ。俺の正体を言わない、別の人相姿形で人に伝える、もし俺に会っても知らない振りをする。どうして俺を騙してまで手間のかかることをしてきたのかも問い詰めたが、それは近々わかると思いますよとはぐらかされた。俺が助けた形になった彼らは俺のことを覚えている、知っている。何かを期待しているからこそ、そうしているのだろう。


(荷が重いわ)


 俺は心の中で短く悪態をついてから、わざと思い出したような素振りでズボンのポケットからケルドラ城門を通行できるようになる許可証を取り出してセシリアに渡した。ケルドラ国民は誰もが持っているそれを、この数日間彼女は持っていなかった。彼女が持っていた身分証はイーリス家の取り潰しで没収され、キースが新たなものを取り寄せたのだ。セシリアはそこに刻まれる短い文字を見つめ、唇を噛み締めた。特殊鋼の表にはセシリアと、裏にはキース・キーストンと、幾つかの数字とともに文字が刻印されている。


「イーリスの家名が無いのは諦めろ、心ん中にちゃんと持っておけばいいさ」

「あんたに言われなくても────!」


 そこまで言いかけてセシリアは口を結び、鍛錬場を後にしようと背中を向けた。


「ちょっと城下町に行ってくる!」

「いってらっしゃい、汗臭いから水浴びしてから行くといい」


 ものすごい勢いで睨まれた、やれやれ年頃の娘は扱いが面倒だ。



 俺も用事があって教会を留守にした。誰も近づかない教会だし仕事道具は隠し壁に入れてあるから、仮に泥棒に入られても盗まれるようなものは表に出していない。それに教会の周囲にも廃屋のような民家はあるが、この周囲一帯は人が住んでいない。ゴンドリアに任せて一般人が近づかないようにしているのだ、俺たちが誰かに襲撃を受けた時に無関係な人々へ被害を及ぼさないためだ。

 とはいえ、俺も自分に関係のある人たちとの接点をゼロにすることはできない。俺は南門からケルドラ城下町に入り、網目のような路地を散策しながら西門に足を向けた。そのまま西門を出て外周区に入って、その外れというか貧民区寄りにある小さな孤児院へ足を向けた。


「相変わらず、ボロい孤児院だ」


 俺が育てられた孤児院だ。元々は教会だった名残があるものの随分前から神父がおらず、シスター・シアがそこを孤児院として運営している。町外れなので敷地は広い、元教会の建物を中心に荒地の庭が広がり、粗末な木の柵が外側を囲んでいた。荒地の庭には木からぶら下がったブランコ、少し耕された野菜畑、子供たちが走り回る雑草の空き地があった。俺はひょいと木の柵を飛び越え、遊んでいる子供たちのもとへ歩いて行った。


「ラッセルにいちゃんだ!」

「え、どこどこ!」


 遊んでいた孤児のうち2人が駆け寄ってきた、俺の手や足に飛びついてくる。小さい子供は可愛い、何故なら俺より小さいからだ。そう思って子供と戯れていたら、向こうの子供の中からにょろりと大きな何かが立ち上がった、どうやらタキが先客で来てたようだ。


「やあラッセル、同じ日に来るなんて今日のボクはついてるな」


 タキはこの孤児院の出身仲間だ、今では俺より20cmも背が高いけど昔は俺の方が背は高かったんだ。短く切り揃えた頭髪は粗野な雰囲気を持ち、褐色に焼けた肌色は健康さを引き立たせる。昔は色白だったが、体にいくつもの目立つ傷痕、特にこめかみから頬にかけての刀疵が目立っていて、それを隠すように肌を焼くようになった。

 今日は仕事がない日なのだろう、薄く肌に張り付く上着は割れた胸元や腹筋をあらわにして、短いパンツは傷だらけの脚を美しく見せている。そしてその首には、通常の身分証と引き換えに発行されるケルドラの黒札を下げていた。彼女は国に登録した冒険者として独立した生計を立て、俺と同様に自分が育った孤児院に定期的な寄付をしていた。


「見下ろすな、そして抱きつくな」

「やだなぁラッセル、お姉ちゃんの愛情表現だよ、ボクはキミに会えて嬉しいんだ」


 身長差のある抱擁はちょっと刺激が強い、胸筋で底上げされた胸の肉で呼吸ができなくなるから俺は両腕でタキの身体を引き離す。人族は100歳前後から長くて250歳くらいが寿命だ、特に魔素を取り込んでいる者は見た目と実年齢が伴わない。瑞々しい大人の若さに見えるタキも俺のひとつ年上、その張りのあるふた房の肉に俺を埋めようとする2本の腕は全く悪意がない凶器で、逃げようにも下手に胸や腹に触れるわけにもいかない。

 ふとタキの肩越しに黒と白を基調にしたシスター服を纏った老婆が立っているのが見えて、俺はここぞとばかりに声をかけた。俺たち只人は100歳行かず年老いる者もいれば200歳近くても若々しい場合がある、シスターはその前者だ。


「久しぶり、シスター・シア(早く離せタキほら早く)」

「まあまあ、元気そうで安心しました、タキそしてラッセル、よく来てくれたわ」

「ボクは元気だよ、シスターはどう?(えー、もうちょっと撫でていたいよ)」


 タキはシスターに向き直って俺の横に立った、こうやって並んでいると姉弟というより身長や発育の違いで母子に見えることだろう。俺たちの小さい頃を思い出しでもしているのだろうか、シスターはシワだらけの顔をくしゃりと潰して微笑んだ。

 

「あらあら、クッキーが焼き上がるわ、ふたりとも食べてお行きなさい」


 俺とタキは教会の庭で取れたハーブのお茶とともに、昔からよく食べていた格子状に押しつぶした模様の焼き菓子をいただいた。孤児院の子供たちと一緒のおやつだから大した話はできないが、タキも冒険者として何をしているかかい摘んでシスターに伝え、子供たちはそれを興味津々に聞き入り、楽しい時間がすぎて行く。ただそれだけの時間。

 こうやって偶に顔を出し何気ない話をする、それがシスター・シアに育てられた子供たちからしてもらえる最大の親孝行だと、俺たちは何度も聞いて育ってきた。


「そろそろ帰るよ、シスター・シア」

「あらあら、たまには夕飯くらい食べていったらどうかしら?」

「んー、ボクも仲間達と次の探索の打ち合わせがあるから、帰ろうかな」


 俺とタキはタイミングを合わせて立ち上がり、遊び回る子供たちの目に入らないよう気をつけながらシスターに寄付金の入った小袋を渡した。シスターはシワの多い目を閉じて細い指を組み、ひび割れた唇から小さく感謝の祈りを捧げてからそれを受け取って俺たちに微笑みかけた。ここ数年で一気に老け込んだな、それがどうしてなのかは想像できるが理解はしたくない。


「あらあら、まあまあ、こうやってあなた達に助けてもらって私たちは生きて行ける、本当にありがとう」


 この孤児院を出て行った他の奴らのうち何人かは、俺たち同様に寄付をしている。でも自分が生きていくだけで精一杯の奴、遠くへ稼ぎに行った奴、行方知れずになった奴、昏く深い大穴に挑んで帰ってこなかった奴もいる。その中で俺とタキ、あと歳の近いニックくらいしか、こうやって毎月まとまった金を渡すことができていないはずだ。それからシスターと二、三言をかわして俺たちは孤児院を後にした。

 西門に着く頃には太陽が傾き始めていて、今晩ひと際明るく輝くであろう双子の月がその姿を表してきていた。門をくぐったらタキと別れてそれぞれの生活に戻る。


「ボク今日はすごく楽しかったよラッセル、また今度会おうね」

「ああ、タキも気をつけてな、また」


 俺が路地に入って姿が見えなくなった後で、タキは静かに呟いた。


「キミはボクのヒーローなんだよ、ラッセル、またね」

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