幕間(後)

 正直、その後どうやって地下への入り口を見つけて地下1層に転がり込んだのかよく覚えていない。膝や肘に色々な傷があるから転げ回ったりしたとは思う、顔にも蜘蛛の糸がついているけど取っている暇もないくらい走り回って、タキちゃんにフォローしてもらいながら今こうしているような気がする。怖い夢をみて逃げても逃げても逃げきれない、そんな錯覚に陥りながら、新たな恐怖で現実に引き戻される。

 地下1層でもゾンビに追われ、スケルトンに襲われ、振り返った瞬間にゴーストと出くわす、気を抜くとゾンビ犬が飛び出してくる、マッピングどころではない。驚かされて飛び上がって逃げる猫のように、あたしはダンジョンの中を走り回った。行き止まりで壁を叩いて壊そうとして錯乱いるあたしを見つけたタキちゃんが、行き止まりならと聖壁の魔石を使って1方向を塞いでくれて現在に至る。


「もう、だめ、あたち、だめええええん」

「正気に戻ってセシリアちゃん!?」


 頭の一部は正気、断片的ではあるけど状況を覚えているし、今あたしの身体が震えて強張って涙と汗と涎でべちゃべちゃになっていることもわかっているわ。触ることができないまたは触りたくもないお化けや魔物をどうやれば遠ざけることができるのか、攻撃は殴って蹴ってで防御は治癒魔法とか少しできるだけのあたしには、目の前の聖壁を1枚隔ててそこにいる相手には何もできない。

 頭ではわかっている、浄化魔法ピュリフィケーションを使えば一発で消し去れる、その魔力があたしにはある。修道院での魔法鍛錬も誰にも負けないほどの規模で展開できた、そう落ち着いているなら。正常な思考の殆どが恐怖に支配されている今のあたしには、それを思いつくことも実行することすらできない、このままだと頭の片隅に残る最後の正気も消えて卒倒することだろう。


「わかったボクがあれを全部倒すから、ね!ね!だから腕を離してボク動けないから!」

「こ゛わ゛い゛い゛い゛い゛」

「聖壁も2個使っちゃったから、今ので3個目で最後なの!ほら聖壁があればセシリアちゃん大丈夫だから!」

「い゛や゛あ゛あ゛あ゛」

「ああ、もう、ボクにどうしろっていうの!」


 冷静な意識が支配できている僅かな視界の先に、使い終わった聖壁の魔石が転がっている。ゴーストでもゾンビだろうが、そういう怖いお化けを防ぐことができるとてもいいもの。いやいや怖いお化けってあたし、魔物といいなさいよ怖すぎて子供返りしてるの?

 あれ、今なにか頭をよぎったような気がする。


「いいセシリアちゃん、聖壁の中には怖いのは入ってこれないからね〜、ゆ〜っくりこの腕を離して?」

「こわいの、ないない?」

「そう、ないないだよ、壁があるからね、だいじょうぶ!」


 そうか、そうね、壁があればだいじょうぶ、あたしは冷静、なにももんだいはないわ。こわいなら、ないないすれば、こわくない。触りたくない、さわれないなら、さわらなければいい。正気よあたし、かべがあればこわくない、あたまいい。


「よし、離れた!今のうちに────セシリアちゃん?」


 あたしは、ふらふらとたちあがって、おててにからっぽの魔石をぎゅぅっとにぎる、ぎゅぅっとにぎって、ちからをこめる。からっぽのいしに、ちからを注ぐ、ほんわかひかりが、手を包む。


「大丈夫?落ち着いて、今ボクがこいつらを蹴散らすから、壁際で小さくなってて?」

「だいじょうぶだよ、タキおねえちゃん、あたしおばけこわくないもん」

「大丈夫じゃないよセシリアちゃん、目が点だよ、瞳孔開いてるよ!?」


 正気と狂気は表裏、可能と不能も表裏、ああ自分で正気だと思っていたのは狂気で、触れないなら触らなければよかったのね。あたしは聖壁に背中を向けながら、両手の拳に魔力を込める。タキちゃんが何かいってるけど聞こえない、お化けが何かいってるけど聞いてあげない。


「セシリア、ちゃん?」

 

 あたしの首からガクンと力が抜けて、頭が背中の方を向く。足元でタキちゃんが青い顔で固まってるけど、今はいい。あたしはそのまま後ろを振り向いた、後ろの正面あなたはだあれ。


「後ろから、声をかけるの──── だ あ れ 」


 暗い石壁の通路は湿った苔が足元を滑らせる、滑るなら滑らないくらい強く踏み込めばいい。左足を踏み込んで下半身から上半身を引っ張って、頭と右手を持ってくる。音は聞こえず、前には聖壁、光の向こうは闇の影。影は壁から入れない、壁があるなら影も無い、あたしの拳に、壁がある。


「ちょっとは黙れや、ごるぁああああ!!!」


 聖壁の魔石が張った魔力の障壁は内側からあたしの右ストレートで打ち砕かれた、魔法は強いほうが勝つ。障壁に張り付いていたゾンビは、あたしの拳に張られた小さい障壁をその胸部にくらって、通路の遠くへ飛んでった。うん大丈夫、あたしはゾンビに触ってない。ゾンビは壁にぶつかっただけ、壁にぶつかられただけ、あたしはゾンビを触ってない。

 振り抜いた右手を戻しながら、残した右足をゆっくり前にもってくる。静まり返る、あたしの周り、ゾンビやゴースト、黙り込む。あたしはニヤリと、口ゆがめ、右手と左手、構えるの。


「ゴースト殴れない、ゴースト聖壁こえられない、だったら殴ればいいの聖壁で」


 左右左、素早くパンチを繰り出した。崩れるゴースト砕けるわんこ、もひとつ吹き飛ぶゾンビたち。ああ頭の一部が冷静に状況を見ている、恐怖が正気を上回り何をどうしてこうなった、壁で殴れば触らずに、触れられぬ相手も殴れるのね。


「ああ、なんか調子よくなってきたかも、あたし!」


 

 正直、その後どうやって地下1層の魔物を全て殴り飛ばして消し去ったかよく覚えていない。手当たり次第に目に入った魔物を次々と襲ったような気がしてる。数十分で消える聖壁の魔石は、それを握るあたしが常に魔力を込めるから消えない小さな障壁になって、ゴーストたちにとっては破ることができない迫り来る激しい衝撃となった。


「触れなくても殴れるんだね、ウン、もう怖くないね、ソウダネ」


 自分の口からそんな言葉が出たような、楽しげにそう言っていたような気がする。地下1層の敵を一掃したところで、やっと自分の狂気が小さくなって正気が戻ってきた。殆ど暗闇に包まれた地下通路をどうやって走り回ったのか、その中でなんで魔物を見つけて襲いかかることができたのか、今となってはわからない。とても調子に乗っていたのだけは、わかるかも。

 気づくと灯りの魔石を持ったタキちゃんが、ゆっくりおずおずとあたしに近づいてきた。ちょっと顔色が悪い、なんかあたしを見て怖がっているようにも見えなくはない、気のせいねきっと。


「あの、セシリアちゃん、ボクのことわかる?」

「どうしたのタキちゃん、あたしはダイジョウブダヨ、ん?大丈夫だよ?」

「ちょっと不安だけど、ボクの声が届くようになったみたいかな?」

「なんのこと?」


 だんだん頭がすっきりしてきた、それと入れ替えにさっきまでの記憶が薄れていく。怖かった記憶も弱まって、今は手にした魔石で敵を倒せるんだという自信が胸に溢れてる。魔石を剣や武器に取り付けて炎の剣とか氷の槍にしている冒険者はいると聞いたことがある、まさか自分がそれと同じようなことを出来るとは思っていなかったし、こんな安い魔石がこれほど役に立つとも思っていなかった。あたし買い物上手かも知れない、そう思って右手を開いて中の魔石を見たらチャージはされていない、透明な魔石があるだけ、ちょっとヒビが入っているようにも見える。


「ま、いっか、使えれば問題ないし殴れれば何も問題ないから」



 1日目の夜は地下1層全体が安全地帯になったので、見張りを交代しながらゆっくり休めた。魔素の濃いダンジョンは数日で元の環境に戻るから、今日明日なら大した魔物は発生しないので大丈夫だ。

 2日目は朝から地下2層と3層の踏破目的でスタート、タキちゃん曰くあっという間に魔物を吹き飛ばし続けてその勢いのままダンジョンボスまで殴り倒していた、とのこと。確か途中で3人組の冒険者を助けたような気がする、ああでも拳に直接殴った感触があったから魔物と間違えて襲いかかったのかも。あとボスはこう生理的に悍ましいというか受け付けない感じで、あたし一瞬だけ正気を失ったような気がしないでも、うーんはっきりしないや。正直あんまり記憶に残っていないからタキちゃんに何があったか聞いてみたのだけど、理不尽が消化できたらいつか話すねと断られた。消化不良は良くないからね、あたしは野営用の硬い干し肉をよく咀嚼しながらタキちゃんと話をしていた。


「なんでボクはダメでセシリアちゃんなのか、理由わかったような気がするよ」

 

 何を見たのだろう。

 2泊目にあたるその晩は安全地帯になったボス部屋でゆっくり野営することにした、倒した相手の魔素を吸収するにはその方法がいいと教えられた。倒した相手の魔素量によって自分の魔素が強化される、冒険者の常識だ。誰にも見えないから本当かどうかは定かではないのだけど、大気に満ちている魔素を自由に取り込むことはできないものの、作物や肉を食べたり身体を鍛えることで少しずつ魔素を体内に取り込み、動物や敵と戦って勝つことでその相手が貯めた魔素を自分に取り込んでいる、というのが通説。

 そういう魔素が濃いであろうところで野営したり、食事をするというのが冒険者の流儀のひとつらしい。倒した相手の根城で飲み食い就寝するとか、常識で考えたら非常識なのかも知れないけど、冒険者という存在そのものが非常識なんだと考えれば妥当な判断だわ。野営用の硬い干し肉とってもおいしい味がする、タキちゃんは何かを悟ったような優しい目つきで、水分のないパンを両手にもってもぐもぐしている、かわいい。


「まぁそうね、弱い敵に勝っても強くなった気はしないわ、強い敵を破った時はこう、かったー!ていうか、やったー!ていうか、気持ちも強くなった感じがあるかも、あたし」

「そうだね、ボクもレンジャーで大穴に同行するとき、後衛でも買った時はこう、強くなった気がするよ」


 野営中そんな話をタキちゃんとしてみた。彼女が何歳の頃から冒険者をやっているのかは別にしても、私自信がそういう経験をしたことがないから、その方面ではタキちゃんが私の大先輩になる。ふたりで焚き火を囲んで干し肉を炙りながら、この安全な結界の魔石の中だから安心して色々お話しが出来る。それにボス部屋の中はもちろんこの地下3層の魔物は全て聖壁の拳で殴り飛ばしたから、今日明日で復活してくるような魔物はいないと思う。もし出てきても今のあたしなら問題ないわ、触れるなら殴れるから大丈夫。

 せっかくの機会だからあたしはタキちゃんに色々聞いてみようと思った、この前ははぐらかされてしまったラッセルの昔のこと。


「ねえ、タキちゃんはいつラッセルに出会ったの?」


 焚き火に照らされたあたしの顔は、興味津々意地でも聞き出す、って顔をしていたのだと思う。タキちゃんがその凛々しい顔をくしゃっと潰して困ったように笑ってから、諦めたように話し出した。


「ボク、差し支えのない範囲でしか話せないよ?」

「いいよ!」


 何が差し支えるんだろう、いいや今は気にしない。あたしは喉に支えたパンを水で流し込みながらタキちゃんの話を興味深く聞いた。


「物心ついた頃には同じ孤児院にいたんだボクたち、ひとつ違いだから一緒にいることが多かったなぁ、だいたいボクがラッセルのあとをついて歩いていたんだよ」

「へえ、ちょっと意外、お姉ちゃんなのに?」

「そうだよ、今でこそボクの方が背は高いし、見てくれもこんなだけど」


 そう言ってタキちゃんは頬にある傷を触って続けた。


「子供のころはボクの方が小さかったし、前髪や髪の毛も長くて、いっつもオドオドしてラッセルの後ろに隠れてたんだよ、その頃は自分をボクじゃなくて『わたし』って言ってたかなぁ」

「えー、ますます想像つかない、どんな感じ?」

「前髪で顔を隠しててね、髪の毛の間からチラチラみてる感じだよ、腰のあたりまで長い髪の毛だったかな〜、ラッセルも今より少し長い髪型でね、肩口までバサバサに伸ばしてたんだ、粗雑でかっこよかったんだよ〜」


 あ、乙女の顔してるわタキちゃん、少し照れてるかわいい。あと干し肉あと少し、もう1枚たべようおいしい。


「タキちゃん今とずいぶん雰囲気違ってたのね?」

「うん、ボクが13歳の時かな、貴族の隊列を邪魔しちゃってね、斬り付けられちゃったんだ、これ」


 彼女はそのこめかみから頬にかけて大きく残る傷跡を指差して苦笑いした、貴族に斬り付けられた、元貴族であるあたしには何も言えなくなる話だった。ただ単に先祖が何かの功績を上げて王国に召し抱えられたのが12貴族だ、あたしは小さいころ父から何度か『民あっての領地だ、民を正しく導いてこその領主であり、それが貴族だ』と言われた記憶がある。その時は何をいわんとしているのかわからなかったが、今なら少しわかる。わかるからこそ、それを理解しない貴族がいることも知っている。そして正しくないことをした貴族が何代も続いたその名前を取り上げられることも身をもってわかっている。顔を背けてしまったあたしに気づいたタキちゃんが、笑いながらあたしの頭を撫でてくる。


「セシリアちゃんは関係ないよ、気にしないで、貴族全部がそうじゃないのは知ってるからね、ボク」

「でも」

「ラッセルと一緒に城下町まで入れるようになってね、楽しくって大通りまで出てったら、運悪く貴族の行列にぶつかっちゃっただけ、それだけだよ」


 沈黙を破るようにタキが嬉しそうに振る舞って話を続けた。


「ラッセルがボクを助けてくれてね、おぶって孤児院まで連れて帰ってくれて、シスターに治療してもらったんだ、傷跡は残っちゃったけど髪の毛で隠れてたし、いいかなーって思ってんだよボク、でもね、ラッセルがすごく気にして、女の子なのに傷をつけさせたとか、守れなかったとか言うもんだからね?」

「どうしたの?」

「髪、バッサリ切っちゃった、今より短いくらいにしてね、自分のことも『ボク』って言うようにしたの」


 ああ、このサバサバした見た目とボク呼びはラッセルを心配させないようにした結果なのか、それを聞いてあたしの胸に色々なものがストンとおちた。タキちゃんがラッセルに好意を寄せているのも、ふたりが昔馴染みのような関係性なのも、子供の頃からの絆があるからなんだろう。


「でもね、それから数日した頃にね」

「どうしたの?」

「ラッセルが、人攫いに連れ去られて、いなくなっちゃったんだ」


 その頃は外周区や貧民区でよく子供が攫われていたとタキちゃんは言った、孤児院にいた女の子の友達も何人かが攫われて二度と帰ってこなかったそうだ。ポツリポツリとそういう話をする姿を見て、興味本位で立ち入った話を聞いたあたし自身を恥じた。あのこ憎たらしいラッセルにも、そういう辛い過去があったのだ。それからどうなったか話すタキちゃんの声は、少し遠くで響く音のように聞こえた。

 

「それでボクも冒険者になれる年ですぐ登録して、ラッセルを探そうと思ってたら、帰ってきたんだよ!」

「え、どうやっって?」

「そこは話してくれないんだけどね、キース神父が預かり人になってそこで暮らして、最初のころは人間不信でボクとも口を聞いてくれなかったんだけど、数年してある日を境に今みたいな元のラッセルになってくれたんだ!」

「あいつ────小さいのにそんな苦労してたんだ、そりゃ15でもああなっちゃうのね」

「ん?ああ、うんそうかもね」


 なんかタキちゃんが驚いたけどちょうど話の区切りにはいいところだし、あたしはもうひとつだけ聞きたかったことを問いかけた。タキちゃんやラッセルほどではないかも知れないけど、あたしもこの2ヶ月の間で激しく環境が変わってしまったから、仕事に追われていないとつい考えてしまうのだ。


「タキちゃんは今こうしていて、しあわせ?」


 なんかタキちゃんが驚いた顔をして目を丸くして、それから焚き火に照らされくしゃっと陰影がついた満面の笑顔で答えた。


「もちろん!大切な身内がいて、手の届くまでの人を助けることができて、誰かの役に立てる仕事、ご飯も食べられるし寝るところもある、しあわせだよ!」


 あたしはこの先どうするかを悩んでいた、自分に何ができるのか考えていた。父が魔族に落ちて自分を贄にしようとした、家や属する場所の自分の土台がなくなって、思いがけない居場所ができて、それまでの生活と較べたらとんでもなく刺激的な日々。自分の意思でそうなったわけではないけど、私よりも年下のあいつがそんな背景を持っていて、そのひとつ年上のタキちゃんも色々考えて生きている。

 改めて自分ひとりで生きることができたのかどうかを考えたら、今こうやって悩んでいたことはあまりにも小さい。よし踏ん切りがついた、ちゃんとしよう、やれることをやろう、あたしはそう心に決めた。あたしの顔を覗き込んだタキちゃんが嬉しそうに笑う。


「んー、なんかスッキリしたのかな?ボクとここにきて、何か乗り越えたかんじ?」

「うん!ゴーストも殴れば怖くないってわかったし、いろいろ収穫あったわ!」

「は、はは、それはボクにも予想外だったよ、結果オーライかも?」


 よし、明日は明日でしっかり気合いを入れて乗り切ろう、そして帰ったらあいつに怖いものを克服したことや新しい戦い方を身につけたことを自慢して、もっと沢山の仕事をしようと発破をかけてやろう。あたしも赤き旗の盗賊団の一員として、あいつの横に並んで立てるようになってやる!

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