第28話

 ボクのセーフハウスが2つあることは誰にも教えていない。住処を知っているのは冒険者仲間、西のセーフハウスを知っているのはラッセルとニックと神父、最近ではセシリアちゃん。この東のセーフハウスは一昨年用意したばかりで使ったこともないし、ラッセルも知らないはず。ラッセルがアジトを西から東に移して寂しかったから作ったなんて口が裂けても言えないもんね。

 でもそのおかげで、誰にも気づかれない場所にラッセルを避難させることができた。ボクは備え付けてあるベッドにラッセルを横たわらせて、厚手の毛布をかけてあげた。時折苦しそうに呻き声を上げる彼に、汲んできた水で濡らしたタオルを絞ってその狭い額に乗せて汗を拭う。ラッセルの容体がもう少し落ち着いたら、神父やセシリアちゃんとの合流方法を考えよう。

 冷たいタオルを額に当てられて小さく寝息を立てている彼の顔を覗き込みながら、ボクは彼の耳にだけ届くように小さく呟いた。


「負けちゃダメだよラッセル、君はボクの────ヒーローなんだから」



 単眼姫の店。

 ケルドラ城下街に十店舗ある娼館で、桃色で塗った鉄板に黒く女性の表情が形取られた看板を掲げており、その女性というのが片目を瞑っているのが特徴です。片目だから単眼、そして姫のいる店という建前です。どの店も3階建て以上の構えで1晩金貨5枚からの値付けなので庶民には縁遠い立派なお店です。立派というのはそこに勤める女性達が、その端麗な容姿だけではなく知識や教養も備えているというところで、秘密厳守はもちろん防犯対策もしっかりしているので、娼館ではない秘密の宿という役割で利用する客も少なくないという意味です。

 娼館は一番館から十番館まであって、オーナーである単眼姫はそのどれかにいるのですが、一定のルールで移動しているのでそれを知らないと会うことはできません。もっとも単眼姫は客と会うことはしません、従業員としか、例外として『身内』とだけしか会わないので、彼女の姿を見たことがある男性はこの城下町では私とラッセルくらいなものでしょう。


「今日は────計算が7になるから八番館になるんですよ」


 私は小さくそう呟きます、月と日の数字と奇数偶数で計算式を当てはめ、日付から数字をもとめ、その次の番号の館に単眼姫はいることになっています。ついついラッセルに教えるつもりでそういうセリフが口から出るのを抑えながら、私は単眼姫がいる店に彼が避難しているのではないかと期待しつつ彼女の元を訪ねました。娼館の正面口から入り単眼姫に会いたい旨の暗号を伝えると奥に案内され、嬢とそれ用の部屋に通されます。なお計算を知らなかったり間違ったりして違う店を訪ねると即座に単眼姫へ不審者の情報が知らされ彼女は身を隠します、10日は安全確認で行方をくらませますので、尋ねる娼館の計算を間違えたら一大事です。その情報網も欲しいもののひとつです。そこから先は目隠しをされて嬢に手を引かれ、時に向きを回されて引き連れまわされてやっと単眼姫の待っている部屋に辿り着きます。

 彼女は理由があって、それだけ用心深いのです。


「久し振りだねぇ私の坊や、ママの乳でも吸いにきたのかい?」


 今いる場所が本当に八番館の中なのか怪しいほど、この部屋に満ちている魔素というか妖気はとても濃いものがあります。娼館の看板同様に桃色の壁や床で作られた彼女の部屋、大小の卑猥なクッションや長短の鮮やかな布、その中心に据えられた鳥の巣のように窪んだベッドの中に、彼女はいました。

 単眼姫、その名の通り────ひとつ目の特殊な種族が彼女の正体です。


「今日は支払える対価が────、時間がありません、ラッセルが店のどこかに来ていないかお伺いしたいのですよ」

「それは本当に心の底から残念だねえ、最近ご無沙汰だったから期待していたのに」


 単眼族サイクロプスは人族ではありません、しかし魔族でもありませんし、もちろん魔物などもっての外です、むしろ神に近いとも言える特殊な種族です。ですが人族からは離れすぎていて、彼女の正体を公にすることは出来ません。三英雄、私やラッセルといった直接彼女に連なる者や、単眼姫に命を助けられ感謝し心酔している十数人の館主しか彼女に会うことは認められていないのです。

 彼女は大きな目玉の真ん中あたりまで垂れ下がり切り揃えられた前髪の間から、私をまるで赤子を見るかのような優しい目で舐め回すように見てきます。心の内はもちろん、身体の隅々まで見透かされているかのようなゾッとした感触がします。例えではありません、彼女はその特殊能力で隠されたものや離れた場所で起きている出来事を把握することが出来るのです。

 東方の衣装を身に纏い胸元や白い太ももを露わにしている彼女は、横髪と後ろ髪を頭の上でまとめるために指している櫛や装飾された鉄の棒を直し、目を伏せながら私に話しかけてきます。


「あの坊やはここには来ていない、どの店にもだ、そして私の坊やの知る場所にも今は居ないねえ」

「その先は有料ですか?」

「もちろんだよ私の坊や、なあにそんなに時間は取らせないよ、さあさあこっちにおいで」


 迷います、対価を払えば遠見をしてもう少し先まで見てもらえるかも知れませんが場所を特定できない場合もありますし、今は本当に時間がありません。何より対価は、私の心身に深刻な影響を及ぼしますからそうそう簡単に払えるものではありません。彼女は、その着衣の上から自分の豊かな胸を揉みしだきながら私をその大きな瞳で覗き込んできます。


「残念ですが今から大司教を問い詰めに行く必要がありまして、また今度の機会に」

「おやまあ本当にいいのかい、ちょっと見たけどあの坊やはあの娘といいところまで行ってるよ」


 こちらの興味を引く常套手段です、その先に大した情報がなくとも釣り上げる大きな釣り針でしょう。ですが嘘ではないでしょう、ラッセルがタキと一緒に私が知らないどこかへ行っているだけだという情報で大収穫です、ただほど高いものはないという考え方もありますが今は有料オプションをしている間はありませんから。

 ラッセルはタキと何らかの行動をしている、無事であるなら連絡を取らない今を過ぎればいずれ合流できるとして、ではラッセルを襲った者は誰か────それは大司教が釣り上げたいと思っていた悪魔へ連なる者に相違ありません。ならばラッセルを『鉤』と表現した大司教の方がより詳しい情報を持っていて当然、同じ時間を消費するなら選ぶのはそちら、私はそう結論づけました。


「ありがとうございます単眼姫、ではまたいずれ」

「やだねえこの子は他人行儀な、ママと呼んでおくれよ」

「お断りします」


 私は自分から目隠しを結びました、単眼姫の部屋を出る時も同じようにぐるぐる回りながら案内をされないといけません。単眼姫の部屋の扉が開き、多分先ほど案内してくれた嬢────この八番館の館主が来て、私の目隠しを外して付け直しました。隙がありません、多少は場所の推測ができそうかと極僅かに片目で足元が見える程度に隙間を作っていたのですが、気づかれてしまったようです、さすがです。

 そこから先は来た時同様、私をもってしても前後左右どう動いて辿り着いたのか、目隠しを外された時は元いた部屋に戻っていました。嬢、この八番館の館主は無言で私の背中を優しく押して娼館の玄関まで送ってくれました。外に出ると既に日が落ちかけていて、体感は30分程度のはずなのに3時間は経過していました。アリオベック公爵の御業が機械や歯車と何らかの謎で構築されていると理解できるに対して、単眼姫のこれや遠見は全く別系統の御業というか、妖の類です。


「いずれ手にしたいですが、さてはてどうしたものか」


 私は外でただただ待たせていたウィズリを伴い、再び大司教の元へと向かいました。ああそういえば出入手続きを飛ばしていましたから、どうやって入り直しましょうか。



 タキちゃんは住処にも西のセーフハウスにも戻っていない。

 あたしの方は何ら手がかりなしだった、戻るならセーフハウスの方だろうと思いそこで待ちながら、行動に必要な物をタキちゃんの荷物から拝借している。もちろん目安での対価はちゃんと交換で金貨を置いているから泥棒ではない。こういう時のためのセーフハウスを教えてくれた時に、必要なら持ってってもいいからと言われているから問題はない。

 もちろん住処の方にも書き置きはしておいた、タキちゃんは文字があまり得意ではないと言っていたのは聞いているが、少なくともあいつは私と同じ程度かそれ以上、読み書きに通じているから、端的に『セーフハウスで待つ』とだけ書き置いてきた。

 教会跡地で方針を決めて解散したあと、まず地下の金貨を掘り上げた。正確に言うとキースが封印魔法やその他の様々を施して、あの付近一体の爆発でも崩れなかった丈夫な地下室への扉を、崩れた瓦礫で埋まっていたそれを私がこじ開けた。地下への扉を開ける前にゴンドリアさんが自分を含んで部下たちと背中で円陣を組んで、肉の壁で外から中を見られないようにしてくれた。しかも部下たちには『おめえら中は絶対に見るな、聞くな、覚えるな忘れろ、キースの旦那に死ぬよりも酷い目に遭わされるぞ』と脅していた。中には武器防具や様々なアイテムがあったけど、まずは神父が大事にしている大金貨を詰めた箱が無事であることを確認して、そこから神父曰く『幾ばくか』の資金を分けてもらった。


「幾ばくかで金貨100枚をひょいと渡してくるって、赤き旗の盗賊団って何なの?」


 大金貨とは、金貨100枚分の価値がある特殊で大きめな硬貨だ、それが詰まった箱は8つあったから、1箱100枚で大金貨800枚、金貨なら80,000枚に相当する。ケルドラ城下町で生活するのにひと月で金貨30枚では多すぎる、25枚として年間で金貨300枚あれば十分、400枚あれば遊んで暮らせる。10年で4,000枚、100年で40,000枚、200年で80,000枚である。常に計算しろって口うるさく言われているから計算したけど、何これアジトの教会の地下には遊んで暮らせる金が200年分ありましたってこと。そんな金をいったい何に使う気なのか、どうやって溜め込んだのか、ゴンドリアさんが部下達に見るな聞くな忘れろっていった意味があたしにもよくわかった。

 ちなみに地下室は再び閉じられ、神父が魔法や色々な何かを施して、明日までゴンドリアさん達が警備をすることになった。持ち逃げすればひと財産どころじゃない大金持ちだろうに、しないということは余程の恩義があるのか弱みを握られているのか、それとも以前酷い目に遭わされているのかの、どれかだと思った。

 何にせよまずはあたし自身のことだ。

 イーリス領での出来事、入団試験というか刺激的なテスト、時間があれば考え方や身体の使い方から歴史や知識に至るまでを話されて、先日の遺跡調査からショック療法という名のいびり、そして今日。考えろ常に考えろと言われ続けた割に、肝心の────赤き旗の盗賊団って何なんだ、ということを教えられてもいなければ考える暇もなかった。


「あたしに、考えさせないようにしていた、とか?」


 タキちゃんのセーフハウスの中で夕食に買ってきたパンと焼いた骨つき肉を頬張りながら、あたしは考える。考えてみれば神父と子供、しかも両方やたらと物事に詳しかったり、盗賊は超高速で動けるようになる魔剣を持っていて、神父はなぜか白魔法に加えて黒魔法まで平気で使っている。警備隊とも縁があると思えば教会にも顔が効き、大司教に呼び出されるほどの何かがある、そして今日の事件は────多分、悪魔絡み。


「おかしいって、何それめちゃくちゃ!」


 アジト以外での栄養補給の時は音のなる食材は避けるようにも教えられた、携行性や栄養価とかいうのを考えるとナッツ類は適しているけど、噛んだ時に音が出るのと咀嚼時には自分の耳が周囲の音を取りづらいから避けろとか、一体どこでそんな知識を得てきているのか。タキちゃんならまだわかる、白の冒険者に混じって昏く深い大穴に潜っているから冒険者の基礎知識は一通り経験則があるのだろうけど、あいつや神父は大穴には潜らないというのに。あたしは骨から肉を噛み剥がしてパンに挟んで、肉汁で硬いパンを柔らかくしながら咀嚼する。神父は万が一を考えてタキちゃんを教会に来るよう頼んでおいたようだけど、その『万が一』って何?


「今まで考える時間がなかったけど、おかしすぎる」


 今も役割分担で最も簡単で安全な仕事があたしに割り当てられたから、こういう考える時間ができた。確かに大司教のところへ調べに行くのは無理だし、警備隊と近隣の聞き込みはもちろん、騎士団との調整をすることもできないから、あたしはタキちゃんが行きそうな安全な場所を調べる役割になった。

 明日少し早めに集合場所へ行き、神父を問い詰めよう。聞きたいことは幾つもあるけど、まずは核心から、最も大事なことから問い詰めよう。


「そもそもに、赤き旗の盗賊団って────何なの?」

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