第26話 お姫様と王子様。日和編 ⑤ sid 日和

「ねえ、見てお母さん! やっぱり、環奈ちゃんって可愛いね。キラキラしてる」

「そうねえ、でも、芸能界は大変って聞くわあ。それよりも日和、塾の用意しなさい」


 私がアイドルを目指したきっかけは、画面越しに移る天使環奈ちゃんに憧れたからだ。

 歌って、踊って、そして演技も上手な彼女が、とても素敵だった。


 みんなを笑顔にさせる彼女のように、私もなりたいと思った。


 調べるによると、彼女はスカウトで芸能界に入ったらしい。


 私はそれを聞いて、めいいっぱいのおしゃれをして、いつもお外にお出かけしていた。

 

 私はそんなに可愛いほうじゃない。だけど、私だってキラキラした芸能界に入りたい。

 母はダメだと怒っていたが、父だけは私を応援してくれていた。

 だけど、まだその頃は何をしたらいいのかわからなかった。


 だから、環奈ちゃんに一度会ってみたかった。


「お父さん、今度天使環奈ちゃんのライブがあるんだけど……」

「そうか。じゃあ、連れていってあげよう」

「え、いいの!?」

「あなた……仕事でしょ?」

「なあに、いいじゃないか。いつもテレビで見てるだけだと寂しいだろう。なあ? 日和」

「やったあ! 楽しみ!」


 生で見る環奈ちゃんは、テレビで見るよりも何倍も綺麗で、可愛くて、輝いていた。

 たまたま当たった握手会で、なんと触れることもできた。


「あ、あ、ああ、あの私……ずっとファンで……」

「ありがとう。嬉しいよ」


 テレビで見るよりも可愛くて、優しくて、すっごく素敵な笑顔だった。

 私も――環奈ちゃんみたいになりたい。


 それから私は、アイドルになるための努力を始めた。

 音楽教室に通って、ダンス教室にも、だけど……全然才能がなかった。


 私より後に入った子が、私より上手で、どんどん追い抜かされていく。


 才能は残酷だった。努力なんて、これっぽっちも価値がなかった。


「もう全部やめたい……」

「日和、お前はアイドルになりたかったんじゃないのか」


 けれども、お父さんは、いつも私の味方だった。

 

「確かに人は平等じゃない。父さんだってそれは知ってるし、嘘を教えるつもりもない。だけど、諦めるな。日和の好きな環奈ちゃんだって表向きは華麗に見えるだろう。でもそれは違う。人より何倍も努力してるんだ。だから、綺麗なんだよ」

「ほんと? 環奈ちゃんだって、努力してるの?」

「ああ、そうだ。だから、頑張るんだぞ」


 努力した。いっぱい頑張った。誰よりも汗をかいた。

 だけど――肝心のオーディションにはまったく受からなかった。


「日和、どうしたんだ? 最近は練習してないじゃ――」

「もういい、もうやめたの」

「どうした? 何があっ」

「……努力したら綺麗になるなんて、嘘っぱちだった。私は全然可愛くないし、歌もダンスもうまくならない……こんなことなら生まれて来なかったら良かった」

「日和……」

 

 お父さんは私を説得してくれようとしたけど、聞きたくなかったから私は部屋に籠った。

 そして、お父さんと会話したのは――これが最後。


 その夜、お父さんは仕事帰りに事故にあって、帰らぬ人となった。


 もしかしたら、私と喧嘩したことが原因なのかもしれない。

 私が――殺したのかもしれない。


 それから母は変わってしまった。

 厳しくも優しかったはずが、ただ私を監視するかのようになってしまった。


 私はどうしたらいいかわからなかった。

 

 父が応援してくれたアイドルを目指すのか、諦めるのか。


 そのとき、環奈ちゃんが活動休止したとの報道があった。

 理由はわからない。ネットでは色々な憶測が書いてあったが、真実は不明。


 だけど、記者会見の環奈ちゃんは――とても辛そうだった。


 凄く、凄く悲しかった。


「……お父さん」


 しかし私はもう少しだけ頑張ろうと思った。お父さんが応援してくれた夢を、努力を否定したくなかったからだ。


 通っている教室は、高校合格と同時に辞めなさいと母から言われている。

 最後の最後まで、私は諦めずに努力しながら、オーディションを受けていた。

 それでも、まったくダメだった。

 歌も、演技も、何もかもが劣っていると。


 さらに驚愕な理由を知ったのは、ある女の子の陰口だった。


「篠崎さんってとろいよねえ。今回も落ちてたの知ってる? どうせ、受かるわけないのにね」

「まあ、大体顔かコネだしね。私たちは両方あるからいいけど、ないのはきついよね」


「ねえ、今のってどういうこと……?」


 黙っていればいいものを、私はその子たちの前に出てしまった。

 嘘だと言ってほしかった。冗談だと言ってほしかった。

 しかし、彼女たちは笑いながら言う。


「あ……まあ、いっか。あんた、きもいんだよね。才能もない癖に真面目に努力しちゃってさ」

「言い過ぎじゃない? まあでも、その通りか。才能もコネもないやつは無駄。努力の空回りってやつ、だっさいよね」

 

 何も言い返せなかった。

 私には何もないからだ。


 長年通っていた教室を退所した。


 アイドルは恋愛をしない――そんなバカなことを律義に守っていた。

 好きな人が出来ても、心を押し殺していた。

 だけど、もういい。もういい。


 前から優しいなと思っていた佐藤君に告白した。

 突然過ぎたかもしれないけど、了承してもらえた。


 付き合うってどんなことするんだろう、少し不安だけど、楽しみ。


 ◇


「日和、なにこれ?」

「え?」


 前に受けていたオーディションの落選通知が家に届いていた。

 何で今さら……もう諦めたのに……。


「こんなくだらないこと、二度としないで。わかった? アイドルなんて、受かるわけがないのよ」

「はい……」

「急用で仕事が入ったから、もう行くわね」

「……わかった」


 今日は私の誕生日だったのに、母はすっかり忘れているみたいだった。

 ご飯に行こうと言われてたから、期待してたのに、勘違いだった。


 笑える。誰も私のことなんて、好きじゃないんだ。


 佐藤君に電話したけど、電話に出てくれなかった。忙しいのかもしれない。


 そのとき、電話がかかってきた。


「――佐藤君!? ……会いたい、会いたいよ」

「佐藤? 誰だそりゃ?」


 その声は、ダンス教室で先輩だった浦野健うらのけんくんだった。私のことを、いいなと言ってくれていた人だ。


「お前、今日誕生日だろ? 良かったら、一緒に祝いたいなと思って。なんか、用事あるか?」

「え……」


 佐藤君、ごめんなさい。私はもう駄目なの。

 一人でいたくない、一人でいられない。耐えられない。ごめんなさいごめんなさい。


「じゃあ……私のお家でもいいかな」


 私はもうアイドルにならない。清く正しく生きる必要なんてない。

 もういい。どうでもいい。思い切り悪者になってやる。

 いい子なんて誰の記憶にも残らない。

 私は――悪者だ。


 ◇


 驚くことがあった。

 天使環奈あまつかかんなちゃんが、私の学校へ転校してきた。

 ありえない。ありえない奇跡だ。

 もう、アイドルを諦めていたのに。

 もう、二度と夢は見ないと思っていたのに。


 だけど、周りは騒がしくわめきたてている。

 どう見ても環奈ちゃんは嫌がっているのに。

 なんでそれがわからない? なんでそっとしといてあげない?

 お前ら、何も環奈ちゃんのことを知らない癖に。


 私が――助けないと。


「ねえ、ケン君」

「なんだ?」

「環奈ちゃんと話したくて、良かったらここのグループに入れてあげない?」

「ふうん、いいぜ」


 しかし――環奈ちゃんは私の目なんて一切見てくれなかった。

 

 まるで私なんて存在していないかのようだった。


 やっぱり、私はいらない子なんだ。


 だけど、それでもいい。憧れの人を見ているだけで、幸せ。




 教室でも、彼女は引っ張りだこ。

 一人にさせてあげたらいいのに、可哀そう、可哀そう。


 困った顔をしている。そうだ、私が悪者になれば――環奈ちゃんを守れるかもしれない。

 私が、皆の注意を引けばいい。


「ふん、何あいつ。お高く止まっちゃって――」


 ◇


 佐藤君が、私のオーディションの落選のことを知っていた。

 何も知らないくせに、私がどれだけ悲しくて辛くて努力してたのか知らないくせに。


 誰にも……知られたくなかったのに……。諦めたのに……。


 それを聞いたケン君が怒って佐藤君を殴った。

 さすがにやりすぎだとおもったけど、もう私は戻れない。

 佐藤君、裏切者でごめんなさい。ごめんなさい。




 相変わらず環奈ちゃんの周りは騒がしい。


 どうしたら、どうしたら静かにさせてあげられるの?

 どうしたら、彼女のためになる?


「ねえ、お母さん。天使環奈あまつかかんなちゃんって覚えてる?」


 私はなんとかしてほしいとダメ元で母に頼んでみた。

 だけど、母は何とかすると言ってくれた。


 良かった。話してみて良かった。これで、環奈ちゃんは落ち着くはずだ。



「……お母さん、別室で一人ってどういうこと?」

「だから、あなたが言ったんでしょ? あの子を何とかしてほしいって」

「違う、そうじゃない。環奈ちゃんを一人にさせてなんて言ってない。周りをどうにしかしてほしいって頼んだの!」

「だったら一緒じゃない。あの子を一人にさせてあげたほうが、周りも楽でしょ?」


 ありえない。母に相談したのが間違いだった。

 まさか環奈ちゃんを別室に移そうとするなんて。


 どうか、どうかそうなりませんように。


 ごめんなさい。ごめんなさい。


 ◇


 体育祭。環奈ちゃんは佐藤君とペアになった。

 目立ちたくないって思ってるはずなのに、佐藤君はそれをわかってない。


 優勝なんかしたら、本当は絶対嫌なはずだ。

 

 なんでそれがわからない? なんでそんなことをする?


 絶対――私たちが勝つ。それが一番――彼女のためになる。


 ◇


 白雪姫の舞台の主役に、環奈ちゃんが選ばれてしまった。


 彼女は困っていた顔をしていた。

 頑張ってクジにしようとしたが、ダメだった。

 周りは――何もわかってない。


 どうしよう、私が守らないと。


 ◇


 舞台の稽古が始まった。


 凄い、凄い、凄い。凄い。

 環奈ちゃんの演技も、動きも、歌も、あの頃のまんまだ。


 絶対、彼女は努力してる。完璧だ。

 可愛くて、綺麗で、本当に凄い。


 私も、白雪姫を盛り上げたい。


 一緒の舞台に立てるなんて……夢みたいだ。


 ◇


 教室に入ったら、みんなが騒いでいた。

 友達に言われてSNSを見てみると、佐藤君と環奈ちゃんが映っていた。

 誰がこんなことを……どうして、どうして頑張ってる人をいじめるの?


 ありえない。なんでこんなことを……。


 わからない。どうしたらいいの。


 このままじゃ、環奈ちゃんが悪者になる。

 アイドルなのに、どうしてこんなことをしたのかと噂をされる。

 馬鹿にされる。舞台に立てなくなる。


 ダメだ、それはダメだ。


 私は――悪者だ。


 私が捲し立てれば、周りの矛先が私に向かうはず。

 誰がやったかなんて関係ない。


 私が悪者になれば、環奈ちゃんは可哀そうだと思われる。


 それで、守れる。


 誰に嫌われようが、構わない。

 

 どうせだったら、環奈ちゃんにも嫌われたほうがいい。

 私のせいだと思ってくれたほうがいい。

 それでいい。


「ねえ。これ……あなたでしょ?」


 ◇


 やりすぎてしまった。

 わからなかった。どうしたらいいのか、わからなかった。

 私のせいだ。全部、全部私のせいだ。


 みんな私の仕業だと思っている。


 それでいい。私が悪者でいい。


 だけど……環奈ちゃんのことを苦しめてしまった。


 私のことを恨むことで、彼女を奮い立たせようとしたのに。

 すべてが逆効果だった。


 環奈ちゃんが、学校に来られなくなった。私はやっぱり馬鹿だ。


 ……どうしたらいい。そうだ。彼女の白雪姫を守らなきゃ。

 私が――彼女の居場所を守ってあげないと……。


 明日から白雪姫の練習をしよう。

 私が代わりになる。

 彼女がいつ来てもいいように、私が代わりになる。


 そして戻ってきたら、私は交代する。


 もちろん、彼女にバレないようにする。


 悪者でいい。気を遣わせたくない。


 私はアイドルになれないし、いい子でもない。


 だけど、憧れの人を――少しでも守りたい。


 だから、私は悪者でいい。


 ◇


「篠崎さん、あなたは舞台を守ろうとしてくれたんだね」


 なぜか――涙が零れた。

 どうして、どうして……私は悪者だったはずなのに。

 なんでそんなに優しくしてくれるの。私は……最低な人間なのに。


「どうして……私じゃないって……わかったの」


 違う。違う。こんなこと聞くんじゃない。

 私は悪者だ。


「思い出したからだよ」


 え? もしかして……。


「あなたと話したこと。篠崎さん、あなたは――」


 ◆


『あ、あ、あ、ああの……私、すっごいファンで』

『ありがとう、応援してくれてるんだね。嬉しいよ』

『私も……環奈ちゃんみたいなアイドルを目指してるんです。私でも……なれるかな?』

『もちろんよ。いつか一緒に歌って、踊って、同じ舞台に立とうね』


 ◆


「――私に夢を話してくれたよね。そんなあなたが、舞台を台無しにするわけがないって、わかってる」

「そんな……」


 ああ、もうだめだ。取り繕えない。私は――本当は――。


「ごめんなさい……全部、全部私のせいです。本当にごめんなさい……」


 涙が、止まらなくなった。

 



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