出会いと別れ。

第28話 夏休み中の心は複雑。

 文化祭が終わって数週間後、今は夏休みに突入していた。

 うだるような暑さの中、俺は早朝にもかかわらず走っている。


「はあはあ……」


 少し休憩しつつ、ダッシュを繰り返す。


 SNSの動画の出来事以来、環奈はすっかり普通の高校生になっていた。

 とはいえ、人だかりが減ったわけでも、ネットの噂が完全になくなったわけではない。

 ただ、自信がついたのだろう。誰と話していても堂々としているのだ。


 しかし俺は逆に自信を失っていた。


 環奈はアイドルだったということを痛感させられたのだ。


 その理由の一つとして、環奈がSNSのアカウントを開設したことにある。

 今回の出来事を鑑みて、自らファンに向けて色々な事を発信したいとのことだった。


 迷惑をかけたことへの謝罪と、活動休止中でも楽しく生活しているという様子を伝えたいとのことだ。


「しかし、凄いよなあ……」


 驚くべきなのはここからだった。

 天使環奈あまつかかんながSNSを開設したということは、瞬く間に噂になった。

 たったの数日で百万フォロワーを超え、どんな投稿にも数万を超えるイイネが付く。


 それを見て、俺はとんでもない人といるんだなと余計に意識しまっていた。


 あの動画の投稿をしてから、俺は環奈のことが気になっている。

 だからこそ、恥ずかしくないような男になりたくて今も行動しているのだ。


 慢性運動不足だったが、今ではそれなりに走れるようになっている。

 筋トレも欠かしていない。何かあったときに頼れるような男になりたいと思っていた。


 もちろん環奈とも一緒に運動していたりするが、こっそり練習するのも、男の嗜みというものだ。


 さて、もう少し走るか。


 ◇


「佐藤君、さらに男らしくなってきたね? 体ががっちりしてる」

「そうか?」


 と、とぼけた感じで返しているが、心の中でガッツポーズ。

 最近は、夜になると近くのスーパーで、環奈と買い物に出かけることが多くなった。

 もちろん、変装は欠かせない。


 俺から普通を教えることはもはやないに等しいのだが、環奈はそれでもまだわからないことがある、と契約は続いている。


「えーと、お塩が切れそうだったんだよね。ごま油も買っておこうかな」

「なんだか悪いな。俺の家なのに、俺よりも把握してもらって……」


 ふふふ、と悪戯っぽく笑う環奈。本当に俺は頭が上がらない。


「一人で食べるのは寂しいからね。それに楽しいから」

「……それなら嬉しいが」


 以前と違って環奈はよく笑う。

 いや、これこそが本来の彼女なのだろう。

 

 その時、お肉のタイムセールのアナウンスが流れた。


「あ、佐藤君! 急がないと!」

「ああ、急ごうっ!」


 こういうところも抜け目ない。攻守ともに万全だ。



 レジに並んでいると、普段は買わない紙パックの牛乳が入っていた。


「ん、めずらしいな」

「あ……えっと。最近、好きなんだよね」

「牛乳か、そういえばめっきり飲まなくなったな」


 小学生のときは、最後の一本をジャンケンするほど好きだったのだが、今はまったく飲まなくなっていた。

 高校生とはいえ、まだ成長期なはずだ。身長を伸ばすためにも……俺も飲もうかな。


 ◇


 自宅へ戻ると、環奈は手慣れた手つきで冷蔵庫に物を並べていく。

 いま必要なものと、必要じゃないものも、綺麗に整理整頓。


 もはや俺の冷蔵庫ではなくなっている。



「はい、召し上がれー!」

「食欲が……そそられるな」


 今日は夏らしく冷麺だった。

 綺麗に切りそろえられたトマトと、細切りのきゅうり。

 同じくハムと卵も並べられ、そこに半熟卵を投入。


 あっさりしつつも、食べ応えのある一品だ。


 ――では。


「「いただきます!」」


 つるつるとしたのど越し、もちもちとした触感――たまらんっ!



 ご飯を食べ終える前に、環奈はSNSに冷麺を投稿していた。


 俺の動画を見た環奈のファンたちは、ほとんど批判せずに現状を受け入れてくれたらしい。

 もちろんそれは彼女がファンを大切にしていたからだろう。


 ◇


「おおおおおー」


 ご飯を食べ終えて休憩中、環奈はスマホから目を離さず、子供のように声をあげていた。

 なんだろうと思っていたら、環奈が突然顔をあげる。


 そして俺を見つめる、それでいて少し恥ずかしそうにもじもじと。か、かわいい。


「どうした?」

「ええと、これ……知ってる?」


 環奈が見せてくれたスマホを見てみると、夏祭りのお知らせと書いてあった。

 住所を見てみると、そう遠くない。大きなお祭りではなく、小さめの地元の祭りだ。

 そういえば、何度か見たことがある。


「ああ、確か去年もやってたな」


 祭りには随分と行っていない。人混みが嫌いというわけではないが、なんとなく疎遠になっていた。

 俺の返答に環奈は答えることなく、子犬のような顔をしていた。


 散歩に行こうと声を掛ければ、尻尾をぶんぶんと振るような感じだ。さながら俺は飼い主か。

 そういうのに気付くようになったのも、彼女と長い時間を共にしているからかもしれない。


 ふと笑みを零しつつ、とはいえ恥ずかしさもあるので、何でもないような感じで答える。


「良かったら……一緒に行くか?」

「はいっ!」


 待ってましたと言わんばかりの彼女の返事に、気合で耐えていた頬が緩む。

 以前抱いた彼女への小さな好意の灯は、できるだけ大きくしないようにしていた。


 彼女は有名なアイドルで、俺は普通の男子高校生。

 天秤にかける必要がないほどの圧倒的な差。


 確かに俺に好意を向けてくれてはいるが、それは恋愛感情から来るものではないことはわかっている。

 自分を過度に卑下するのは良くないが、これは至極真っ当な考えだろう。


 この関係性が壊れてしまうのが、不安なだけなのかもしれないが。


 環奈を普通に見ないといけない反面、やはりどこかでブレーキがかかっていた。



「楽しみだなーワクワク。ワクワク」

「ワクワクって言葉にするものじゃないぞ」

「ドキドキ、ドキドキ」

「それもだ」


 この関係がいつまで続くのかわからない。だからこそ、今を大切にしよう。


「確か……小さいけど花火もあったような」

「え、花火!? ドーンってやつだよね?」

「ドーンだな。って、知らないのか? そんなことあるか?」

「小さい頃は見たことあるんだけど……後は動画とかで……」


 ふむ、確かに忙しかったのならそんなもんか。

 その後、環奈はスマホで夏祭りを検索しながら、機嫌よく鼻歌を奏ではじめる。

 見てみてー! と、言われ、誰かが投稿している縁日の写真を見ていると、ピコンと通知が鳴った。


『後どのくらいで戻ってくる?』


 その瞬間、環奈がサッとスマホを隠す。

 まるで浮気相手からのメッセージのように慌てながら「ああっ!」と声をあげた。


「な、ななななな!? 何でもないよ!?」

「ん? なんのことだ?」

「へ? あ、ああ、な、何でもない。何でもないよー!」


 何でもないことないなと思いつつ、詮索はしない。

 環奈にも言いたくないことの一つや二つ、三つや四つ、五つや六つはあるだろう。


 うん、あるだろう。


 めっちゃ気になる~~~~~ッッッッ!?!?!?!?



「じゃあ、今日はそろそろ帰るね! お祭り、楽しみにしてるから」

「俺もだ。おやすみ」


 いつも通り玄関まで送ると、環奈は家に戻った。


 『後どのくらいで戻ってくる?』


 一体、なんだったんだろうか……。


 ◇


「ん……」


 目を覚ますと、朝ではなく夜中だった。

 めずらしく寝つきが悪い。寝る前にもやもやしていたこともあって、それのせいかもしれない。


 冷蔵庫を開けて烏龍茶を飲もうとしたが、無性に牛乳が飲みたくなった。

 再び閉じると、コンビニへ行くために外に出た。


 夏の夜中は好きだ。ほどよく涼しくて、空気もなんだかおいしい。

 環奈と会う前は、もっぱらコンビニの住民だったので、なんだか懐かしく思える。


 すっかり健康的な食事にも慣れてきたと思いつつ、背徳感を覚えながら自動ドアをくぐった。


「牛乳と……朝ご飯も買っておくか」


 適当なものを見繕いレジへ行くと、黒ずくめのフードを被った人がいた。

 線は細い感じだが、スタイルが抜群にいい。


 去り際に横顔がチラリと見えたが、とても美形だった。

 まるで俳優のような、かなりモテるだろう。


「ねえ、見た? 今の人、めちゃくちゃイケメン……」

「ああまじでやばかった……って、すいません。次どうぞ!」


 レジをしていた店員さんの二人も、同じ気持ちのようだった。




 買い物を終えてマンションへ戻ると、先ほどの黒フードの人がいた。

 しかし、入口のオートロックで四苦八苦していた。それから番号を思い出したかのように打ち込んで、ホッと胸を撫で下ろして中へ入る。

 俺も続くように入った。


 こんばんは、と声を掛けるにはあまりにも遅い時間だ。

 軽い会釈をしてみたが、返ってはこなかった。


 とはいえ、こんな時間に外へ出ているのだ。人が苦手な可能性は高い。

 あまり気にしないでおこうとおもったが、エレベーターが一緒になる。


「何階ですか?」


 さすがに無言を貫くのは申し訳なく、そっと尋ねる。

 ボソリと階数を答えてくれたのだが、まさかの俺と同じだった。


 こんな人、住んでだっけ?


 どうぞ、と先に出てもらう。

 どこで止まるんだろうと不思議に思っていたら、俺の一つ横の扉で止まる。


 そして、鍵を差し込んだ。


 俺は思わず固まってしまい、その場から動けなかった。

 瞬間、脳裏にあのメッセージが過る。


『後、どのくらいで戻って来る?』


 黒いフードが入っていったのは、なんと環奈の家だったのだ。

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