第4話 天使環奈の悪口は俺が許さねえ
「俺、動物園が好きだったんだけど、もしかしてこんな気持ちなのかな。あまりいい気分じゃない」
休み時間。高森がため息を吐いた。廊下には人だかりが山ほどできている。
けれども、彼らの視界に俺たちは入っていない。
目的はただ一つ、
「確かにな。彼女が可哀想だ」
「普通契約」については、高森に伝えていない。
やましいことをしているわけではないが、今はまだ誰にも話さないほうがいいと思ったからだ。
教室にいるクラスメイトは環奈に対して質問を繰り返している。
彼女もさすがに無視をすることはないが、作り笑顔で短い返答を繰り返している。
「ったく、相手が嫌がってるのがわかんねえのか。そっとしてあげたらいいのに」
「ああ、同感だ。さすがに他クラスの移動くらいは制限してくれと、担任に頼んでおいた。ちゃんとやってくれるといいが……」
高森は昔から人の感情に鋭く、気遣いに優れてる。
辟易している彼女の顔にもいち早く気づいていた。
クラスメイトに注意しようとしたが、言い方を間違えれば環奈に迷惑がかかるかもしれない。
だからこそ、担任を介して平和的に解決したい。
普通の質問をするのならまだいいが、芸能界の裏話や収入を聞くようなヤツもいる。
しかし、それ以上に目に余るのは俺の元カノ――
「ふん、何あいつ。お高く止まっちゃって。偉っそーにふんぞり返ってさ。活動休止って何? 下界に飽きたらまた戻ろうみたいな?」
明らかに不満そうに、仲の良い女友達に愚痴をこぼしていた。
おそらくだが、学食で
まあ俺は別の理由も知っているが。
「日和、あーゆー目立ちたがりって嫌い。芸能人になりたいって、かなり自分のこと好きじゃないと思わないよね」
「えー、あんなカオして、やることやってるんだねー」
環奈には聞こえてないだろうが、さすがに我慢ができなくなった。
「…………」
「おい、どうしたんだ? 太郎?」
立ち上がって、日和のところまで歩く。
「……なに?」
まるで蔑むような目だ。日和は表向きは猫を被っていたはずだが、我慢できないほど環奈のことが気に食わないのだろう。
――何にも知らないくせに好き勝手いいやがって。
「自分が芸能オーディションに落ちてるからって、他人を僻むのは一番みっともないぜ」
「……な!? あんた一体何を――」
なぜ知っているのか、日和はそんな顔をして声を荒らげた。
何か言い返してくる前に、授業のベルが鳴り、先生が教室に入ってくる。
「おーい、席につけよー。ほら、他クラスの連中も帰った帰った」
日和は明らかに敵意剥き出しで俺を睨んでいた。
実はあの日、家の玄関でオーディション落選の紙を見つけたのだ。
プライドの高い日和はそのことを誰にも言わなかっただろう。学食で環奈に嬉しそうに声をかけていたのは、芸能界について色々と聞きたかったからだ。
俺も普段はそこまで気が強いほうじゃないが、さすがに言わずにいられなかった。
◇
「この陰キャ野郎が!」
二度目の頬骨の痛み。青空を見上げながら、俺は公園の砂場に倒れ込んだ。
「調子乗りやがって、いつまでも彼氏気取りで近づくんじゃねえぞ。ストーカー野郎」
放課後、俺は帰り道で、浦野健の仲間に公園に連れて行かれた。
またもや顔面を殴られ、今度は鼻から血が流れている。
「いってぇ……」
最悪だ。だが、かなりスカッとしていた。
日和のヤツもよっぽどムカついて浦野健に言ったのだろう。
それでも、俺は環奈を守るつもりだ。
「佐藤君! 大丈夫!?」
公園から出た瞬間、環奈が走ってきた。
肩で息をしているところをみると、かなり急いでいたらしい。
「あ、ああ。どうしたんだ?」
「さっき教室で佐藤君を捕まえるって話してる人がいて……まさかこんなことされてるなんて……」
環奈は急いでカバンからハンカチを取り出す。
「いいよ。汚れるから」
「そんなの気にしないで」
血でハンカチ汚れることも厭わず、ゴシゴシと俺の鼻を拭ってくれる。
「佐藤君、ありがとう」
「え?」
「私の代わりに、怒ってくれてたよね。――嬉しかった」
「聞こえてたのか……」
「うん。でも、仕返しにここまでするなんて……やりすぎだよ。後で、先生に言ってくる」
「いや、それはやめといたほうがいい。日和の親はPTAの会長だからな、面倒なことになるかもしれない」
「でも、私のために……」
「俺がムカついただけだ。気しないでくれ」
むしろ、火に油を注いだのかもしれない。環奈に当たりが余計キツくならないといいが。
そのまま帰宅し、マンションに到着。
エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。
「環奈は? 何階だ?」
「あ、同じ六階だよ」
「え? そうなのか」
そんな偶然もあるのかと驚きつつ、六階に降りる。環奈も後ろから着いてくる。
自分の部屋の扉で止まると、なぜか彼女もまだ後ろに立っていた。
「どうした?」
「あ、言い忘れてたんだけど、私の部屋、ここなんだよね」
指をさしたのは、まさかの俺の隣の部屋だった。唖然としていると、彼女が続ける。
「傷は大丈夫?」
「ああ、おかげさまで血は止まったよ。さすがにあいつ《浦野健》も手加減してるみたいだ」
「良かった……。じゃあ、後で夜ご飯持っていくね」
そして、環奈は扉を閉めた。
よく考えれば、アイドルと毎日夜ご飯を食べるなんて、凄い契約を結んだな。
◇
数時間後、呼び鈴が鳴る。
お風呂に入って着替えている途中だったが、あらかじめ鍵は開けておいたので、大声で入ってくれと頼む。
「お邪魔しま――!?」
「ああ、すまん。ちょっと待ってくれ」
「え、ええええ!? 着替えてる途中だったの!?」
「ああ、風呂に入ってた」
「あ、あ、お、お風呂!?」
声を荒げながら頬を赤らめる環奈。裸というわけでも、下着姿というわけでもない。ただ、上半身のシャツを着替えていただけだが、ここまで恥ずかしくなられると俺も予想外だった。
その反応があまりにも可愛くて、少しドキッとする。
着替え終わってリビングに行くと、料理を並べている環奈がいた。それを見ていると、少し申し訳なくなる。
昨日は了承したが、環奈を普通の高校生にするためのビジョンはまったく見えていない。それどころか、今日もあの騒ぎだ。
一方的な施しを受けているみたいで、気が引ける。
「今日も豪勢だな。そういえば、食材費のことをすっかり忘れてた。結構するだろ?」
「そんなことないよ。スーパーが結構安いし」
「いや、今度からは折半させてくれ。さすがに申し訳ない」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
環奈は嬉しそうに笑う。
今日はオムライスだ。久しぶりということもあるが、美味しそうな匂いで胃も心が躍る。
「いただきます!」
「はい、召し上がれ」
スプーンを差し込むと、とろとろの卵とケチャップライスがほどよく絡み合う。
一口食べると、今まで味わったことがないほど美味しい。
やっぱり、環奈の料理はプロ並だ。
◇
「――明日時間あるか?」
一緒に洗い物をしながら、環奈に話かけた。
普通の高校生について、色々考えていたのだ。そして、一つの答えが出た。
当分、学校でゆっくり過ごすことはできないだろう。
となると、普通を楽しむためには、学校が休みのときしかない。
「予定は何もないよ。どうして?」
「普通の高校生の第一歩、友達と遊ぶ、だ。ショッピングモールとかどうかなと思ってな。そういうのも、普通だろ?」
「誰と?」
「今のところは俺だけだ」
高森ともう一人の親友に声を掛けようと考えたが、環奈と初めて会ったときのことを思い出した。
負担をかけてしまったら元も子もない。大勢で遊ぶのは慣れてからでいいだろう。
「ちなみにモールってどこにあるの?」
環奈は、少し不安げに訊ねる。
「電車で一駅か二駅だ。そんな遠くない」
「一駅か二駅……わかった」
その言い方が、少し気になった。明らかに表情を曇らせている。
「どうした?」
「実は――」
そして、彼女は秘密を打ち明けた――。
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