第3話 美少女アイドルと普通契約を結びました。
これは一体どういうことだ。俺の脳が解析不可能と表示している。
あの天使環奈が――俺の家を訪ねてきた。
それも言葉通りであれば、手に持っているのは手料理らしい。
「迷惑だったかな?」
「いや、ただびっくりして……」
「コンビニのお弁当が栄養ないわけじゃないけど、消化に悪いものばっかりだからと思って。この前のお礼も兼ねてるよ」
「わかった……部屋があんまり綺麗じゃないけど、大丈夫か?」
「もちろん」
不思議だった。たしかに助けたのは事実だが、そこまでしてくれるのか、と。
嬉しくないわけじゃない。驚きが勝っていた。
彼女を部屋に招き入れる。
ここ数日は体調が悪かったこともあり、無造作に服が散らかっていた。
よく考えれば、適当に拾い上げて洗濯機に押し込むぐらいはすべきだったか……。
「気にしないで、後で片付けるよ」
片付けましょう、ではなく、片付けるよ。という言葉が、冗談なのか本気なのかわからない。ひとまず、苦笑いで答えた。
部屋の中心に大きめのテーブルと椅子が置いてある。彼女はそこに持ってきた料理を丁寧に並べていく。
「白米と卵だけのお粥にしようと思ったけど、やっぱり栄養が気になったから、野菜を細かくちぎって入れておいた。他にも一品ものを作ってきたけど、朝に食べられるようにとおもっただけで、今は全部食べなくても大丈夫」
ものすごく美味しそうな料理ばかりだった。本当に俺と食べるために作ってきてくれたらしい。
短時間で、良くこれだけの品数を作れるな……。
「なんだか、申し訳ないな」
「そんなことないよ。助けてくれたお礼だしね」
「いや……俺の話も聞いてくれただろ。あの時、随分と楽になったよ」
「私はもっと嬉しかったから」
彼女の瞳は、真剣そのものだった。となれば、断る理由もない。
なんだか自分が誇らしく思えた。
「じゃあ、遠慮なくいただくとしよう」
「はい、召し上がれ」
彼女は再び、天使のように微笑む。
思えば誰かと家でご飯を食べるのは久しぶりだ。前は高森がよく遊びに来ていたが、部活が忙しいらしくて来ていない。
浮足立つ心を抑えつつ、ゆっくりお粥を一口。
「うまっ」
そして、すぐに彼女の料理に対する情熱を実感した。
優しい味が口いっぱいに広がる。卵のほんのりとした甘さと、細かく噛み砕かれた野菜もしっかりと感じられる。それでいて少し塩味も効いているので、スルスルと胃に入る。
夜はコンビニ弁当が主な食生活の俺にとってはもったいないくらいの味だ。
「月並みな発言で申し訳ないが、美味しすぎてほっぺたが落ちそうだ」
「ありがとう。料理は昔から好きなんだよね。家にいることが多かったから」
今日の帰り道、なんだか悪いなと思いつつ、スマホで彼女のことを検索していた。
知らなかったわけじゃないが、改めて気になったのだ。
天使環奈(あまつかかんな)。年齢は俺と同じ十七歳。
小学生の頃に道を歩いていたところ、スカウトの目に留まり芸能界デビューを果たす。
といっても、彼女はその類まれな風貌で人気が出たわけではなく、舞台やドラマでの演技力が話題となった。
演じていた役をきっかけにシングル曲を発表、それが日本中で大ヒット。
瞬く間に、彼女はアイドルとしても認知されるようになる。
そんな人気絶頂の中、突然の活動休止。
さまざまな理由が憶測されたが、正式に発表されることはなかった。
それが、二年前――。
初めて会った時、彼女は苦しんでいた。それがまったくの無関係だとは思えない。
食べ終わったあと、彼女が立ち上がる。
片付けをしようと皿を集めはじめ、俺はあわてて動き出す。
けれども、佐藤君はゆっくりしておいてと一言で制止された。
ありがたいが、少し気が引けてしまう。
「残りはタッパに入れておくね。体調はどう?」
「美味しいご飯を食べたおかげで、だいぶ良くなったよ。熱もないし、明日には元気になりそうだ」
「無理しないでね」
気づけば服も綺麗に畳まれていた。俺はただゆっくりしているだけだ。申し訳ないなと思いつつ、今の状況をもし彼女のファンが知れば、袋叩き案件だなと身震いした。
とくに学校内の出来事を想像すると……とても言えないな。
「随分と手馴れてるな。家のことはよくしてるのか?」
「というか、私も一人暮らしだからね」
「そうなのか? てっきり家族でここに住んでるのかと」
「違うよ。一人暮らしは前からしてるから、結構長いかも。このマンションに引っ越してきたのは学校が近いから。それと、セキュリティもしっかりしてるしね」
入口のオートロックの扉は二重、建物内は外から見えないようになっている。
管理人も遅くまで常駐しているので、今まで困ったこともない。
芸能人も住んでいると聞いたこともあるが、俺は会ったことはない。
彼女も活動休止中とはいえ、学校内での人だかりを考えると、このくらいのセキュリティは最低限必須だろう。
「佐藤君はどうして一人暮らしなの? 私がいうのもなんだけど、高校生だとめずらしいよね」
「ああ、大した理由じゃないよ。俺の場合、ここが実家なんだ。高校に受かったタイミングで、親の転勤が決まってさ。そこから通うのは難しそうだったんで、ここに残らせてもらった。だから、両親と仲が悪いわけじゃない。天使は?」
「私はあんまり会ってないんだよね。仕事をはじめたときは実家から通ってたんだけど、続けてくうちに色々と大変で」
「だったら、今こそ一緒に住んだほうがいいんじゃないのか?」
「それだけじゃない。実は……あんまり仲良くないんだよね」
「そうか、ごめんな」
「ううん、まあでも、今どきはめずらしくもないよね」
これ以上、家族のことは聞けなかった。
言いたくないことまで言わせそうだったのと、一段と悲しげだったからだ。
それから話を続けていくうちに、色々なことがわかった。
活動休止したあと、天使は芸能コースの学校から転校すると決めたらしい。
そしてその理由は、彼女の中でとてつもなく大きかった。
「――普通になりたい?」
「そう。ありがたいことだけど、もう十分すぎるほど忙しくて楽しい世界を見させてもらった。同時に……嫌な事もたくさんあった。だから、今は普通に過ごしたい。学校に通って、普通に遊んで、普通の高校生になりたい。でも、難しいんだなってこの数日でわかった。虫のいい考えだったのかも……」
『普通』――その言葉の裏には、とても深い意味が込められている気がした。
短い期間だが、俺は天使の色々な面を知っている。
学校であれだけ騒がれて無表情だったのは、本当は苦しかったのだろう。
普通に過ごしたい。けれども、周囲がそれを許さない。
俺はこの問いに答えられるような言葉を持ち合わせていない。
これからも、彼女は騒がれ続け、周囲に人だかりができるだろう。
俺が返答に困っているのに気づき、彼女は表情を曇らせた。
「ごめんなさい。ただの嫌味にしか聞こえないよね……。今日はもう遅いし、帰るよ。久しぶりに誰かと食べるご飯、美味しかった」
そう言い残すと、彼女は立ち上がり、一生懸命に作った笑顔で、玄関へ向かった。
扉に手をかけた音が聞こえたとき、俺は気づけば追いかけていた。
「待ってくれ。……日本で一番多い名字、知ってるか?」
「え? いったい何の話?」
「よくある名前だ。考えてみてくれ」
「……もしかして……佐藤?」
「ああ、正解だ。それと、誰もが一度は聞いたことがある「太郎」と合わせて、俺の名前は佐藤太郎」
彼女は訳もわからず、キョトンとしている。
「俺は昔から自分の名前が嫌いだった。平凡で、普通で。嫌な思いをしたことだってある。だからこそ、いつもと変わらない普通の良さを知ってる。――少なくとも、俺は君のことを普通の女の子として接するよ。料理が上手で、ちょっとだけ可愛い同級生として」
そして、天使の表情が段々と明るくなった。
彼女の悩みは、他人が聞けばひどく贅沢なのかもしれない。有名人になって成功したいと思っている人は山ほどいるだろう。
それを本人もわかっているからこそ、誰にも言えず悩んでいたのかもしれない。
しかし、彼女は再び何かを考え込む。
「――佐藤君、私の料理美味しかった?」
「? 美味しかったよ。毎日でも食べたいくらいだ」
突然の返しに、訳が分からなかった。素直に答えたが、天使は謎の含み笑いを浮かべた。
「じゃあ、毎日作ってあげるって言ったら、どう?」
「……どういう意味だ?」
「答えて」
真剣な瞳に、少し恥ずかしくなる。
「そりゃ嬉しいけど……」
「だったら……私に普通を教えてほしい。友達と遊んだり、ご飯を食べたり、普通の高校生になりたい。こんなこと佐藤君だけにしか、頼めないから、どうかな?」
「つまり……俺はその代わりに毎日美味しいご飯が食べられるようになるってことか?」
「その通り。どう? 悪くないでしょ?」
天使の笑顔は、今までで一番自然だった。
俺も同じように笑みを浮かべる。
「乗った。悪くない契約だ」
「じゃあ、交渉成立だね」
「あ、けど、ピーマンを入れるのはできるだけ……やめてくれ。幼い頃に無理やり食べさせられてから、トラウマなんだ」
「んー、それはどうかな?」
こうして俺、佐藤太郎と、天使環奈の間に「普通契約」が結ばれたのである。
「あ、それと私も一つだけいいかな?」
「天使って名前あんまり好きじゃなくて、環奈って呼んでもらえたら嬉しいかも」
「わ、わかった」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます