第5話 環奈と俺の小さな一歩は初デート!?

「寝てない……よな?」


 翌朝、マンションのロビーで待ち合わせをしていた。

 壁に掛かっている時計に目を向けると、予定していた時間を少し過ぎている。

 呼びに行こうか悩んでいると、エレベーターが降りてきた。

 慌てた様子で飛び出てきたのは、環奈だ。


「ごめんなさい、遅くなって! お洋服を悩んでいたらいつのまにかこんな時間に……」


 金色の長い髪を隠すための麦わら帽子。

 少し短めの黒のキュロットのスカート。

 清潔感のある青っぽい襟付きシャツをボタンで留めている。。

 見たことがないほどの真っ白いふとももが露出していて、少しドキッとする。


「ああ、俺も今来たところだ」


 やはり、というか――とんでもなく綺麗だ。

 天使環奈とバレないように帽子をかぶったほうがいいと話し合ったが、オーラを隠しきれていない。


 対して俺は、少し野暮ったいジーンズに、無地の白いTシャツ、上にはグレーのシャツを羽織っている。

 なんだか少し申し訳なくなった。

 視線で服を見比べていると環奈が気づく。


「えっと、もしかして服……変かな?」


 キョトンとした上目遣いで、俺の顔を見る。


「いや、おしゃれだなと思ってた」

「あ、ありがとう。佐藤君もおしゃれだよ!」

「あ、ありがとう」


 まったく同じような返し、少しだけ照れくさそうに同時に笑った。


 しかし、これからは気を引き締めなければならない。

 俺は予め確認していた時刻を復唱する。

 

「電車は乗り継ぎなしで二駅。快速だから、時間にして約十五分くらいだ。最悪、目を瞑っていれば着くが、イヤホンを持ってきたから、音楽を聴きたいときは言ってくれ」

「……わかった。ありがとう」


 そして俺たちは駅に向かって、歩きはじめた。


 

 昨晩、彼女は秘密を告白した。


 ◆


「実は電車に乗るのが怖くて……」

「怖い?」

「仕事を休止する前、電車に乗るのが苦痛で、呼吸が苦しくて……あの時もそうだったの」


 あの時とは、初めて会ったときの話だろう。

 タクシーで移動することも出来たが、普通の高校生になるためにも挑戦することにした。


 環奈は今日、勇気を振り絞らないといけない。


 ◆


 駅に到着し、できるだけ間を空けずに切符を購入する。

 彼女の震える身体に気づき、元気づけるために少しだけ肩を叩く。


「大丈夫か?」


 環奈は無言で頷く。改札からホームまでまっすぐゆっくり歩く。

 地下鉄ではないので、ホームの視界は良好で青空が広がっていた。

 そのおかげで、彼女が少し落ち着きはじめる。


 周囲に人は大勢いるが、環奈のことはバレていないようだ。

 日本中で騒がれていたのが二年前。気づいたとしても、まさか当人だとは思わないだろう。


 俺の計算通り、数十秒後に電車が到着した。


「引き返すのならまだ間に合うが、どうす――」

「ピースオブケイク……」


 環奈はまっすぐ電車を見ていた。俺は大丈夫だと確信し、背中を押し電車に乗り込んだ。


 日曜日だからか、電車内はそれなりに混雑している。

 だが、どうやら問題ないらしく、環奈は微笑ましい顔で外を眺めている。


「音楽聴くか?」

「大丈夫。外の景色がいつもより速くて楽しい」


 気づけばすぐに駅に到着、人混みに紛れながら、俺たちは何の問題もなく外に出る。


「――勝ったな?」


 少し冗談交じりに環奈に顔を向けた。


「……やった。乗れた、乗れたよ、佐藤君!」


 環奈は満面の笑みを浮かべながら、ぴょんぴょん飛び跳ねる。

 今まで見たことがないほど嬉しそうで、俺も頬が緩む。

 だが――。


「おう、良かったな。俺も嬉しいよ。……ただ、落ち着いて……!?」

「……え? あっ……」


 周りの注目が集まっている。

 俺の言葉で気づいた環奈が、真っ白い頬を赤色に染めていく。


「え、あ、う。ど、どどどどうしよう!?」

「ここから離れよう!」


 彼女の手を掴み、急いでその場から離れ、隠れた場所で呼吸を整える。

 それから環奈と顔を見合わせた瞬間、二人とも笑い声が飛び出た。


「ははははは、環奈、騒ぎすぎだ」

「えへへ……でも、ごめんなさい! 嬉しくて嬉しくて……本当にありがとう!」

「ああ、ほんとに良かった。これで普通の高校生の第一歩、友達と電車に乗って遠出する! をクリアだ」

「でも……先は長いよね」

「いや、小さな一歩だが、俺たちにとっては偉大な一歩だ」

「そうだね、大きな一歩だよね。――どこかで聞いたことがあるような?」


 アームストロング船長さんに心の中で敬礼しつつ、予定していた場所モールに向かう。

 そして、気になっていたことを訊ねた。


「そういえば、電車に乗るとき呟いてたのってなんだ? ピースなんとか」

「ピースオブケイク?」

「それだ。どういう意味だ?」

「めっちゃ簡単!」

「へ?」

「直訳で一切れのケーキ。けど、「とても簡単」って意味がある。前の仕事でマネージャーさんに教えてもらった。――もしかして口に出てた?」

「ああ。でも、いいことを聞いた。ちょっと不安だったテストの前に呟いてみるか」

「佐藤君、それは今からでも勉強したほうがいいかも……」

「たしかに……」


 環奈の適切な突っ込みに苦笑しながら、いつのまにか辿り着いた。

 

「環奈、到着だ。普通の高校生御用達――ショッピングモール!」

「こ、これが……!」


 一つ試練を乗り越えたことからだろうか、いつも以上にノリノリになっている環奈とともに入口をくぐる。

 ここは都内でも大きいモールだ。飲食店はもちろん、服屋、本屋、ゲームセンターに映画館まである。


 今日は特に行く場所は決めていない。そもそも、環奈はこういう場所に来たことがほとんどないらしい。

 確かにアイドル時代に来ていたら、とんでもないことになるだろう。

 それもあってか、いつもより目が――輝いている。


「佐藤君、行きましょう! 早くしないと売り切れてしまいます!」

「売り切……れ? いや、何を買いたいのか知らないが、たぶん大丈夫だと思うぞ……」

「何もないです! でも、こんなに大勢の人がいるんですよ! きっと凄い商品をみんな狙ってるはずです!」

「いや、そんなことは……まあ一概には言えないが……」

「では佐藤君、行きますよ!」

「お、おう」

 

 あまりに元気すぎて、また注目を集めないか不安になるが、楽しそうなので良しとしよう。

 入口の近くにすぐペットショップがあったので、吸い寄せられるように俺たちは入っていく。

 これも、ショッピングモールあるあるだ。


「かわいい……」


 人間をまどわす妖艶な雰囲気を身に纏った子猫に、即ノックアウトされる環奈。

 いや、俺もだが。

 なぜこうも猫は可愛いのだろうか、いや、隣の彼女もそれに負けじと可愛い


「ああ、可愛いな……」


 俺が環奈を見ながら言ったことは内緒だ。


 いつのまにか数十分以上も眺めていた。俺が何を見ていたかは神のみぞ知る。

 それから店内をチラチラと見てから次に移動。

 環奈のテンションは、いや、エンジンはすでに最高潮だ。


「佐藤君、あれも見に行こうー! あ、でもここも見たい……。イベントもしてるみたい! あ、ぬいぐるみだー!」

「よし、全部見よう。だが、落ち着くんだ」


 通りすがりに環奈に視線を向ける男性は多く、もしかしてバレているのかと不安になる。

 まあ、ただ可愛いからという理由な気がするが。


「わ、冷たくて美味しそう……」

「確かに、食べるか」


 途中でアイスクリーム屋さんがあったので、それぞれ好きな物を注文。

 苺アイスを頬張る環奈を見ていると、俺はようやく安心した。

 こうやって一歩ずつ歩んでいけば、彼女の願い《普通》はきっと叶うだろう。


 それから本屋を巡ったり、服屋を見たりした。

 試着をしていると、環奈のスタイルの良さに驚く。

 腰は細いし、腕も細いけど……出るところは出ている。


「佐藤君っぽくて似合う! 優しい感じがする」

「おう、ありがとう。環奈も清楚っぽくていいな」


 そして、いつのまにか夕方になっていた。

 暗くなる前には帰ろうと話していたので、二人で名残惜しくなりつつも外に出る。


「人生で一番楽しかった……」

「大袈裟だな。でも、俺も久しぶりにこんなに遊んだよ」


 そういえば、あいつ(日和)とこうやって遊んだ記憶がない。

 本当に付き合ってたかというと微妙なラインかもしれないが、あの時は舞い上がっていたな……。


 帰りの道中、環奈は改めて俺にお礼を言ってくれた。


「佐藤君、今日は本当にありがとう。普通の高校生って言うのがおこがましいぐらい、幸せな時間だった」

「いや、感謝するのは俺のほうだ。色々と吹っ切れた気もするよ」


 帰りの電車も特に問題なく、俺たちはあっという間に自宅に到着した。

 エレベーターに乗り込み、家に入る前、環奈が何かを渡したいと言ってきた。


「佐藤君、これ、今日のお礼です!」

「え?」


 差し出された手には、モールの服屋の袋があった。

 ここは、二人で試着したところだ。

 環奈は恥ずかしそうに俯ている。

 いつ買ってくれていたのかわからなかった。

 嬉しくて中を見ようとしたら、思い切り制止される。


「今は恥ずかしいから……帰ってから見てほしい……」

「わかった。――ありがとう。楽しみにしとくよ」

「ううん、こちらこそ! あ、さっきも言ってたけど、夕食はいいの?」

「ああ、今日は環奈も疲れただろ。昨日の残りもまだある。アイスも食べたしな」

「わかった。それじゃあ、また明日学校でね」


 扉を閉めて部屋に入った瞬間、俺は無意識に笑みを浮かべていた。

 普通の高校生を環奈に教えてあげられたのと、さらにプレゼントまで頂いたのだ。


 着替える前に袋の中をあらためてみると、俺が試着で気に入っていたおしゃれな黒いパーカーが入っていた。


「まじかっ」


 すぐに着替えて鏡で試着したが、やはりカッコイイ。

 ありがとう環奈! と、袋の中を再度確認すると、もう一つ入っていた。


「二つ目?」


 持ち上げてみると、可愛い猫がプリントされている男性用の――パンツだった。


「へ……?」


 手に取ったまま思わず固まる。

 ど、どうしてこれを……?

 俺に、つ、着けてほしいってこと……か!?


「どういう意味なんだ……」




 一方、環奈の部屋では――。


「はあ……楽しかった。シャツ、喜んでくれてるかな。そういえば、店員さんがキャンペーンで、猫のなんとか入れてますっていってたけど、なんて、言ってたんだろう?」

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