第21話 お姫様と王子様。文化祭編 ①

 環奈が、目を瞑って横になっている。

 健康的で美しい体のライン、白い首筋。

 ほのかに漂うシャンプーの香り。


 ――とても綺麗だ。


 本当に眠っているわけじゃない、俺を待ってくれている。


 ゆっくりと環奈の唇を見つめ、そしてキスをしようと体を近づけた――。


 ――――

 ――

 ――


「太郎、青空カフェの次回オープン日は?」

「当分閉店の予定です」

「く……じゃあ俺は一体どうしたらいいんだ。このままじゃ餓死しちまうぜ……」


 見慣れた学食。

 高森は、日替わりBランチの生姜焼き定食を食べながら、駄々をこねていた。


「せめて言動と行動を一致させろ」

「心の餓死って意味だ。わかるだろ」

「聞いたことねえよ。なら、本人に直接頼んでみたらどうだ?」

「本人に直接って……なんて頼むんだよ」


 環奈の手料理を食べて以来、高森はすっかり虜だった。

 もちろんそれ自体は構わない。なんだったら俺も少し嬉しく感じているくらいだ。

 しかし、青空カフェは現在閉店中なのである。


 なぜかというと、近々文化祭が開催されるからだ。

 屋上へと続く階段の近くの教室は普段使われていないものの、机や椅子を運び出したりするので、人が多くなっている。

 もちろん、屋上の椅子とテーブルは万が一バレないように隠している。


「お弁当作ってもらえませんか? って」

「なるほど……確かに、確かにその手があった! そうか、そうすれば手料理を――『ごちん!』」


 ――ごちん?


「本人がいないところで、勝手なこと言わないの。私が怒るよ?」


 後ろから現れた紬が、高森の頭をゲンコツで殴った。

 その横で、環奈が驚いた目をしている。


「いってええええ! 何すんだよ、紬! ていうか、もう怒ってんじゃねえか!」

「乙女のお弁当は、愛する人への神聖な宝物。軽々しく頼むもんじゃない」

「え、ええ!? 別に私は構わないけど……」


 守護鉄壁ガーディアンフォース紬と、お姫様のような環奈。

 この構図が出来上がってからは、環奈も変なヤツに絡まれることは減っているみたいだ。

 とはいえ、同じクラスではないので、お昼休み限定だが……。


天使あまつかさんはいいって……」

「ダメです」


 紬は、不敵な笑みを浮かべながら拳を握りしめる。

 とはいえ、俺は環奈と毎晩ご飯を食べたり、お弁当もたまに……。いや、余計な口は挟まないで置こう。


「佐藤君、ここ座っていいかな?」

「ああ、もちろんだ」

「ほら高森も詰めなさい」

「もっと可愛く言ってくれよ。天使あまつかさんみたいにさ」

「ああん?」

「いえ、何でもないです」


 体育祭以来、俺たちは四人で集まることが増えていた。

 周りからは、どういう関係なんだ? という目で見られている。なんだったら、声も聞こえたりする。

 なぜなら、紬も凄く可愛いのだ。何度も撃沈している男を見てきた。

 さらに俺は大衆の面前で環奈をお姫様抱っこした前科がある。あとのことは……思い出したくもないようなことがいっぱいあった。

 とても口には出せないような……怖いことも……今思い出すと震えてしまう。もう忘れよう。


「体育祭が終わって数ヵ月しか経ってないのに、もう文化祭があるんだね」

「確かにうちの学校少し特殊かもしれないな。今日色々と決めるみたいだけど」


 環奈が、紙パックのオレンジジュースを飲みながら言った。

 文化祭はもちろん去年もあったが、もはや何をしたのか記憶がうっすらだ。

 けれども、今年は少しだけ期待している。もちろん、環奈がいるからだ。


 ハムスターランド以来、俺は少し環奈を意識している。


 それと、日和はまた新しい男を作ったようだ。またちょっと一癖もあるような先輩だったが、今のところ問題はない。

 あまり関わりたくもないが……。


 文化祭が終わればすぐに夏休みに入る。

 去年はゲーム三昧だったが、今年は四人で遊べたらいいな。


「そういえば、うちのクラスは演劇をやりたいんだとよ。さっき実行委員が言ってたぜ」


 高森が、俺たちの間に入った。


 昔、テレビで環奈の演技を見たことがある。

 それはもうびっくりするぐらいの迫力があった。もし文化祭で主役なんてすることになったら、大変なことになるだろう。

 それこそもしかしたら……テレビとかでもニュースになる……いや、それはさすがにいいすぎか。


 俺の演劇の最後の記憶は、確か木の棒のだ。

 小学生だったか、森のシーンが多くて、忙しかった。

 しかし出番が多い割には、台詞なんてものはなく、空しかった気がする。


 まあでも、環奈を輝かせるためだったら、今回は木の棒でもいいかもしれない。


 キーンコーンカーンコーン。


 昼食の終了時間を告げるベルが、鳴り響いた。


 ◇


「では――投票の結果、白雪姫は天使環奈あまつかかんなさんに決定しました!」


 文化祭実行委員会の一人が、投票の結果を発表した。


「え、ええ!?」


 クラスメイトが拍手大喝采。環奈は、恥ずかしそうに、そして困った顔をしていた。


「やべえ……これまじでやべえ」

「楽しみすぎる。永久保存版だ。映画、映画化決定だよ」

「尊い……天使……」


 生徒の数名が、この劇の未来を予想して、環奈に想いを馳せていた。。


 うちのクラスは高森が言っていた通り演劇となり、演目は『白雪姫』に決まったのである。

 そしてそのメインヒロインである白雪姫の役を投票したところ、環奈に決定した。


 白雪姫の物語はいくつか存在する。

 基本的な流れでいうと、白雪姫の美貌に嫉妬した継母が、毒林檎を食べさせて殺害をもくろむのだ。

 知らずに口にしてしまった白雪姫は眠りについてしまうが、最後は王子様のキスで目覚めるという話になる。


 満場一致で拍手喝采と思いきや、一人の女子生徒が手を挙げた。


「先生、さすがにこれは不公平だと思うんですけどぉ?」


 不服を申し立て立ち上がったのは、日和だった。

 取り巻きの女子生徒たちも、同じように同意する。


「だって、あの有名な天使環奈あまつかかんなさんがいたら、こうなるにきまってますよ。私たち一般人は、チャンスすらもらえないってことですか?」


 担任の先生は、ふうと溜息を吐いた。

 日和はクラスでもカースト上位。その取り巻きもだ。そのため、誰も口を出せないでいた。


「篠崎、投票は全員で決めただろう。それに天使あまつかだって同じクラスメイトだ。そもそも文化祭の演劇だって一人でやるわけじゃない。皆で一致団結することが大事なんだ」


 それでも、ふん、と鼻を鳴らす日和。ここで俺が環奈の味方をすることはできるが、おそらく火に油を注ぐだけだろう。

 しかし、日和は退かなかった。「じゃあ、私が主役でも良くないですか?」と偉そうに言う。

 さすがに度が過ぎると、俺は立ち上がって言い返そうとした。が、先に声をあげたのは環奈だった。


「先生、私は篠崎さんに役を譲っても大丈夫ですよ」


 怯えることも、声を震わせることもなくハッキリと言い放つ。当然、周囲は騒然とした。

 浦野健うらのけんが退学させられてから、日和は猫を被ることをやめている。そのため、まともに反抗する人はほとんどいないのだ。


「……別にそういうことじゃない。もういいわ」


 けれども、日和は意外にも引き下がった。思わぬ環奈の反撃で、立場が危うくなると気付いたんだろう。

 彼女だって、ただ黙っているわけがないということだ。


「……では、引き続き役を決めて行きたいと思いますが、篠崎さんの言葉も一理ありますし、ここからはクジでよろしいでしょうか」


 なるほど、文化祭実行委員も、日和にはムカついてるのだろう。

 段取りを邪魔されるなんて、否定されたも当然だからな。

 半ば当てつけのように、投票からクジに移行となった。


 もちろん、残った役柄にも、重要なキャラクターはまだ残っている。

 そのお相手である王子様、毒林檎を食べさせる悪役、継母。

 お助けキャラの七人の小人だ。

 ほかに白雪姫の命を狙う狩人もいるが、大体そのあたりがメインとなるだろう。


「では次……小人は高森連たかもりれんくん!」


 クジの結果、高森は七人の小人の一人に決定。

 続いて継母は――まさかの篠崎日和が選ばれた。


「あら、継母ですか。一生懸命頑張りますわ」


 日和は不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、環奈に向かって会釈した。

 正直……かなり不安だ。何か問題を起こさなければいいが……。

 同級生が大勢見ている中で、さすがにそこまではできないと思う


 日和は、不敵な笑みを浮かべて立ち上がると、わざわざ環奈に会釈した。

 察しのいい人なら、これが何を意味するかわかるだろう。

 正直、かなり不安だ。とはいえ、文化祭は大勢の同級生が見ることになる。

 稽古だって、一人や二人でやるわけじゃない。

 たとえ日和に悪意があったとしても、何もできないはず。しかし、できれば近くで見守ってあげたい。


 ちなみに紬は別のクラスなので、ここにはいない。

 最後に、まだ決まっていない王子様のクジを引いて終わりとなった。


「頼む……頼む……」

「俺だ、俺俺オレオレオレオレ」

「念念念念念」


 男子生徒たちも、両手を重ね合わせて祈っている。とはいえ、王子様は同性でもありらしい。

 女子生徒も、「私が私が私が」と声を出している。


 なぜなら選ばれしものは、天使環奈あまつかかんなの王子様となる。

 役柄とはいえ、念密な稽古もあるだろう。

 話す機会も必然と多くなる。

 正直……男ならちょっと嫉妬心も湧きそうだ。女性のほうがいいかもしれない。


 そして――。


「クジの結果……王子様は……佐藤太郎くんに決定しました!」


 男女入り乱れる阿鼻叫喚、「また佐藤かよ!」「おい、ズルしてんじゃねえのか!」「あー私が王子様になりたかった……」

 と、様々な言葉が飛び交う。


 そんな中――。


「え……俺が王子様?」


 環奈と目が合った。

 




 





 


 

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