第11話 環奈と佐藤のご褒美デート

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 中間テストから数日後、俺と環奈はバスに乗っていた。

 今日は土曜日で、学校は休み。


 乗り物をいくつか乗り継ぎ、目的地に向かっている。

 窓から見える景色は、東京から数時間とは思えないほど田舎だ。


「環奈、もしかしてアマゾンの奥地まで行くつもりか? スマホの電波が繋がらないぞ」

「そこまでの秘境じゃないよ。これはさぷらいずだからまだ秘密!」


 明らかにサプライスが言いなれてないが、環奈は満足そうに笑みを浮かべている。

 今日は頑張った俺へのご褒美だそうで、何か考えてくれているらしい。

 紬も誘ったらしいが、実家のケーキ屋が忙しいとのことだった。


「次はOOOーOOOー」


 バスの運転手の声と同時に、環奈が「ここだよ」と俺に声をかける。

 山のふもとだろうか、道中家屋も見えたが、このあたりにはない。


「到着っ」

 

 バスから降り、勢いよく着地する環奈。

 今日の服装は、動きやすそうなブラックのショートパンツに、変装用のキャップ帽子。

 上は透け感のあるブルーのシャツ。背中にリュック。

 なんというか、いつもより少しスポーティーな感じだ。


 俺は前にプレゼントしてもらったシャツと、――猫パンツ。

 そしてジーンズだ。


「わかった。カブトムシを取りに行くのか」

「そこまでやんちゃではないけど……ちょっと似てるかも。着いて来てー」


 環奈がえへへと笑いながら前を歩く。

 山へ登るのかと思いきや、下に降りる階段が現れた。


 それから数分後、俺は思わず声を漏らした。


「……すげえ、めちゃくちゃ綺麗だな」

「えへへ、でしょ?」


 下りきった先に見えたのは、とても綺麗な川だった。

 キラキラと太陽が水に反射し、近くに小さな滝がある。

 決して大きいわけではないが、それが逆に安全だと見てわかる。


「昔、ロケで来たことがあるんだけど、佐藤君に見せたくて」


 環奈の口からロケという言葉が自然と出てきたので、少しだけたじろぐ。

 忘れているわけではないが、環奈は活動休止中のアイドルなのだ。

 そんな彼女と二人でお出かけしている。なんだったら毎日ご飯も一緒に食べてる。


 ……凄いことだ。


 川のそばまで行くと、小魚が見えるほど水が澄んでいることもわかった。

 空気も美味しく感じられる。気づけば深呼吸を繰り返していた。

 この一か月間、神経を張りつめていたので、ようやく気分が和らいでいる。


「最高だ。マイナスイオンを吸収してる気がする」

「喜んでもらえてよかった……。でね、もう一つのさぷらいずー!」


 環奈は、背負っていたリュックを地面に下ろす。

 中から出てきたのは、簡易的な椅子とテーブルだった。それをテキパキと組み立てていく。

 こんなものが入っていたのか、それにしても意外にも手際がいい。


「食べやすいようにサンドイッチをいっぱい作ってきたよ! それとフルーツの盛り合わせ!」

「自然の中でピクニック……満点だ」

「やった。でも、ちょっと遊んでからのほうが美味しく食べられるよね?」

「ああ、それはそうだな」


 そう言いながら、環奈は小川までテクテク歩く。

 嫌な予感がする。

 なんだか、とても嫌な予感だ。

 

「環奈、ちょっと待て」

「わ、冷たい」


 足を踏み入れると、環奈はひゃっと声をあげた。


「わわわ!?」


 そして、倒れそうになる。いや、豪快に倒れ込む。

 案の定、環奈はビチャビチャになった。


「やっちゃった……」

「そんな気がしてた――」


 白シャツは水に濡れると透ける性質を持っている。

 そして、環奈は白シャツだ。

 ものの見事に赤いブラが透けている。それも形までわかるほどにクッキリと浮き出ていた。

 シャツがピタピタになって、肌に吸いついている……って、俺は何冷静に分析してるんだ!?


「環奈、服、服!?」

「え? わわ……!?」

「はあ……着替えの服は?」

「忘れちゃった……」


 なぜだ。川に来る予定だったんじゃないのか……。

 俺は着ているシャツを急いで脱ぎ、環奈に手渡す。


「ほら」

「え、で、でも、佐藤君が……!?」

「男と女は違うだろ。というか、恥ずかしくなられると俺も恥ずかしくなる」

「わ、わかった」


 環奈は焦りながら、その場で服を着替えはじめた。

 赤いブラがガッツリ、いや、チラリと見えたところで、俺は後ろを振り向く。

 こういうところの脇が甘いというか……まあ、正直……嬉し……いや、何でもない。


 着替え終わると、環奈がまじまじと俺の裸体を見る。


「佐藤君って意外と……筋肉あるんだね」

「エロい目線で見るな。身体目的だと思われるぞ」

「えええ!?」


 ふむ、意外に揶揄からかいがいがあるな。


「もう替えがないから濡らすなよ」

「はい!」


 それから環奈の手作りのサンドイッチを食べた。卵、ハム、お肉もたっぷり。

 フルーツも盛りだくさんだ。


「そういえば……どうして教頭先生は学校を辞めたの? もしかして、佐藤君が……?」

「ん? ああ。まあ、本人も悪いことしたと思っていられなくなったんじゃないか?」


 俺はあえて環奈に言わなかった。もう終わった話だ。

 今は楽しい話だけがしたい。


 それから学校の話や、俺の好きなゲームの話、川で遊んだりしていると時間はすぐに経ち、そろそろ帰ろうとなった。


 今はバス停に座っている。


 待っている。


 待っている。



「遅いな」

「なんでだろう……」

 

 スマホの電波は相変わらず繋がらない。

 バスの時刻表には、しっかりと記載されているので、まあ来るだろう思っていたが、雲行きが怪しくなってきた。


「どうしよう……佐藤君、歩いて帰る?」

「いや、山道もかなり険しかったからな。もう少し……待とう」


 しかし、いつまで経ってもバスは来なかった。

 そのとき、竹籠を背負ったおばあさんが通りかかる。


「なにしんのとけ?」

「あ、えっと、バスを待っています」

「今日はもう来んぞ?」

「「え!?」」


 俺たちは時刻表に再び視線を向けた。

 曜日に間違いはない。


「それは古いんじゃよ。一番早いのはそうじゃのー明日の朝七時じゃな」

「七時……」

「ええ……」


 俺たちは哀れ気な声を漏らした。

 それから、環奈に顔を向け、申し訳なく頭を下げた。


「ごめんなさい。私がちゃんと調べてなかったから……」

「いや、ここで待つ判断をしたのは俺だ。――おばあさん、このあたりで電話ボックスとか、もしくはタクシー乗り場とかありませんか?」

「タクシーなんてこんな時間こねえぞお。電話もあるが、誰か呼ぶんかあ?」


 俺も環奈も一人暮らしだ。タクシーが呼べなければ、電話を借りれたとしても意味はない。

「夜はあぶないからなあ。まあ、うちに来てもええが布団がねえべさ。じゃったら下に小さな旅館があるべさ」

「旅館? どのあたりですか?」

「すぐこの下だ。案内すっか?」


 明日は日曜日で、学校は問題ない。それに俺は家族に説明する必要もない。

 財布も持ってきているが……。環奈はわからない。


「このあたりは猪がでるがら、早く移動したほうがええで」

「猪……。環奈、どうする? 泊まるか?」

「私はそれでも大丈夫。佐藤君は?」

「なら、そうするか。でしたら、案内してもらうことはできますか?」

「ええでええで」


 山を下ると、集落のような村が見えた。おばあさんはそこに住んでいるらしい。

 その手前に、小さな木造りの旅館がある。


「あれじゃよ」

 

 俺たちは高校生ということで、旅館の人が親御さんに連絡したほうがいいとなったが、こんな時間に出ないとわかっていた。

 それは環奈も同じだったらしい。困っていると、おばあさんが今日だけ泊まらせてあげてほしいと頼んでくれた。ありがたい。

 また旅館のバスがあるらしく、明日の朝であれば出してくれることになった。


 環奈と相談し、今日は泊まらせてもらうことに。

 二部屋を借りようとしたが、環奈がもったいないよということで、俺も承諾した。


 思いがけない出来事だったが、宿に泊まるなんて、何年ぶりだろうか。

 少し楽しみにしながら、厳かな雰囲気がある通路を歩き、部屋の扉をあける。


 部屋の中心には、六畳ほどの畳が敷かれていた。既に布団が敷かれている。

 けれども……一組のみ。


「と、とりあえず置いてあるだけだろ。ほかにもあるはずだ」

「そ、そうだよね!?」


 襖を開けたが、布団は入っていなかった。旅館の人に聞いてみたが、ちょうど洗濯してしまったとのことだった。

 それを伝えると、環奈は頬を赤らめながら言う。


「……私は一緒の布団でもいいよ」

「いや、さすがにそれはな……俺は畳の上で寝るよ。環奈は布団を使ってくれ」

「ダメ。私のせいだから。だったら、私が畳で寝る」

「いや、それはダメだろ――」

「だったら、佐藤君もダメ」


 環奈の瞳は真剣そのものだった。

 わかった、とは恥ずかしくて言えず、戸惑う。

 ひとまず後で考えようと、話題を変えた。


「と、とりあえず風呂に入ってくる」

「わかった。私も後で行こうかな」


 この旅館には室内風呂があるとのことだった。

 浴衣を部屋から持ち出し、廊下をまっすぐ進む。

 湯と書かれた暖簾のれんをくぐると、脱衣所があった。

 少し寒かったので、急いで服を脱いで扉を開く。


「ヒノキ風呂か」


 湯舟は大きさは家庭の二倍ほどだろうか、半露天になっていて、外には緑が見えている。

 風が吹くと葉が揺れ、心地良い音を奏でた。


 思えば環奈と出会ってから、俺の人生はある意味平凡とは程遠くなっている。

 もちろん、環奈は普通を楽しもうとしているだけだが、俺としては破天荒な毎日で楽しめている。


「ふう……」


 環奈と出会ってからのことを思い出しながら身体を温めていると、誰かが扉を開ける音がした。


 誰か他にいたのか。少しすると、隣から「すいません」と可愛い声が聞こえ、湯舟に入った。

 女性の声だったのでびっくりして顔を向けると、そこいたのは環奈だった――。


 バッチリ、そしてガッツリと目が合う。


「「佐藤君、環奈!?」」


 お互いタオルで身体を隠し、肩深くまで湯に沈む。

 かろうじて出ている口で訊ねる。


「な、なんで男湯に!?」

「え、ええ!? 一つしかなかったよ!?」


 そういえばそうだ。よく考えると入口は一つだけだった。そうか、ここは混浴か。


「ご、ごめん。先に上がるよ!」

「だ、だめっ!」


 反射的に上がろうとすると、環奈が必死そうに俺の足を掴んだ。

 そのまま倒れ込み、彼女に受け止められる形となって抱き合う。


 やわらかい感触が顔に当たった。

 これは――環奈の胸だ。


「ひゃっ、さ、佐藤君……」

「す、すまん! わざとじゃ!? すぐ出るから……」

「だ、大丈夫! だって、まだ温まってないでしょ? お互いに前を向いてれば……ね?」

「で、でも」

「もう少し佐藤君と話したいから、お願い」

「……わかった」


 それから俺たちは前だけを向き、浴槽に背中を預けた。


「佐藤君のおかげで毎日が楽しいよ。夕食を作ってるだけじゃ申し訳ないくらい」

「いや、そんなことない。俺も楽しんでるよ。手料理だって最高だ。普通契約の恩恵を受けてるのは、俺のほうだ」


 環奈の表情はわからないが、とても嬉しそうな声だった。

 人からお礼を言われるのは素直に嬉しい。


 少しの沈黙が続いたあと、環奈が口を開く。


「ずっと思ってたんだけど……佐藤君は気にならないの?」

「何をだ?」

「……私が活動休止した理由とか。他の人からは……よく聞かれるんだよね。佐藤君は一度も聞いてこなかったから」


 確かに俺は今まで聞いたことがなかった。もちろん、気にならないと言えば嘘になる。

 けれども、それが環奈にとって大変なことだったのだろうとはわかっていた。

 言わないということは、言いたくないということだと。


「言いたくないと思ってな」

「……実は誰にも本当のことは言ったことなくて。けど……佐藤君には聞いてほしい。ダメかな?」

「……もちろん、聞くよ」


 長い沈黙だったが、余計な挟まなかった。それからゆっくり、環奈は話し出す。


「……その、見た目が綺麗だっていう理由で……私だけ特別扱いでオーデションに受かったんじゃないかってネットで書かれたり……直接他の人に嫌味を言われることもあって……理由は他にもあるんだけどね」


 なるほど、それが環奈の活動休止の理由の一つか。

 アナウンサーや声優、会社の面接だって、本来は関係ないはずだが、外見が整っているほうが有利だと言われている。

 そう思われるほど、環奈は綺麗だ。


 だが、俺がテレビで見ていた彼女は、それだけで人気が出たとは思えない。


 他人は自分より優れている人を見ると、天性の才能だと思い妬むことがある。それは俺だって……よくわかる。

 だがまったくの努力をしていない人間なんて存在しない。

 そんなヤツはただ嘘をついているか、自分で気付いてないだけだ。


「今回でわかったことがあるんだ」

「……え?」

「……俺はずっと平凡な男だと自分で思っていた。名前と同じで、何しても普通で、特に秀でた部分なんてないと。けど、俺は環奈と紬のおかげもあって、学年トップを取ることができた。今でも信じられないよ」

「それは佐藤君が努力したからだよ。私も頑張ってた姿を見てた」

「……ありがとう。だから、環奈も誇ってほしいんだ」

「誇る?」

「俺たちに足りないのは自信だ。多分、ほとんどの人がそうだ。まあ……何が言いたいかっていうと、環奈は自分のやりたいことを楽しんで、それで努力したから結果が出た。だから、それを誇ればいい。他人の意見に惑わされなくていい、自分のことを信じてあげてくれ。俺もこれからはそうするつもりだ」


 そのとき、環奈が抱き着いてきた。俺は思わず叫び声をあげる。 

 悪いと思いつつ横を見ると、環奈の目から涙が零れていた。

 

「大丈夫か?」

「……ありがとう」


 こんなときに悪いが、俺の心臓はドキドキしていた。

 だが、嬉しかった。ぐっと距離が近づいた気がするからだ。


 ◇



「じゃあ、背中合わせで」

「うん、なんだか恥ずかしいね」

 

 風呂から上がって、俺たちは布団に入った。さすがに対面は恥ずかしく背中合わせだ。

 とはいえ、距離は尋常なく近い。


 何だったら、環奈のお尻が……当たっている。

 これはあれだ……ヨOボーだ。ふわふわっだ。ダメになるやつだ。


「佐藤君」

「は、はい!?」


 邪なことを考えていると、名前を呼ばれた。変な声が籠れ出る。


「おやすみなさい」

「……ああ、おやすみ」


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