第38話 怪獣、襲来

「マヨネーズは?」

「ええと、まだ大丈夫かな。お塩とお醤油がそろそろ切れそうだった」

「わかった。後……これも」


 山積みに積まれた棚から、静かにポテトチップスを取り、籠に入れる――。

 だがその瞬間、環奈にブロックされる。


「佐藤君、最近ポテチ食べすぎだよ。これはまた今度ね」

「お母さん、そんな殺生な……これがないと俺は……」

「ダメです」


 朱音が転校してから数日が経過していた。今はまだ事件というか、問題は起きていない。今後どうなるかが不安である。


 今は環奈と二人で、最寄りのスーパーに買い出しへ来ていた。

 基本的に食費は折半、出来るだけ無駄な物は買わない(買えない)。

 朱音は遅くなるとのことで、久しぶりに二人で夕食を食べる。


 今まではそれが普通だったのだが、何とも言えない恥ずかしさがこみ上げてくる。


 その理由の一つとして、環奈のことをもっと知りたいと直接伝えたことが関係しているだろう。


 一通り買い物を終えると、隣接している薬局屋へ移動。

 切れかけていたシャンプーとリンスを手に取り、一人レジに並んでいると、見知らぬ男の子がやって来た。

 右手に、小さな箱を持っている。


「ん! ん! お兄ちゃんこれあげる!」

「え? お、おう。ありがとな」

「ばいばい、またね~」


 男の子は箱を俺に手渡すと、満足そうな笑みを浮かべて母親の元へ帰っていった。

 何してるの! と怒られているので、適当に棚から取ってきたんだろう。

 戻すか……と思っていたら、環奈がちょうどやって来る。


「お待たせー。これもまとめて一緒に買う? って、佐藤君それ~~~~~ッッッッ!」

「ああ、これは――」


 男の子から渡されて、と説明しようとした瞬間、思わず硬直する。

 パッケージには、薄薄0.01ミリと書いてあった。

 あれ、もしかしてこれって……。


「え、いや、ちがこれは!?」

「な、な、な、な、なんでそんなものを!? だ、だ、だれと使うの!?」

「いや、聞いてくれ! さっき男の子が現れて俺に渡してきたんだ! ほら、そこにいるだろ!」


 と、指を指したが、誰もいなかった。

 環奈は顔を真っ赤にしている。こんなの、買おうと思っていない。


「次の方、どうぞー」

「へ? あ、は、はい!」


 そして俺は――そのまま薄薄0.01ミリリを買ってしまった。


 ◇


 事情を説明したものの、環奈は店員さんい戻してもらえばよかったじゃない、と言われたのだが、それはそうだ。

 唐突な出来事に、頭が回らなかった。


「ご、ごめん……」

「……別に怒ってるわけじゃないけど」


 環奈は恥ずかしそうだった。

 こんなもの朱音に見られたらなんて思われるか……。


 絶対見つからない所に隠しておかないとな。


 ガチャリ。


「「ただいま」」


 家に戻り扉を開く。二人同時に、誰もいない部屋に向かって声を出す。

 いつしか環奈は、お邪魔しますとは言わなくなっていた。

 まるで自分の家のように思ってくれているのは、俺としても嬉しい。


「じゃあ、私はご飯作りはじめるね」

「ああ、頼む。俺は……片付けとくか」


 環奈が料理を作ってくれている間、俺は薄薄0.01ミリをどこに隠そうか悩んでいた。

 寝室が一番いいだろうか? いや、逆にリアルな気がする……。

 何でもないような場所、例えばベランダ?

 それもなんだか卑猥だな……。


 あえての玄関? なんてな……「ガチャ」。


 ガチャ?


 玄関が――突然開く。


「え?」


 朱音か? といっても、無言で入るほど失礼なことはしない。

 間違いなくインターホンを鳴らすか、ノックするだろう。


 泥棒? 思わず身構える。

 思考で頭がいっぱいになっていると、現れたのは――母親だった。


「あら太郎、久しぶり」

「え? か、母さん!?」

「どうしてそんなに驚いてるの? 連絡してたでしょ?」

「え!?」


 急いでスマホを確認したが、届いてはいない。

 昔から母はおっちょこちょいだ。おそらくだが、送信を忘れているんだろう。

 というか、それは今はいい。


 問題は、環奈が今いることだ。


「この靴……もしかして誰かいるの? って、太郎、それ……」

「あ、ああ友達が! へ? あ、こ、こ、い、いやいやいやこれは!?」

「佐藤君? どうしたの――え、どなたですか!?」


 薄薄0.01ミリ片手の俺、エプロン姿の環奈、硬直する母親。


 三種の神器が、揃った瞬間だった。


 ◇


「美味しい……環奈ちゃんこれ、どうやって作ってるの?」

「あ、ええとそれは玉ねぎを刻んで、中にチーズを入れてるだけなので、そんなに凝ったことはしてないですよ。その前に下ごしらえしているので、臭みが取れて――」

「凄い! 環奈ちゃん、私のお嫁に来てー!」


 俺、環奈、そして母親の三人で食卓を囲んでいた。

 環奈は照れながら料理の説明をしているが、突然母親に抱き着かれてアタフタしている。

 

 すまん……こういう母親なんだ……。


「なんで電話してくれなかったんだ? そもそもメッセージも来てないけど……」

「自分の家に帰るだけだから、別に大丈夫だと思って」


 確かにその通りだった。ここは一応実家なのだ。

 父と母は転勤で遠くになったため、高校を通うために一人で暮らしているに過ぎない。


 あまり強く言えないので、ここは静かにしておこう。


 環奈のことはすぐに説明した。ただ母は芸能に疎いので、あまり気にしていなかった。

 それよりも、俺が今まで紬以外の女性と仲良くしていないので、そこに驚いたようだ。


「す、すいません。勝手にお邪魔して……予めご挨拶するべきだとはわかっていたんですが……」

「大丈夫よ。どうせ、この子がろくなご飯を食べてなくて、心配だったんでしょ?」


 俺と違って母はそこなしに明るい。

 昔から小さなことは気にしないし、環奈がいることもただ嬉しいだけだろう。


「あ、はい。それはちょっと……心配でした」

「やっぱりねえ。それより太郎に彼女がいるなんてねえ」

「いや……彼女じゃないんだけど……」

「え? 彼女じゃない? じゃあさっきのは誰と使ってるの?」

「さっきの?」


 記憶を思い返す。俺が持っていたのは――薄薄0.01ミリ。


「着けるのは偉いけど、環奈ちゃんはまだ高校生なんだし、ちゃんとしなきゃだめよ」

「え!? 着ける!? ど、どういうことですかお母様!?」


 環奈が気付いて顔を真っ赤にして、俺を睨みつける。

 すまん、本当にすまん。


 なんとか誤解が解けたところで、食事を食べ終える。

 父は仕事が忙しいので戻ってきてないらしく、少しホッとした。仲が悪いわけではないが、これ以上ややこしくなるのは勘弁だからだ。


「あ、そういえば自己紹介を忘れていたわね。私の名前は加奈子よ。改めてよろしくね、環奈さん」

「はい! す、すいません。私は先ほど伝えた通り、天使環奈です。宜しくお願いします」


 遅めの自己紹介を済ませると、二人は俺をのけ者にして洗い物をはじめた。

 小声のような中声のような、少し気になることを話しはじめているが、聞くのが怖い。


 片付けが終わるころ、母はすっかり環奈を気に入ったらしく、環奈も同様に気を許していた。


「お母様、お茶をどうぞ」

「あらー、なんて出来る子なの、環奈ちゃんー!」


 環奈さんから、環奈ちゃんになるまで一時間もかからなかった。

 抱き着く癖は昔から治っていない。


「で、母さんはいつまでいるんだ?」

「残念だけど、明日の朝には帰るわ。ちょっと仕事で来ただけなのよ。また改めて来るときは、ゆっくりしたいわねえ、こんな美人さんもいるし」

「ええ!? そ、そんなことないですよ!」

「ほんと、可愛いわねえ」


 猫のように環奈の頭を撫でる。まあ、仲良くしてくれるのはいいことだ。


「環奈ちゃんは、太郎のこと好きなの? 太郎は? 環奈ちゃんのことが好き?」

「え、えええ!?」

「困ってるから、やめてくれ……」


 相変わらずのマイペースなのにグイグイ来るところも変わっていない。

 その後、さあて、お風呂はいろーっと、と言いながら、母は消えていく。

 その様子を見ながら、環奈は微笑んでいた。


「ごめんな、うちの母親、いつもあんな感じで……」

「ううん。賑やかでいいね。私のお母さん、体が弱かったから、元気なのは良いことだよ」


 そういえば、環奈の家族のことはあまり聞いたことがない。

 母が病気で亡くなった、ということだけは文化祭の帰りに聞いたが、父親のことは殆ど知らない。

 何時か話してくれるだろうと、無理に聞かないでおいた。


「そういえば、佐藤君のお母さん……見た目が若過ぎない?」

「ああ、よくお姉ちゃんですか? って言われるよ」


 環奈が疑問を抱くのは当然だった。

 俺の母親、加奈子は年齢は三十代後半にも関わらず、見た目が二十代前半に間違えられる。

 本人に言えば喜ぶだろうが、あえて言わないでおこう……。


 ◇


 母は風呂から上がると、どこからか古いアルバムを引っ張りだしてきた。

 俺の小さな写真を取り出し、ミニエピソードを添えて嬉しそうに話す。


「それでね! なんて言ったと思う?「ママ、僕はママと結婚するー」って!」

「ふふふ、佐藤君、お母さまが大好きだったんですねえ」

「それ何時の話だよ……」


 その瞬間、インターホンが鳴り響く。


「あら、誰かしら?」


 はーい、と急ぐ母親。


「え? ――あ!」


 こんな時間に来るのは、一人しかいない。


「え、だ、誰ですか!?」


 玄関から、叫び声が聞こえる。

 その声は当然――朱音だった。


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