第25話 お姫様と王子様。環奈編 ⑤ sid 環奈

『ねえ、見た? ああ、未成年で同棲はやばいだろ』

『なんか、パパ活とかもしてたらしい。不正でオーディションも合格したとか』

『えー、人は見た目によらないんだね。でも、篠崎さんもやりすぎじゃない?』


 その瞬間、すべてが変わった。

 まるで世界が急変したかのように、敵意が私に向けられている。


 誰かが話しているだけで、私の悪口を言っているかのように思えた。


 誰も信じられない。誰も、私を信じてくれない。


 ◇


 文化祭の当日の朝。


 立たないといけない。行かないといけない。なのに身体が――動かない。


 その瞬間、玄関のドアを誰かが叩いた。


「環奈、俺、待ってるからな」


 佐藤君だ。返事はしない。いや、できない。

 私は行くことができないからだ。

 これ以上、佐藤君に迷惑はかけられない。


 私が学校に行けば、彼は大勢の目に晒される。

 たくさんの悪口を言われてしまう。

 それだけは……嫌だ。


 憎い。何もかもが憎い。すべてが憎い。


 ただ、私は普通になりたかっただけなのに……。


 あの日、佐藤君は私を助けてくれた。


 あの時、彼は私を助けてくれた。


 それなのに……。


 どうしたらいいか――わからない。


 私は過去の記憶と、佐藤君と初めて会った日のこと思い返していた。


 ◆


「可哀想ねえ。大丈夫なのかしら? え、そうなの!? 私、あんまりテレビみないから……アイドルなの?」

「こんなこと言うのもあれだけど……夫婦仲も良くなかったらしいわ」

「まあでも……お金があるならいいわね。苦労はしないだろうし、そこはね……」


 活動休止をすることを決めた日。

 大好きだったお母さんが病気で亡くなった。

 いつも私を支えてくれて、私のことを一番に考えて、愛してくれた母だった。


「環奈、私のことは大丈夫だから。仕事頑張って。応援してるわ」


 だけど私は――そんな母の最期の瞬間に立ち会えなかった。

 いつも応援してくれていたのに、私は……最低だ。


「環奈、実家に戻ってこい。それにアイドルなどと下らんものはやめろ」

「……下らなくはありません。お母さんは応援してくれてました」

「ふん、その結果がこれか」


 父親の言葉に、何も言い返せなかった。

 私は笑えなくなり、仕事ができなくなった。

 あることないことを、色々ネットで書かれてしまった。


 そして、引退を申し出た。

 活動休止にした方がいいと言われ、気力を失っていた私はそれを了承した。


 それから長い間――私はほとんど外に出ることができなくなった。

 高校だけは進学したほうがいいと言われ、特別待遇により自宅で授業を受けていたが、外に出られるような気持ちは取り戻せなかった。

 

 しかしある日、ずっと見ることを避けていた母からの手紙を勇気を振り絞って開封した。


「環奈へ。仕事で忙しいのに、いつも会いに来てくれてありがとう。いつも頑張っているあなたを見ているのが凄く幸せです。もしかしたら、私はもうこの世にいないかもしれません。だけど、あなたからたくさんの愛と笑顔もらいました。ありがとう、愛してます。無理しないでね。忙しいのはわかってるけど、普通の生活も忘れちゃだめよ」


 そして私は決意した。

 母が歩んだ道を、母が見た景色を見たくなったのだ。

 私はすぐに転校を申し出た。母と同じ高校に行こうと決めたのだ。


 引っ越しを済ませ、新たな人生を歩み出そう勇気を出した。


 長年行けなかった母親のお墓参りを終えた帰り道、突然息ができなくなった。


 電車から外に出た瞬間、私はその場で倒れこんだ。


 苦しい。苦しい。息ができない。


 頑張るって決めたのに……やっぱり私は……何もできないのか。


「――どうしたんですか?」


 そのとき現れたのが――佐藤君だった。


 私を介抱してくれて、まるで普通の人のように接してくれた。

 後で知ったことだが、彼は私と同じ高校、母と同じ高校に通っていた。


 奇跡だと思った。


 彼もあることで悩んでいたが、お互いに心の内を少し話すことができた。

 さらに同じマンションだったのだ。


 奇跡はここでは終わらない。彼は同じクラスだったらしく、学校で再会したのだ。


 彼と、もっと話してみたい。


 母から教わった手料理を持っていった。


 彼はとても喜んでくれて、笑顔で美味しいといってくれた。


 私に普通を教えてくれると、言ってくれた。


 楽しい、久しぶりに笑うことができた。


 それから私たちは色々なことをした。

 紬さんや高森くんとも出会えた。


 なのにすべてが――崩壊した。


 頑張ってるって決めたはずなのに……。


 そのとき、棚の上に置いてあったハムスターのカチューチャを見つけた。

 今となっては懐かしい思い出に感じる。

 

 遊園地の帰り道、私は佐藤君ともっと一緒にいたいと強く願った。


 その気持ちを……一番に考えたい。

 彼は待ってると言ってくれた。


 佐藤君を悲しませることだけは――したくない。


 勇気を振り絞って、制服に着替える。

 玄関で靴を履いて、呼吸を整えた。


 だけど、足は一向に動かない。


「ごめんなさい……やっぱり……」


 すると、手紙がドアに挟まれている事に気づく。


 差出人は――紬さんだ。


 スマホに送ったから、見てほしいと書いてあった。


「どういう……こと?」


 私はその場で、スマホの電源を入れる。

 送られてきたURLに接続。そこには、SNSにあげられた一つの動画があった。


 とんでもない数のコメントが書いてある。


 おそるおそるボタンを押してみると、映し出されたのは佐藤君だった。


「なんで……」



『――初めまして。まずは自己紹介から。僕の名前は佐藤太郎、平凡な名前が二つ重なっているのが俺の特徴です。年齢十七歳、都内の高校に通ってます』


 わけがわからなかった。佐藤君は、何を話そうとしているのか。どうして、素顔を晒しているのか。


『既に気付いてる人もいるかもしれませんが、僕は天使環奈あまつかかんなさんの写真に写っていた男です。ただ、僕は恋人ではありませんし。天使あまつかさんと同棲してるわけでもありません。ただの同級生です。――でも、天使あまつかさんと仲良くしてることは間違いありません』


 私を守ろうとしてくれているのが精いっぱい伝わってくる。

 ネットに素顔を晒すことの危険性は、今どきの人なら誰でも知っている。この動画がネットから消えることなんて絶対ない。そんな危険を顧みず、佐藤君は……私のために。


『僕は芸能人でも、お金持ちでも、特別頭が良いわけでもありません。本当に普通の男です。だけど……それは天使あまつかさんも同じなんです。確かに彼女はアイドルで、有名人で、才能もあるかもしれません。だけど、それだけです。彼女は普通の女性で、そして今は普通の女子高生です。……僕は何もない。力もないし、大勢のフォロワーがいるわけでもない。この現状を変えられるだけの権力もない。だからこそ……皆さんの力を借りたいです。彼女の普通を応援してもらいたいんです。彼女は……ただ今を大切に生きています。僕はそんな彼女を応援したい。彼女を……普通の女子高生として歩んでいる姿を、見守ってほしいんです。よろしくお願いします』


 動画が終わるまで、佐藤君はずっと頭を下げていた。


 驚くべきことに、批判コメントはほとんどなかった。

 誰もが応援し、画像の削除のために駆けまわるというコメントばかりだった。


 事実、大勢の通報によりネットから画像が消えていってるというコメントもあった。


 佐藤君は――私を普通にしてくれた。


 一生懸命、普通になっていいと、胸を張って教えてくれた。


 だったら私も――。


「……佐藤君の気持ちに答えたい」


 ◇


 お昼過ぎ。

 校庭に足を踏み入れると、既に大勢の出店が立ち並んでいた。

 皆が笑顔で、文化祭を楽しんでいる。


 しかし私の姿を見つけた瞬間、噂をしはじめた。


「おい……あれ」

「天使じゃん。来たんだ……」


 だけどもう私は、誰の声も、目も気にしない。


 私は――私だ。


 体育館に入ると、大勢が白雪姫の舞台を待っていた。

 私に気づき、皆が騒ぐ。気にするな。進め。


 舞台裏へ行くと、クラスメイトが私に気づく。

 そんな中、一番に駆け寄ってくれたのは、佐藤君だった。


 いつもと変わらない優しい笑顔だ。

 彼がいるだけで、心強い。


「環奈、遅かったな」

「……ごめんね、遅くなっちゃって」

「俺もたまに寝坊するからな。気にするな」

「ありがとう。――動画も見たよ。本当にありがとう」


 私が頭を下げると、佐藤君は何も言わずに肩をゆっくり叩いて、頭をあげてほしいと言ってくれた。


 私は――佐藤君のことが――。


「あら、よく顔出せたわね」


 後ろから声がした。顔を見なくても、声ですぐわかる。

 振り返り、立っていたのは篠崎日和さんだった。


「逃げないって決めたから」

「……ふん。そう。でも、白雪姫は私がしてるわ、あなたが来なかったからよ」


 知っていた。佐藤君、紬ちゃん、高森くんからのメッセージで送られてきていたからだ。


 何で、何で篠崎さんはここまでするんだろう。





 本当に――ありがたい。


「ありがとう、私の代わりに」

「……な!? 何言ってるの? あなたが来ないから仕方なくやってるだけよ! それに元々、主役は私のほうがふさわしいわ。あなただって、嫌なんでしょ!」


 今まで気づかなかったことがある。

 過去に目を背けていたからかもしれない。

 何故思い出せなかったのか。


 私は――篠崎日和あなたのことを知っている。


「私は裏方でいい。ここへ来たのは、皆と作り上げた白雪姫を見届けたいから。篠崎さん、舞台を台無しにしないでくれてありがとう」


 篠崎さんに、頭を下げる。再び顔をあげたとき、彼女は困惑していた。


「……何よ……なんであんたはそんな……いいやつなの。ムカつくんでしょ? 私のことが。SNSの写真のことだって、この舞台を台無しにしようとした私のことが! ハッキリ言いなさいよ! もっと怒りなさいよ!」


 佐藤君が、横から私の肩を叩いた。


「環奈、聞いてくれ日和は――」

「佐藤君、大丈夫。私も、わかってる」


 佐藤君と目が合う。彼もわかっているみたいだった。

 

 白雪姫の練習で、驚いたことがある。

 篠崎さんは、誰よりも真面目だった。文句の一つも言わず、どうやったらこの舞台が良くなるかだけを考えていた。


 真剣に、そして演技に向き合っていた。


 そんな彼女が――この舞台を台無しにするようなことをするわけがない。


 白雪姫の主役の交代を申し出たのも、私の居場所を奪うためじゃない。

 皆と作り上げたこの舞台を守るためだ。


 SNSに写真を上げたのは、彼女じゃない。


「篠崎さん、あなたは……昔、私に会いに来てくれたよね」



 




 

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