第34話 一泊二日、海水浴編 ③ 朱音の本音

「よし、じゃあ買い出し組と現地組で分かれるか」


 俺の言葉で、全員に緊張が走る。

 海水浴を終え、俺たちは隣接している野外キッチンに移動していた。

 調理器具が揃っていて、ここでカレーを作ることに決めたのだ。


 普段はBBQが多いらしいが、高校生の俺たちにそんな贅沢ができるわけでもなく(アイドルの貯金残高は聞けません)、安い食べ物で腹を満たそうとなった。


 ちなみに水着の上から、簡単な上着を羽織っている。

 そもそも初めから材料を買っておけばよかったが、誰も何も考えていなかったのだ。

 料理が得意な環奈ですらも、楽しみで忘れていた、と言っていた。


 ともかく俺たちは腹ペコだった。

 しかし今から材料を買いそろえるためには、少し離れた場所の商店へ行かなければならない。

 全員で行くのも意味がないので、二組に分かれようとなったのだ。

 とはいえ商店はかなり遠いらしく、疲れた体にはつらい。

 なので、誰も行きたくなかった。


「全員、覚悟はいいか?」


「あかん、うち負ける気ーするわ」

「私は勝つよー」

「俺はぜってえ負けねえ!」

「私も……勝つ!」


 あの環奈でさえも、今日はのんびりしたいらしい。

 全員が、拳を握る――。


「「「「「ジャーンケーン、ぽいっ!」」」」」


 勝敗は、一発で決した。


 ◇


「やっぱりなあ、うち負ける気したんよなあ」

「俺は勝てると思ったんだがな……」


 結局、俺と朱音が負けた。

 残りの三人は、調理器具を洗ったり、火を起こす係だ。

 炭から用意しないといけないらしく、結構大変な気がする。

 ある意味では、買い出し組のほうが当たりかもしれない。


 とはいえ、片道三十分は遠い。


「足いたーい」

「まだ五分も経ってないぞ」


 隣で歩いている朱音と二人きりで話すのは、これが初めてに近い。

 いつも環奈が隣にいるし、その時は俺よりも環奈に話し掛けている。


 朱音からしても、俺のことは眼中にないのだろう。

 いやむしろ、最初からずっと嫌われている。

 環奈に手を出していないことは信じてくれたが、彼女から見れば敵なのに変わりはない。

 

 それだけに、今日の一泊二日はなんだか申し訳なくもあった。

 アイドルという部分もあるが、朱音を誘っていいのかと葛藤したのだ。

 結局は二人とも来ることになったが、ホッとしたのは事実。


「なんや、頭で色々考えてるやろ」

「……なんでわかった」

「佐藤はわかりやすいからなあ。うちが嫌がってるとか、嫌われてるかもーとか、思ってるんやろ?」

 

 もしかして俺は顔に出やすいタイプなのか? 高森も紬にもすぐバレるし……。


「まあ図星だ」


 やっぱりなーと、まるで他人事のように答える。

 朱音はスタイルもよく、大人びた雰囲気をしている。だがどこかあどけなさが残っていて、やはり高校生なんだと思える。

 アイドルらしさ、というのは正直態度では皆無だが、ドキッとする言動をするのも確かだ。


「別に嫌ってへんけど、気に食わんのは事実や」


 こんなハッキリという部分も、ある意味ではドキッとするに入れてもいいだろう。

 とはいえ、心臓に悪いが……。


「たとえば、何が気に食わない?」


 普段なら深堀しない。もちろん、俺のメンタルが持たないからだ。

 今は周囲に誰もいないし、聞こえるのは夏の音、虫の鳴き声だけ。

 商店まではまだ時間はある。勇気を振り絞って、朱音の気持ちを聞いてみようと思った。

 まあ、答えはなんとなくわかっているが……。


「環奈と仲が良いからや、決まってるやろ」

「そう言われてもな……朱音と環奈も仲いいだろ。何が違うんだよ」

「全然違う。環奈は心の内側までは入ってこさせへん。でもな、佐藤。あんただけは特別や。環奈が人を信用してるん、うちははじめてみた。だからこれは嫉妬や、ただのな」


 こういうハッキリした物言いは、朱音の良い部分でもある。

 まっすぐに答えるし、嘘を言わない。もちろん全部を知っているわけではないが、環奈の言動からも筋が通ってるのが伝わってくる。

 だからこそ俺の心に刺さるときは深く刺さるが……。


 環奈にとって俺は特別――か。本当にそうなのだろうか、たまたま助けることができて、たまたま隣だっただけで、そうとは思えない。


「朱音だって特別だろ。環奈は信頼してるよ。二人の関係を見てたらわかる。環奈は誰にも気を遣ってるが、朱音にだけそれがない。それって、凄いだと思う」

「ふーん、でも、褒めても何もでーへんで」

「素直な感想だ。それと、たまには俺も褒めてくれていいぞ」

「……名前が平凡で覚えやすい。後はないなあ」

「それ褒めてねえだろ……」


 そんなことを話しているうちに、商店に到着。

 小さな個人店だったが、閉店間際ということもあり、格安で食材を提供してくれた。

 なんとか無事に任務を終えたのだ。


 帰り道、行きと比べて、かなり空が暗くなっていた。

 田舎なので明るさも少なく、まるでお化け屋敷の中に入ったみたいになっている。

 なんだか別の道のように思えた。


 そして、朱音が段々と俺に近づいている気がする。いや、近づいている。


「なんか寄ってきてないか?」

「き、気のせいやろ……」


 ジリジリ、ジリジリと朱音が歩み寄って来る。

 なんだったら、手が触れそうな勢いだ。

 体が震えてるような……。


 そのとき、物音がした。ガサゴソと、何かが動いている。

 電信柱の裏だ。


「さささささ、佐藤!? なななななな、なにあれ」

「朱音、後ろに隠れてろ」


 朱音が怯え、声を震わせる。

 近くには山があった。獣が下りてくるなどのニュースはたまに見る。

 何か危険があると行けないと思い、朱音を守ろうと前に出た。

 とはいえ、朱音は違うのを想像していそうだが……。


 次の瞬間、何かが飛び出してきた。


「き、きゃあ!」

「――にゃあ」


 猫だった。にゃおーんと、どこかへ去っていく。


「な、なんやにゃんこか……」

「お、おい、朱音!」


 それよりも、朱音が俺に……抱き着いていた。

 よっぽど怖かったのだろうか、体と声がまだ震えている。


「もしかしてお化けか何かかと?」

「え? あ……ち、違う! こ、これはな!? 佐藤を守ろうとしてや! わ、かるやろ!」

「その割には、足が震えているみたいだが」


 朱音は自力で立てないほど、俺にもたれかかっていた。

 おそらく離れた瞬間、倒れてしまうだろう。


「こ、これは……ち、違うねん……し、振動してるんや……」

「振動? 何がだ?」

「う、うるさいなあ! 何でもいいやろ!」


 今にも泣きだしそうな声だ。本当に怖かったのかもしれない。

 さすがに申し訳なくなる。


「……冗談だ。揶揄って悪かったな。今朝のお返しをちょっとしただけだ」

「うう……」


 けれども、まだ動けないようなので、腕を掴むように言った。

 さすがに手を繋ぐことは……できない。


「これで歩けるだろ?」

「ひ、一人でも歩けるし! しょ、しょうがないから佐藤に捕まってあげるわ」

「素直じゃないなら、このまま置いて行こうか?」

「……嫌や。ごめんなさい……」


 いつもの仕返しはこれで終わりにしておこう。たまには……ね。


「昼の海ってあんなに綺麗やのに、なんで夜の海って怖いんやろなあ……」


 隣に視線を向けると、黒い海がほのかに見える。

 波の音が、なぜか怖く思えた。


「見えないからこそ怖いってのはあるだろうな」


 何気なく言った一言だったが、朱音は何か考え込む。

 その表情は、いつにもなく真剣だ。


「見えへんから怖い……か、まるで今のうちみたいやなあ。将来も……不安ばっかりやし」

「不安? 初瀬朱音といえば、誰でも知ってる有名人だ。何が怖いんだ?」

「今だけや……。うちは環奈に輝かせてもらっただけに過ぎひん。西の朱音なんて言われてたけど、そんなん全然嘘や。ただ横におっただけやで」

「それは自分を卑下しすぎだろ。俺は当時も、今も知ってるが、十分輝いてる」


 事実、朱音の人気は凄まじかった。いや、今も凄いことは変わりはない。

 とはいえ、環奈が休止してしまったことで人気が低迷したとメディアがニュースに出したりはしていた。

 もちろんそれはただの煽り文句みたいなもので、ただの話題作り。

 しかし、当の本人はそうは思えないはずだ。俺なんかが軽々しく応援できる立場じゃないかもしれないが。


「じゃあ、佐藤はうちのどこが好きなん?」


 突然、朱音が訪ねてくる。いつもの冗談だと思ったが、声が大真面目だ。


「明るいところだ」

「そんなん表面やん。もっとちゃんと答えてや」


 真面目だったが、どうも気に食わないらしい。

 俺は深く考えた。朱音と知り合ってからのことを思い浮かべながら。


「――素直なところだ。自分が悪いと思ったらちゃんと謝るところとか、そうやって不安だと口に出せるところも」

「ふーん、それはなんか嬉しいなあ」


 どうやら満足したらしい。声が嬉しそうだった。


「そういえば、佐藤、環奈のこと好きやろ?」

「な……!?」


 お前もかよ、と言いたいところだったが、高森、紬に続き三回目だ。

 ……他人からはそう見えるんだろう。

 

 俺自身も、できるだけ気持ちが傾かいようにしているだけかもしれない。

 迷惑をかけたくない、いや、傷つきたくないからだ。


「どうなんだろうな。けど、一緒にいて居心地がいいのは事実だ」


 濁した、ということになるのかもしれない。

 想いを口に出せば、天秤が傾いて自分抑えきれなくなるのが怖いからだ。


「ふーん、でも、佐藤この前――」

「なんだよ? 言いかけて止まるなよ」

「ここ……行き止まりちゃう?」

「え?」


 朱音が何かを言いかけて、足を止めた。

 前を見ると、道が塞がっていた。いや、違う。

 道を間違えたのだ。

 確かに何度か曲がったが、間違えていないと思っていた。

 位置を確認しようにも、ちょうど二人ともスマホのバッテリー切れだった。

 とはいえ、そんな分かれ道はなかった。


「ごめん、うちがさっき絶対左やっていうたからや……佐藤は右言うたのに……」

「気にするな。俺も自信を持って言えなかったからな。戻って別の道に行こう」

 

 

 しかし、俺たちは迷子になってしまった。

 ひと気のない所に来てしまい、朱音がさらに怯えている。


「大丈夫か?」

「こ、怖くないで。た、ただお腹が空いてるだけや」


 今気づいたが、気温が低くなってきている。

 薄い上着だけでは寒いだろうと思い、俺のをさらに被せた。


「……いいん?」

「ああ、俺は男だからな」


 たまには格好つけておこう。いや、冗談で和まそうとしただけだ。

 しかし意外にも、朱音は『……ありがとう』と丁寧に返事してくれた。


 もう一度戻ったときに、ようやく正解の道に辿り着いた。

 視界の先に、灯りが見えはじまる。俺たちが元々いた場所だ。


 ホッと胸を撫で下ろす。


「良かった……もう着くぞ」

「そ、そうやなあ……」


 朱音の顔は、いつもと違うように見えた。なんだか、少し物足りないような。


「――佐藤って、優しいんやな」

「え?」

「さっき、にゃんこが出てきたとき、うちを守ろうと前に出てくれやろ? それに上着も……」

「俺は男――」


 同じことを言おうと思ったが、さすがにつまらんなあと突っ込まれそうなのでやめた。

 関西人に面白くないと思われるのは、結構つらい。

 何か、何かおもろい返しは……そうだ。


「朱音って、守りたくなる女なんだよな」


 この前見たドラマのセリフだった。

 ちょっとキザだが、朱音ならわかってくれるだろう。

 「なんやそれー! ださー!」 なんて、笑いながら返してくれるはず。


「……そんなん言われたん初めてやわ」


 と、思っていたら頬を赤らめながら朱音は恥ずかしそうに顔を隠した。

 あれ? これってどういうこと? これが関西人の面白い返しなのか……?



 到着すると、すでに火が起こされていた。

 かなり苦労したらしく、高森は煤だらけになっていた。


「実験に失敗したのか?」

「そうそう、フラスコが破裂してな」


 なんでやねん! という、朱音の突っ込みがくるだろうと、俺と高森は後ろを振り向いた。

 だが、朱音はまだ頬を赤らめていた。俺の顔を見ていた。


「朱音ちゃん? どうしたの、熱?」

「本当だ……朱音さん、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫や。ちょっとなんか熱いなぁってな!? な、何でもないで!?」


 なんだろう、よくわからないが、朱音はボーっとしていた。

 カレーの準備が終わって食べはじめても、静かだった。


 というか、俺ことをずっと見ている気がした。



 

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