幕間 父たちが言わなかったこと(※胸糞注意)

小田島那智子の惨劇と崩壊

 さっきまで楽しかったのに、今はこの世のすべてが地獄に落ちればいいと思う。日没後の公園。代わる代わる五人組の男に陵辱されながら、那智子なちこは呪詛した。

 今まで関係を持った男たちは、みんな優しかった。そういう人だけを、よくよく吟味してから身も心も開いたのだから、当然だ。


 直郎ちょくろうは丁寧に丁寧に、自分の性欲より那智子の体を優先する甲斐甲斐しい人だった。彼が心因性勃起不全を患ったのは悲しい事故だが、直郎本人の性格も大きく起因しているのだろう。その前にやることがやれたのは、幸運だ。


 鴉紋あもんはたくましく情熱的で、激しいながらきちんと楽しませてくれた。さぞかし津波のようにあまたの女性をなぎ倒し、モテにモテただろう。

 そういう男なのに、惚れた相手には一途なのがたまらなく可愛い。


 八津次はセックスに積極的で、様々な趣向を凝らすタイプだ。色々と新鮮な体験をさせてもらったが、那智子が少しでも嫌がるときちんと身を引いてくれる。

 彼の、子供のように無邪気な愛情表現が好きだった。


 何度か鴉紋と八津次の二人同時に抱かれた時も、那智子は幸せでいっぱいだった。直郎が参加できなかったのが、かえすがえすも残念だ。


 それが今はどうだろう。


 何度も殴られて顔のあちこちは腫れあがり、頭は髪を抜かれた部分が寒いから、きっと禿げてしまったのだろう。恐ろしくて鏡が見れそうにもない。

 体中に雌豚とか淫乱とか、そんな言葉がボールペンで書き込まれていた。洗い落とすのに、どれだけかかるか考えたくもない。


 腿の内側と乳房は、押しつけられたタバコで丸い火傷が密集していた。見ようによっては鱗みたいだ。このまま魚になって、陸で死んでしまいたい。

 男たちは早めのハロウィンマスクを思い思いに被っていた。つまり、顔を覚えられたからと殺される可能性は低いはずだ。


「ころさないでください」


 しゃべると血の味がして、奥歯がぐらついた。家には愛する人たちと、幼い息子が待っている。生きることを諦めるわけにはいかない。

 その上、この体には新しい命の萌芽を宿しているのだ。


「おねがいだから、ころさないで、ください」


 何もかも踏みにじられた自分にも、命くらいは残してくれるだろうと懇願する。男たちは滑稽こっけいな見せ物のように、その姿に大笑いした。

 それでも、これで終わるなら、今さらあざ笑われても構わない。


「じゃあ、最後に記念のサイン残しとくか」


 リーダー格に命じられて、四人が那智子の手足を押さえこみ、大きく股を広げさせる。これ以上、どこに何をしようというのか。


「子宮にアバズレって書いてやるよ」


 言葉通り、ボールペンを握った手が挿しこまれる。ショックに凍りつき、痛みや恐怖をやりすごそうとしていた防衛本能を、尊厳に対する那智子の怒りが上回った。

 手でも足でも首でも口でも動かせる所を総動員して抵抗すると、男の手元が狂った。それとも苛立ちまぎれの故意だろうか。


 芯が、大切な場所に突き刺さった。



 そこから那智子の意識は曖昧になる。

 家族が自分を病院に連れてきて、何か色々と話しかけてきた。

 あんなに会いたかったのに、悲しみも怒りも喜びも、ものを考えたり感じる頭が潰れてがらんどうになったみたいだ。


 ああ、赤ちゃんがダメになったこと、子供をもう産めなくなったことは言った気がする。医者に言われたから。伝えておかないといけない気がしたから。

 どうしてだったかは思い出せないけれど、少し前の自分にとってそれは重大事実だったはずで、なのに今はそれが意味することがさっぱり理解できないのだ。


 赤ちゃんってなんだっけ。

 子供ってどうして生まれるんだっけ。

 とても痛くて苦しいのに、痛くもかゆくもないの。

 おかしい、おかしいけど、それって何かいけないこと?


「あいつらが憎くないか、那智」


 この声は鴉紋だ。低くて張りがあって気持ちが落ち着く、耳元で囁かれると何度聞いてもゾクゾクするあの声。でも、憎い。憎いってなんだったっけ。


 憎い。憎い?


 憎い、に、くい、に、く、い、にく……い。


(にくい)


 憎い! 憎い、苦い、憎い、憎たらしい、憎々しい、憎い、醜い、おぞましい、むごたらしい、あつかましい、ああ――


「――憎い。憎いわ」

「どうしたい、那智」


 彼が警察官なのは知っている。でも、これは個人的に片付ける気だと那智子にも分かった。もやがかかっていた視界が晴れて、鴉紋の顔を直視する。

 ここは病室だ。壁際の椅子には眠ってしまった五歳の佐強と、その体を支える直郎が。ベッドのすぐ横には八津次がいた。


「全員惨たらしく殺して」


 喉へ烙印のように焼きつく言葉が、すべらかな声になる。自分の中から噴き出すあまりに獰猛な憎悪に度肝を抜かれたが、那智子はもはや止められなかった。


「苦しめて苦しめて、殺してくださいって言っても生き地獄を味わわせて」


 この人たちが愛した自分には二度と戻れない、おぞましい怒り。人は傷つけられただけでなく、その恨みでもどうしようもなく変わってしまうのだ。

 それでも彼らは愛してくれるだろう、醜い自分を笑うことなく、手を取ろうとしてくれるだろう。だから今も、那智子の言葉に耳を傾けてくれる。


「絶対に許さない、虫みたいに潰されて、一つずつ足をもがれればいい。謝っても死んでも呪い続けてやるから、自分たちがしたことを思い知らせて!」


 お願いだからわたしを止めて。やめろってたしなめて。あいつらを殺して。人の形になれなかった赤ちゃんの分まで仇を取って。わたしに失望して、嫌いになって。


 助けて。


 こめかみで脈打つ血が、報復を叫んでいる。

 壊された胎内から、生まれたかったという怨嗟が聞こえる。

 復讐の甘い果実をかじれば、自分は生涯この亡霊に取り憑かれて生きるのだ。


「分かった」


 鴉紋は那智子の手を握って、力強くうなづいた。

 あなたは何年も鍛錬して、勉強して、警察官になったんじゃないの? これまで積み重ねてきた自分の人生を、汚れたこんな女のために捨ててしまうの?

 那智子の顔を映す瞳は、よく磨かれた鉱石のように、あるいは何百年も昔にできた氷のように、冷たく輝いていた。三人が三人とも、同じ決意の眼をしている。


 法律も、道徳も、理性も、良識も、この人たちはみんな薪にべてしまう。

 わたしのせいで。

 わたしを愛しているから。

 けれどわたしはもう、わたし自身じゃない。


 那智子は高らかに、音程の狂った笑い声を上げた。

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