幕間 世直郎の罪業 前編

なにが彼の罪なのか

 二人は落ちながらしっかりおたがいひじをつかみました。この双子のお星様はどこまででも一緒に落ちようとしたのです。


                     (宮沢賢治『双子の星』)


◆ ◆ ◆


 わたしは醜く、愚かで、卑しい罪人だ。最後の審判が下される日、その魂は必ずや地獄へ堕とされるだろう。せい直郎ちょくろうは心底、自身を唾棄していた。

 罪を犯したという事実よりも、それをさせた己の性質に、彼はつくづく失望している。愛を説くキリストの教えを受けながら、人を愛せない己に何の価値があろうか。


 自分の人生は、出来の悪いメロドラマだ。


 それでも主は、無償の愛アガペーを授けてくださるだろう。だとしても……だとしても。

 モーセの十戒を破り、小田島おだじま那智子なちこのために人を殺したのも、すでに自分は穢れているという意識あってのことだ。神の赦しと愛を受け容れられぬ、傲慢なクズめ。


 彼が自身を忌み嫌うようになったのは、那智子と出会い、一度破局したことがきっかけだった。話は、幼少期にまでさかのぼる。

 物心ついた時には、直郎は児童養護施設で暮らしていた。両親は亡くなっており、引き取ってくれる親戚もおらず、他に行き場がなかったと聞かされている。


 施設はお世辞にも、環境が良い場所ではなかった。

 何かと理由をつけて三度の食事を取れないことはもちろん、入浴どころかシャワーも週に数だけ回。それぞれに問題を抱えた収容児童同士の争いも絶えない。

 直郎にできたのは、年下の子をかばい、食事を分けたり、励ましたりすることだけだった。自分より幼いものが苦しむさまは、あまりに不憫だ。そのためなら、多少のひもじさも、暴力の痛みも、我慢してし切れないことはない。


 小学校に上がるころ、直郎は世家に引き取られて養子となった。施設を出られるうれしさよりも、残された子どもたちが心配だったことをよく覚えている。

 義両親は優しく、温かい人々だったことが、余計に後ろめたさを後押しした。その気持ちを和らげてくれたのが、養父に連れて行かれた礼拝だ。


 この世には神さまがいる。アダムとイブが罪を犯してしまったため、人間は神さまなしで生きることに慣れてしまい、自分勝手にやって行くようになった。

 そのために世界は混沌の時代となっている。戦争、殺人、テロリズム、ありとあらゆる罪と災厄にまみれ、安全な所はどこにもなくなってしまったのだ。

 けれども神さまは人間を見捨てない。こちらが気づくまで、常に無償の愛を向けて待っている。善を選ぶ自由意志を、信仰の扉を叩くことを。


(しせつのみんなが、おなかいっぱいごはんを食べて、なか良くして、毎日楽しくくらせますように。主の御名みなによってお祈りいたします、アーメン)


 毎日祈りを捧げることで、後ろめたさは解消されていった。

 正式に洗礼を受けたのは、中学生の時だ。世家は医師の家系で、直郎も同じ道を目指すことは早くから決まっていた。問題は何を専門とするかだ。


 悩んだすえ小児科を選んだのは、施設での経験があったためだろう。幼い子供たちを、少しでも助けたかったのだ。目標が定まると、勉強は苦にならなかった。

 いや、元々勉強は得意だ。

 その性質を見抜いていたから、両親も彼を引き取ったのだろう。医師になることで、父と母に恩返しもできると思うと、毎日が充実していた。


 順調に医大に合格し、人数あわせで出席した合コンで、彼女と出会った。

 女性側はお嬢さま校と名高い女子大の生徒らしく、さまざまな習い事で教養を積み重ね、品の良い落ち着いた雰囲気をたたえている。いわゆる大和撫子だ。


 中でも那智子は、大輪の花だった。


 ただ美しいとか綺麗だという言葉では足りない。人間には指紋のように、ぐねぐねと曲がりくねった心のひだが、一人一人違う欠けた形があるだろう。

 それは他者がどう愛撫しようと、言葉をかけようと、表面か、一部の欠落が満たされるだけだ。むしろ一生に一人でも、欠落の一部を埋められる相手と出会ったら、それだけで満足しても良いほどだ。人はどうせ皆、孤独なのだから。


 那智子は直郎の欠落にピタリと当てはまる、そんな人だと一瞬で理解した。


 彼女もそうだったのだろう。初対面から、二人は互いしか目に入らなかった。他の参加者が声をかけ、余興で別の相手と引き合わされても変わらない。

 宴もたけなわになるころには、誰もが二人のことは諦めていた。自分はこの人を生涯の伴侶とする。それが当たり前のように、直郎の中で決定事項と化した。

 月並みなことを言えば、運命だと思った。

 それは赤い糸どころか、黒い意図だったのだが。


 彼女に触れると、溶けてしまいそうに熱くて。男女という異なる性が交わるセックスにおいて、それは不思議なほど優しさといたわりに充ち満ちていた。

 互いの体はどこまでも続く肌色の大海で、そこに埋没しながら、愛して愛して果てまで愛し続け、一つに融け合いたい。


「最近、少し怖くなるの」


 だから那智子がそう言った時、分からなくもない、と思ってしまった。一夜を過ごし、春の早朝に二人で駅へ向かった時だったと思う。


「あなたと居たら、どこまでもグズグズに溶けて、人生を踏み外しそうなくらい、幸せ。なのに、こんな人は他にいない、絶対逃がしちゃダメだって、お腹の底からそんな声が聞こえるの。頭じゃないのよ、なんだか……嫌」


 桜の木はつぼみをつけ始め、薄紅に染まろうとしていた。その傍で物憂げに額を曇らせていた彼女は、影法師のように暗く儚げだった。

 彼女が鴉紋あもん八津次はつじと付き合いだしたのは、この不安があったために違いない。那智子は直郎よりずっとずっと鋭く、本能の部分で罪の味を察していた。


 那智子から「父に会ってほしい」と言われたのは、その数ヶ月後のことだ。顔合わせをし、結婚を前提にした交際を宣言する。ついにこの時が来たか。

 電車を乗り継いで訪ねた小田島家は門構えも立派で、地元の名士という印象だった。大きな天然木オブジェのある玄関からリビングに通されると、いかにも厳格そうな父親がソファで待ち構えている。なぜか母親の姿はない。

 挨拶もそこそこに、那智子の父は切り出した。


「世直郎くん、君のことは娘からよく聞いているよ。人柄も成績も申し分ない、君のような人物が那智子を選んでくれて嬉しく思う。だが、恨むぞ」


 寄せ木細工のように継ぎ目のない嫌悪を、思わず見過ごしかけてしまう。


「申し訳ないが、私は少々神経質でね。君の素性を調べさせてもらった」


 やましいことなど何もないのに、なぜそんな応対をされるのか分からない。強いて言えば婚前交渉しているが、那智子の父親はそこまで厳しい人物なのか。


「君たちは二卵性の双子だ」


 二人が反論なり抗弁なりにしようとした酸素は、虚しくかき消えた。父親はリビングテーブルに置いていた茶封筒から、数枚の書類を取り出す。


「私が那智子を施設から引き取ったのは三歳の時だった。だから君たちは、互いに姉弟がいたことも覚えておらんのだろう。その点は致し方ない。だが……」


 太く節くれ立った指が、かすかに震えながら直郎の顔をさした。


「なぜ、よりにもよって那智子が君を、君が那智子を、選んでしまったのだろうな。何も知らずとも、双子の姉弟同士で愛し合うなど、到底認められない」


 封筒の中身は直郎の身上調査書だった。

 自分が世家の養子であること、彼女と同じ養護施設の出身であることはもちろん、那智子と姉弟であるという施設入所時の記録、はては当時を知る職員の証言まで。

 兄弟姉妹は同じ施設に収容されても、里親に引き取られるの時もいっしょというのは稀なものだ。親の側にも都合がある。


「君が望むならDNA鑑定をしよう。もしそれで調査結果が間違いなら、私は君を婿として歓迎する」


 だからこの場に母親が同席していなかったのだ。那智子は父の行動に文句を言うこともできず、両手で口を押さえていた。

 その後のことはよく覚えていないが、DNA鑑定に同意したことは確かだ。そして、結果は調査通り二人の姉弟関係を証明するものだった。

 那智子は小田島家から事実上絶縁され、名字だけ名乗ることが許されたと言う。


「那智子さん、別れましょう」


 自分からそう切り出した時、彼女は曖昧にうなづいた。なりふり構わず大声を上げて泣いた直郎の姿は、後にも先にもないほどのみっともさなだろう。

 自分が愛だと思っていたのは、ただの自己愛だった。反吐の出るナルシシズム、自慰行為の変形。あの性的な充足は、自閉と退行の甘やかな毒だった。


 メロドラマにしても出来が悪いというのは、この部分だ。

 兄弟姉妹の近親相姦において、それはしばしば日常の成り行きで発生し、しかも長期間に及ぶという事例が多い。ほとんどは罪悪感すらない。


 家族関係、倫理性、経済的すべてに置いて何の問題もない家で、高学歴な兄が、成績優秀な妹にアプローチする。彼女は喜んでそれに応じ、やがて行為が発覚。

 そんなトラブルをささいなことと切り抜けた後は、二人とも過去を忘れて明朗快活に社会生活を営む、というような。


 インセストの一線は、思いのほか容易に乗り越えられる。

 言い換えれば、きょうだい間の近親相姦は必ずしも、人格上の問題によって発生するわけではないのだ。だが、直郎はそれを認められなかった。


 申命記第27章22節。「『父の娘、または母の娘である自分の姉妹を犯す者は呪われる』。民はみなアァメンと言わなければならない。」

 レビ記第18章第6節。「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。」

 同7節。「あなたの母を犯してはならない。それはあなたの父をはずかしめることだからである。彼女はあなたの母であるから、これを犯してはならない。」

 9節。「あなたの姉妹、すなわちあなたの父の娘にせよ、母の娘にせよ、家にうまれたのと、よそに生れたのとを問わず、これを犯してはならない。」


 旧約聖書にはこのように書かれている。その一方で、創世記のノアとその妻サラは、異母兄妹ないしそれに近い血縁だとされていた。

 何にせよ、直郎はこの一件以来、男性としての能力を失った。ことの発覚後、那智子に乞われるまま抱こうとしたら、一向に勃たなくなっていたのだ。


 死のうと思って何度も自殺を試みたのに、どういうわけかことごとく失敗した。神はこのような自分にも、生きろと仰るのだろうか。

 もはや無気力にアパートで寝転がっていた時、那智子からの連絡に応じてしまった。二度と会うことはないと決めたのに、声が聞きたいという誘惑に抗えず。


 そして鴉紋と八津次に引き合わされ、彼女の妊娠を知らされた時、直郎の人生は決まった。那智子から離れなければならない、だが生涯離したくない。

 しかし、三人同時ならば?

 決して結ばれることのない女と、三人の内の一人という形でも「夫」になり、「父親」になれる。自分の罪に目を背けて、家庭を持つという幸せをつかめる。


 これは悪魔のささやきだ。逆らっても、従っても、どちらにせよ必ず後悔する、自分を真っ二つに引き裂く二者択一の処刑。

 主が人の自由意志を尊ばれるように、人間には悪に堕ちる権利がある。直郎は権利を行使した。その果てに行き着いたのが、翠良みすら尾瀬おぜの地だ。


 陵辱され、心を病んだ那智子が命を落とした場所。そして自分たち姉弟の忌まわしき故郷。信多郎しんたろうの話を信じれば、彼と自分は従兄弟同士だ。

 ――対媾ついぐな

 その言葉を説明された時、ふと違和感を覚えた。対、とは男女間を指すのかもしれないが、兄弟姉妹について使うならば、それは双子である方が自然ではないのか。


 双子は古来〝畜生ちくしょうばら〟などと忌み嫌われる。実際、夫婦になりたがる傾向があるとか、心中者の生まれ変わりという伝承さえあるほどだ。

 だが、翠良尾瀬ではどうだ。

 受け継いだ人魚の血肉を濃くするため、近親婚を奨励する土地において、「同じ人間」が二人という双子は、非常に都合の良い存在ではないか。

 すなわち、対媾とは男女の双子のまぐわいを、その子供を指すのでは?


 信多郎との話でそれに思い至った時、直郎は総毛立った。あの男は、眼球を失った眼窩の奥から、佐強さきょうの血に秘められた真実を見抜いていたとしたら?

 分かってしまった。あの子の父親は、自分だ。

 そして彼こそは、祟りに対する最高の生け贄となるだろう。


 鴉紋や八津次に、この秘密を知られたくなかった。だが、佐強を守るためならそうも言っていられない。兄弟たちにさげすまれようと構うものか。

 今こそ、罪を告白する時だ。

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