22.婿だから信じるよ
今回は資料を作成してくれた細野もそばにいてもらった。
「すごい。けっこうありましたね」
「いつもの探偵事務所にお願いをいたしました。荻野がお世話になった衣服関係の事業者を集めております」
「うーん。お祖母ちゃまは、芽梨衣さんに優しく働ける場所とか言っていたけれど。いまどき、そんな職場あるの? すぐに辞められても困るものね」
「これはというものを、私からご提案をしたいところですが……。千歳さんの『勘』のほうが正しいかと……」
調査結果から環境的に細野がいいと思ったものもあったようだが、荻野では跡取り娘の勘のほうが正しいだろうと彼は言う。荻野に長く仕えてきた男にも、家風が染みこんでいるのを知る。
「参考までに。細野さんの候補をきいてもよろしいかしら」
「お嬢様がそうおっしゃるなら――。こちらです」
数件の事業所情報の用紙をクリアファイルに収めたものを並べてくれる。
デスクに並んだ事業所情報を千歳は眺める。
個人経営のブティック、若手経営社が運営するセレクトショップ、オーダースーツ専門店、商店街の衣料品店などだった。
その中にひとつだけ、店舗とは異なる会社情報があった。
それを千歳は手に取ってみる。
「デザイン事務所? お洋服をデザインしているの? 個人で?」
「はい。千草会長がご贔屓にしていたブランド店舗の元販売員です。いわゆるカリスマ販売員だったようですが、もとよりデザイン学校に通われていたとのことで、自分で洋服を作って売り出したいと独立された方です。函館のご出身ということで、そちらでお母様と共に事務所を経営。そこを拠点に全国展開へとチャレンジされているようです」
「デザインの作風もわかるかしら」
こちらです――と、細野がタブレットでデザイン事務所のWEBサイトを見せてくれる。
うわ、なかなかに個性的――が千歳の第一印象。でも、これ、あの母娘が着ていた、ちょっとギラついていた洋服たちに似ているなとも感じた。どちらかというと、個性的なブランド向けなのだ。
千歳が一事業者に対してずっと興味を示しているので、細野が続けて教えてくれる。
「そもそもお母様が地元客向けの衣料品店を経営しておりまして、一階が店舗、二階を事務所にしていらっしゃるようです。一階ではお母様が現役で販売を……」
目にとまったそのデザイン事務所のクリアファイルを手に確保したまま、千歳は他の細野候補と、候補にあがらなかった事業所も確認をする。
でも決まった。なんだかこれが良い気がする。
WEBサイトにある個性的な洋服のデザイン。風変わりなデザイナー男性が語るコンセプトも読んだ。一本筋通っている頑固なセンス、しかし柔軟な発想力。一階にある母親の衣料品店の紹介もされていたが、そのお母様のお顔には『清廉さ』が窺えた。それらにすべて触れてみての、千歳の勘だった。
「こちら、デザイン事務所でお願いします」
「かしこまりました。打診をしてみます」
七十歳近い母親と四十を越えて独身の息子が、共に経営しているデザイン事務所とおばちゃん衣料品店。不思議な組み合わせだが、とても気になった。
それから半月ほど経ったころ――。細野から報告があがる。
ここ最近、細野と様々な調整を行うときは、会議室でふたりきりになって話を決めることが多くなってきた。
その日も小雪がちらつく大通公園が見える会議室で、細野に呼ばれて向き合う。
気のせいか、この日の細野はうっすらと頬が紅潮しているような気がするほどに、わずかな表情があった。
「素晴らしいですね。千歳さんの勘。事情を話したらあっさりと受け入れてくださいました。ちょうど人手が欲しいとのことでした。芽梨衣さんをお連れして面接もいたしましたが、なんだか相性も抜群のようでした」
え、そうなの? と自分の勘で選んだくせに、千歳自身も意外に感じてしまったのだ。しかも細野が『素晴らしい』と珍しく絶賛してくれた意味もわからなかった。
個性的なデザイナーと意気投合したとか、お母様と楽しくお洋服の整理をしたりディスプレイをしていたとか、これまた意外な報告を受けたのだ。
細野は函館まで様子見に行く度に芽梨衣が変わっていくのを目撃して、今回ばかりは『さすが、荻野の跡取り娘。冴えた勘、お見事』と感銘したとのことだった。
祖母の指示で『跡取りお嬢様付に指名されたから、職務を遂行しただけ』と思っていただろう教育係の男性に、初めて『真の跡取り娘』と認めてもらえた気持ちだった。
だが、忘れてはならない。これは千歳だけの力では成し得なかったことだ。
きっと千歳に細野が付けられたのも、祖母が見初めたご縁だ。
そして細野は、心情本心はともかく祖母に恩義があるから孫娘にも尽くしてくれていた。
函館のデザイン事務所や他の事業所情報は、細野を始めとし、依頼を受けてくれた探偵事務所の働きもある。巡り巡って、千歳の手元に集まった情報の中から、細野が情報分析をして候補まで見定めてくれていた。
ただ思うのは。『俺は状況判断をもって候補を選んだ。生まれ持った不確かな孫娘の勘だけで選べるものか』と、細野は若干思っていたかもしれない。
それでも千歳が思うのは、そうした客観的な情報も大事だということだ。
今回は見事に、細野の客観的情報分析と、千歳の勘が同じところで重なっただけ。
でも、これで千歳はさらに強力な補佐を得られたと感じられた。
これも福神様が導いた出来事で、仕事だったのだろうか。
『いいとこ見つけましたなあ。あの親子がめりぃちゃんを、愛ある厳しさで叩き直してくれることでしょうな。めりぃちゃんも素直になってきたし、お洋服のセンスが合致したみたいだわね~』
という福神様のお声もいただいた。
自分の勘を信じたいが、どうしてどうなったら収まったんだと、函館まで芽梨衣の様子を見に行きたい衝動に駆られてしまった。
---❄・❄・❄
本当にこれで、悪縁の全てが収まるところに収まったと願いたい。
自宅マンションでくつろぐ夜も、千歳がまだ安心できない様子で唸っていると朋重が気にかけてくれる。
ソファーで洋画をふたりで見ながら、紅茶を楽しんでいる時だった。
彼が入れてくれてたミルクティーを味わっていると、栗毛の彼が千歳の顔を覗き込んでいる。
「芽梨衣姉ちゃんのこと、まだ気になっているのかな」
「え、うん。私の仕事、ほんとうに正解だったのかなって。いままでだって、なんとなくの勘で流されてきた気がして」
「俺は……。荻野と縁続きになって、ほんとうに様々な不思議なことに驚いているけれど、お祖母様に、遥万お義父さん、そして千歳が下す判断については、どれも信じられるものと考えているよ」
未だに『不思議な一族』と言われる実家について、朋重を初めとした浦和の親族には『おかしなことを言う人々』と思われていないだろうかと、不安になることも本当のところ。でも千歳は、朋重の優しい眼差しを見つけてホッとする。
「そんな顔をしないで千歳。俺は、荻野の跡取り娘の夫になるんだから。どんな不可思議なことも、俺は信じるよ」
その証拠に――と、朋重は『さらに信じることになった出来事』を教えてくれる。
「少し前に、浦和本社にいる兄貴のところに、母の友人から連絡があったんだって」
「え、そうなの。それって珍しいことなの?」
「その友人からわざわざ連絡があることは珍しいことなんだけど、連絡内容が『母と連絡が取れない』ということだったらしいんだ。俺の父とも連絡が取れない。その方は母が若いときの学友なんだけれど、地元の母親族たちが『急に母と連絡が取れなくなった』とか『会いに行こうとしても、どういうわけか、札幌へでかけようとする日にでかけることができない』とか言いだして、それで母の友人に連絡をしてきたらしい。そのご友人は母とは年賀状だけのやりとりだったみたいだから、浦和実家自宅の電話番号とか母の携帯番号は知らない方だったんだ。だから本社ならと。そのご友人が電話するなら、本社にいる兄には繋がったみたいなんだよ」
ああ、縁神様の爆撃範囲に入っている親族たちが、朋重の母になにかを頼ろうとしても、もう縁が切れてしまってどの手段でも接触ができくなったんだと千歳は思った。
「お義母様のご親族は、どんな連絡をしたがっていたの? 紹子さん以外にも、浦和に嫁いだお義母様を頼りに援助でも申し出る親族がいたの?」
「伯母の親族というか。俺とは血が繋がっていない祖母関係だと思う。紹子伯母から援助を受けていたんじゃないかな。伯母に20万、芽梨衣にも20万の月援助ということで大人しくしてもらっていたから。その資金が途絶えたことになるんだよな。伯母は入院、芽梨衣は千草お祖母様が保護をして、あちらの親族との接触を断った状態だから、懐が急に寂しくなったんじゃないかと兄が言っていた」
紹子伯母はもう退院する目処が立っていない。援助は入院費ということで収まっている。
芽梨衣自身ももう、戻りたくないと言いだしているそうだ。素直に正しく生きていくことで胸を張れるほうが、幸せに決まっている。たとえ母と親族と会えなくなっても、彼女にはもう共に日々を過ごす知り合いがいて、荻野の目が届くところに置かれることで安泰を得たからだ。彼女も故郷と縁が切れたことになる。
「少し前に、千歳が教えてくれただろう。お祖母様の縁神様が縁切りを行ったって……。こんなふうになるんだね」
「お母様は大丈夫? 実のお父様と二度と会えなくなるかもしれない」
「母がそう望んだんだよ。千草お祖母様が、俺の父に『奥様に縁切りを行っていいか確認して欲しい』とお伺いを立ててくれた上で、実行してくれたことなんだから。母も子供時代のことは思い出したくないって……。紹子伯母が久しぶりに現れたことで、少し前に母もフラッシュバックが起きたとかで取り乱したことがあったらしい」
それを聞いて、千歳は青ざめる。自分と結婚することで『縁結び』が行われたが、そのせいで波風を立ててしまった気がしていたのだ。
朋重もすぐに千歳の顔色に気がついてくれ、くっついて座っているソファーの上で千歳に寄り添い、優しく肩を抱き寄せてくれる。
「大丈夫だよ、千歳。母も落ち着いてきて、俺と千歳の結婚式を楽しみにしていると笑顔が増えてきているって。父も兄貴も言っていた。母も『もう、振り返らない、父親が選んだ家族は、実娘の私ではなく姉の親族だったのだから。もう私から捨てる』と、少し前から急に吹っ切れたように明るくなったらしいよ」
「そうなの……。だったら安心。これからは、お母様にはなんの心の重しもない日々を過ごしてほしいから」
「うん。ありがとう。荻野と縁続きになったおかげだから、俺たち浦和の一家はみんな感謝しているよ。あ、そうだ。母が、千歳と伊万里君の大食いモードを見てみたいってさ」
「え!? なんだか恥ずかしいんだけれど!」
「父が、千歳の誕生日まで待てないから、親族忘年会ということで『上限なし食事会』をやろうと言っているんだ。俺も準備する幹事になるように会長命令されちゃったんだ。いま見積もり制作中」
大好きなレストラン浦和の海鮮丼、上限なしのお食事会!? もう少し先かと思ったら、すぐ目の前まで迫っていて千歳も『嬉しい!』とはしゃいでしまった。
そんな千歳を見て、寄り添ってくれていた朋重が柔らかく微笑んで見つめている。
「千歳に出会えて良かった。俺を見つけてくれたお祖母様、俺を認めてくれた荻野のご加護様たちに御礼をいいたい。福神様が喜んでくれるなら、たくさんたくさんうちの海鮮丼を堪能してほしいよ」
俺も神様とのご縁を大事にする婿になるよ。
彼が千歳の耳元にキスをしてくれる。
美味しいものがいままで気持ちを満たしてきたけれど、彼からの甘いキスもいまは最高のご褒美になってしまった。
千歳が甘い気持ちでふわふわになって、朋重に寄りかかっていたら。
『上限なし、浦和水産海鮮丼ですとな! 石狩の海の幸を堪能できるってことですな! 婿殿あっぱれ!! さすが朋重殿、褒めてつかわす。千歳、その時は麦酒ではなく、一等の吟醸酒で頼みますな』
せっかく彼と二人きり、うっとりしていたのに。何故か釣り竿を振り回して福神様が高笑いをしている姿が脳裏に浮かんできた。
甘えていた朋重の胸元から、千歳は顔を上げて彼に伝える。
「一等の吟醸酒も準備してほしいって」
「え、こんな時にも、神様は千歳の中にやってくるんだ。でも、そうですね。かしこまりました――と伝えて」
女児が生まれやすいのは、もしかして巫女さん家系だったのでは?
朋重がそんなことを言いだした。
荻野は長子相続、そして長子には女児が生まれることがほとんど。そして長子が神の夢を見て、お告げをうけることも多い。
師走に入り、親族忘年会が行われることに。
その頃、また石狩の漁港では旬の魚が大漁だったの報せがあった。
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