22.神様のお花見


 束冴はつまんだ花びらを、千歳へと差し出してくれる。


「あら、ハマナスの花びら? 風で入ってきたのかな? 私のお洋服についていたのかしら」

「ここ奥にあるから風で入り込んでこないし窓を開けていないし。それに、貝殻とかシーグラスとか落ちているときもあるんだ」


 そんな束冴が神棚へと目を向けた。


「母ちゃんも父ちゃんも、祖父ちゃんも祖母ちゃんも、ひい祖母ちゃんも。みんな、神様の仕業だからそっとしておきなさいって言う」


 覚えがある千歳はやや『ひやり』としながらも、神様の大胆さに驚きをかくせない。でもこの子に見つけてほしくてなにかをしているのだろうか?


「だから。おばちゃんが来たら、俺、なにか落ちていないか探すようになっちゃったんだ」

「そ、そうだったの~」

「千歳ちゃんは不思議な人って母ちゃんとばあちゃんたちが言うんだ。俺もそう思う。びっくりするぐらいに大食いだし」

「あはは~。あれなんでだろうね。姉弟で一緒だから体質かな? 遺伝かな? ご先祖様にも大食い姉弟がいたのかな~」


 もう笑って笑って誤魔化した。なのにじぃっと見つめてくる大人びた子の眼差しに耐えられず、千歳は目線をそらした。

 いや、千歳もわかっていた。勘でわかる。この子は聡い子だと。小学生男児だからと誤魔化せない知性が既に備わっている子だと感じている。


「束冴君、拾った貝殻とかどうしているの」

「集めて取っておいているんだ。花びらとか葉っぱは押し花みたいにしてる。千歳おばちゃんに見せようと思って。なにかの落とし物かなって」

「そうなんだ。あとで見せてくれる?」

「あの……、おばちゃんに返さないとだめ?」


 あ、それを気にしてくれていたのか。千歳もそう悟った。


「ううん。束冴君が大事にとっておいて。だってこのお家の中で見つけた落とし物でしょう。それはこのおうちの男として生きていく束冴君への神様からの『お知らせ』だと思うの」

「千歳おばちゃんは、神様が見えるの? 俺、そう感じている」


 本当なら隠すんだけれど――。

 千歳はそう思っても、気もちはもうこの子を信じている。

 それに。福神様もなにも言わずに出てこない。止めに出てこないということは、そういうことなのだろう。


「あのね。神様は見えるものじゃなくて、感じるものなの。おそばにいると思っていたら、ちゃんとそばにいるの。良いことばかりじゃなくて、怒られることもある。どう生きていくべきか、合わせ鏡のようにして見せてくれるの。その『感じる力』が、おばちゃんにはちょっと強くあるだけ」


 小学二年生にこんなこと言っても……。千歳も戸惑いつつ伝えてみたが、束冴の黒い瞳はまっすぐ真剣で、ほんとうに大人のよう。きちんと理解して聞いてくれていると千歳も確信している。


「そうなんだ。祖父ちゃんも言うんだ。昔から守ってきたものを漁師の家は忘れちゃいけないって。うちの神棚は大事に守ってくれよって。父ちゃんの次は束冴の仕事だって言われているんだ」

「そうだね。この川端のおうちは、神様も居心地がいいおうちなんだと思うよ。ここにいますからね、時々来ていますからね、というお知らせをしてくれているのかもね」

「そっか。来てくれている『お知らせ』なんだ」

「でも、こっそり来ているから、おうちの人以外に教えちゃだめだよ」

「わかった!」


 やっと子供らしい純真な輝く瞳と笑顔を見せてくれたので、千歳も彼の頭を撫でた。


 あとで箱に入れてとっておいてある『神様の落とし物』を見せてくれると、束冴は張り切って大広間を出て行った。


「いまハマナス咲いていますもんね。お花見でもされてから来たのかな」


 束冴が分けてくれた紅の花びらを抓んで、千歳は神棚を見上げる。

 最近、千歳は保食神様を見なくなった。いつからだろうか。子育ての忙しさに流されて、気がつけばいつからだったか思い出せない。

 たまに福神様経由で『保食神さんが荻野のお菓子を食べたいって~』と教えてくれるくらいだ。そんなお告げをもらったら、川端家を訪ね漁村の神社にもお参りに行っている。


 通ううちにこの漁村の空気が夫妻そろってくつろげることに気がついて、別荘を持つことになった。

 そのおかげか。お姿は見えなくても身近に感じる歳月を送ってきたから、見えなくてもそばにいるように感じてしまっていた。


 見えないけど、福神様の次にとても身近に感じる神様。夫の実家、浦和家が祀ってきた神だからなのだろう。


「でも。両家に寄り添ってくださっていること、感じています」


 紅の花びらの薫りを吸い込んで、千歳は微笑む。

 庭に出ると、もう賑やかに四家が出そろって網焼き鉄板焼きで盛り上がっている。


「おー、きたきた。千歳ちゃん、タコ天、冷めてしまうぞ」


 川端の洋太おっちゃんが、大きな盛り皿をそばに手招きしている。


「千歳さんの好物、浦和水産レストランの鮭親子丼も作っておいたよ」


 秀重義兄と桜子義姉が、サーモンの刺身とイクラをたくさんのっけた丼を掲げて声をかけてくれる。


「三ポンドステーキも焼き上がるぞ~。伊万里君、黒ビールもセットできたら、お姉さんと一緒に食べたまえ」

「ありがとうっす、ジョー義父さん!」


 長谷川社長も大きなステーキ肉をふたつ並べて焼き上げて待っていてくる。


「デザートは荻野のお菓子がいっぱいあるからな。子供たちも今日はおやつをいっぱい食べていいんだぞ~」


 父・遥万もデザート専用テーブルを準備して、いっぱいにお菓子を並べ始める。


 それぞれの家から持ち寄ったご馳走がずらっと並んで、子供たちもおおはしゃぎ。子供テーブルでお皿を並べて待っている。

 そんな中でも小さな子たちをしっかり面倒見ているのは、一番兄貴の束冴で、そのお手伝いをしているのは次に年上になる千咲だった。

 束冴はそんな意味でも子供たちのお手本で、千咲も見習っている姿が

よく見られるようになった。


「では、そろそろ、みなさんで乾杯しましょうか」


 浦和の正貴義父の一声で、皆が席に着いた。

 川端のお嫁さんたちと、母と義母と義姉、祖母も女性同士の列に並んで揃う。そちらを見た正貴義父が、祖母へと視線を止めた。


「千草お祖母様、ひさしぶりに乾杯の音頭をお願いしてもよろしいでしょうか」


 祖母はやや、気後れした顔を見せた。いつもは男性で年長者になる浦和の正貴父にお願いしてきた。でも今日は久しぶりに長老の祖母がいるので気遣ってくれたようだ。でも祖母としては現役から引退した心積もりなので、そんなに担ぎ上げてもらうのはもう気恥ずかしいらしい。

 だがそれを許さない者たちが群がってくる。


「ひぃばあちゃまの乾杯? りぃもいっしょに言いたい。しようしよう」

「僕もひぃばあちゃんと一緒にする」

「えっと、じゃあ、ひぃおばあちゃまのグラス、千咲が持ってくる」


 荻野の曾孫たちが、千草祖母を囲んできた。


 そこに気を利かせた束冴が、実母ミチルが準備してくれたグラスを千咲へと持ってきてくれる。


「千咲ちゃん。はい、これ。千草ばあちゃんに」

「ありがとう。束冴お兄ちゃん」


 子供たちには敵わないのか、曾孫と一緒ならばと千草祖母がグラス片手に席を立つ。


 久しぶりに凛とした空気を醸し出した千草祖母の姿に、賑わっていた空気がシンと静まった。ちょこまかと動き回る子供たちでさえ、大人しくなる。


 しばし風とさざ波の音が、川端家の庭を取り巻いた。


「石狩のよい日和ですね。空と海の色、夏の風がうららかに私たちを包み込んでいます。ここにご縁があって繋がった皆様との集い。美しい一日になりますように、素敵な思い出になりますように……」


 そこで祖母が目を瞑って黙り込んだ。

 黙っている時が長いので、次の言葉を待っていた一同も『あれ?』と祖母へと訝しげな視線を集めた。

 曾お祖母ちゃまとの乾杯を待っている子供たちも『ひぃばあちゃま、どうしたの』と見上げて様子を窺っている。


「そこの浜辺で、縁神様、福神様、保食神様、金髪の美しい女性が集っていますね。私たちのご縁を祝福してくださって酒盛りを楽しんでいますよ。ハマナスの薫りと花びらが舞う好天の海辺で、この日に集ってご馳走を準備してくれてありがとうと仰っている――」


 え、嘘――。そう思って千歳は目を瞑って集中したけれど、見えなかった。父は? そう思ったが、父も目を瞑って確かめようとしてたけれど同じようだった。

 父・遥万と共に、千歳は千草祖母を呆然と見る。

 でも、きっとそれは確かに見える光景なのだろう。

 今日の会食はご縁結びの集まりでもあって、神様への御礼も含めているのだから。

 千草祖母は誰よりも年齢を重ね、精神を研ぎ澄ましてきた熟練の長老だ。誰よりも神に近く、見える力を備えることができたのかもしれない。


「神様がついているからと油断してはいけません。神様がそばにいるからこそ、清く正しく、人々の手に福を渡していく役目を全うする精神を大事にしていきましょう。この四家の力をそろえて。乾杯――」


 流石、千草祖母。気が引き締まる厳かな乾杯だった。

 でもそれで親族と親しい家との絆を油断せずに丁寧に大事にしていこうという気もちも改まる。

 だからこそ、また皆で楽しく盛り上げようと空気も高まっていく。


「ほーら、千歳ちゃん、伊万里君。金賞和牛の三ポンド、フィレステーキだ。遠慮なくいってくれ!」


 長谷川社長に促され、彼のそばに準備された席で、千歳と伊万里は並んで座る。

 姉弟でナイフとフォークを持って顔を見合わせる。


「ふふふ、いっちゃおうか、伊万里」

「いっちゃお、いっちゃお。食べる魔女と弟の俺が食べれば、また福が舞い込んでくるんだから」


 姉弟揃って、まずは手を合わせて『戴きます』のお祈りをする。

 北国の初夏の風を感じて、潮の匂いを感じて、草花の匂いを感じて……土の匂いも感じて。この世界の恵を感じて。


「いただきます!」

「いっただきまーす!」


 何歳になっても、結婚しても、それぞれ家族を持っても、千歳は伊万里と一緒に大口を開けて、大きくカットしたフィレステーキを頬張る。


「んーーー! 長谷川のお肉、最高!!」

「んーーー! ジョーパパの肉、世界一!!」


『んーーー!! 長谷川殿の肉に勝るものなしですな!!』


 千歳が頬張った途端に、ほっぺぷっくり顔の福神様が再び登場。


『あ、私だけ楽しんでたらいけませんな。縁さん、保食神さん、聖女ちゃんにも味わってもらわねば!』


 ふっと福神様が消えてしまった。


 どうやら、祖母が言ったとおりに、今日は神様も大集合でご馳走を分け合っているようだった。


 じゃあ、私もうんと食べてお届けしなくちゃね。

 千歳は遠慮なく、この庭に集まったご馳走を家族、親族、親しい人々と味わった。


 子供たちもいっぱい頬張って、かわいいほっぺを膨らませて、嬉しそうな顔をそろえている。

 娘たちのかわいい顔を『ママにそっくりのほっぺでかわいいねえ』とか言いながら、朋重がまた何枚も撮影をしている。


 夫にとっては、おいしく食べる顔が『かわいいお顔』となってしまっていて、千歳はちょっと気恥ずかしくなる。

『食べている顔は、油断していて可愛いのですね』――。朋重がそういって、初めてキスをしてくれたことを思い出しちゃうから。


 食べる魔女だと知っても、そんな千歳をいまも大事にしてくれる麗しい夫と、かわいい娘たちを見つめて、千歳も微笑む。


 神様たちも、ハマナスの薫りの中、楽しんでいるのかな。

 千歳には見えないけれど、川端家から見える浜辺へと視線を馳せる。

 ひらりと紅色の花びらがふっと見えた気がした。

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