23.純白のおしるし

 パーティーお開きのあとは、お片付けのお手伝い。

 男たちは外の設営の片付け、女たちは川端家の大きなキッチンで食器洗いなど。

 会長、社長、ご当主組、ご夫人たちの年配組には、リビングでお喋りを楽しんでもらう。

 片付けが済んでも、川端家のリビングでは再度の酒盛りが始まっている。


 浦和水産の会長、社長、副社長。荻野製菓の会長、社長。長谷川精肉の社長。川端家ご当主の洋太氏、息子の恭太。この面々が揃うと、仕事の話で盛り上がるのも恒例だった。


 子供たちは大広間でお昼寝。千咲と千里、万季人に、いちばんちっちゃい男の子、ミチルの次男も一緒に。つきそいは木乃美に任せた。

 一番兄貴の束冴はそんなお年頃ではないので、お父さんとお祖父ちゃんのそばに座って、大人たちの話を興味津々に聞いてる姿が、千歳にはまた興味深く目に映った。


 キッチンでミチルと一緒に食器を洗っている千歳はふと呟く。


「束冴君って、落ち着いているよね。すごく大人びて感じるんだけれど」

「そうなのよね。もっとヤンチャに育つのかなと思っていたんだけど。あ、もちろん、男っぽいものには興味津々なんだよ。パパがサーフィンしているから、自分もやりたいって言っているし。お祖父ちゃんの漁船に乗るのも大好きだし、漁の仕掛けの話とかも興味深そうに聞いているしね」

「大人の仕事の話とかも、すごく理解した顔で聞いている気がするんだよね。あ、それから……」


 束冴が教えてくれた『神様の落とし物』について、千歳に話してくれたことは、母親のミチルには知らせておこうと口を開きかけた時だった。


「お母さん……」


 川端家のキッチンに、眠そうな目をこすりながら長女の千咲が入ってきた。


「あら千咲。目が覚めちゃったの」


 妹と従弟と川の字で眠っている姿もかわいくて、伊万里と朋重がこっそり忍んで写真撮影に出向いていたから、気がついて目が覚めてしまったのかと千歳は思った。


「これ……。手に入ってたの」


 娘が握った小さな手を、千歳へと差し出してきた。

 なにを握っているのかと、千歳は首を傾げた。

 彼女がぱっと開いた小さな手、そこには白く光る小さな粒がひとつ。


 一瞬で千歳は息をひく――。

 身に覚えがあって、そして、『その時が来た?』という緊張だった。


 娘の目の前へと、千歳は床へと跪く。そして、千咲の手の中にあるものをもう一度よく確認をする。

 そっと指先で触れると、間違いなく『真珠』だった。


「千咲。これ、拾ったの? 落ちていたの?」

「ううん。目が覚めたら手に入っていたの」

「手に、入っていた?」


 同じだ。自分があの大広間で体験したことと同じだった。

 つまり……? でも、それだけ? 千歳がさらに娘に問いかけようとしたが、千咲から告げてくる。


「すごく冷たい手の黒い髪の女の人が、千咲のものだから大事にしてねって……。夢を見たの。それで目が覚めたら、ほんとに手に入っていたの」


 千歳の心臓が早鐘のように打つ。

 既視感がある出来事が、娘にも起きた。

 千歳は落ち着こうと深呼吸をして、もう一度娘に問う。


「どんな女の人だったの?」

「昔の人みたいな白い服を着ていて、髪が長い女の人。優しそうで綺麗な人。あ、あのね。『あなたのおうちの、いちごチョコサンドのサクサクパイと、ナッツごろごろフィナンシェが大好き』って言っていた! 私も好きって言おうとしたけど言えなくて……。でね、優しく撫でてくれたの。その手が冷たくて。それで、『これからも仲良くしましょうね』って……これを手にぎゅってしてくれた」


 千歳は目を覆って泣きそうになった。

 いつから? いつから、娘のおそばにと決意をしてくれていたのか。

 福神様が『この漁師一家とも末永く続きたい』と仰せだったのも、保食神様が結婚前の千歳に真珠を握らせてくれたのも、ここまで決まっていたから?


 出産の時、福神様が最後におくるみの娘を手渡していたのは、保食神様? あの時に見えた綺麗なお手は、あの美しい女神様の手だった?


 千歳のそばでは事情を理解してくれているミチルも驚きでおののき、茫然としていた。


「千歳ちゃん、まさか……。これって」

「うん、きっとそう。来てくれた、長子のところに。ううん、きっとずっと千咲のそばにいてくれたのよ。このお家とご縁があった時からきっと……」

「うそ! 私ったら、すごい瞬間に立ち合っちゃってる!?」


 千歳は千咲を抱きしめる。

 母として、跡取り長子として、娘に無事に神様が付いたことに安堵している。でもそれは『娘が大きな責務を背負った瞬間』でもあって、その重みに耐えられるよう、千歳が守って導いていかねばらないという改めての決意を胸に刻まねばならぬ瞬間でもあった。

 でも、きっと。福神様のように、保食神様が娘を守ってくれる。そう信じられる。


「お母さん? 泣いているの?」

「え、うん。お母さん、その女の人をよく知ってるの。神様なのよ。千咲の神様」

「この綺麗な石、どうしたらいいの。これ、お母さんが大事にしているネックレスの石に似てる。お母さん落としたの?」

「これはね、石じゃなくて『真珠』という海の宝石なの。千咲のものよ。宝物にしようね」

「いいの? わたしの宝石にしていいの」


『いいのよ』――と、娘のやわらかい頬を包み込むと、やっと千咲が子供らしい嬉しそうな笑みを広げた。


「お母さんももらったことあるの。お揃いね。大人になるまで、お母さんが大事にしまっておくね。これ、お母さんが預かっていい? お父さんにも見せていい?」


 千咲が素直にこっくりと頷いてくれる。

 千歳は震える指先で、娘の小さな手にぽつんと輝いている純白の粒をつまんだ。

 それを大事に握ってリビングへと急いだ。


 家族が集って酒盛りをしている席へと千歳は出向き、夫の朋重をまず探す。千歳がそこに現れると、すぐに朋重が気がついてくれた。


「千歳……?」

「朋重さん、ちょっと」


 いつもと様子が違う千歳に気がついたのは朋重だけではなく、父に母に、千草祖母も。義母の菜々子も敏感な質なので、なにごとかと不安そうな表情を見せはじめた。


 朋重だけが席を立ち、廊下まで出てきてくれる。


「どうかしたのか」

「これを見て。昼寝をしていた千咲が目覚めたら手に握っていたらしいの」


 大広間で。目覚めたら手に握っていた。小さな白い粒を。

 その状況を理解した朋重も、はっと目を瞠り驚きの様相を見せた。

 彼も千歳の手のひらから真珠の粒を抓む。目の前まで運ぶとしげしげと確かめている。彼の琥珀の瞳に、純白の輝きが映った。


「あの時、千歳が握らされたものと、そっくりだ」

「それに千咲、白い着物姿で髪が長い女性が夢に出てきたって教えてくれたの。話しかけてくれた言葉が、私が知っている『保食神様』そのものだったのよ。ほら、福神様を通じて『好物』がわかっているでしょう。サクサクパイとフィナンシェが好きと仰っていたみたい。しかもこの真珠を『これからも仲良くしましょうね』と言って握らせてくれた『夢』を見たと報せにきてくれたの」

「じゃあ、千咲付きの神様って……。まさか保食神うけもちのかみ……」


 夫も真珠を目の前にして打ち震えているのがわかる。 

『ついに娘が神の夢を見た』。朋重も気がついた。

 千歳も涙で滲みながら頷く。


「浦和家、あなたのご実家のルーツを守ってきてくださった神様が娘の神様になったのよ、きっと」

「俺の実家の――」

「川端のお家とも、もっと強くご縁が続く気がする。このお家で娘が夢を見て、お印をいただいたんですもの」


 朋重も感極まったのか、千歳をそっと抱きしめてくれる。

 彼も涙ぐんでいる。


「荻野のご加護様の中に、俺の実家の神が入ってくれるなんて。それも俺の娘のご加護様に――」


 父親として感激しているのだとわかった。そして浦和家の男児としても、荻野家の婿としても。妻の家とこのうえなく頑強な縁続きになったと、結婚した時以上に強く感じられたのだろう。千歳もそう思う。保食神様が引き受けてくれたこと。荻野の加護がまた強くなっていくのは、この縁を大事にしてきたからだと思いたい。


「どうかしたのかい」


 孫夫妻が廊下で神妙に向き合って戻ってこないことを訝しんだのか、千草祖母が様子見にとそばに来てしまった。

 だが朋重がぱっと笑顔に輝き、千咲が持ってきた真珠を千草祖母へと真っ先に見せた。


「お祖母様、見てください。千咲が夢を見て、これを、千歳が結婚前にこの家で授かったおなじものを握っていたんです」


 前のめりで伝える朋重に、祖母も突然すぎてやや気圧されていたが、真珠を一目見てなんの報告かすぐに察してくれた。


「まあ、それって……」


 祖母が千歳へと視線を向けてきたので、千歳も微笑んで頷く。


「お祖母ちゃま。千咲の神様はここの保食神様みたい。私とおなじものを授かって、夢でお話してくれたという千咲が聞いたお言葉は、保食神様がお好きな『荻野のお菓子』のことだったらしいの」


 真珠を授かったことは、祖母にもすぐに報告して現物も見せていた。だから祖母も曾孫が真珠を授かったのは『神からのお知らせ』としてすぐに理解したようだった。


「千歳、朋重君。ふたりがここの神様と、こちらの漁村と、婿殿のご実家、そしてルーツを大事にしてご縁を育んできたから、保食神様が引き受けてくれたのでしょうね。しかも、こうして皆が集まって絆を深めている時にお知らせしてくれて――。保食神様にとっても楽しい宴だったのでしょう。これからも、幾久しく、荻野と浦和の縁を深く繋げていっておくれ」


「はい。お祖母ちゃま」

「もちろんです。お祖母様。娘も立派な長子として育てていきます」


 孫夫妻の新たな決意を耳にして、祖母がほっとした笑みを浮かべる。


「お祖母ちゃまも安心いたしました。私も神棚に御礼に行って参りますね」


 祖母がそのまま廊下を歩いて、子供たちが昼寝をしている大広間へと向かっていく。

 祖母が歩いて行く先に、ミチルから飲み物をもらってキッチンで休んでいた千咲が出てきて、曾お祖母ちゃまと手を繋いで向かっていく。



 厳かな空気を纏っている祖母と、神様の夢を見たばかりの娘が、また神棚へと向かっていく。

 その姿を朋重と見送っていたのだが、朋重がはたとなにかに気がついた顔をする。


「保食神は、この漁村では『漁業守護、航海安全の神』だけれど、食を司る神でもあったよな。だからなのか? 千咲が妙に食の品質を嗅ぎ分けるのは……」

「そう言われると。確かに。私みたいな大食いではなさそうだけれど、ダメな食材や衛生的に危ない食材は大人より嗅ぎ分けるものね」

「質が低い店だと入りたがらないもんな……」

「千咲が嫌がったら、食べない方がいいというバロメーターにもなっちゃっているもんね」


 娘が見せ始めていた不思議な力も、保食神様のおかげだったのかと、夫妻で納得の瞬間――。


「遥万お義父さんにも知らせなくちゃ。みんなが揃っているしちょうどいい」


 千歳よりも朋重のほうが嬉しそうに、親たちが集まっているテーブルへと向かっていく。

 千歳より先に親たちに報告する朋重。彼も彼なりに、荻野の人間として神様が子供につくがどうか案じてくれていたのだろう。でも、妻で、跡取り長子の千歳のほうが心配と不安を見せていたから、彼は夫として千歳を支えるために余裕を見せてくれていたのだろう。いまになって千歳は、彼の本心を知り噛みしめる。感謝しかない。そして、彼も荻野の人間として生きてくれていることがわかる姿だった。


 今日は、縁続きの家同士で集まり、そして神様たちも楽しんでくれただろう素晴らしい一日。

 そんな日に、娘に神様が付いてくれた『お知らせ』が届いた。


 リビングでは親族だけで共有している『不思議な一族の節目』の報せに湧いていた。

 その光景を見て、娘が授かった真珠を胸に握りしめ、千歳は万感の思いで目を瞑る。


「千歳、こちらに来て皆さんに詳細を――」


 父に呼ばれ、千歳は親しい人々の輪に加わり、娘が神様の夢を見たことを伝える――。




※次回、最終回!


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