10.たくさん食べたら福が来る


 湖の青さが見渡せるホールの賑わいの中、品評会は大盛況となる。

 長谷川精肉で戴いたステーキ二枚とローストビーフを食べ終えた途端、千歳はまた吐き気に襲われた。


 もう~完全に神様が満足したい間だけ体調をよくされて操られていただけじゃないかと。でも、ほんとうに美味しいお肉だったと千歳も感動はしている……。いつか絶対、私も3ポンド食べると誓っていたら、夫の朋重が『ぶふっ』と吹きだして『出産後のご褒美で好きなだけ食べさせてあげるよ』と約束してくれたので飛び上がり、千歳もご機嫌を取り戻した。


 でもやっぱり吐き気でへろへろになって、千歳はそのまま長谷川ブースのテラス席で休ませてもらう。


 伊万里はそのまま朋重と一緒に、他業者のブースへと試食やご挨拶へと出向いていった。

 若い伊万里にとって品評会は初めてのことだったが、義兄の朋重に秀重社長が付き添ってくれているので、安心して巡回しているようだった。とても勉強になっているようで、今回はかえって弟には良い経験だったなと思えた。

 福神様が『なんかウキウキするから行きましょ、行きましょ。なんか、おもろいこと起きそうなかんじがするわ~』と仰っていたことは、このこともあったのかなと思えてきた。


 いや、もしかすると福神様が呼び込んだのは、いきなり申し込まれた『お見合い』のほうかもしれない……。

 あのちょび髭お父さん、本当に祖母か父に申し入れるつもりなのかと千歳はまだ困惑している。

 でも、伊万里は『畑においで』と普通に接しているし、千歳も木乃美には好ましいものしか感じない。以前、伊万里が若気の至りで連れてきた花嫁候補の時のような、『あ、駄目だ』というインスピレーションは一切なかった。


 もしこれが福神様のお導きならば。祖母の前に連れていけば、あとは縁神様が結ぶなり切るなりしてくれるはず。

 それには木乃美だけじゃない。あの癖が強そうな父親も連れて行けば、家族親族も大丈夫であるか見定めることができるのではと、千歳も思い始めた。


 その木乃美もエプロンをしたまま、朋重と伊万里が連れだして、一緒にブース巡りをしている。彼女がまた眼鏡の微笑みで食べているお顔の可愛らしいこと。

 帰ったら父にまず報告して、お祖母様に判断してもらおうと決める。


 湖からのやわらかなそよ風が気持ちよく、正午の陽射しも和らいできて、千歳の気分も回復してくる。


 長谷川精肉のブースでは、長男の龍介がまだまだポンド肉を焼いている。次から次へとやってくる他業者社員にバイヤーをもてなしている。

 その中には、義兄の秀重と義姉の桜子も一緒にいて、山分けシェアのステーキ肉の食べ比べをしていた。他社の社員さんやバイヤーさんとも感想を交わして賑やかな声が聞こえてくる。

 今回は穏やかに過ごせているようで、伊万里も役に立ったなと千歳も安堵する光景だった。


 それを眺めていたら、千歳がひとりきりで座っているテーブルに、レモンの輪切りが入っているドリンクが置かれた。

 見上げると、ちょび髭の長谷川社長だった。


「驚いたね。妊婦さんだったとはね。ご主人と弟さんから聞いたよ。あれでも、妻にとっては姉にとっては『少なすぎるほうだ』って。弟君並みに食べられるんだってね」


 朋重と伊万里がテーブルから離れる時、木乃美に『千歳は妊娠中だから、ここで少し休ませてほしい』と頼んでくれたのだ。彼女も驚いて『遠慮しないでここでお休みください』と許可をくれた。

 それがどうも、長谷川社長に伝わってしまったらしい。


「レモネードだよ。あちらの果樹園さんが、上川地方で獲れる蜂蜜で作って売り出しているんだってさ。木乃美が持ってきてくれた」

「ありがとうございます。いただきます。お嬢様、よく気のつく方ですね」

「ああ、良い子だよ。妻に似たんじゃないかな。俺はこのとおり、ひねくれ者だから」


 ため息をつきながら、社長が千歳の隣の椅子に座ってしまった。

 ご自分でそれ言っちゃうのかと千歳は笑いたくなったが、必死に堪えた。でも……。


「でも、ひとつの質にこだわる方は、融通が利かない方が多いですよね。決めたことに使命感が強くて、譲れないからなんだと思います」

「ふうん。そんな人、知ってるの。跡取りお嬢ちゃんも、いろいろ人を見てきたのかな~」


 ほら。またちょっと嫌な言い方するんだよなあと千歳は苦笑い。

 でもいまはもう、この人の真髄を知ってしまったので嫌悪はない。


「私の祖母がそうですよ。荻野の使命に対して融通が利かない。でも必死で守り通す。厳しくて気高い女性です。私ですら畏れ多く感じる祖母です。もちろん、お祖母ちゃまのお顔の時は大好きな祖母ではありますよ」

「へえ。わかるわ~。そのお祖母様の信条というのかなあ」

「僭越ながら。長谷川社長から、祖母のような空気を感じました。生意気を申していると思いますが、そうお感じなられたのなら申し訳ありません」


 だが長谷川社長はまた、あの男らしい笑みを浮かべ、椅子のうえで長い足を組んで、テーブルに頬杖。そのハンサムな微笑みで千歳をじっと見つめている。さすがの千歳もちょっと気恥ずかしくなって肩をすくめてしまった。


「お嬢ちゃんも気に入ったなあ。君だったら、義理の姉になっても娘を虐めたりしなさそうだなあ」


 えええ、義姉としてどうか見定めていたのかしらと、千歳は目を丸くする。なかなか気が抜けないおじ様だなと身構えた。


「弟君から聞いたよ~。『私だったら3ポンド食べられるのに!』って悔しがっていたんだって? それ、見てみたいわ。そんな細身のお嬢ちゃんが3ポンド食う姿ってさ」

「あはは……お恥ずかしいですが、今日はつわりでステーキ肉二枚しか食べられなくて、次々と平らげている弟が羨ましかったです。私、弟に『食べる魔女』と呼ばれているんです」

「食べる魔女! 言い得て妙ってことだな。よし! お姉さんが食べられるようになったら、お祝いに3ポンドご馳走するからな!」

「いえいえ、そんな、ご馳走になる義理がありませんし、本日試食なのに、弟と併せて、私もあんな上等なお肉を二枚も戴いてしまったのに」


 するとまた、ちょび髭社長が顎をさすりながらニヤリと、千歳に意味深な笑みを向けてきた。


「今日ってさ。義理のお兄さん、浦和社長に頼まれて来たでしょ。いっつもうちの肉をたくさん勧めても食べてくれないからさ。うちでおなかいっぱいになると他のブースでの試食ができなくなる。他のブースで試食を終えてから来るともう腹も膨れているから、うちの肉が食べられなくなる。浦和さんだけじゃないよ。他の業者さんもそうなんだよ。肉ってご馳走でメインディッシュになるぶん、ほかに食べたいものの分量を抑えてしまうだろう。だったら肉を小さくして、ほかのものも食べられるようにと量を変えられてしまうのが悩みの種だったんだよね。それをさ……。今日は美味しそうに平らげてくれる戦闘員を送り出して、いいかんじにデモンストレーションしてくれて……。弟君のひらめきまで戴いちゃってさ。その御礼だよ」


「そう仰ってくださるのなら、お言葉に甘えさせていただきます。ご馳走様でした。ほんとうに素晴らしい和牛でした」

「なるほど。魔女ね。荻野の食べる魔女姉弟か。君たち、食のために生まれたのかな。羨ましいよ。荻野さんが……」


 なんか。口の悪さとかを理解できるようになったら、凄く素敵な人じゃないかなと、千歳は変にドキドキしてきた。自分の父親のことも、実は『素敵なパパ』と思っているが、それに匹敵するかもなあと。そういう男の懐に入れられて、じっと観察されている気分なのだ。


 そんな照れくささを悟られないようにと、誤魔化すように持ってきてくれたレモネードを口に含んだが、すごく美味しかった。


「美味しい!! えー、どこのブースさんですか。この蜂蜜ほしい!」

「気分が良くなったら、覗いてきな。無理しなさんな。お腹の子を大事にな。生まれたら教えてくれよ。3ポンドお祝いしてやるから。絶対、食べに来てくれよ。食べる魔女の本領発揮を見届けたいからさ」

「ほんとうによろしいのですか。本気にして楽しみにしちゃいますよ」

「いいよ、いいよ。約束だからな。それから。今日は、土産も準備しておくから持って帰りな」


 え、お土産? 千歳が戸惑い問いただそうとした気配を避けるように、長谷川社長は『じゃあな』と素早く去ってしまった。


 品評会も盛り上がりを終えて、バイヤーの評価も終わったようだった。

 それぞれのブースが片付けをする中、一足先に、浦和水産社長と副社長の一行は札幌へと帰る支度をする。

 その時だった。長谷川兄妹が、保冷用スチロールを浦和水産ブースへと持ち込んで来た。


「父がいままで失礼な発言ばかりして申し訳ありませんでした。本人に謝れと言ったのに、まだひねくれておりまして……。これはお詫びと、荻野のご子息が長谷川のブースを盛り上げてくれた御礼とのことです。ご家族でどうぞ」

「受け取ってください。素直ではない父で申し訳ありません……。でも、今日はとてもお世話になったと申しております。私たち兄妹からもお願いいたします。お土産と思って受け取ってください」


 保冷用スチロールの中には、ステーキ肉が家族分、そしてローストビーフの塊も入っていた。

 秀重義兄は『そんな困る。こんな高価なものは受け取れない』と当惑して、長谷川の長男と『もらって、もらえない』の押し問答を繰り返していたのだが。


「お魚屋さん! ちゃんと食べてくださいよ! 食べられないとか言ったら恨みますよ!!」


 遠く離れたブースから、ちょび髭社長の叫び声が届いた。


 秀重義兄は桜子義姉と唖然としていたが、千歳と伊万里は吹きだしていた。


「ちょっと自分で言いに来ればいいのに、長谷川社長ったらさあ。子供たちにやらせてなんなのさ。なあ姉ちゃん」

「ほんっと。素直じゃないわよね。笑っちゃう」


 既に長谷川社長と散々触れ合った荻野姉弟が、すっかり慣れ親しんだ反応を示したせいか、そこで秀重義兄も構えていた力を抜いてしまったようだ。


「ありがとう。山分けシェアのお肉、ほんとうに美味しかったよ。遠慮なくいただきます。御礼に今度は我が社レストランの海鮮丼をご馳走するから来てくださいね」


 浦和水産社長の優しげな表情を知って、兄の龍介も妹の木乃美もやっと肩の荷がおりたようにホッとした顔をそろえていた。


 お互いにそれぞれの挨拶を交わして、浦和水産社長一行は会場をあとにした。


---🍋



 駐車場で義兄と義姉の車と、朋重の車へとお土産を分けた。

 その時に義姉が入っているお肉のラベルがA5だと知って悲鳴のような声を上げた。


「うそでしょ。ほんとうに家族分入ってる! 私たち浦和長男家族の人数いつ知ったのかしら。私たち夫妻と子供ふたり、お義父さんとお義母さんの分とちゃんとあるわ」

 

 荻野側のボックスも開けてみると、こちらも千歳の両親と祖母が食べる分が入っていた。

 驚きはした義姉の桜子だったが、徐々に嬉しげに頬を染めた喜び顔になる。


「もう~! やっぱり荻野姉弟のおかげかしら。なんか、いつも凄いもの引き寄せてくれるものね! これ、子供たち喜ぶわよね。お義母さんも喜ぶわよね! ほんと、ありがとう。千歳ちゃん、伊万里君!」


 桜子義姉がそこまで喜んでくれたので、千歳もつわりをおして来た甲斐があったと思えたし、菜々子義母がお土産を喜んでくれるなら、なお嬉しい。


 秀重義兄も、伊万里と千歳に頭を下げてくれる。


「ほんとうに丸く収めてくれて助かったよ。あの社長とあんなに親しげになれるだなんて。ありがとう、千歳さん、伊万里君。君たちと兄弟になれて、心強い親族であったことを幸せに思ったよ」


 改めて、義兄と義姉が夫妻で一礼をしてくれた。


「そんな。俺、めっちゃ食べられて満足だっただけなのに。それに、秀重兄さんが今回、品評会に来るきっかけをくださって、俺もすごく勉強になりました。これからは姉にばかり任せていないで、俺も積極的に外の業者さんと交流したいなと思えましたから」

「私もです。荻野が出向いている品評会とはまた異なる業者さんとお話ができて参考になりました。お義兄様とお義姉様がそばにいて安心して参加できました。ありがとうございました」


 若い姉弟からの言葉に、義兄夫妻も嬉しそうだった。

 これからも親族同士、繁栄できることを共に体験していこうと結ぶことができた。



 札幌へと帰る高速道路走行中。夫の朋重が運転してくれる中、千歳は助手席で少し休ませてもらうことにした。後部座席にいる伊万里がいれば、朋重も話し相手がいるので退屈はしなさそうだった。

 義兄弟で今日の話題で盛り上がっている中、千歳は助手席でうとうと……。


『美味でござった!! 気に入りましたぞ、和牛の主! あれはまさしく真の作り手、真の職人であるぞ。わたし、ああいう男好きだわ~。肉もうまいもんね~。間違いなく最高品質でござった!』


 金の扇子をまたひらひらさせて上機嫌の福神様が夢の中にもやもや現れた。


『帰ったら報告しなされ。千草さんに。わかりましたな、千歳!』


 わっ、福神様が本気になった!!


「うわ!」


 千歳が助手席でうとうとしたかと思ったら、急に大声をあげて起き上がったので、朋重と伊万里が揃ってギョッとしていた。

 神様のお告げとは……。弟のためのお告げだったとすぐに言えず、千歳はなんでもないと誤魔化してしまった。



 それから数ヶ月ほど。

 千歳のお腹が大きく膨らんで目立つようになったころに、祖母から報告を受ける。


「長谷川精肉のご家族と食事会をするよ」――と。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る