11.長子三代の目利き


 長谷川家とのお食事会は、フォーマルなものに近かった。

 朋重はきちんと上等なスーツを着込み、千歳もノーブルな黒のマタニティワンピースで整えた。

 千歳のお腹はもう七ヶ月。季節も雪の季節を迎えていた。出産予定日は三月ごろ。


 食事会を主催し準備をしたのは祖母、千草とのことだった。


 今日は朋重もシックに黒のスーツを選び、でも明るめアイスブルーのネクタイを締めているところだった。姿見の鏡で結び目を確認しながら、彼も訝しんでいる。


「お祖母様が用意した食事会だけれど、伊万里君と木乃美さんのことかな。だとしたら電撃だよなあ」

「お見合いをしたとも聞いていないんだよね。結局、長谷川社長から連絡があったとか申し込みがあったとかもお父さんからも聞かなかったもの」

「夏の間に、例の『トマト畑に招待』していたんだろう。長谷川社長が木乃美さんとやってきて、大絶賛で楽しんで帰ったと伊万里君が報告くれたし」

「牧場にも招待されて、伊万里ひとりで行っていたものね。私も招待されたけれど、この身体だから今回は遠慮しますとお断りしたからね。それで伊万里一人で訪問したみたいだけど、秋口にご招待されていた『すき焼きパーティー』も美味しかったと嬉しそうだったじゃない」


 品評会に交わした『スマートトマト見学においで』という伊万里の誘いをきっかけに、長谷川のお父さんを間に挟んで、家族交流をしていたふうにしか感じられなかった。


 伊万里からは『長谷川社長がお嬢さんと畑に来た』とか『ステーキハウスに招待された。牧場も見学させてもらった』などの報告は受けていた。

 伊万里も結婚とか女性とのつきあいには、前例を踏まえて慎重になっていることは、姉の千歳も義兄の朋重もよく知っている。


 なんとなく出会った相手、好んだ相手でも、跡取り長子たちが認めないと先には進めないこともよく知っているし、もしその相手が実家に認められなくても自分の気持ちを優先したければ、荻野を出て行く覚悟も決めなくてはいけないのだから。


 なにかしらの報告があるのか、それとも……。

 そして長谷川の家と付き合うとなれば、荻野家のしきたりや家訓について朋重のように理解してもらえるか、どう伝えるのか、伝えているのかも気になる。


 祖母と父には『福神様が長谷川家をお気に召したみたい』とは報告をしている。千歳がそう言うならば安心だと祖母も父も聞き入れてくれたが、だからとて『私の縁神様はなんというか』と祖母はひとまず保留とし、父も『私の聖女様はなにもしないが、彼女に嫌われると私に近づけようとしないから、会ってみないとわからない』と言っていた。木乃美が荻野に入るとしてもまだまだ難関がありそうだった。


 なんか落ち着かないなと、丸くなったお腹を黒いワンピースの上から撫でると、くるんとお腹のなかで動いたことが伝わってくる。それだけで千歳も笑みがこぼれる。


「ふふ、いま動いた。これから曾お祖母ちゃまご贔屓のレストランで、おいしいもの食べられるから待っててね」


 千歳が愛おしそうに話しかけている姿を知って、朋重も歩み寄ってくる。千歳の背中から腕を回して、彼もお腹を両手で囲った。


「つわりが終わって、コントロールしながらの食生活だけれど、それでもママは美味しいものを選んでお腹に送り込んでいるもんな。ちぃちーちゃんにもおいしいもの届くかな」


 朋重はお腹の子のことを小さいチーちゃんという意味で『ちぃちーちゃん』と呼んでいた。

 パパの声がわかったのか、またお腹の中でもごもごと動いたのが伝わってきた。


「今日はお祖母ちゃまご贔屓のフレンチレストランだから楽しみ」

「俺と千歳が婚約する時に家族食事会をしたレストランだもんな。あれからお祖母様がなにかあれば連れて行ってくれて、俺もお気に入りだよ」


 孫の誕生日や節目の祝いの時にも祖母が連れていってくれることも多いレストランだから、千歳も朋重もそれだけでも楽しみと言い合って出掛ける。



---❄👶❄




 夏は緑に囲まれる水辺がある公園。いまは冬、園内の木々は綿雪をのせ、白い風景に染まっている。そのすぐそばにあるスタイリッシュでモダンなレストランへ、 朋重の車で到着。

 店にふたりで入るとディレクトールが出迎えてくれる。『お祖母様もご両親もすでにいらっしゃっています』と案内してくれた。


 全員が揃うまで待機するためのウェルカムルームへと通される。暖炉がそばにあるソファーテーブルで、祖母と両親が談笑しているところだった。


 着物姿の祖母と、父の遥万も上等のスーツを着こなし、母の凛香も清楚なグレーのワンピーススーツでドレスアップをしていた。

『正式な会ではないが、顔合わせに相応しい服装で整えてきなさい』と祖母に言われていたので、このレストランで浦和家と顔合わせをした時同様の心構えのドレスコードでやってきた。そんな祖母も上等の訪問着を選んでいて、父も母もフォーマルに近いコーディネイトで、実家の本気をかんじた。千歳も今日は大事な会なのだと察する。


 マタニティワンピースの娘と凜々しくスーツで整えた婿殿が到着。ふたりが来たと知った祖母と両親が、笑顔で迎えてくれる。

 祖母と両親が並んで座っている向かい側に、千歳と朋重は一緒にソファーへと座る。


「まあ、千歳。またお腹が大きくなったんじゃないの」

「朋重君も、仕事をしながら家事を率先してくれ、妊婦の娘を気遣ってくれていると聞いているよ。ありがとう」


 娘とは職場でよく顔を合わせているので、こんな時の父は娘より朋重と会えたことを喜び挨拶をする。母はたまにマンションに様子見に来てくれるが、一週間会わないだけでも『日に日に娘の身体が変化している』と感じるようだった。


 ソファーに落ち着いて、千歳はあたりを見渡す。


「伊万里はまだなの?」


 いつも集まる時は、両親と一緒に来る弟がいないので探してしまった。

 父の遥万が教えてくれる。


「牧場がある町からわざわざ札幌に出てきてくださったものだから、市内のホテルで一泊されるとかで、長谷川のご両親とお兄様と木乃美さんを伊万里に迎えに行かせたんだよ」

「お兄様も? 龍介さんも今日は一緒なの」

「そりゃあ。家族で食事会だからな」


 千歳は思い切って聞いてみる。


「今日って……。もしかして……その……伊万里のお相手として、ということ?」


 そこで父が、長老である祖母を、自分の母親を窺った。

 いちおう父は家長として家督を継いでいるが、最終権限はまだ長老の祖母が握っている。その祖母が静かに口を開いた。


「それを今日、決めるのよ。今回の件、見合いのようで、見合いではないからね。千歳と朋重君は両家の了承を確認した上で結婚前提のおつきあいを始めただろう。伊万里もそうしようとしているのよ。長谷川さんはお見合いを申し込みたかったようだけれど、そのまえに伊万里と木乃美さんが親しくなったものだから、今回は見合いの席はなし、『結婚を前提にした付き合い宣言』ということになる」


 それを聞いて、千歳は予測はしていたものの驚きを隠せなかった。

 たびたび木乃美や長谷川社長と会っていたことはわかっていても、伊万里の本心は不透明で気持ちも聞いていなかったからだ。


「それって。品評会で出会ってから徐々にお付き合いを意識しはじめていた、ということなの?」

「そのようね。少しずつ親しくなって、では、お付き合いをしようかというときに、伊万里から相談を受けていたのよ。付き合ってから紹介より、家族に認められたうえでお付き合いを開始したいとね」

「伊万里がお祖母ちゃまに、女性とのおつきあいについて相談したってこと? それって、いつかの家族にも認められない女性だと付き合いが続かないと経験したから、順序を踏まえてと考えているわけ?」


 跡取りの姉よりも自由気ままな次子の伊万里だったから、これまでも女性とのお付き合いは彼のお気に召すままだったはず。

 その弟が今回はわざわざ長老である祖母にまずは『お伺いを立てた』ということだった。かなりの慎重ぶりだ。


 前回、自分の意志で決めたことだからと深く考えずに連れてきた女性が嫁とも親族とも認められなかったことを考慮して、今度は木乃美を傷つけないようにと気遣っていることも伝わってきてしまった。


「そういうことみたいだね。まだ、おつきあいも始まっていない状態だよ。でも、荻野と付き合うことを彼女にきちんと説明した上で、正式に付き合いを申し込みたいとのことだったよ。その意志は伝えているとのことで、木乃美さんもその気持ちはあるとのことだった。だが先に『両家の許しをもらいたい』ということだった。それはあちらのお父様である長谷川社長も了承済みで、なおかつ、そこまで大事に慎重に考えてくれたと伊万里を褒めてくれていたよ」


 だが、ここで祖母、千草の表情が一変する。

 いつもの長の厳格を醸し出した。

 祖母がその顔をすると、家長の父も妻の母も押し黙り姿勢を正し従う空気を醸し出す。孫の千歳もおなじく、その空気を敏感に感じ取れるようになった朋重もだった。孫夫妻も背筋を伸ばして祖母の言葉を待つ。


「千歳にはわざと早めに来るように時間を伝え、逆に伊万里には遅めの集合時間を伝えて、長谷川家を迎えにいかせた。千歳を早めに呼んだのは、長子三代だけで意志をそろえておこうと思ってね」


 つまり伊万里と長谷川家が到着するまで、長子三代だけで話し合いたいことがあったということだ。


「ここまできたら、もうわかるね。ここにいる三代の長子、祖母の私、父親の遥万、姉の千歳。前回とおなじだよ。きちんと見定めようと思う」


 祖母と両親は、今回初めて木乃美と長谷川社長に会うとのことだった。

 あちらのご家族も、初めて荻野の祖母と両親との対面ということになる。


「木乃美さん自身と、長谷川のご家族は、荻野の家訓についてご存じなの?」

「木乃美さんと社長であるお父様には、伊万里から当家のしきたりや家訓については説明はしたみたいだね。木乃美さんはともかく、長谷川社長はやや不審がられていたみたいだが、娘が伊万里君の言うことを信じているならと、いちおう飲み込まれたみたいだよ。今日も長子の見定めが必要だと伝えたら、娘の品定めかと、一度怒られたみたいだね」


 ああ、あのお父様らしいなと、千歳はちょっとだけ思い出して笑みを浮かべてしまった。

 それを目の前で見ていた祖母も父も、訝しそうに眉をひそめた。


「おや、千歳ちゃん。あちらのお父様が怒られたことがおかしいのかい」

「おまえは品評会で一度対面して、対話もしていたようだが。浦和の秀重君からも聞いているが、口が悪くて癖が強い男性だが悪い人ではないと。ただ接し方を間違えると行き違いを起こす可能性があるから、よくよく顔色を見て接したほうがいいと教えられたのだがね」


 祖母も父も、あのちょび髭社長のことを浦和のお義兄様から聞いて、なんだかんだ構えているんだと千歳は知る。この祖母と父に気構えを持たせるなんて、初対面も済ませていないのにさすがちょび髭社長と千歳はまた『ぷふ』と笑いがこぼれてしまった。

 祖母と父が呆気にとられている。


「あ、ごめんなさい。だって……。あのお父様らしいなと思い出しちゃって。すぐに口に出てしまって、素直じゃなくて天邪鬼っていうか。俺たち家族と娘を品定めだと~、俺たちは品評会に出された肉じゃねえとか叫んでいるのが目に浮かんじゃった。でも怒るってことは、伊万里とお嬢様をなんとか結びつけたくて、お祖母ちゃまとお父さんに顔を通すのは必須だから、長谷川品評を我慢して受けてやろうじゃないかっという叫びなんだろうなって……」


 すると朋重もお祖母様の目の前だからなのか、顔を背けて吹き出す口元を押さえて笑い出す。


「ごめん、俺もわかっちゃって……」

「ねえ。絶対にあの顔で来られるわよね。私、笑っちゃう」

「やめろ。笑ったら、また社長が大事な席でどうして笑うんだって怒りだすって」

「なんかもう。怒っていても怒っていないんだもんね」

「そうそう。ただ心の声を威勢良く出しちゃってるだけなんだよな~」


 そんな孫夫妻が曲者の長谷川社長に対して恐れも抱いていない様子を知ってか、祖母と父の気構えていた表情が和らいでしまったのを千歳は見る。


「そうなのね。千歳ちゃんが笑い飛ばせるほどの気易さを感じるお父様ならば大丈夫だろうね。ですが。こちら荻野側の家の事情を理解してもらうためでもあるので、家を守ってきた諸事情についても誤解のないよう慎重に伝えられるようにしますよ」

「はい。お祖母様。それは承知しているつもりです。……伊万里はもうそろそろ?」


 そこで父も腕時計の時間を確かめつつ、急に神妙に呟いた。


「ま、大丈夫だとは思うがね。朋重君もそうだっただろう? まずは『辿り着けるか』が第一関門だ」


 祖母もまた厳格な顔つきに戻る。


「そうだね。伊万里が何度も会えていたとしても、千歳が対面済みでも、長老の私と家長である遥万のところにも、きちんと到着できるか、だ」


 そうだ。ご加護様がここに揃っているいま。長子三代が待つここに、ご家族で無事に到着できるかどうか。伊万里のお迎えが無事に終えられるかどうかだ。

 朋重も『千歳のマンションで過ごすことができた最初の一晩』を思い出したのか、長谷川家がここで試されていることを知り、神妙な面持ちに変わった。

 でも、こんな時でも母は、父に寄り添って柔らかににっこりと微笑んでいるだけ。

 荻野長子三代、伊万里が選んだ女性とご家族が到着することを願って待っている。

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