12.荻野神様審判


 もしももしも、まだ対面していない祖母や父のご加護様に認められなくて、長谷川家が伊万里とレストランまで辿り着けなかったら?


 しばしの緊張を千歳は味わったが、杞憂に終わる。伊万里と長谷川家一行がディレクトールに案内され、ウェルカムルームに姿を現した。

 千歳はほっとして、朋重と『大丈夫だったね』と顔を見合わせ胸をなで下ろした。

 祖母と両親もおなじようで『無事に到着したね』と柔らかな表情に崩れ、ソファーから立ち上がる。千歳も朋重と共にご挨拶へと席を立った。


 いちばん最初に目が合ったのは長谷川社長だった。

 渋いツイードのスリーピーススーツを見事に着こなしている姿に、千歳は目を瞠る。なんて素敵なイタリアン風イケオジ様! 品評会ではまさに牧場のカウボーイ風のチェックシャツにデニムパンツ、カントリー親父さんだったのに。ものすごくお洒落で、たぶんちょび髭もこんなスタイルになった時のための社長なりのファッションだったんだと感銘する。

 そんなふうに放心状態になっている千歳を、さっそくちょび髭社長が見つけてくれ、満面の笑みを浮かべた。


「千歳ちゃん! やっと会えたな。会いたかったよ!」


 品評会で出会って後、伊万里を通してれ連絡先を交換したのだが、いつからか社長は『お嬢ちゃん』ではなく『千歳ちゃん』と呼ぶように……。すき焼き食べにおいでとか牧場見学に弟君とおいでという連絡のみだったが、すっかり慣れ親しんでくれたようで、今日も気易い雰囲気をいきなり見せてくれる長谷川社長。相変わらずの大声で元気いっぱいのお父さんだった。

 それでも、千歳も再会を嬉しく思い、笑顔でお辞儀をする。夫の朋重もすぐそばに並んで、同じように挨拶をしてくれる。


「ご無沙汰しております。品評会の時は大変お世話になりました」

「長谷川社長、いらっしゃいませ。妻とまたお目にかかれると楽しみにしておりました」


 長谷川社長は千歳を見て喜びの笑顔を見せたが、さらに驚きの表情を一瞬見せて、また笑顔に輝く。


「おおお、お腹おっきくなっているじゃないか。順調そうだね」

「はい。おかげさまで、いまのところ特にトラブルもなく元気に育っています」

「浦和の次男さん、いや荻野のお婿さんだね。相変わらず、いい男ぶりだねえ。今度はいいパパぶりを見せて欲しいねえ」

「ありがとうございます。僕も彼女と楽しみにしているところです」

「うんうん。俺も楽しみにしているよ。絶対に絶対に生まれたら教えてくれよ。伊万里君にもそう伝えているから」


 な、伊万里君――と、共にやってきた伊万里がいる背後へと、社長が振り返る。


 そこには、普段よりさらに気合を入れた上質黒スーツを着込んだ伊万里がいた。社長のかけ声に笑顔を見せた伊万里は、千歳に朋重が良く知っている無邪気な弟ではなく、立派な凜々しい青年の顔でそこにいた。


「い、伊万里君……。本気だな」

「そ、そうね。もう間違いなさそう」


 伊万里が立派な大人の男に見えるのは、仕事の時と、畑を農作業服で管理しているときだ。今日はそれに匹敵する。譲れない俺の想いがひしひしと放たれ伝わってくる。なにも聞かされていないが、もう木乃美に本気だと明白だった。


 しかも、その伊万里のそばにいる女性にも、千歳は釘付けになる。

 大人っぽいモスグリーンのワンピースドレスを着込んだ若い女性。清楚なメイクに、控えめに巻いてスタイリングした綺麗な黒髪。眼鏡をかけていないが、そこにいる品が良く愛らしい女性は木乃美だった。


「うわ、彼女……。すごい素敵になったな」

「ほんとね! でも、もともとそれらしいオーラはあったわよ」


 綺麗な黒髪に、つくりすぎないナチュラルなメイク。お父様とおなじく、仕事では牧場に心血を注ぐ素朴なカントリーガール風の彼女だったが、その堅実さが彼女から醸し出される品にもなっていたのだ。


 ふと千歳は背後に控えている祖母を肩越しに見遣ると……。まだ完全に笑ってはいないが、口元が少しだけ緩んでいるのがわかった。

 第一印象が良いことで、少し安心している微笑なのだろう。

 父と母はそこはかとなく笑みを浮かべているが、二人でなにやら耳打ちをしている。お互いに第一印象を確認しあっているのだろうか。


 そんな木乃美も千歳を見つけて、品評会で見せてくれた愛らしい笑みをぱっと浮かべて歩み寄ってきてくれた。


「千歳さん! お久しぶりです。わあ、お腹、おっきくなりましたね。今日はお姉様もいらしてくれるとのことで、楽しみにしておりました」


 カントリーガールの時も丁寧な言葉遣いだったが、今日の木乃美が喋っても、それはもういいところのお嬢様そのものだった。ああ、もうこれは伊万里も虜になってるきっとと確信をしたほどだ。


「木乃美さん。私も弟についてお会いしたかったのに、この身体でお断りばかりしてしまい残念に思っていましたから、今夜はご一緒で嬉しいです」

「僕もだよ。それにしても、今夜はよりいっそう素敵ですね。素晴らしくお似合いです」


 さすが、うちのお婿さんは女性への接し方がカナダ生まれのお祖母様仕込みで超上級者。栗毛のクォーターが麗しい眼差しで讃えたので、木乃美が気恥ずかしそうに頬を染めて目を逸らした。


 そんな彼女を知ったからなのか、伊万里がちょっと焦ったように木乃美のすぐ隣にやってきて、姉と義兄へに向かってくる。


「ちょっと朋兄ちゃん。妻の目の前で女性を褒めすぎはよろしくないのでは」

「なんで。ちーちゃんはちーちゃんで俺の中で最高だけど、木乃美さんだって素敵だったから素直に伝えただけ。伊万里君だって嬉しいだろう。彼女が素敵と言われたら」

「え……。そりゃ……。うん」


 おやおや。まだ姉には本気の気持ちを報告していないからなのか、いつもはハキハキ思ったことをポンポンと喋りまくる弟が照れて口ごもっている。千歳は思わず、目の前の伊万里を見上げてニヤニヤしてしまった。


 伊万里と木乃美の後に続いて、同様にグレーのスーツでお父様同様に品良く着こなしている龍介お兄様も、千歳と朋重に『お久しぶり』と挨拶をしてくれる。彼の隣には、黒のフェミニンなスーツ姿の優しげな女性もそばにいて、長谷川社長の妻、木乃美の母親だと紹介をしてくれ『初めまして、伊万里の姉、千歳です』、『夫で義兄の朋重です』と挨拶を交わした。


 長谷川社長も千歳の背後で、既に祖母と両親にひとまずの挨拶を交わして初対面を済ませたようだった。


 そこから、この会を準備した祖母が先導をはじめる。


「まずお席につきましょうか。そこで改めてのご挨拶をいたしましょう」


 年長者の祖母の一声で、集まった一行のまとまらない挨拶が静まった。

 ディレクトールの再度の案内で、レストランホールへと通される。


 小雪がちらつくテラスがガラス越しにみえる窓辺のテーブルへと案内された。


 大きなテーブルに、荻野側と長谷川側で向き合う形で席に着く。


 ひとつ異例なのは、伊万里は長谷川側の席についたことだ。長谷川側の中央に伊万里と木乃美が並んで座ることになっていた。伊万里の隣に長谷川の父、その向こうに長谷川のお母様が。木乃美の隣に兄の龍介が座った。

 対して荻野は祖母を中央に、両脇に息子夫妻、孫娘夫妻という席に。

 伊万里が向こう側に座ったのは、木乃美と並んで祖母に報告をしたいからなのだろう。


 ディレクトールが下がり、入れ替わりでメートル・ドテルがテーブルに着いた。まずはアペリティフ。皆お揃いでシャンパンとなったが、運転がある朋重と妊婦の千歳はジンジャーエールとなった。


 アペリティフが揃う間に、両家の挨拶が始まる。

 祖母から『伊万里の祖母、荻野千草です。荻野製菓の会長を務めております』と始まり、父遥万、母凛香、姉の千歳、夫で義兄の朋重と挨拶を繋げていく。


「木乃美の父親、長谷川常太郎じょうたろうです。長谷川精肉の代表を務めています」

「母親の結衣ゆいです。夫と共に長谷川精肉に勤めております。経理をしております」

「兄の龍介です。長谷川精肉にて、父と和牛を育てております」


 家族の紹介の最後は、伊万里と中央にいる木乃美へ。


「初めまして、長谷川木乃美です。家族とともに長谷川精肉に勤めております。このたびはお時間をくださりありがとうございます」


 当然のことながら、木乃美は正面の祖母に畏れを抱いているのがわかる。

 額の中央に黒子があり仏さまのような顔つきの祖母のことは、そこにいるだけで威厳を目の当たりにするせいか、だいたいの人々が萎縮する姿を見せる。

 それは長谷川社長もおなじようで、いつもの勢威は抑えて慎む様子を見せている。


 その祖母の威厳に圧倒されている長谷川家の空気を感じ取ったのか、最後に伊万里が堂々と胸を張り祖母に真向かう。


「今日はお祖母様と自分の家族、長谷川のご家族へと報告したいことがあります。彼女、木乃美さんに、結婚を前提にしたおつきあいを申し込みました。今後、荻野と寄り添っていく気持ちであることを彼女ともども伝えたく、集まっていただきました」


『お祖母様、お父様、お母様。お願いいたします』


 二人が揃って頭を下げた。それに続くように、長谷川社長もお母様もお兄様までもがそっと無言で頭を下げてくれる。


 祖母が間を置かずに、伊万里の報告に対して言葉を投げかける。


「二人の気持ちはわかりました。ですが、伊万里。わかっているね。荻野がどのような家であるか、木乃美さんは承知されているのでしょうか」


 祖母に言葉に伊万里は強く頷く。


「伝えてあります。荻野は長子相続。姉の千歳がすでに跡継ぎと決まっていること。自分は次子で補佐であること。或いは、荻野に認められない者を家族とするならば、荻野を出て行くこと。彼女にも長谷川のお父様にも伝えております。なおかつ……。長子には神がつくので、その長子と神がともに認めない者は家族と見なされないことも」


 迷いのない伊万里の言葉に、今度は気ままに連れてきた女性ではないことを再確認したのか、祖母も頷き返した。

 そして次に祖母が視線を送ったのは、父親の長谷川社長だった。


「お父様、お母様。伊万里から聞いた話について、突拍子もないことでご納得できずにいらっしゃるかとおもいます」


 黙って見ていた長谷川社長だが、祖母から切り出してきたのだからと、やっと問い返せると目つきが鋭くなったので、千歳はひやりとしてしまう。


「長子相続ではあることは、荻野のご姉弟と初めてお目にかかったときに聞きました。そのようなお家もあることでしょう。ですが……。長子相続以上に、総領になる条件は『神の夢を見た者』だそうですね。だいたいが長子が夢を見てきたとのこと。お祖母様も長女長子で、お父様も長子長男で、千歳さんも長子長女で、それぞれ神の夢を見られてお側についていると?」


 名がある企業の経営一族が眉唾なこと言い出し、しきたりとしていることが信じられないというお顔だった。

 それにも祖母は怯まずに返答する。


「さようでございます。それが荻野を繋いできた家訓で継承なのです。他の事業主さんたちからお聞きになったことはありませんか。荻野は不思議な一族――と」

「申し訳ありません。自分の事業で精一杯のせいか、そのようなお話も噂も聞き及んだことがありませんでした。ですが伊万里君と交流を始めたころ、私も失礼ながら、そちらのお家についてどのようなことを知っているかと知り合いを通じて尋ねてみました。お祖母様のおっしゃるとおり『不思議な一族で、神を敬っているせいか、縁続きになると親族として繁栄をもらえるが、一族の害になると見なされると手酷い仕打ちが返ってくる』など、教えてもらいました。噂なのか、本当なのかは、今後のお付き合いでわかるだろうという判断で、いまはあってもなくてもおなじことだと家族で考えております」


 なるほど。本当のことであってもなくても、婿実家の言い分は実家だけが信じている勝手であるという認識にしたらしい。


 長谷川社長らしいなと千歳は唸った。媚びて聞き入れいるわけでもなく、そんなことあるかと真っ向から否定するわけでもなく。信じて受け入れるわけでもなく、でも、そちらがそう仰るならそのままでどうぞというニュートラルな姿勢をきっぱりと示してきた。

 ここで祖母がふっと初めて笑みをこぼしている。でも不敵な笑みだった。強気なお父様の威勢を気に入ったといわんばかりに祖母も余裕を見せつけてくる。


「では。お父様。ここは荻野のしきたり通りにさせていただきますが、よろしいですか」

「長子であるお三方が、娘を荻野の家の者として認めるかどうか、長谷川と縁続きになるかどうかの品定めということですね。どうぞ。構いません。ご勝手にされてください。ですが自信はあります。どこにだしても上等の娘です。それに万が一、娘が認められず、伊万里君が荻野を追い出されても。長谷川の家で彼を引き取らせていただきます。むしろ彼ほどの婿を縁切りで放り投げてくださるほうが、彼を息子にと望む私としては万々歳ですがね」


 うわー、うちの最強お祖母ちゃまに対して負けていないって凄い!! 千歳は面食らっていた。朋重も隣でハラハラしている。でも向こう側にいる父に母はまだ真顔のまま。強い姿勢で向かってくる長谷川社長に負けじと伊万里の両親としての威厳を保っているようだった。


「では遠慮なくいかせていただきます。長子三代の判断を」


 祖母が賽を投げる声を張る。

 なんだかんだ言って、長谷川社長も神の一声を待つように姿勢をただし覚悟を決めた顔つきになった。

 伊万里も木乃美も、テーブルの下で手を繋いでいるのが見えないけれど伝わってくる。


 千歳も朋重と一緒に背筋を伸ばす。


「千歳。跡継ぎ長子として、見定めを――」

「はい。お祖母様」


 千歳は木乃美と伊万里へと視線を定める。

 伊万里の緊張する眼差し、木乃美の恐れている眼差しと千歳の視線が合う。その二人を見据えて、千歳ははっきりと告げる。


「私は認めます。初めてお目にかかった時から、愛らしい方だと感じておりました。また気立ても優しく、無垢で純粋な空気しか感じません。あの時からずっと好ましい気持ちのままです。荻野と生きていけると思っております。私の神様は長谷川のお家をお気に召したご様子でした」


 姉の返答に伊万里の表情が和らぎ、木乃美もほっとした微笑みに崩れ、弟と見つめ合っている。長子ひとりめクリアだった。


遥万はるま。家長として、見定めを――」

「私も異存はありません。さきほどが初対面でしたが、一目見た時から綺麗な光をまとっております。これほどのお嬢様は滅多におりません。息子のお相手として勿体ないほどです。素晴らしいお嬢様です」


 父もここでやっと笑顔になる。母もだった。いつものほわっとしたママの微笑みになって『伊万里、良かったわね』と声をそっとかけた。あの伊万里がちょっと涙目になったのだが、ぐっと唇を噛みしめて堪えたのを見てしまう。


 だがまだ最難関の縁神様付きの祖母がいる。

 その祖母へと皆の視線が集まる。


「では。荻野家、長老の私から」


 集うテーブルに張り詰めた空気が漂う。窓辺の雪が降る音が聞こえてきそうなほど……。


 祖母が口を開く。


「荻野の長老としても、よきご縁と見定めます。縁神様がようこそと歓迎しております」


 やっと祖母が、千歳も伊万里もよく知る優しいお祖母ちゃまの顔で微笑んだ。


「祖母ちゃんの、縁神様が……?」


 それを聞いた伊万里が……、目の前で優しく微笑んでいる祖母を知った伊万里が、いつも元気な弟がそこで顔を覆って泣き始めた。


「そんな、伊万里、泣くほどのことかな……。お祖母ちゃん、脅かしすぎたかしらね」

「違うよ。だって、祖母ちゃんの神さんってめっちゃ最強じゃん。リーサルウェポンじゃん。そんな神さんに歓迎されたら、木乃美ちゃんって『最強の彼女』じゃん」

「大事になさい。適当なことは許さないよ。お祖母ちゃんだけじゃなく縁神様もだからね」


 当たり前だろ! とムキになった伊万里が、すぐに隣にいる木乃美を抱き寄せた。


 ちょっといきなりお熱いなと千歳は苦笑いを浮かべたが。どうしたことか、泣いているのが伊万里だけじゃなくて、ちょび髭お父さんまで!

 ハンカチでぐずぐずになった目元を押さえているので、やっぱり荻野の神様審判を信じて緊張していたんじゃないのと、もう千歳は笑い出していた。


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