13.信じてないよ
小雪がちらつくテラスを眺めながら、両家の食事会が和やかに進んでいく。
そこでも祖母と両親、長谷川のお父様とお母様の会話は『今後の予定』だった。今回は『結婚を前提にお付き合いをする、お許しをもらう』ことと『両家顔合わせ』を済ませた形になる。正式な婚約を交わす結納はまた改めて行うという話し合いが交わされていた。
その間、千歳は朋重と共に、伊万里と木乃美を祝福し、弟をからかい、気兼ねのない会話で食事を楽しんだ。今回は初めて木乃美の兄・龍介とじっくりと談話することができた。
長谷川社長も奥様と共にすっかり笑顔になって、祖母と両親と親交を深めているようで千歳も安堵する。
長谷川社長と祖母は打ち解けられたせいか、仕事の話に花を咲かせている。気が合うようだった。母の凛香も木乃美の母親・結衣と母親同士の会話を楽しんでいる様子。
おいしい料理を堪能して、無事にお食事会はお開きとなった。
祖母と両親は神宮近くの実家へとタクシーで帰宅するとのこと。
長谷川家は伊万里がまたタクシーでホテルまで送っていくことに。
では、孫娘夫妻の千歳と朋重も車にて、植物園そばのマンションへ戻ろうと支度を始める。
ディレクトールとメートル・ドテルがレストランの入り口で丁寧に見送ってくれる。
小雪がちらくつ店先に到着しているタクシーへとそれぞれが乗り込んでいくので、千歳はそれを見送ろうとする。
祖母と母が千歳のお腹にそれぞれ触れてから『大事にね』と伝え、父の遥万も『無理をしないように。朋重君頼んだよ』と挨拶をしてタクシーに乗り込んだ。
長谷川家も同時に二台に別れて乗ろうとしていたのだが。
「俺は用事があるから自分でホテルに帰るよ。伊万里君頼んだよ」
長谷川社長だけタクシーに乗り込まず、そこに残ろうとしていた。
伊万里が訝しそうにしていたが、社長はタクシーのドアを閉めると窓越しに伊万里へと微笑み手を振っている。
義理父になる社長が希望していることだからと、伊万里もそのまま木乃美をそばに会釈をして、発進するタクシーに乗せられ行ってしまった。
二台目の奥様と息子が乗るタクシーにも手を振って見送っている。
祖母と両親のタクシーも発進して去っていく。
気がつけば。小雪が降る中、そこに残ったのは千歳と朋重と、笑顔で手を振ってタクシー三台を見送ったちょび髭社長……。
長谷川社長が静まり返ったレストラン前の道で、千歳と朋重ににっこりと微笑んだ。
「さあ。千歳ちゃん、二次会をしよう!」
「に、二次会……ですか?」
「うん。聞きたいことがいっぱいあるんだわ。一時間だけでいいからつきあってよ。朋重君もいいだろう」
「えっと。あまり妻を疲れさせない程度であれば……」
「ここに来る時に、ここ近辺のカフェを調べておいたんだ。すぐそこにあるから行ってみよう。もうさ、やっぱり信じられんわけなのよ。神様とかなんなのかな!? あの威厳たっぷりのお祖母様、荻野会長の手前、飲み込んだ顔をしたけれど、やっぱり信じられん! 千歳ちゃんにも神様がいるってほんとう? お祖母様に言われて洗脳されちゃったとかそういうことないわけ? それに、婿入りした朋重君もそれを信じて荻野の一員になったわけだろ? 君、信じてるの? ほんとに? 婿入りしたくて信じたふりをしているんだろう。そこのところ、腹を割って話したい」
矢継ぎ早に捲し立てられたので、千歳も朋重も目を白黒させてたじろぐばかり。これはちょっとやそっとでは納得してくれないなと、千歳も観念する。
これも跡取り娘で、姉貴の役目かな。このお父さんをある程度は納得させなくちゃいけないようだった。
❄・❄・❄
夜空からひらひらと小雪が舞い降りてくるが、まだ道には積もらない程度。それでも朋重が気遣ってくれ、千歳も彼が差し出してくれた腕に掴まって夜道を歩いた。
長谷川社長が前もって見つけていたというレストランそばのカフェへと到着する。
中心街から少し離れたすすきのそばのこの街は、たくさんの飲食店が立ち並ぶ。しかし激戦区でもあるため、お洒落でイマドキな店ができては立ち消えていくので、出入りも激しい。なのでいつのまにか見知らぬ店ができていたり、次に来たときにはなくなっていたりも多い。
長谷川社長が見つけた店も、千歳も朋重も初めて見る新しいカフェだった。
「札幌のこのあたりはよくわからないから、スマホートフォンで探したんだよ。いまふうで新しそうなんだ。若い君たちには馴染む店だと思ってね」
千歳はその店をひとまず看板まで見上げた。たしかにいまふうのシアトル系コーヒーを意識したスタイリッシュな店構え。だが千歳から見ると個性が出てるなという印象だった。
すごく派手とか奇抜とかそんなわかりやすいものではない。なんとなく、だった。店主のポリシーを訴える宣伝用の貼り紙が、店の窓にべたべたと貼られている。どれだけ頑張って珈琲をお届けしているかというものだった。焙煎の仕方に、豆の選び方、お客様に届けるまでの熱い気持ちが綴られ、ガヤガヤしている雰囲気を感じ取ったのだ。
朋重も浮かぬ表情をしている。彼も洗練された店をいくつも選んで通っていたので『店先の雰囲気が落ち着かない』と感じたのだろう。
それは長谷川社長も? 思っていたかんじと違うと不安そうだった。
でも、確かに珈琲のいい香りは漂ってくる。
店内も若いカップルが何組も入っていて賑わっている様子が窺える。
「とりあえず、入ってみようか」
長谷川社長がせっかく選んでくれたのだからと朋重が微笑んだので、千歳と長谷川社長も店のドアへと向かう。
『ダメダメ』
ん? そんな声が聞こえてきて、千歳は立ち止まる。
福神様の声ではなかった。もっとかわいい声?
その途端だった。両足がかちんと固まったように動かなくなったのだ。
朋重も腕に掴まる千歳を連れてドアへと向かおうと一歩踏み出していたのに。妻がそこに立ち止まって動かずついてこないので、後ろへと腕をひっぱられるように感じたのか立ち止まった。
「千歳?」
「お、おかしいの。足が動かない」
「え? な、なんで?」
夫が千歳の肩を抱き寄せて前へと優しく連れ出そうとしたが、千歳の身体は前に傾くだけ。転んだら怖いと、思わず朋重の腕に掴まって抱きつく格好になっていた。
長谷川社長も異変に気づき、当惑している。
「千歳ちゃん? まさかどこか具合が悪いのか。無理はいけないよ。お腹が張ったりしているなら、もう今日はかまわないから帰るようにしよう」
「そ、そうではないんです。そちらへ向かおうとすると地面に足がくっついたみたいに動かないんですっ。え、なんで、なんで?」
ほんとうに靴裏に接着剤がついて地面とくっついている感覚で、足も重りがついたようにずっしりしている!
そこで眉をひそめて黙っている朋重が、長谷川社長を気にしながら怖々と千歳へと呟く。
「福神様がなにか言ってるのか? この店はやめておけとか?」
夫の朋重が『妻付きの神様』がいて当たり前のような問いただし方をしたせいか、長谷川社長も千歳を窺うような眼差しを向けてくる。
不思議な一族、神様付の長子たち。そんなことあるかと信じていない男が、なにかを見極めるように凝視している。しかもあの怖い男の目でだった。
だが千歳も正直に答える。
「福神様はなにも言ってないけど。なんか違う声が聞こえたの。ダメダメって。その声が聞こえてから動かなくなっちゃったの。なんで??」
それを聞いた朋重が顎をさすりながらしばし唸っている。
やがて千歳の肩を再度抱き寄せると方向転換、店先から右側へ、この店に来るときに通って来た歩道へとむき直される。そこから朋重が千歳の肩を抱いたまま一歩踏み出した。同時に、千歳の足が軽くなって夫と共に一歩踏み出していた。
「え、え。動いた」
千歳も驚いているが、長谷川社長も目を丸くして動き出した千歳の足下を凝視している。
朋重だけが落ち着いていて、ため息を吐いている。
「社長、せっかく探してくださったのに申し訳ありません。どうもこちらのカフェとはご縁がないということのようです」
小雪がちらちら落ちてくる中、長谷川社長は目を丸くしていた。
「……そっか。んーじゃあ、ここではないカフェを探そう」
「も、申し訳ありません。社長。ふ、ふざけているわけではないんです。やだ、私の足、どうしちゃったの」
千歳も困惑。さきほどの福神さまではない声が聞こえたのも突然のことで動揺している。
それでも長谷川社長はスマートフォンを再度手にして、mapを開いて近辺のカフェを探し始めた。朋重もおなじく、スマートフォンで検索をしている。
「あちら、2丁先の角をまがったところにもありますね。そちらどうですか、社長」
「うん。俺は構わないよ。でも古そうなカフェだね。営業はしているようだから行ってみよう」
男二人が決めた方向へと進み出すと、もう千歳の足は普通に歩き出していた。
歩道を歩いている途中、小雪の中、長谷川社長がまだ怪訝そうな目つきで千歳を見ている。
「なんかのお告げ? 店先に来るまでわからなかったけれど、確かに落ち着きなさそうだったもんな。俺もいちいちレビューの点数は気にはしないけれど、ひとまず高い点だったから目星をつけておいたんだけれど」
「せっかく社長自らお調べくださったのに。申し訳ありません」
「いや、いいよ。ってかさ。ああいうこと、千歳ちゃんの身にはしょっちゅう起きているわけ?」
「福神様って呼んでいるんですけれど」
「福神様?」
「私の夢に現れた時、恵比寿様のようなお姿で海の上にいらっしゃったので」
「ほほう?」
朋重と共に千歳と並んで歩いている社長が、まだまだ怪しいものを探るような猜疑心に満ちた目線で見下ろしている。千歳も肩をすくめて焦る。変なことを言う、変なことを信じている、実家のしきたりや祖母のマインドコントロールの成れの果てとか思われてる?
「初めてその神様が現れた時は、千歳ちゃんは何歳だった?」
「六歳、です」
「その神様、なんて言って現れた?」
「えっと、笑わないでくださいね」
「かまわないよ」
そこで黙って歩いていた朋重だけが、先にふっと笑い出した。
夫である彼には、結婚生活を始めてから正直に福神様との思い出をたくさん語っているから、彼はもう知っているのだ。
そんな千歳と福神様の出会いは。
「あなたのとこのおはぎが好きなんよ――でした」
「はあ?」
「私も、実家荻野製菓のおはぎが大好物なんですけれど。それは福神様が現れてからなんです。たぶん、私が食べてお喜びになっているんだと思います」
「へえ……そうなんだ……」
ほら、まともな大人はそうして白けた様子を見せるし、受け入れがたいに決まっている。もしや、ここから伊万里を実家から引き離そうとか考えを変えたりされる? 祖母と父がいないところで、余計なことを言わないほうがいいかと千歳も混乱中。でも、神様審判を受け入れてくれたうえに、神様がついているとすでに伊万里が説明済みだから、千歳もここでのらりくらり避けたら不誠実に思えて、これまた判断に苛むばかり。
そのうちに信号がある横断歩道を二つ渡り、角を曲がって数軒のところに構えているカフェに到着。
今度はかなり古びている佇まい。二階建ての北国古民家風で、一階が店舗。欅の扉は重々しくがっしりと閉じられていて、営業しているかどうかもわからないが、営業中の札がドアノブにかけられているだけだった。
古いな地味だなあという第一印象。でも千歳は懐かしい思いをかんじたのだ。しかももう立っているここで珈琲の薫りがそこはかとなく漂っている。
「お、よさそうだな。俺は好きだな、こういうかんじの。年齢のせいかな」
「いえ。僕も好きですねこのかんじ。目立たないところにありますけれど、長年続いてきたかんじですね」
「うむ。よし、入ろう!」
そこでまた長谷川社長が千歳をじっとりと疑り深い目を向けて、足下へと見下ろした。朋重もだった。おなじことが起きるか起きないか。
千歳も恐る恐る一歩を踏み出したが、ちゃんと動いた。
男二人がほっとして、朋重が気を利かせて重い木のドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
白髪のご老人がカウンターでネルドリップの珈琲を淹れているところだった。
一目見て、千歳のテンションが上がってくる。『ここ絶対にいいお店!!』という勘だった。
それはもう千歳が特異な生まれだからわかるというものではなく、朋重も、長谷川社長も、そこで嬉しそうな笑みに崩れていたのだ。彼らからも『あ、いい店だ』と感じさせるものを、マスターが放っている。
そして店内の雰囲気も。こぢんまりしていた店の入り口のイメージと打って変わって、小さなドアをくぐりぬけた向こうは長屋風で奥へと細長く広まっている。しかもその奥には、小さな庭が絵画のように見える窓があった。
「お好きな席へどうぞ」
ホールのテーブル席にはぽつりぽつりと客がいて、静かに珈琲を楽しんでいる姿がみえる。
「せっかくだから奥の窓席に行こうか」
長谷川社長が笑顔でそう言うので、千歳と朋重も頷いてついていく。
席についてすぐにマスターがオーダーを取りに来て、ひとまず三人で珈琲を頼む。千歳も今夜は一杯だけ、せっかくだから久しぶりに飲むことにする。こんな本格的な薫りに、バリスタの洗練された佇まいを醸し出していたマスターを見てしまったら、一杯は絶対に試していきたい。
奥の窓辺で小雪がちらちらと舞う庭を眺めて、長谷川社長が満足そうに表情を和らげた。
「うん。間違いないな。ここはきっと良い店だ。さっきのカフェは店先から落ち着きがなかった」
「僕もそう感じました。今風でお洒落でしたけれどね」
「年齢層もあるかもしれないな。若い者はあの雰囲気が気分良いのだろう。俺はだんぜんこっちだな。あの目立たない店先だと、知る人ぞ知る、大人の隠れ家ってところだよな。渋い!」
まだ珈琲も召し上がっていないのに、長谷川社長はもう雰囲気だけで気分が良くなったようだった。
そんな社長が、向かい側に朋重と並んで座っている千歳へと視線をむけてくる。
「もしかしてさあ、こういうこと? さっき、朋重君が『ご縁がない』と言っていただろう。ああいうことが千歳ちゃんといると起きるってこと?」
少しだけ、気難しい社長さんにも通じてきた?
不思議な一族、荻野の長子からもたらすものがなにか――。
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