14.お嬢さんこちら、ご縁の成る方へ


 長谷川社長がせっかく目星を付けてくれていたカフェに入店しようとしたら千歳の身体が謎の拒否反応を起こし予定変更。次に見つけたカフェはこぢんまりとした地味な店構えだったのに、ドアを開けたらそこには奥に広がる優しく品の良い空間のカフェ。熟練の風貌を醸し出すマスターが、ネルドリップの珈琲を淹れているという雰囲気の良さに、長谷川社長も上機嫌だった。


 しかしこの店に辿り着けたのも、千歳の身体に謎の現象が起きたからだ。それを目の前で見ていた長谷川社長がやっと『荻野は不思議な一族、長子には神がついている』ことを信じるような様子を見せ始めた。


 ここは後一押しか? 千歳も弟の義父になるだろう社長さんだから、慎重に様子を窺う。


「まだちょっと腑に落ちないんだけれどさ。朋重君はどこらへんから、千歳ちゃんに神がついているとか、『荻野のしきたり』を信じるようになったわけ」


 当事者の千歳からなにを聞いても『神様はほんとうにいる』と盲目的な返答しかないと察知したからなのか、長谷川社長が尋問する矛先は夫の朋重へ。だが彼も落ち着いた笑みをいつどおりにうかべ、社長へとはっきりと答える。


「僕もまさかとか、そんなことあるか、でしたよ。でも小さなことが積み重なって、だんだんと妻と荻野の家が大事にしていることを知って、だからこそ起きたこと、たぐりよせた結果だと思えるようになりました」


 まだ長谷川社長は顔をしかめたまま、懐疑的な様子だった。


「いやあ。それじゃあ、朋重君が徐々に荻野に洗脳されたとしかとれないなあ」

「洗脳なんかされていませんよ。んー、そうですね。具体的な出来事ってことですよね」

「最初はなんだったの」


 夫に聞くまでもなく、千歳のなかでは『あれかな』とタコが思い浮かぶ。


「千歳を初めて親しい漁師の家族に紹介したあとですね。石狩漁港で蛸が大漁になったこと。漁師宅の息子さんの奥さんが妊娠中だったんですけれど、逆子がなおって帝王切開の手術がなくなったこと。そこの大姑になるおばあちゃんが、常日頃、関節痛で悩んでいたのに改善したこと――ですかね。それが千歳訪問後、いっぺんに起きました」


 やっぱり。福神様が招いたタコ大漁! 千歳も懐かしい思いが込みあがり、必死に笑いを堪えた。


「あの時こそ『いやまさか、そんな偶然だ』と思っていたけれど、いま思い返せば、あそこからが始まりかなと思っています」

「ほうほう。いっぺんに、千歳ちゃん訪問しただけで。でも偶然でしょ、やっぱり」


 ちょび髭社長、まだまだ眉をひそめて訝っているが、それでもまだ自分の言い分は繰り出さず朋重の言葉を待つ姿勢を保っている。


「それから、漁師宅で大盛りの漁師飯を振る舞ってくれたんですけれど、そこで初めて彼女が『食べる魔女』の姿を発揮してくれて見せてくれて。婚約してから彼女が打ち明けてくれたのですが、『福神様がご馳走を気に入った御礼をすると夢に出てきた』と……。その御礼が大漁と逆子と関節痛が治るということだったらしいんです。そんなふうに、結婚するまでには、彼女と縁を結んだことで様々なことが目の前で起きて、すべて彼女の福神様が呼び込んでいることだと信じられるようになりました」


 長谷川社長が黙り込んだ。

 妻が言うことをひとまず信じている夫を演じているのか。ただ偶然が重なっただけなのではないのか。ここで否定を繰り出したら、千歳のこれまでの信心をないものとして接することになる。だからなのか、長谷川社長も荻野を無碍にはできない関係になっているので、どう出るか迷っているのが窺える。


 店内にはつねに珈琲の薫りが漂っている。カウンターでマスターがオーダー分の珈琲を、銀色のケトルを片手にドリップしている姿が見える。

 カウンター席には四十代ぐらいの壮年男性がカップ片手に珈琲を味わっている。冬らしいニットスタイルで、首元に見える襟にはビジネス風のボタンダウンのストライプシャツが見える。着こなしがお洒落な男性。よく通っている常連様なのか、マスターに笑顔で話しかける。


「よかった。マスターの店がなくなったらどうしようかと思っていたんだ。あそこにいまふうのカフェができて、一時行列ができただろう。自分も一度並んでみたんだけれど……。年齢かな~。俺はマスターの珈琲が好きだと思ったんだ。こちらのお店があの店に負けるんじゃと思ったけど……」


 いまふうのカフェとは先ほどの若者向けのお店のことかと千歳の耳に入ってくる。それは千歳だけではなく、朋重と長谷川社長の耳にも入ったのか、ちらっとカウンターへと視線が向いたのがわかった。


 マスターは静かに微笑むだけで、そのお客様の話題には『おかげさまで、ありがとうございます』と返答しただけだった。


「悪くはないんだけれど。落ち着きもなかったんだよね。それに、心配しすぎたかな。客層ってあるんだなと思えたんだ。新しいお店ができたことで、マスターの店の良さを再認識したよ。あちらはあちら。こちらはこちら。それに、このお店、この界隈で三十年続いているんだから、たくさんの波を乗り越えてきたってことだもんね。マスターの店がそれだけで潰れるわけないかって。ちょっと心配したことが申し訳なかったというか……」


 それにもマスターは『ありがとうございます。身体が動く限りは続けますよ』と短く返答しただけだった。


 それでも目の前のカウンター客は満足そうに、マスターの一杯を丁寧に味わっている。

 老舗のカフェでよくみる、陶芸家の手仕事がわかる陶器のカップが多い。


 やがて千歳たちのテーブルにも、その陶芸カップで珈琲が運ばれてきた。


「おまたせいたしました。こちら本日のオススメ珈琲です」


 珈琲と一緒にちいさなお菓子がついてきた。

 荻野のお菓子だった。個装で売っているバタークッキー。

 千歳が驚いてクッキーの袋をつまむと『お菓子付きなの』と女性が驚いていると思われたのか、マスターがにっこりと微笑み教えてくれる。


「祖母の代から、我が家の珈琲には荻野さんのお菓子なんです。とくにこのバタークッキーとの組み合わせがおすすめです。荻野さんからまとめて仕入れさせていただいております。当店の珈琲にはもれなくつけさせていただいております」


 千歳が絶句していると、朋重がかわりに返答してくれる。


「そうでしたか。たのしませていただきます。あの、僕たち初めての来店なのですが、いつごろから営業されていらっしゃるのですか」

「この家は私の生家でもありまして、私が脱サラでカフェを始めてから三十年ですね。いまでいうリノベーションをいたしました。二階を住居としておりまして、妻と生活をしております。年齢的なことがあり、いまは週三日~四日の営業にしております。レジに営業予定日のカレンダーカードを置いていますので、よろしければ今後来店のときの参考にしてくだされば有り難いです」

「思い出深いお宅でのカフェ開店だったんですね。なんとなく懐かしくくつろげる空気は、そこからきていらっしゃるのかといま思いました」


「ありがとうございます。祖母と父が珈琲好きだったもので、私で三代。ついに店にしてしまいました。庭は祖母と母、そして妻が引き継いできたものです」


 導かれてきた驚きで固まっている妻のかわりに、夫の朋重が愛想良くマスターと言葉を交わす。だが彼らの会話の内容にも、千歳の心は震えている。

 家族が紡いできた空気と長年積み重ねられてきた感性の集結。それを他人に心地よくさりげなく提供する柔らかな心根。つつまれて安心できるこの雰囲気のわけを知り、そしてこのカフェに辿り着いたキッカケも思い出し、千歳は思わずお腹を撫でていた。


 その驚きに打ち震えているのは千歳だけではなく、目の前の長谷川社長もだった。

 荻野のバタークッキーの袋を手にして、だまって凝視している。その目がまた真剣すぎるほど真剣で、ひとり物思いに耽っている様子だった。


「奥様、おなかに赤ちゃんがいらっしゃるんですね。お寒いようでしたらブランケットもご用意しております。デカフェもご案内すればよろしかったでしょうか……」


 優しい気遣いにも千歳は感動して、自分が荻野の娘であることなど伝えるのも烏滸おこがましい気持ちになり『ありがとうございます。大丈夫です』と答えるのが精一杯になっていた。


 そこでやっと長谷川社長が口を開いた。


「どうして荻野のお菓子だったのですか。他にも道内で名が知れた製菓会社、土産の菓子どころ、いっぱいありますよね」


 出会った時のような、人を窺う厳しい目をマスターに差し向けている。


「どうして、ですか? いえ、子供の頃から自分が慣れ親しんできたものだからです。私の家族がおいしいと思って好んでいたものを勝手に提供していることになりますので、その、おしつけがましいことであれば申し訳ありません」

「いえ、そのようなことを言いたかったわけではないのです。こちらこそ、失礼を申しました」

「いいえ……。あ、自分が慣れ親しんだと言いましたが。祖母がよく言っていました。荻野のおはぎには神がついているかもしれないと……」


 初めて入った店の、初めて会うマスターからそんな言葉が出てきて、千歳もどっきり背筋を伸ばした。朋重も同様で、長谷川社長に至っては目を丸くして固まっている。


「なんでも。代々神を敬うご一家とのことで、祖母は『あそこは神様を大事にする心で菓子を作っているから間違いはないよ』と言っていました。なんだか『お守り』みたいな気分で、お菓子を選んで食べていましたね。大ファンでしたから。いまも仏前には荻野のお菓子を供えております。私はこの組み合わせが好物でしたし、お守りのつもりで珈琲のお伴にしております。この界隈、飲食店の出入りは多いのですが、営業日を減らしても常連様が途切れることなく、細々ながら営業を続けてこられました。有り難いことです。そのときにふと、祖母の言葉を思い出すことはあります。荻野さんのお菓子をつけるのはそんな気持ちですね」


 その話にも……。千歳はなんだか涙が滲みそうだった。

 妊婦だから? 最近ちょっと感情の起伏が激しいところもあるせいか、急に現れた『ご縁』との所以に心が揺さぶられる。


「申し訳ありません。お客様には関係のない私事でした。どうぞ、ごゆっくりしていってください」


 マスターがそっと下がっていく。


 小雪が降り続く庭には、ライトアップをするためのモダンな石造りのオブジェが、ほのかな灯りで降り積もる白い雪を浮かび上がらせている。


 言葉を失っている三人のテーブル。一時して長谷川社長が大きなため息を吐きながら、荻野のバタークッキーの袋を開けた。


「あーうん。わかった。朋重君が言いたいことが。こういうことがこれから積み重なっていくってことなんだな」

「そ、そうですね。いえ、僕もいま度肝を抜かれていますよ。でも……、千歳と一緒にいるとこのようなことが多いです」


 そんな男二人の視線がまた千歳へと注がれる。

 千歳だって驚いているのだ。


「わ、私だってびっくりしてるんだけれどっ」

「あのさ。あの若向けカフェで足が動かなくなった時、声が聞こえたんだろう。あれがなければ、荻野と縁があるこのカフェに出会えなかったわけだけれど……。福神様でなければ、いったい誰からのお告げ?」


 朋重に問われたが、千歳もわからないから首を振るだけ。

 戸惑う荻野夫妻を目の前に、長谷川社長がクッキーを囓って、陶芸カップを手に取り口元へ、珈琲をひとくち含んだ。そして目を見開く社長の表情。


「うん! うまい! 俺、札幌に出てきたらここにまた来ると思うな。これはいい店と出会えたもんだ!」


 天邪鬼なちょび髭社長が絶賛したので、千歳と朋重もおなじように菓子を開け、珈琲をひとくち。おなじく、ちょび髭社長とおなじ顔を夫妻でそろえる。


「おいしい!」

「うん! クッキーの塩気と合ってる。これは自宅でも試したくなるな」


 クッキーのバターの香りとコク、塩気、ミルクの甘み。珈琲の薫りと苦みがそれぞれ合わさるカフェマリアージュと言いたい。ひとくちでくつろぎが広がる、楽しい珈琲タイム。


 長谷川社長も気に入ったのか、またご機嫌の笑顔で珈琲を味わっている。

 美味しいものを囲むと、向かい合う者同士も和やかになれるから不思議だった。

 だからなのか、長谷川社長がコーヒーカップを傾けながら言い放つ。


「わかった。千歳ちゃんがこんなふうにご縁を運んでくるってことなんだな。ということは、伊万里君を連れてきてくれたのも千歳ちゃんかな。浦和さんと繋がっていたことで、荻野姉弟とも出会えたとも言えるもんな。今日だって……。こんな気分がいい出会いに巡り会えたもんな」


 社長は楽しそうにそう言うと、ついには千歳に向かって『ガハハハ』と笑い出す。


「見せてもらおうじゃないの。たくさんの不思議な出来事を。そうしたら俺も一緒に荻野の神様たちを親族として敬っていくよ。うん、面白い!!」


 まだ信じられないけれど、なんだか信じたくなってきたと長谷川社長が締めくくる。


 そうだね。まだご縁が結ばれたばかり。浦和さんとも少しずつ理解を得られたのだから、こちら弟が結ぶお肉屋さん親族とも、徐々に信じてもらえそうだなと、千歳は安堵する。


 それにしても。あの若者向けカフェで聞こえた声はなんだかったのか。


 母が妊娠中に千歳の声を聞いたとか摩訶不思議なことを言っていたが、もしや、これが?

 私の赤ちゃんの声だった?

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