15.長子の力


 荻野のしきたりか家風を信じられないと言っていた長谷川社長だったが、北国古民家カフェでの不思議なお導きに触れてからは、ひとまず荻野と寄り添って付き合っていくと宣言してくれた。


「いやあ、ひさしぶりにいい珈琲を堪能できたよ。千歳ちゃんの摩訶不思議な暮らしぶりもね」


 徐々に色濃くなる夜空からは、ふんわりとした綿雪がふわふわと舞い降りてくる。その中、長谷川社長は車道へと手を挙げて、タクシーを捕まえた。車両が路肩に停まろうとしているところで、社長が千歳へと振り返る。


「それでは、また。無事の出産を祈っているよ。生まれたら必ず教えてくれよ。もう親族になるんだから」

「ありがとうございます。必ず、連絡します。弟のこと、よろしくお願いいたします」

「社長、今後も浦和の実家ともども、よろしくお願いいたします」


 朋重と共に、夫妻で新しい親族となる長谷川社長へと一礼をする。

 社長も照れていたが、嬉しそうな笑みを見せてくれた。


「あはは。まさかの浦和さんと親族になるとはね。お魚屋さんには負けんぞと意気込んでいた自分がいまは恥ずかしいよ。でも、お近づきになれて嬉しいよ。それに……。伊万里君と千歳ちゃんを連れてきてくれたお兄さん、秀重さんに御礼を言いたいくらいだ。今後も親戚としてよろしくな」

「兄に伝えておきます。父も、長谷川さんにお目にかかりたいと言っていたので、機会をつくりたいと思っています」

「うん。楽しみに待っているよ。なんだったら、食べる魔女さん姉弟のために、肉と海鮮で食べ尽くし会をやろうじゃないか」


 肉と海鮮で食べつくし会!?

 千歳の表情がぱっと変化したせいか、長谷川社長と朋重がくいつきよい千歳を知って笑い出した。


「たくさん食べたいだろうから、出産が終わったらな。その時に3ポンドフィレステーキを焼いてやるよ」


 千歳がさらに『ほんとうですか!?』と喜び飛び上がると、長谷川社長も嬉しそうに微笑んで、路肩に駐車したタクシーへと乗り込んだ。

 後部座席から『じゃあな』と渋いお髭の顔で手を振ってくれる。綿雪の中、千歳と朋重は歩道にて揃ってお辞儀をして見送った。


「冷えたらいけない。俺たちも車で帰ろう」


 朋重は黒髪が濡れないようにと、千歳が着ているダウンコートのフードを被せてくれる。彼も自分のコートのフードを被ると、千歳に腕を差し出してくれる。いつものように頼もしいお婿さんの腕に掴まって、千歳も歩き出す。


「また不思議なご縁に出会えたな。あのカフェなら、兄とか桜子義姉さんとか、両親にも教えちゃうな。それに……。凄いな。あのカフェに入っただけで、長谷川社長を一発で説得できちゃったんだからな」


 車をとめているコインパーキングまで歩く道すがら、綿雪が降りてくる空を見上げながら彼が呟いた。


「あれ、足が動かなくなったのは。福神様の声でなければ、なんだったんだろう」


 夫と同じ空と雪を見上げる。白い花が舞うような綿雪が千歳と朋重を包んでいく。

 夫ならば――と、迷わずに千歳は告げることにした。


「あのね。お母さんから聞いたんだけれど、私がおなかにいる時に『ママって呼んだらいいの?』と話しかけたらしいの……」


 雪の中、一緒に歩いていた朋重が立ち止まる。

 おなかの中から話しかけた。それがどういう意味かわかって、またもや摩訶不思議な妻の体験談に呆気にとられている。


「お義母さんが不思議なのか、千歳が不思議なのか……?」


 夫もおなじことを感じて言葉にしたので、千歳は思わず笑む。

 自分とおなじことに気がついてくれたからだ。


「それってつまり、おなかの中にいた千歳が話しかけたってことだろう。あ! ってことは!!」

「うん。そう。もしかすると……。私たちの子が、話しかけてきたのかも」

「うわ! 嘘だろ。えー!? 俺も聞きたい!」


 街中なのに、朋重がいまにも地面に跪いてお腹を目の前に顔を近づけたい姿勢になりそうだったが、雪で濡れていたので諦めて、お腹を抱きしめるかわりに千歳を抱きしめてくれる。


 綿雪の中、朋重の胸の中は温かくて千歳も人目も構わず彼にもたれる。


「いちおう、女の子だってわかっているけれど。やっぱり長子で女児で……。不思議な子なのかしら」

「うん。生まれてくるまで性別は確実ではないけれど、女の子でも男の子でも、きっと荻野の長子の力を備えて生まれてくるよ。俺たちで導いて、その子らしく育てたい。千歳のご両親のようにね……。そうか。力もっているんだ、もう……」


 抱きしめてくれている彼を見上げると、赤ちゃんが不思議な子として生まれてくることが嬉しそうに見えた。

 ほんとうに。この男性と出会えて結婚できて、夫妻になれて良かったと思える綿雪の夜――。


「でも。ちぃちーちゃん、『このお店はダメダメ』って、どういう意味で伝えてくれたんだろうな。流行のカフェよりも、あちらの古民家カフェのほうがご縁があるよと教えてくれたのかな」

「うん、そんな気もするわね。長谷川社長がひとまず納得してくれたのも、あの声が引き留めてくれてお店を変更することになったおかげだものね」

「そうかあ、どんな神様が付いてくれるんだろうな。それも楽しみだなあ」


 気温がどんどん下がって、大きな綿雪が夜空を白色に染めるように降りしきる中、夫が子供を待ち望む笑顔には温もりしかかんじない。


 でも。千歳はまだ不安に思っている。

 どんな神様が付いて、自分は神様付の先輩としても母としても、どうこの子と接していけばいいのだろうかと――。




❄・❄・❄


❄・🍪😇☕・❄



『まあ、なんてことでしょう。最高の珈琲と、うちらのバタークッキーの相性のよいことよいこと! あのがやがやした若者ばっかりの店でなくて正解でしたな! マスターとやら、気に入りましたぞ! ああ、でも。おかわりほしかったわ~。けど、赤子のためにとやらを、とりすぎは駄目ってことで我慢しましたわ~』


 フレンチを食べているときも、カフェでコーヒーを味わっている時も、大人しくして出てこなかったのに。

 その日の夜にまた千歳の夢に登場してきた。


 福神様、私の子供が導いてくれたのですよね――と脳内で問うのだが。


『それはどうかしらね。内緒だわよ~』


 扇子で顔を隠して、またふいっといなくなってしまった。


 目が覚めて、千歳はちょっとふて腐れていた。

 知っているだろうに濁して去って行くばかりの福神様。もしかして、おそばに、まだ生まれる前の私の子がいて仲良く遊んでいるのではないのかと。


 そこで千歳はふと、自分が胎児だった時の記憶はあるだろうかと思いを巡らせたが、そんなものはあるはずもなく……。母が教えてくれた『ママと呼べばいいの』という問いかけも記憶にはない。おなかの外へと産まれたら忘れてしまうものなのかもしれない。


 でも。産まれるまで、荻野のご加護様のそばに胎児だった自分の魂がいて、一緒にお喋りをして遊んでいたのかなと想像してみたりする。

 千歳の場合は父に付いている聖女様になるのだが、でも聖女様は母・凛香にそっくりだから、やっぱり母そのものなのかもしれない。

 美しい女神様とおしゃべりをしていた日もあったのかもしれない。

 だったら、いまは石狩の海で福神様とこの子は遊んでいるのかな……。


 そんなことを頭に思い浮かべると、なんだか楽しくなってきて、千歳はまた微睡んでいた。





⛄❄⛄❄⛄


 この子はどんな力を持って生まれるのか。

 きっと付いた神様と繋がる力だろうから、付く神様の性質によるのだろう。

 お腹も大きくなって重くなり、千歳はついに産休に入った。雪深い季節に突入し、さっぽろ雪まつりで賑わっている時節だった。


 企画室は、細野係長と主任の伊万里と、同期生の小柳主任に任せているので安心はしている。それでも、二日に一度はリモートで会議に参加したりしている。試食のサンプルは伊万里が自宅へ持ってきてくれ、そこで二人で打ち合わせもするので、仕事に支障はない。


 植物園も白く染まり、窓辺は雪景色の日々。

 朋重も仕事に出掛けているので、日中はひとりでいる千歳はランチをしようとキッチンに立っていた。


 手軽に済ませようと、混ぜて炒めるだけという商品を手にして、刻んだ野菜と合わせる準備をしていた。

 箱から出して、レトルトパウチの袋の口を切って開けようとキッチンバサミをあてがった時だった。がっちりと誰かに手を握られたように、そこで動きを止められた。


『ダメダメ!!』


「え!?」


 また声が聞こえてきて、千歳はあたりを見回した。

 福神様ではないかわいい声。二ヶ月ほど前に聞こえてきた声!

 千歳は思わず、大きく膨らんで前に突き出してきたお腹へと視線を下ろす。

 そしてレトルトパウチを見つめ……。もう一度、ハサミを手に袋の切り口部分に当てて開けようとする。


『ママ、ダメ。ダメ、ダメダメ!』


 ママって言った!?

 今度こそ千歳は仰天して、跳び上がりそうになった。

 この驚きを伝えたい夫もいまはそばにいないから、ひとりで『うそ、うそうそ!』とわたわたと大騒ぎ、うろうろしてしまったほどだった。


 もう一度落ち着いて。キッチンでコンロの前へと立った。


 レトルトパウチを手に持って、もう一度ハサミを……。あてがったそこでチャイムが鳴る。

 もしやなにかを察した朋重が帰宅してくれたのか、だとしたらこの摩訶不思議な体験まっただ中で戸惑いいっぱいの千歳の気持ちを受け止めてくれると、喜び勇んでインターホンに出てみたのだが。


『姉ちゃん、俺~。一緒にランチしよー。野菜サンドとかいろいろいっぱい買ってきた!』

『こんにちは。とつぜん申し訳ありません。札幌に出ていたものですから、お姉さんに会いたくて』


 伊万里と木乃美だった。

 あれから正式に婚約をして、春になったら結納をする予定のふたり。

 最近は、長谷川牧場がある日高地方から木乃美だけが札幌に出てきて、伊万里の自宅で過ごしたりデートしたり、結婚準備の打ち合わせもしていると聞いていた。

 出てきた時も時間があれば千歳のマンションにも、お土産付きで会いに来てくれる。


 今日もひとりで過ごしているところにちょうど来てくれて、夫ではなかったが千歳もほっと気持ちが落ち着いてきた。


 ふたりを自宅内に招き入れ、リビングでランチの準備をする。

 千歳がコーヒーやら紅茶やら準備をすると言い出すと、気立ての良い木乃美が『手伝う』とキッチンに一緒に入ってくれた。


「あら。千歳さん、ひとりでお昼ご飯の支度されていたところだったんですか」

「うん、そうなの。手間かけるのがちょっとしんどくて、簡単にこれをつかって野菜炒めをしようとしていたんだけれどね。そこでちょうど、ふたりが来てくれたから、これは中止。明日に回すね。炒める前でよかった」

「ご連絡入れてからにすれば良かったですね。私が急に、千歳さんと一緒にランチできるかもなんて言いだしたから」

「やだ。木乃美さんったら。それって私が食べきれないだろうと心配してくれているの? たとえ、野菜炒め作っていても、サンドが大量に持ち込まれても、ぺろっと食べちゃう魔女だって知っているでしょう」

「でも。まだお食事には気を遣いますよね」


 いつも気遣いをしてくれる木乃美に、千歳は『いまは栄養補給大事だから大丈夫』と笑い飛ばした。

 そのあとすぐだった。今日は眼鏡をかけている木乃美の目線が、千歳が使おうとしていた『野菜炒めの素』へと止まった。


「これ……」


 開けて放置していた商品パッケージの箱を手に取った木乃美が、少し青ざめた顔で眺めている。

 急に表情が変わったのでどうしたのと聞こうとした千歳だったが、木乃美に声をかける前に彼女がリビングへと戻ってしまう。ハンドバッグからスマートフォンを取り出して、箱を片手になにかを調べはじめた。

 伊万里も婚約者の様子が気になったのか、そばへと歩み寄る。


「木乃美ちゃん。どうかした?」

「伊万里さん、これ。今日、お姉さんがお昼に使おうとしていたみたいなんだけれど……。昨日かな。ネットニュースで見た覚えがあって……」


 調べがついたのか、木乃美が慌てて伊万里にそのネットニュースを見せた。


「これ自主回収対象になってるじゃん。姉ちゃん、これ使わない方がいいよ」


 え……。さっと血の気が引くような感覚を千歳は覚える。


 衝撃を受けている千歳に気がついた木乃美も慌てて追加情報をくれる。


「でも。万が一、食しても健康に害はない――とありますよ。それでも会社の検査基準に満たさないものだから生産方針として回収するとあります」

「あー、これ。きっと中に入っている具材で、土とか使わない屋内栽培のやつがあるから、使っている栽培素材の一部が収穫の時に混入したんじゃないかな~」

「えー! やっぱり妊娠中のお姉さんには食べてほしくないじゃない」


 農業生産に詳しい弟が見通したとおりのようで、発売元メーカーの自主回収のおしらせにも同様の説明がなされていた。


 いつもは毅然としている姉が呆然として無言でいるので、伊万里が訝しがっている。


「いや、姉ちゃん……。妊娠中で必要以上に心配になるのもわかるし、身体が思うようにならなくて手軽に済まそうとしていたことで、こんな出来事に遭遇したことショックなのはわかるけど……」


 弟と木乃美が間一髪気がついてくれて良かったという気持ちもあるが、そうじゃない……!


 千歳はダイニングテーブルに放っておかれた商品パッケージの箱を手に取って伊万里と木乃美に向けておもむろに呟く。お腹を撫でながら――。


「この子が。使う前に……。ママ、ダメって教えてくれて。だから封を開けずに済んだの。そうでなければ伊万里が訪ねてくる十分前に、袋を開けていて調理済みだったと思う」


 さすがに伊万里も木乃美も『え!?』と仰天していた。


 私の赤ちゃん、ダメなものはダメって教えてくれる子!?

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