18.荻野リーサルウェポン

「ほんとうに、申し訳ない。当家のしがらみに千歳さんを巻き込んでしまった」


 来るなり栗毛のお父様がスーツ姿で、千歳の足下で土下座をしたのだ。

 そんなことさせるつもりなど一切ないから、すぐに頭を上げて立ってくれるように千歳は懇願する。

 彼の兄も『千歳さんが困っているから、よそう』と父親の勢いをなだめてくれる。


 朋重と夕食をするところだったので、慌ててやってきた義父と義兄にもと、二人で配膳をした。

 こんな時なのにと義父は遠慮したが、気持ちをほぐすためにも、千歳は買ってきたワインを勧めた。

 それぞれがダイニングテーブルの椅子に落ち着く。千歳と朋重が並んで座り、向かい側に浦和の父『正貴まさたか』と、義兄の『秀重ひでしげ』が並んで座った。


 栗毛ハーフの美形おじ様と、クォーターの栗毛兄弟が揃うテーブルの麗しさ、目を瞠る光景がそこにできあがっていた。


 そんな中、浦和の父に、千歳も頭を下げる。


「申し訳ありません。本店に伯母様がいらした時に、こちらで調べさせていただきました」


『どうして伯母の紹子がこのようなことしたのか』と、懇々と義父が説明することが予想できたので、千歳から『みな言わずとも知っている』と伝えた。

 父親の口から、母親が受けた酷い仕打ちを語らせると、知らずに育った朋重が生々しい話を聞くことになる。いくら三十の大人になったとは言え、子供のころのまま記憶が止まっていた朋重にはショックを受けてあたりまえの内容だ。だから聞かせたくなかった。

 だからなのか、かえって義父の正貴がホッとした顔をしてくれたので安堵した。


「そうでしたか……。ですが、もう二十年も前のことで、話も決着しているはずなのです。ほぼ絶縁状態でしたから、婚姻には関係ないものと判断してしまいました。荻野のお家に迷惑をかけることとなってしまい申し開きができません。お祖母様もお聞きになったらお怒りでしょう。信用をなくされたかと思います」

 朋重の兄もすかさず頭を下げてくる。

「お祖母様からの贈り物だった真珠のジュエリーを手渡されてしまったとか。おなじ物などふたつとないもの、必ず取り返します。申し訳ありませんでした」


 だが、千歳はにっこりと清々しく微笑んでみせる。あまりにも千歳が怒ってもいない、落ち込んでもいない、怯えても泣いてもいないので、義父と義兄はきょとんとした顔を揃えていた。


「大丈夫です。我が家には加護がありますので、お義父様もお義兄様も、当家が『不思議な一族』と言われている所以ゆえんを体験していただけたらと思っています」


 お二人が顔を見合わせる。朋重も『ちーちゃん、どうしたの』と戸惑っていた。

 だが千歳は真顔にもどって、義父と義兄を見据えた。


「ご存じなのでしょう。荻野の家は不思議な家。親族になると一緒に繁栄するとお聞きになられたことがあるかと」


 だから次男を見合いに出したとは、さすがに義父も言い難いようで黙っていた。

 そこに、もう幾分か荻野の家風に慣れてきた朋重が会話に割って入ってくる。


「もしかして。あの真珠を持たせたことで、なにかご加護でも?」


 このような騒ぎになって、千歳はここでもういいかなと、夫と親族になる男性ふたりに打ち明ける。


「荻野は長子相続。でも、もうひとつ、跡取り長子には『とある現象』が起きます」

「とある現象? 千歳にも起きたということ?」

 尋ねてくる朋重に、千歳は静かに頷く。

「神の夢を見るという現象です。いままで次子がその夢を見ることはなく、長子が見てきました。女児だろうが男児だろうが、夢を見た者が跡を継ぐ者としてきました」


 栗毛の男三人がともに、目が点になっていた。

 あまりにも突拍子もないことを言いだしたと怪訝に思っているのだろう。荻野の後継者がそんなことを言い出すはずがないと信じたいところだろう。


 だが、やはり順応が早いのも、千歳のそばで半年過ごした朋重だった。


「千歳はその夢を見たということなんだ」

「そうね。小学生の時。神様の夢を見たら教えなさいと、両親と祖母に言われていたの。伊万里が見る可能性もあったけれど、やはり長子の私が見たの。伊万里はまったく現れないんですって」

「どんな神様なの、千歳の神様は」

「海に浮かぶ恵比寿様のような神様。私は福神様と呼んでいる。うんと食いしん坊の神様」


 なにか覚えがあるのか朋重もはっとした顔になったが、浦和の義父も義兄も同じようにはっと目が覚めたような顔をしている。


「だから千歳は大食いってこと」

「わからないけれど。川端さんのおうちのタコ天とタコ飯はすごくお気に召したようよ。タコが大漁になったでしょう」

「ええ!? あれって千歳の神様の仕業!?」

「ミチルさんのお腹の赤ちゃんも逆子が治ったでしょう。お祖母ちゃんの関節痛も。あれは、美味しく食べさせてくれた御礼なんだと思う」


 なんとなく『荻野のお嬢さんが出向いたから起きたこと?』と感じ取っていたからこそ、不思議だけど現実のものだったのだと、朋重は驚きの顔に固まっている。


 朋重の次は、義兄の秀重がしっくりしてきたという表情に和らいだ。


「父さん、海にいる神ということは。うちが祀っている保食神と属性が似ているのでは。七福神の恵比寿は釣り竿を持っているだろう。もともと海の神だ」

「そうだ。保食神うけもちのかみも漁業守護、航海安全と食の神だ。なるほど。どことなく繋がっている気がする……」


 そこまで気がついた義父と義兄が、千歳をしげしげと見つめてくる。


「だから、私の息子と縁があったと?」

「不思議だな。朋重が最初のデートで漁村に連れて行って漁船に乗せたと聞いた時も、もっと女性が喜ぶお洒落なデートをと父さんと怒ったけれど……。もしかして、それも導かれて? そう思えてくる」

「ほんとうだな。しかも、二人揃ってプロポーズしようと決めた場所が、漁村の祠が見える海上で漁船だったというのもなあ」


 いま思い返せば、導かれてなるべくして繋がったと思えると、お二人が唸り始めていた。

 千歳と朋重も顔を見合わせて微笑み合う。


「私にとっては、あの漁村で船に乗ったことが決め手でしたから」

「俺も。あの海上で祠を見つけた千歳さんが手を合わせてくれたことが、ずっと残っていたから」


 親族顔合わせの食事会で、二人がどうして惹かれ合ったか、プロポーズの経緯なども報告済み。

 荻野の家族は『なるほどねえ』とほのぼの聞いてくれたが、浦和の家族は『え、意外なシチュエーション。荻野のお嬢様にそんなプロポーズ? え、お嬢様からも漁船でプロポーズしようとしてた?』と、青ざめたり驚いたりと、対照的だったことを思い出す。


 ともなれば、今夜の千歳の余裕も腑に落ちたと、義父も義兄も納得してくれる。


「不思議なご加護がきっとありますから。慌てず様子見をしてみましょう。ポイントは『祖母から譲り受けた、あるいは贈られた、真珠』ということです」

「お祖母様の贈り物だから、なにかあると言いたいのか千歳は」


 朋重の慣れた問いだったが、今度は義兄の秀重も遠慮なく聞いてくる。


「千歳さんに神様が付いているなら、荻野会長、お祖母様にも付いているということですよね。あ、お父様にも」

「はい。祖母の神様のことを、弟は『荻野のリーサルウェポン』と呼んでいます」


 リーサルウェポン!?

 最終兵器という意味で捉えてくれただろう栗毛の父子たちが、そろっておののいた。

 そんな祖母の強力な神様はというと――。


「祖母の神様は、縁結びの神様のようです」

「縁結び、なんだ。あ! もしかして、お祖母様が漁師姿の俺の写真を見ても、お見合いを勧めてくれたのって」

「そう。海の神同士で相性が良さそうと、祖母は素直に勘で選んでいたんだと思うの。いいご縁だったでしょう」

「強い縁結びができる神様なのか。それなら、荻野製菓が繁栄するにあたっても、いい縁を選んでこられたということか。でもそれがリーサルウェポン?」


 浦和の義父が『羨ましいな。いい縁が選べる見通しができるなんていいな』なんて、本当に羨ましそうにぼやいたのが聞こえた。そこには妻とはいい縁だったが、妻の父親が手に取った悪縁だけがどうしても切れないと嘆いているのも伝わってくる。


 だから千歳はそんな義父にも、不敵ににんまり微笑んでみせる。


「大丈夫ですよ。お義父様。いい縁結びの神は、いい縁切りもしてくれるんです。強力な縁切りをです。でも気をつけなくてはいけないことがあるんです」

「気をつけること? いい縁を選んで結べるし、悪い縁は絶ちきるだけではないと?」


 義父の問いに、千歳は頷く。


「聞いたことがありませんか。強力な縁切りの神様にお願いをすると、必ず叶えてくれるけれど、良い縁ごとごっそり切ってしまうというお話。祖母についている神様はまさにそれで、『強力縁切りモード』にシフトがはいると、爆撃範囲が広すぎて、切りたい縁の周囲ごと無差別に縁がなくなってしまうことがあるんですよ。ですから最終兵器と弟が呼んでいます」


 また浦和の栗毛父子が『いい縁までごっそり!?』と揃って絶句している。


「まって、千歳。だとしたら、伯母と縁を切ることでお祖母様の力を借りたら、俺との縁も切れる可能性があるってこと!?」

「それは駄目だ! 私は朋重と千歳さんとは是非是非結婚をしてほしいし、当家と末永くご縁があるお付き合いをしていきたいと思っているのですよ」

「父さん、落ち着いて。まだお祖母様はこの件については接触されていないだろ。そうですよね。千歳さん」


 慌てる浦和親子たちに、千歳は苦笑いをこぼしつつも、安心させようと告げる。


「お義兄様のおっしゃるとおりです。祖母が出てしまうと、今回の縁談もなくなってしまう可能性があるので、いざというときまで控えていると決めています。だから、千歳がきちんと頑張りなさいと言われていますから」


 何故かホッとする父子たち。安心した朋重が、また先に気がついた。


「あ、だから。お祖母様の贈り物、間接的にお祖母様の思いがこもったものを持たせたわけ?」

「うーん。福神さまが『真珠を持たせろ』とおっしゃるからそうしたの。特に黒真珠の指輪は、お祖母様から受け継いだというよりかは、曾々祖母様から代々引き継いできたものだから、強力なお守りだと聞いていたんだけど。お祖母様の力ではなくて、荻野の加護の象徴というか」


 またまた朋重を始め、浦和の義父と義兄が飛び上がるほどに仰天している。


「そ、そんな代々のお宝みたいなものを、渡してしまったんだ。良かったのかよ、千歳」

「あああ……。もう、駄目だ……。そんな貴重な黒真珠なんて、取り返しがつかない……」

「父さん、しっかり。だから、きちんと紹子伯母さんから取り上げるように、俺たちも頑張らないと」


 もう気絶しそうなほど脱力しているハンサムなお父さんを、息子ふたりが『しっかりして』と慌てふためいていて支えたりして、どうしようもない。


「ですから。大丈夫ですって。絶対に、真珠から帰ってきますから。お義父様、お義兄様、余計な手出しは無用です。効果がでるまで静かに待ちましょう。たとえ一年後であっても、取り返しに行かないでくださいね。お二人まで巻き込まれてしまいますから、遠巻きにして過ごしてください。お願いいたします」


 また、栗毛の男性三名に『ほんとうに、なにもしないでいいの』と、きょとんとした顔をされてしまった。

 この日の夜は、食事にもならず、気落ちした浦和の義父を義兄が支えるように連れ帰って終わったしまった。


 朋重もまだ半信半疑のようだが、ちょっと呆れたような笑みを見せてワインを飲み始めた。


「そうだったんだ。跡取り娘のちーちゃんには神様がついていたのか。それで、その神様に、俺は『千歳のそばにいていいよ。この家に住んでいいよ。荻野においで』と認めてもらったということで、いいんだよな」


 いつかのように。夜の植物園のむこうに見えるビルの灯りを楽しむように、窓辺のダイニングテーブルへ。千歳もワイングラスを片手に彼の隣に座る。


「そうよ。だから、言ったでしょう。ご加護さんが認めてくるかどうか試しましょうって」

 隣に座った千歳の肩を抱き寄せて、また彼がこめかみにキスをしてくれる。

「そうか。俺、福神様に気に入られていたんだ。なんだ。もう安心じゃないか。あ、お祖母様が力を使わなければ?」

「ふふ。食いしん坊の福神様も怒らせていたからね。大変な目に遭うと思うわよ~」

「敵に回すと怖いな~」

「敵に回すような喧嘩をふっかけてきたの、あちらだもの。うちの菓子を粗末にしたこと許さないから」


 そんな強い千歳も好きだよ――。

 そう言ってくれる婿様で良かったと、千歳もキスを返す。



 真珠を意気揚々と持ち帰った彼女たち。

 その効果は二ヶ月後、雪が降り始めたころに、千歳は知ることになる。

 紹子伯母は入院をしてなかなか退院ができず、食べるものにも困っているという芽梨衣が訪ねてくる。

 千歳に『助けて欲しい』と真珠を持って懇願しに来たのだ。

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