3.逃げられ女の千歳

 お見合いを終えた。

 彼と約束したのは『三ヶ月でどうでしょう。そこで結論を出しましょう』だった。

 つまり『また会いましょう』になったのだ。


 結婚をするかしないかを三ヶ月で決めようと言えるところ、家同士の結婚として割り切って考えようということなのだろう。

 千歳も了承した。


 お祖母様は『ほうらね。千歳ちゃん、うまくいくわよ。会いなさい、会いなさい』と大喜びだった。

 ひとつだけ、祖母から釘を刺される。『当家の夢の話は最後にしなさいな』と――。



 千歳が夢を見たのは小学生の時で、海辺に浮かぶ福神様の夢。

 祖母にそれをこぼすと『跡継ぎはおまえだ』と言われ、そのまま家のしきたりに従って『荻野家』の跡取りとなる。


 なのに。千歳の一代先の父だけが男児の長子で、これまた父だけ女長子とは別の雰囲気の夢を見たそうだ。

 だいたいが日本らしい神様の夢を女児たちが見るのに対し、なぜか父だけが、鬱蒼とした森の中にたたずむ白いベールをかぶった西洋風の聖女が現れたというのだ。女神に好かれた男といまも囃し立てられる。実際に父が娶った嫁、つまり千歳の母は、その聖女に似ていたそうで『彼女だ!』と父は飛びついたそうな。

 そんな美しい聖女と似ている母に千歳も似るという幸運も持ち合わせた。


 事業を持つ家柄で、容姿にも恵まれる幸運は持ち合わせたかもしれないが――。やはり『跡取り娘』としての生まれは、左団扇ひだりうちわで暢気に生きていけるものではなかった。

 跡取りと決められたからこそ、祖母と父親からは厳しく育てられた。立ち居振る舞い、マナーに、勉学、コミュニケーション。幼少のころから、しっかり躾けられた。


 社会人になってからもだった。当然、実家が経営する荻野製菓へと入社することになった。コネ入社と言われないよう、他社に修行に出す経営一族もよく見られる。だが千歳の場合は、それは許されず、なおかつ甘やかされず、実家会社でも平社員からスタート。店頭の販売員から仕事を仕込まれた。

 市内各店舗へと次々と転属を命じられ、工場勤務も経験した。

 だが社員同様の働き方を祖母から命じられたことには、いまはとても感謝している。跡取りお嬢様と遠巻きにされたり、色眼鏡で見られたり、憚ることを知らない者は、お嬢様のくせにと罵ることもあった。現場を知ることができた。そして……。現場で『跡取りお嬢様のやる気』を伝えることもできた。そこで幾人もの信頼を得られて、いまは心強い味方になってくれる社員も多数いる。


 三十歳を迎えるいま、新商品を生み出すことを目的とした『企画室2』という部署を任され、室長という肩書きをもらっていた。

 そこで入社時から『教育係』として付き添っている係長と、弟と、企画業務に向いていると見定めた若手社員と共に過ごしている。


 そんな千歳の次なる使命は『結婚』ということになった。


 女児が長子で跡取りとなると、婿取りをすることになる。

 代々、地元で事業を繁栄させてきたこともあり、それなりのお家柄の男子を探さなくてはならない。

 明治開拓の時から受け継がれてきた老舗製菓会社のため、または幼少のころから『荻野家の跡継ぎだ』と懇々と説かれてきたため『いつかは家が決めた男と結婚しなくてはならない』という心構えはできあがっている。


 だからなのか。二十代のうちに適当に男遊びをしておこうと千歳は決めていた。だが気になった男性といざ付き合おうとすると、何故か男たちから逃げていく。あとあとになって『つきあわなくて良かった』と胸をなで下ろす素性を知ることも多かった。

『千歳ちゃん、諦めなさいな。福神様がいい男を見極めてくれるまでは、逃げられ女でいいのよ、いいのよ』も祖母の口癖だった。



 奇妙な感も備わっているようで、それは年齢を重ねると鋭くなっていくようだった。

 千歳も最近、変に違和感を覚えたら遠ざけるという不思議な気持ちになることが起こるように。

 この不思議な『感』を持つ家系だと強く感じたのは、弟が『結婚したい』と女性を連れてきたときだった。


 荻野家の長老のようになっている祖母、父と母、そして千歳も、弟が連れてきた彼女と荻野の家で対面をした。

 お洒落できらきらした彼女は見栄えも良く、お行儀も良く、明朗快活なお嬢さんだった。


 でも。一目見て千歳は釈然としなかった。だが一目だけで『なんか嫌な感じがする』と言えるはずもない。


 なのに祖母だけがはっきりと言い放った。

『駄目だね。当家の嫁にはなれないよ。結婚するなら、おまえが婿養子になってこの家を出て行きなさいな』

 祖母だけではなかった。父も同様に。

『私もおなじくだ。そもそも伊万里いまりは次子なので当家の跡取りでもない。長男の妻としては認めるが、当家の嫁とは認めないという意味でなら誰と結婚しようがかまわないが』

 父まで辛辣だったので、千歳はおののく。


 やがて視線は千歳に集まる。祖母も父も母も、弟さえも『姉ちゃんはどうなの』という顔つき。彼女だけが一家総出の仕打ちにわなわなと震えている。気の毒になってくる。

『千歳、当家のしきたりだ。はっきりいいなさいな』

 この家の当主は父になったが、権威はまだ祖母に残っている。この家の空気を守ってきたのも戦ってきたのもこの祖母だったから、千歳は逆らえない。

『お祖母様とおなじです』

 弟は『わかった。彼女と話し合う』と残念そうにうつむいて、その日は彼女とともに家を出て行った。


 こんな時、千歳は後味悪さとともに、家のことだからとてここまで人を無碍にしていいのかと苛む……。

 外部から見れば、価値観の古い家が総出で、嫁にもなっていない嫁候補をいびり倒して追い出したように見えるに違いないのだから。


 それでも何故か揺るがない『違和感』を持ってしまうから仕方がない。祖母、父、千歳。夢を見た跡取りたちが『違和感有り』と結論をだすと、もう家の中に入ってほしくないのだ。それが家業を守ってきたと言ってもよいのだから。


 その後、当然のごとく、弟と彼女は破局した。彼女の怒りは凄まじく……。凄まじいのは当たり前なのだが『なんだ、跡取りじゃないの。長男が家を継ぐもんなんじゃないの。あの会社の社長にならないやつに興味はないから! ばっかみたい』とあっさりと退いたそうなのだ。

 長男である弟が代々の会社を継いで社長になっていくのだと見積もって、玉の輿結婚を目論んでいただけらしい。


 弟も弟で、『あ、なんだ。結婚しなくていいヤツだった』と、あっという間に目が覚めたようだった。


 そんな弟『伊万里』も実家家業を手伝い勤務する社員なので、まあ誤解されやすいところもあるようだった。なのに彼は『夢』を見たことがないと悔しがっていて、父だけが風変わりな西洋的な聖女の夢を見たことをいつも羨ましがっている。『俺にも聖女降りてこい!』とよく叫んでいる。



 札幌近郊にある農耕地帯、そこに弟が管理する畑がある。

 都市部から車で一時間弱ほどの距離でも、広大な畑がひろがる。

 青い空に広がる大地、もう芽が息吹いて伸びてきた緑の畑と土だけの畑、いまだと黄色の菜の花畑が満開で、地上のパッチワークが遠くまで続いている。


 ジャム用のトマトはビニールハウスで作られ、生産現場を管理する事務所に顔を出すと、弟は畑に出ていると言われる。

 土だけの畑の中にあるいくつものビニールハウス。そこをひとつひとつ覗いて弟を探した。


 上下紺の作業服姿でタブレットを眺めている弟を見つけた。


伊万里いまり

 長身の弟が振り返る。

「あ、姉貴。どしたん。……あれか、見合いのことかよ」

「うん」


 ハウス内は『鈴なりプチトマト』で溢れている。トマトの木のてっぺんから、ブドウのように赤い房が鈴なりになる栽培を採用している。そこから弟が一枝摘み取ってくる。


 鈴なりの一枝を『食べてみて』と差し出された。

 弟のそばに行き、赤いちいさなトマトをひとくち食べてみる。


「うん、おいしい!」

「お姉様がそう言うなら間違いないな。いまチェック管理中だからここで聞くわ」


 弟も千歳の見合い話は、家のこととして聞かされていた。


「どんな人だったん?」

 タブレットの数値を眺めながら、伊万里は話し相手になってくれる。

「うーん。仕事できそうだったよ。むしろ仕事の話ばっかりだった」

「写真そのまま無精髭のワイルドな男?」

「全然。あー、クォーターだなと思えるお顔で、すごーくスマートで品が良いスーツの佇まいだったよ。食べ方も綺麗で礼儀作法もばっちり。会話もこちらが考えなくてもトントンと進めてくれるし。女性の扱いもソフトで完璧だった」

「んで。なんで俺のところ来たの。なんかあった? やっぱ、家同士会社同士を考えた結婚、嫌になったのかよ」

「そうじゃないんだけど……」

「ま。そう感じるのが正常なんじゃね。普通さ。恋愛感情もないのに結婚なんて、平気でできるわけないだろ」


 千歳もなんで弟がいる現場まで来てしまったのか。自分でもよくわからなかった。

 だけれど『家のため』と割り切って育ってきた中で、やはり一人の人間として素直になれるのも、弟だからこそとも言えた。


「でも。姉貴が迷うのもわかるな。結局うちはさ、長子についている神さんがなんだかんだ守ってくれているというか……。『そんなことあるかぁっ!』と俺はずっと思っていたんだけど。玉の輿狙いの女を追い払ってくれたしさ。無碍にすると排除されそうだったじゃん、俺も。だから、そこはもう俺も受け入れる。ということでさ、改めて聞くけど。姉ちゃんの神さん、『行け!』とか言ったん?」

「あー、はっきりじゃないけど。ぽい、んだよね。行け行けじゃなくて。いいんじゃないの程度かな」

「ふーん。あっちの家になんかあって。手放しでは喜べないけど、その男は認めたるってことなんかな」

「そんな感じかなって私も」


 タブレットの数字を見て、鈴なりのトマトを弟が見上げる。


「心配しなくても、その神さんがいざとなったらうちに入ることを拒否するような出来事起こすでしょ。付き合うだけ付き合ってみたら?」

「そうだね」


『神さんの言うとおりがいい』。次子として後継者ではない弟も、いまは長子につく『夢の神様』のことを自然と受け入れていた。

 ただ、千歳が怖いのは。黒子を意味深に見つめていた彼の、男の目だ。

 ひとは千歳の生まれを羨むが、女としては『逃げられ女の千歳』。男にのめり込んだことなど一度もないし、のめり込むことも許されなかった。なのに。今度こそ、男に身体を差し出す。そんな心境なのだ。


 北国の遅い桜が散って、札幌の街は緑に輝く季節到来。弟が管理する畑の周辺は、菜の花が黄色の絨毯のようにいっぱい咲き誇り、青空に映えている。


『先日はありがとうございました。今度、俺が乗っている漁船を見に行きませんか』


 朋重からそんな誘いが来たのは、見合いをして十日ほど経ったころ。

また彼と再会することになる。今度はデートモードで――ということらしい。

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