13.千歳の負け

 心が決まった千歳が忙しく準備を進めていると、朋重から電話で連絡が入る。


『千歳さん。あれから俺、どうしてか仕事が忙しくなって、そちらに行けないし、あなたに会えなくなるしで……。もしかして』


 男と女として触れ合ってから急に会えなくなった。

 受け入れられなかった者は、もう二度と千歳には近づけないし、自宅に訪ねにいくこともできなくなる。会おうと向かうと、邪魔が入る。強行すると事故にさえ遭う。朋重はあの話を聞いたから、余計に恐れているのだ。


『俺は加護に値しない男だったのかもしれない。あなたに触れた途端に……』

「いえ、大丈夫ですよ。絶対に。ごめんなさい。私もいま仕事が立て込んでしまって、会える時間が取れなくて。ですから、また少し時間が空きますけれど、十日後の土曜日に会いましょう。絶対に」

『わかりました。どうせなら事故に遭えばあきらめもつきます。それでも、千歳さんを迎えに行きますから』

「事故になんて遭いませんから。次回、楽しみにしています。あ、朋重さん。その時はまた漁村に連れて行ってください。私、あそこの景色がとても気に入りましたので」


 千歳から会う約束を提案したことと、行きたい場所を告げたことで『千歳から会いたいと思ってくれる』と感じてくれたのか、少しは安心したようだった。


 だが千歳も通話を終えて、大きなため息をつく。

 彼が感じるとおりなのだ。会いたいのに、千歳にまで邪魔が入る。仕事だったり、婚約までの準備だったりいろいろだ。

 これは『跡取り娘』として、準備をきちんと整えるまでは恋に溺れては駄目だと、神様に引き留められているのだと考えてしまう。

 おそらくこれが福神様がいうところの『仕事にはいる』ためにやっていることなのではないかと予測。千歳も心をなだめている。




 やっと彼に会える日がやってきた。いつの間にか鈴蘭の花盛りが終わり、もうラベンダーのつぼみがふくらんできた。公園では百合が咲き始める。北国の夏到来。

 また実家に帰っていた千歳を近所に住む彼が車で迎えに来てくれる。

 今日の千歳は、白いスキッパーシャツにスキニージーンズとまたラフな服装にまとめてきた。

 ああ、やっと会える! と、千歳は心躍らせ助手席のドアを開けた。

 快活な栗毛の彼の笑顔が待ち遠しくてドアを開けたのに。運転席にいる彼は暗い顔をしていた。


「よかった。会えた。もう、また予定変更があるんじゃないかとドキドキしていたよ」


 千歳はひとり浮かれていたことを、途端に申し訳なく思った。

 そのまま助手席に乗り込む。ドアを閉めると、運転席にいる彼の手が伸びてきて、千歳の黒髪に触れた。


「よかった……」

「ごめんなさい。お互いに夏の商戦時期になって準備に忙しかっただけよ」

「そうだね。いや、離れて良かったかもな。あの熱を一度冷ましても、千歳さんに会いたい気持ちは消えなかった。再確認できたんだよ。千歳さんだって、俺のこと忘れていないし、切り捨てもなかった」


 それは一理あったと千歳も感じている。一気に高まった熱のまま毎日会っていたらどうなっていたのか。

 一度、半月以上の冷却期間があったからこそ、『やっぱりこの人がいい。結婚をしよう』という気持ちを冷静に固められたとも思うのだ。


「さあ、行こうか。漁村を気に入ってくれて嬉しいよ。川端のおっちゃんに連絡しておいたから。また漁師メシも準備してるし、漁船も乗せてくれるよ」

「うん、楽しみ!」


 というか。私が先に川端さんを押さえて予定を立てていたんだけどねと、千歳は悟られないよう必死に笑顔で取り繕う。

 川端さんも、朋重がコンタクトを取ってきても、平然と対応してくれたんだなと、胸をなで下ろす。


 この日も快晴。真っ青な空色になった石狩から、またオロロンラインへと朋重の車が走る。

 久しぶりのデート。もう気負わなくなってざっくばらんとした会話を楽しんでいると、やっと朋重がいつものキラキラした快活さに戻っていく。千歳もほっとした。


 車に夏の風が入ってきて、彼の栗毛が陽射しにきらめいてそよぐ。サングラスをかけても輝く笑顔で軽快にはなしかけてくれる彼は、千歳がよく知っている朋重だった。


「千歳さんの誕生日が来たらさ。レストラン浦和の海鮮丼、五杯以上上限なしをプレゼントしたいな」

「上限なし!? ほんとうにいいの? 知らないからどうなっても」

「一度、戦闘能力の限界と上限を知っておきたいというのもあるよ。ほんとうはどうなの」

「うーん、二十杯は行かないと思う……。そもそも料金的にも限界があったから、お店では五杯が限界だったから。それ以上は私も初体験かな」

「わかった。二十杯程度で見積もっておくから」

「本気なの! 知らないから、ほんとに」

「本気、本気」


 食べる魔女に挑む余裕さえ見せてくれる。もう気心知れた男女だった。ただ、恋人でもないわけで……。でも恋人なのかな。『まだ確かに約束されたなにかがある関係ではない』。見合いして婚約を見据えているだけの関係――。千歳はふと切ない思いが湧き上がって、見えてきた海を遠く見つめた。


 やがて川端氏が待つ漁村に辿り着く。

 川端氏が何食わぬ顔で出迎えてくれ、準備してくれた食事の前に、クルージングに行こうと港へと早速むかう。


 この日も朋重が千歳の手をしっかりと握って、桟橋から漁船へと乗せてくれた。


「今日もいい天気だなあ。千歳ちゃんが来る時って、いっつもいい天気なんだよなあ」


 この日も海は凪いでいて穏やかで、小樽海岸まで透き通るような青さが広がっていた。

 強い夏の陽射しの中、漁船が出航する。港から離れ、初めてここに来た時と同じコースを船が走る。


 千歳が川端氏に先日お願いしたのは。この船に乗って、また祠が見える海上まで連れて行ってくれること。

 川端氏は千歳の依頼をなんなく素知らぬ顔で遂行してくれている。妙に硬い顔をして、いつもの愛嬌が消えているのが気になる。千歳も気持ちが高まってきたが、川端氏もさすがに素知らぬ顔でも緊張している?


 祠が見える海上に到着した。漁船のエンジンを切ると、夏の青い海の上で船がやさしく揺れて、心地よい潮騒につつまれる。


 よし。千歳は気合を入れる。肩にかけてきたバッグから準備してきたものを手にする。

 千歳の『お願い事』を知っている川端氏は、邪魔になりたくないのか背を向けて操縦席ばっかり眺めている。


 手に取ったのは、真四角の箱。ブラックの包みに青いリボン。

 行きます。荻野家跡取り娘の千歳。婿に迎えるために『プロポーズ』行きます!!

 これまで気強く気高く何事も冷静にと育てられてきた跡取り娘でも、さすがに緊張の一瞬、一世一代の告白。行きます!!


「あの朋重さん」


 遠くに見える保食神の祠を眺めていた彼と目が合う。

 気のせいか。朋重の表情もまた硬くなっているように見えた。その彼が思い詰めたように、千歳を見つめているから、千歳の勢いが止まる。

 どうしたの、どうしてそんな顔をしているの? まだ私と一緒にいて心配なことがあるの。それとも会えない間になにかあったの? まさか浦和の家で?


「そうだなあ。たぶん、ここでの千歳さんを見た時から決まっていたかもな」


 急にそんなことを言いだした。

 彼の手のひらに、小さな箱がある。でも包装されていない。彼がその箱の蓋を開けた。


「千歳さん。俺と結婚してください。あなたの家に婿に行きます」


 自分が持っている箱を落としそうになった。彼の手のひらの箱には、真珠の指輪。夏の陽射しに真っ白に光っている。


 え、え。プロポーズ……。婿に来てもらうから、跡取り娘の私からきちんとお願いしようと……。準備……。私からプロポーズをしようとして……。


 はっと気がついて、操縦席に控えている川端氏を見ると、千歳を見てニヤニヤしていた。


「はい。千歳ちゃんの負け。やっぱさ、朋から男を見せてやってほしかったわけよ。どっちが先にするかハラハラした!」

「えーーーー!!」


 彼とおなじことを決意し、別々に依頼していたってこと!?

 跡取り娘、プロポーズを婿殿に出し抜かれ失敗する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る