14.小さな黒い点

 先を越された千歳が愕然としていると、困惑している朋重が『どういうこと?』とおろおろしている。


 そこで川端氏が種明かし。


「いや~ふたりそろって『プロポーズするから協力して』と頼られるなんてさあ。漁船でプロポーズってどうなんだよ。嬉しいけどよ! あ、言っておくけれど。誓って、双方の『黙っていてほしい』は守っているからな」

「え! 千歳さんも、まさか、俺に!? 女性の千歳さんからってこと!?」


 朋重もやっと気がついた。


「ほれ。朋重が先攻を決めたから、千歳ちゃんは後攻を頑張る!」


 魂が抜けそうなほど脱力してしまった千歳だが、川端氏の活になんとかなんとか気を取り直す。


 真珠の指輪を持ったまま狼狽えている朋重へと向かう。


「あの、朋重さん」

「は、はい」


 彼の栗色の髪も琥珀の瞳も綺麗で、彼の後ろできらめく青い海も綺麗で……。その向こうに祠が見える。


 千歳も手に持っていた箱を彼に差し出す。


「朋重さん。荻野の家に来てください。あなたを夫として大事にします。結婚してください」

「俺のプロポーズの返事ってことでいいのかな」

「はい。妻にしてください。お嫁には行けませんけれど」


 朋重の手が優しく千歳の両手を包んだ。自分が持っていた指輪と千歳が持っている箱ごと一緒に。


「跡取り娘のあなたを、支えられる夫になりますね」


 彼が真珠の指輪を取り出し、そのまま千歳の指に通してくれた。

 もう涙が出そうだった。千歳だって気が張っていたのだ、ずっと。婿に来てもらうのだから、こちらから申し込もうと決めていたのに……。まさか彼がもうそこまで決意してくれているだなんて思わなかった。


 指先に清らかに光る真珠を見て、千歳はやっと微笑む。


「真珠は海から生まれたものだから。朋重さんらしいと思っていたの」

「俺も。千歳さんの気高さに合っていると思って勝手に選んだけれど、おなじようでよかった」


 祠が見えるここで、二人で手を取り合って見つめ合う。

 朋重も千歳が手渡した箱を開けてくれる。そこには腕時計がある。


「男性は指輪ではなくて、時計かなと思って。取り寄せるのに時間がかかったの」

「ありがとう。千歳さんからの婚約の贈り物として一生大事にするよ」


 彼も喜んでくれて千歳もほっとした。


「あーあ、なんで漁船なんてシチュエーション選んじゃったんだよ。俺、すげえ邪魔もんじゃん。俺がいなければ、いまここで二人でイチャイチャしたところだろ~。ロマンねえなあ」


 でも二人揃って『そうかな』、『そうですか』と川端氏に向けて首を傾げていた。


「俺は、ここで手を合わせていた千歳さんの姿がずっと焼き付いていたから」

「私は、ここの景色が気に入ったし、保食神様に浦和家から一名男子をいただきますと、見届けてほしかったからです」


 朋重が『え、そんなこと考えてたの』と、千歳がこのシチュエーションを選んだ理由にギョッとしていた。


「はいはい、わかったわかった。俺がふたりの証人になっちゃるよ!! プロポーズ成功おめでとう!! そうとなったら、うちで祝いだ祝い!!」


 ここでプロポーズしたかったと言い張る二人に照れたのか、川端氏が急に漁船のエンジンをかけて出発準備を始めた。



 そんな川端氏に感謝をしつつ、朋重と一緒に笑ってしまった。


 船が青い海を走り出すと、千歳はいつのまにか朋重から腰を抱き寄せられていた。千歳もそのまま甘えるようにして、彼の胸元に寄りかかり抱きついていた。

 あの夜の彼の匂いがする。潮の匂いに混じって、マリンノートの甘い香りがする。肌の体温も、彼と抱きあった甘さを思い出させ、やっと触れられた嬉しさがこみあげてくる。


 これからずっと。この男の人を愛していいんだ。私の神様、許してくれたんだ……。少し涙が滲んだことは、朋重には知られないように、彼のポロシャツにそっと染みこませておいた。





 なんだか意気揚々と帰港したのは川端氏のほうで、その勢いで川端家へと到着。


「おう、帰ったぞー!!」


 ご主人様のご帰宅の一声に、お嫁さんたちがわらわらと玄関に集まってきた。


「ど、どうだった?」

「どっちが先だったの」

「どっちが先でも成功しましたよね!?」


 大姑のお祖母ちゃん、川端氏の奥様で姑の亜希子さん、若奥様のミチルさんが次々と、川端父さんへ詰め寄ってきた。

 でもその後ろには、並んで寄り添っている朋重と千歳を見つけてくれる。なのにお嫁さんたちが『わ!』と何故か驚き後ずさっていた。

 どうやら、朋重と千歳には、互いがプロポーズ作戦を持ち込んだことは内緒にしていたが、川端家の全員は知っていたようだった。


「千歳さんにプロポーズ、了承してもらいました。俺、荻野に婿に行きます」

「ご協力、ありがとうございました。私も結婚ご了承、朋重さんからいただきました。婿にきていただくことになりました」


 お嫁さんたちが揃って笑顔を見せてくれる。でもすぐにまたお嫁さんズ、三世代顔を見合わせる。



「朋くん、ちゃんと間髪いれずに男として先にきめたんでしょ」

「いえいえ、おかあさん。いまは男女平等、跡取り娘の千歳ちゃんがビシッと決めてくれたっていいじゃないの」

「私はっ。ふたり一緒におなじことを考えていたってことが素敵で素敵で!」


 あ、これ川端家が延々と賑やかになるパターンに入ったと千歳は苦笑いをこぼす。

 このおうちが賑やかなのは、三世代同居なのに、お嫁さんたちが自由に発言できるからだと思っているが、始まるとどこで途切れるのかわからなくなるくらいに会話が続きまくるのだ。

 しかしそれをビシッと区切るのは、やっぱり父ちゃん。川端さんだった。


「朋がきっりちと男としてきめたよ。やっぱよ、婿に行って尻に敷かれっぱなしになっちゃいけねえからよ。それに千歳ちゃんだって、跡取り娘だからって肩肘はらなくても、朋には女性として甘えてほしいからよ。勝負どころ、間違えなかったから褒めてやってくれよ」


 お父さんの報告に、お嫁さんたちが黙った。だが一瞬。


「朋くん、よくやった。ばあちゃん褒めてあげる! ほら、あがって。お祝いだよ。千歳ちゃんも、よーく決意してくれた。婿だろうが嫁だろうが、家に入る者を大切にすることが大事だからね。あんたたち幸せになれるよ!!」

「あがって、あがって! 千歳ちゃんが食べられるようにいーーーーっぱい作っておいたから」


 お祖母ちゃんと亜希子さんが早く早くとおおはしゃぎ。ふたりそろって手を引かれ、川端家にお邪魔させてもらう。


 今度は大皿にタコ天がどーーーんと大盛りになっていて、千歳は仰天。

『タコ天ですと! 千歳~麦酒で頼みますわ~』なんて声が聞こえてきた。

 一瞬かすかに聞こえてきた神様の声。でも川端家の賑わいにかき消され、いや、ご馳走に千歳の意識は吸い込まれてしまっていた。



 神様のお仕事は『縁と縁を繋ぐこと』がひとつだったらしい。


『千歳。つぎが本番だよ。縁が繋がったら、次は縁続き。続くこと。浦和ときちんと縁続きになるためには、いいことわるいことを見極めることなのよ』


『あ、でもね縁は間違いなく繋いだからね。あそこの家のタコ天最高だわ。保食神さんも荻野のお菓子お気に召したようだし。うちら仲良くしてるよ』



 そんな夢を見た。

 やっぱり不思議だな。朋重が初めてのデートで漁村に連れて行ってくれたこと、漁船にたまたま乗ったこと。ほんとうは互いの縁が惹かれ合って、あのデートになったようにいまは思える。


 いや。そもそも祖母が見初めたあの『力』もあったかもしれない。


 このあと、両家の『婚約成立』を確認し合うと、とんとんと進んでいった。互いの家へと早速、挨拶に出向く。

 緊張する朋重だったが、荻野の祖母に両親には歓迎され、彼も打ち解けられた。もう千歳が連れてきたこの時点で『神様のお墨付き』なので、祖母も両親も反対する要素は全く皆無だから、挨拶に来た時点で大歓迎なのである。


 浦和家の父親が非常に喜んだとのことで、歓喜に沸いているらしい。彼の母親も喜んでくれ、兄夫妻も祝福してくれたとのこと。

 千歳も札幌市内にある彼の実家に挨拶に出向くと、『荻野の跡取り長子がやってきた』だけで大歓迎。


 朋重の祖父母はもう鬼籍なのだが、祖父が漁業の勉強のために留学したのがカナダだったそうで、そこでお祖母様と出会い結婚。日本に嫁いできてくれたとのこと。なので、朋重の父親はさらに日本人離れした美貌をもつハーフで、初めて会った千歳のほうが緊張してしまったほどだった。


 お母様は優しく温和なお嬢様ぽい上品な方で、口調も穏やかおっとり奥様。朋重の兄も栗毛のクォーターだが、朋重のようなキラッとした爽やかさではなく、大人の深みを携えたナイスミドル系のハンサムといいたくなる落ち着きある紳士。これから千歳の義姉となる長男嫁さんは、設計士をされているキャリアウーマン。凜としたしっかり者美人といった感じの気さくな女性だった。


 両家が望んだ見合いだったため、それぞれの家族挨拶はスムーズに終わった。

 結納の前に、両家の顔合わせ食事会も終了。

 九月の半ばに、祖母が気に入っているフレンチレストランで執り行われ、そこで両家の結納や結婚式、披露宴についての意向をざっくりと確認するということになったが、こちらも見合いというプロセスを通ってのご縁なので、相異はなし。では正式な結納を、どこかのホテルで場所をとり行いましょうとなった。


 結婚の話がとんとんと進む傍ら、千歳と朋重は、植物園が見えるマンションで愛を育みはじめていた。

 徐々に朋重が千歳のマンションで過ごす日が増え、そろそろ婚前同棲のように一緒に住もうかという話になりつつある。



---🐙🍺



 北国の短い夏が終わり、秋の気配が見え始めたころ――。

 本社ビルで、弟の伊万里と次なる商品の試作と試食をどうするかの話し合いをしていた時、一階にある本店店舗から内線が入ってきた。


『あの、千歳さんに会わせろとおっしゃるお客様がおりまして』


 明らかに困惑した様子で、歯切れの悪い報告をする本店店長の連絡に、千歳は首を傾げる。

 どなたかと氏名を聞いても覚えのない人物だった。

 目の前で弟の伊万里が、姉の顔色を察して、電話機をスピーカーホンに切り替える。


 その受話器の向こうから、小柳店長以外の声が聞こえてくる。


『あ、お客様困ります』と受話器を遠ざけて、一声かけた様子が伝わってくる。そのあとにくぐもった声で『……荻野室長いかがいたしましょう』と伝えられる。

 千歳は一応企画室2の室長という肩書きになっている。伊万里は主任。

 店長がなにかを必死に死守している様子が伝わってくる。

 だがとうとう受話器を奪われたようだ。


『はじめまして。私、朋重の伯母です~。私にもご挨拶させてくださいな!!』


 朋重の伯母……?

 親族顔合わせにはいなかったと千歳は思い返す。

 姉がひたすら黙って思いあぐねている目の前で、今日は凜々しい黒スーツ姿の伊万里も真顔で聞き耳を立てている。


『伯母ですよ、伯母! なのに、顔合わせに呼ばれなかったんですよ。おかしいでしょ、これ!!』


 目の前の伊万里が、姉の目を無言で見つめ神妙に首を振っている。

 姉ちゃん、近づいたら駄目な人間だ。弟が『聞き流せ』と言いたいのがわかった。


『あーあ。天下の荻野さんが、親族をないがしろにするって大きな声でいいたいなーー』


 それを聞いて伊万里が席を立った。


「俺が行ってくるから。姉貴はそこにいて」


 伊万里が会議室を出て、一階本店へ向かっていく。

 主任が行くからと店長に伝え、千歳はひとまず受話器を置いた。


 縁と縁が結ばれる時、一波乱起きる。

 それはこれのことか。伯母がいるのは知っていたが、疎遠となっていていまは付き合いがないと聞かされていた。

 もしかしてこれは、いつか感じた『ちいさな黒い点』?

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