15.浦和家の悪縁
弟が一階本店から戻って来た。
伊万里の第一印象は『あれ、たかり体質の人間だ』とのことらしい。
「あなたが伯母様だという証明が成り立たないので、身元不明の方とは面会はできないと断ったよ」
さすが弟と、千歳は姉を守ろうとしてくれた弟に『ありがとう』と礼をする。
伊万里はまだ渋い顔をしたまま、ミーティングをしていた元の椅子に座った。
「それならって保険証出しやがったんだけどさ、そのお名前を浦和側から聞いたことがないので伯母様という証明が取れないと突っぱねてさ。次回は浦和家のご家族同伴で、ご紹介面会としてくださいと断ったよ。だって。聞いていない名前なのに伯母と言えば、誰だって朋重さんの伯母さんになれますよねえ、ねえ、と睨んだら帰った」
「確かに、うん。でも、どう思う? 他人は『朋重』という名をすぐに出せるかな。騙るにはリスクがあるでしょう。近しい親族だからこそ出せた名前とも言えるよね」
「そこな~。両家婚約成立のタイミングで来たもんな~。荻野と繋がれると知って『親戚デッス』と名乗るやつが増えるのはまああり得そうな話だもんな。マジ親族か成りすましかは、朋重さんに確認取っておけよ。祖母ちゃんにも報告な」
『なんだよあれ』と伊万里のほうが不機嫌だった。
「伊万里がそんなに怒ってくれるなんて。私の結婚だから、私がちゃんとしなくちゃね。でも矢面になってくれてありがとう」
「姉ちゃんのためっていうかさあ。兄貴になる朋重さんと切れたくないわけよ。だって、レストラン浦和で『五杯以上、上限なし』の食事会をしてくれるっていうんだもん。いいご縁じゃん」
『おいおい、そこかよ。真剣に盾になってくれたのは』と、姉、一気にがっかりする羽目に。
婚約後、伊万里は弟として川端家にも紹介済み。既にメガ盛り漁師メシも体験済みで、またあちらのお嫁さんズに可愛がられてしまい、伊万里にとってもお気に入りの漁村に。弟としてもこの上なく『いいご縁』と言いたいらしい。最近は弟ができて嬉しい朋重と、兄貴ができて楽しい伊万里の男同士ででかけることもある。
なのですかさず矢面に立ってくれたのは姉のため以上に、新しい兄貴のためでもあるのだろう。
だが最後に伊万里が呟く。
「神さんが許してくれたご縁だから、まあ安心してるけどさ。近くまで来たけど、やっぱ姉ちゃんと対面叶わずですんだじゃん。それにしても。いいご縁持ってきてくれたよな~。あー、五杯以上上限なしとかお義兄様、最高ッ!!」
だから、やっぱりそこ大事なんだと、千歳は引きつり笑いを起こしていた。
ともかく。その日のうちに千歳は手を打った。
ともに企画室2に所属している細野に『調べて欲しい』とお願いをする。彼は父の代から荻野に勤めている四十代の男性社員だが、千歳入社とともに付けられている『教育係』でもあった。お嬢様の補佐という役割も担っている。
表向きは千歳のそばで荻野製菓の企画業務をしているが、ほかにも荻野の人脈を通じて裏側で調整役として動いてくれることも多い。
今回は探偵を使って調べてもらうことにした。細野がさっそく依頼手続きをしてくれた。
朋重に報告するのはそれからにする。福神様が浦和家との縁を繋いでくれたのは決定事項だとは思っているし、朋重と直結する両親兄弟には落ち度となる経歴はなかったはずで、朋重からも『結婚前に当家の事情を伝えておく』という報告もなかった。
千歳がひっかかっているのは『朋重が、知っているか、知っていないか』だ。
朋重が隠している可能性もあるかもしれないが、彼の性格からあり得ない……と思いたい。信じるならば、『朋重が知らないことが、両親側で隠されている』ということだった。
朋重がいきなり知って傷つかないか。そこをまず保留としておきたいと千歳は考えた。
数日後、その結果があがってきた。
企画室が持つミーティング室で、細野から手渡される。
ひとりで静かに、まとめられた書類を見たいからと、細野には退室してもらう。
晴れた空が見える昼下がり、ひとりきりの会議室で、陽射しがあたる報告書をめくった。
その内容に千歳は顔をしかめるしかなく――。
同時に祖母にもおなじ報告書を届けたと細野に言われる。
だからなのか、報告書を確認した夕方。退社時間寸前に祖母から連絡があった。
誰にも聞かれないよう、千歳は細野に『誰も近づけないで』とひとこと添えて、またひとり会議室に籠もった。
日暮れが早くなってきた初秋。茜色に染まり始めた雲が、まだ残っている青空に広がっている。西日に照らされているテレビ塔が見える窓辺で、スマートフォンを耳に当てる。
『仕事中にすまないね。でも自宅に帰ると朋重君がそばにいるかもしれないと思ってね』
「お祖母様、ごらんになられたのですか」
『見たよ』
しばし間があり、千歳は茜に染まる雲と青空を静かに仰ぐ。
なにも言わない千歳を察してか、祖母から話し始めた。
『見合いをする上での条件は合格だったから安心はしていたが、縁を切ったとされる親族までは及んでいなかったね。なんとなく感じた胸騒ぎはこれだったのだね。お祖母ちゃまのところで気がつかず、申し訳ない』
「いいえ。縁を切るまで浦和家で手を打っていたのですから、もう影響しないものとしていても仕方がないと思える報告書でした。その件より歳月も経っていますし、ほんとうに付き合いなしでこれまで大丈夫だったようですし」
『でも、切れていなかったわけだね。つまり、これだよ。神さんが言っている、良いもの悪いものをよりわけていくということだよ。これから千歳に降りかかる厄災と試練だ。異なる家が縁続きになる時は、その家から派生している縁も繋がることになる。その時に摩擦、衝突が起きる。だが当たり前のことだよ。どこの家もなにかしら抱えている。それを落ち着くように努力するのも良い縁をつくる秘訣だよ」
それは祖母が以前から良く言っていたことだったので、千歳も頷く。
『浦和家に、いま住み着いている邪気だよ。遠ければいいが、間近でもないがほどよく近い。いま浦和の家では、これまで起きたことでなんとか対処して抑えているが、新しい縁、荻野と結びつくことで、また悪い気が騒ぎだすよきっと。それを祓い落とすのは、千歳だよ』
どんなに良い家柄で良縁でも、その向こうの親族一族がみな安泰かというとそうでもない。
「でも、お祖母ちゃまの神様は……」
そこまで口に出て、思わず千歳は言葉を急いで飲み込む。
孫娘がなにを言いたいかわかって、祖母が電話の向こうでため息を吐いたのがわかった。
『お祖母ちゃまが出て行ったら大変なことになるよ』
「そうだよね。自分で頑張る」
『いや、出て行きたいけど我慢しているんだよ。だってさ……。せっかくの良い婿殿じゃない。お祖母ちゃまも朋重君に来てほしいから、余計なことにならないようにと控えているよ』
だから最後の最後まで首は突っ込まないから、なんとか千歳の力でやってくれないかと言いたかったらしい。
それもそのはずで。祖母についている神様のことを、弟の伊万里は『荻野のリーサルウェポン』呼んでいるほど。
遣いどころを間違うと、こちらも被害を被りかねない。だから祖母がじっとじっと我慢しているのも伝わってきた。
報告書により、祖母がどの程度の心積もりなのか確認をした千歳も覚悟を決める。
跡取り娘、婿殿と良縁の結婚をするまでまだまだ気を抜かない。むしろ、戦闘モードに入らねばならぬ。
福神様は。
『あのね、そこ放っておいたらおっきくなるから、叩くならいまのうち。そのための接触なのよ』
――だった。
わざわざ悪縁を持ってくる『お仕事』もしていたのかと、千歳は驚愕――。
『保食神さんもいるから大丈夫!』とにっこにこの笑顔だったが、祓う役目になったこっちは気が気でない。
---💀
この日は夕暮れる街を歩いて、北大近くのマンションまで帰ることに。
少し冷たくなってきた夕風の中、千歳は調査書の内容を振りかえる。
朋重の母親の姉、つまり伯母がどうも悪縁となるようだった。
伯母とその娘、母子に、毎月二十万円の援助をしている。縁が切れていないことになるのはここだった。
朋重の実母に問題はなく、むしろ浦和水産の社長夫人を慎ましく務め貢献してきた真摯な女性。いまは会長夫人として、息子夫妻のサポートに徹しているとのこと。
だが、社長夫人となった妹に、その姉と姪が
しかもこの伯母と朋重の母は、姉妹だが血の繋がりがない。
朋重の母方祖父が後妻をもらったが、その後妻さんの連れ子が伯母で、朋重の母は早々に逝去した前妻(朋重の本来の祖母)の娘となる。
朋重の母は、この連れ子でやってきた伯母に、子供のころからかなり虐められてきた過去があるらしい。
そんな伯母だから、ハーフの美男跡取り息子と結婚し、社長夫人となった妹が憎くて嫉妬して、ふんだくれるものはふんだくってやると相当暴れたのだとか。その迷惑行為をやめてもらうための交換条件が『毎月の金銭的援助』。
援助を切られたくなかったら迷惑をかけないこと、誓約した以上の金品や権利を要求しないこと、援助を実行しているうちは親族一同接近禁止という誓約を取り付けて、いまは大人しくしているとか。
その誓約も、朋重が小学生ぐらいの時にかわされたもののため、彼に取っては『親世代でなにがあったのかはよくはわかっていない』状態のようだ。
たかるために、妹となる朋重の母への嫌がらせの数々が酷すぎた。
朋重の父が早々に会長職へと退き、長男が若き社長、次男も若くして副社長になったのは、この伯母を遠ざけることを考慮し早期交代となったようだ。
報告書を見終えた千歳に、細野も忠告してきた。
『お嬢様。この母子は千歳さんとはまだ親族ではないから接触禁止に入らないと考え接近してきたのでしょう。嫌がらせをして、前回同様、荻野からの援助を取り付けるつもりかと……』
「縁と縁がぶつかる時の衝撃第一波ってところかしらね」
プラタナスの葉が冷えてきた風にさざめく音の中、千歳はふと独り言つ。
もうひと頑張りだよ、千歳。
福神様が言っていたのはこのことのようだ。
彼と結婚するなら、立ち向かう。彼は私のお婿さんになるのだから。
帰宅すると、すでに合鍵を持っている朋重がリビングにいた。
彼も帰ってきたばかりなのか、スーツ姿でネクタイをしたまま、キッチンでコーヒーを淹れてくれているところだった。
「おかえり、千歳。そろそろかなと思ってコーヒーを淹れておいたよ。そうだ。今日、温泉ホテルに食品を卸している業者同士の交流会があって、白老牛の試食会もあったんだ。お試しの販売もあったからステーキ肉を買ってきたよ。明日、伊万里君も来られるかな」
明るい紺のスラックスに、白いシャツ、ストライプの黒ネクタイ、栗毛の彼によく似合っているコーディネートだった。
いつも千歳を第一に考えてくれて、明るくて気が利く彼を、いまの千歳はとてつもなく愛おしく思っている。
諦めたはずの、恋も愛も、身体中で体験している。いまその甘い蜜に溺れそうになるほどに狂おしく、家同士が決めたお見合いで出会ったことなど忘れるほどに、彼と出会った縁は私のための縁だったと信じるほどだった。
リビングの入り口で、そんな彼をただただ見ているだけの千歳に、彼が首を傾げている。
「どうかした。千歳……」
気を取り直した千歳はリビングに入り、ソファーにバッグを置いてジャケットを脱いでおくと、キッチンにいる彼のもとへ。
淹れ立てのコーヒーの薫りが、朋重の手元から漂ってくる。そんな彼の背中に千歳から抱きつく。
「え、どうしたんだよ。千歳、急に」
「朋重さんが好きって思っただけ」
自分の腰に抱きついて、男の背に頬ずりをする彼女を、肩越しに見つめる視線が落ちてくる。
「伊万里にすぐ連絡するね。すっとんでくると思う」
「俺から連絡するよ。大食いリミッター外してあげられない量だけれど、三人で美味しく食べよう。俺が焼くよ」
楽しみ――と、千歳はさらに彼に抱きついた。
『家のため家のため』と淡々とした跡取り娘の顔ばかりだった千歳が、いまはこんなに好き好きとくっついてくるので、朋重も嬉しくてたまらなくなるらしい。そんな千歳を知ったら、彼もすぐに千歳を抱きしめてくれる。すぐにキスもしてくれる。ちょっと長くなることだっていまは当たり前。
だから。千歳はもう手放したくない。それなら向かってくる悪縁を彼から絶ちきる決意。
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