16.フラッシュバック

 千歳の福神様はアグレッシブな仕事をしてくれるので、その時は浦和家の悪縁を知ってから、すぐにやってきた。


 この日もほどよい時間に退勤。朋重が帰宅しているとのメッセージもあったので、デパ地下でワインと刺身を買ってから、徒歩でマンションまで。

 入り口でセキュリティを解除して、自動ドアが開いてくぐり抜ける。同時に一緒に入ってきたご婦人が二名、あちらからにこやかに会釈をしてくれたので、おなじ住人かと千歳も楚々と会釈だけ返した。

 エレベーターも一緒に乗り込んだ。あちらは何階かと押しもしない。え、おなじフロア? 見たことがない顔だな。ここで疑うべきだった。


 だがエレベーターを降りると、千歳宅のドアとは反対方向へと廊下を歩いて行った。

 反対側の角部屋の方だったかなと思いながら、自宅の電子ロックを解除してドアを開けたその時。『おじゃましまーす』と千歳の背中を突き飛ばす衝撃! 玄関の靴が並べてあるところで、千歳は躓いて膝をつき転んでしまった。ワインの瓶が割れたかすぐに気になったが、割れていなくてホッとした。

 だが目の前に見知らぬ女性がふたり、勝手に千歳の家にあがりこんでいた。


「わーー、素敵な家!」

「いいじゃなーい」


 え、誰。なに、どうして? どうみても不法侵入。だがそんな非常識も顧みない様子を見て、千歳はやっと認識する。朋重の母方伯母と姪、血の繋がりのない朋重の従姉だと。しまった。会社退勤したビル出口からつけられていたのか。


 驚いたのか朋重がすぐに玄関にすっとんできてくれた。


「千歳!」

「だ、大丈夫。こんな隙を突かれるだなんて、油断した」

「知り合いじゃないのか。リビングに勝手に入ってきて、千歳の客かと」

「浦和のお父様かお兄様にすぐに連絡して」


 千歳の様相に尋常ではないものを感じたのか、朋重がすぐにスマートフォンを手にした。

 だがなにを知らせればいいのかわからない顔をしている。だから千歳ははっきりと告げる。


「あなたの伯母様。お母様のお姉様が来てると伝えて」


 転んだ千歳を抱き起こしてくれたが、朋重の顔色が変わった。

 なにかを思い出しているようだった。


 起き上がった千歳はすぐにリビングへと向かう。勝手に上がり込んだ母娘は、もうソファーにどっかりと座り込んでいた。


「伯母の紹子です」

「従姉の芽梨衣めりぃでーす」


 派手派手しいブランドで身を固めた彼女たちが、軽い調子で千歳に挨拶をした。


「どちら様ですか。セキュリティ警備がいますぐ来ます。お帰りください。私はあなたたちを存じません」

「うわ、朋重、こんなヤツと結婚するの。最悪ー」

「ちょっとお嬢ちゃん。礼儀ってもんがなってないよ。このまえも店の前で追い返してくれたしさ。あそこに来たら、VIPルームに通してお茶をご馳走するぐらいの度量がないと、大会社と言えないんじゃないのー」


 細野の予測通りか。このような非常識を厭わず、嫌がらせを繰り返し、執拗に迷惑をかけて、こちらが折れるのを待つのだろう。


 神様。ここにはいままで害のある人は寄せ付けないで守ってくれたはずなのに。今回は何故?

 朋重と安心して過ごすための空間だったのに、嫌な臭いがするものが入り込んできて気分が悪くなる。


 やっと朋重がリビングに戻ってきた。

 伯母の紹子の顔が輝く。


「朋重~。あらー、お父さんに負けない素敵なイケメンになってるじゃないの~」

「ひさしぶりー朋重ー。また一緒に遊んであげるよー」


 朋重が顔をしかめ、いまにも怒鳴りそうに震えているのがわかる。


「出て行ってください。あなたたちとは、もう縁を切っています。もうすぐ父と兄も来ますから」

「えー。でも、荻野さんとは近づいてはいけないとは言われていないしー」

「俺がここにいます。俺には接触してはいけないはずですよね。条件を破るとどうなるか、父との約束を思い出してください」

「そっかー。だったら、彼女とだけ付き合うから。朋重は帰りなよ。だってここ彼女の家でしょ。朋重関係ないじゃない」

「彼女とも今後接触禁止の手続きとります。荻野のご家族全員です。会社にも店舗にも迷惑はかけない。浦和の家と会社とおなじ条件を出します」


 この家に帰宅したばかりの時の朋重は、母子を見ても誰だかわからない顔をしていた。子供の時に別れてそれっきりだったことがよくわかる。また大人の事情ゆえにここまで知らずに育って、成人してもないものとして過ごしてきたのだろう。

 いまの条件は、連絡をした浦和の父か兄から『そう言え』と伝えられたのだと千歳は悟る。


 そこで娘のメリィが千歳に向かってにやりと笑い、手を差し出してきた。


「いいよ。帰ってあげる。お嬢さん、このまえケリーのバッグを持って歩いていたでしょ。それちょうだい。あれ、若いあなたには勿体ない。私みたいなお金をかけた大人の女にふさわしいお品だもの」


 二、三日前に、取引先とのお茶会に招待されて、父と出席するときに選んだバッグは確かにケリーだった。

 祖母から譲り受けたもので、祖母が若い時から使っていたのでけっこうな年代ものだ。いまも変わらず綺麗なまま使い続けているそれを、ちょうだいと言われ、千歳は開いた口がふさがらない状態に陥る。


「そうしたら出てってあげる。ここに二度と来ない。それでお終い、どう」


 余裕綽々なメリィの要求に、唖然としている千歳の前へと、朋重が男らしく立ちはだかる。


「ここで帰ってくれないのなら、いまから来る父と兄があなたたちと交わした誓約どおりになるように弁護士を呼ぶと言っている。そもそも彼女の許可なく上がり込んでいる。それだけで警察を呼べますけれど」

「なーに副社長になったからって、偉そうに~。いいよね~、そのルックスで荻野のお嬢ちゃんを捕まえて、逆玉の輿じゃん。仕事しなくてもいい生活ができるって、やっぱクォーターはいいよね、特だよねー」


 メリィの心ない煽りに、朋重が戦慄いているのがわかる。だが彼らしくそこではなんとか抑え、冷静になろうと荒げた胸を落ち着かせている。


『キタキタキタ来た。面白いことになるよー。飛んで火に入る夏の虫とはこのことか。こっちが仕掛けた甘い罠、どれも警戒せずに来ちゃったねえ。どこかで引き返せたのに来ちゃったね。もう容赦はしないから。おーほほほ』


 千歳もムカムカしていたのに。福神様のニタニタニタニタした顔が『どん、どどどん』と頭のなかで次第にどアップになっていくので、びっくりして飛び上がりそうになった。

 あ、これ。神様にロックオンされたんだと思えたら、妙に千歳も『すんっ』と落ち着きがもどってきた。


「朋重さん。これ、今晩のワイン。それとお刺身買っていたけれど、崩れちゃったかも」

「え、え。あ、うん。冷蔵庫に入れておこうか」


 千歳が冷静さを取り戻したせいか、朋重もすとんといつものおおらかそうな彼の顔つきに戻った。

 千歳の手から、ショップバッグを受け取った彼が、不思議そうに千歳を見下ろしている。

 そんな彼にぼそっと千歳は告げた。


「大丈夫。いまからご加護が働くから。あの人たちはね、ここまでわざと来させられたの」

「……そ、そうなんだ」


 まだ長子付きの神様については明かしていないが、朋重は『荻野の家は信心深いせいか、なんらかの加護を受けている』ことは本気で信じてくれている。仲が良くなった伊万里からも、そんな信心深さを感じているようで、不思議だけれどそれが荻野と朋重も感じているのだ。だから千歳がそういえば、そうなると、まだ半信半疑だが納得はしてくれる。


 冷静になった朋重が、ワインと刺身を冷蔵庫に入れてくれた。


「なになに。私たちにもワインをちょうだいよ」

「そうえいば、お腹すいたー。さっきの刺身ちょうだい」


 ちょうだいしか言えないのかと、千歳のこめかみに青筋が浮かびそうになる。

 そろそろセキュリティの警備員が駆け込んできて、もう少ししたら浦和の父と兄が来るだろう。それまでの我慢。あと少し。


 だが言うことを聞かず、動揺もしない千歳を知ってか、伯母の紹子の顔つきが変わってくる。


「あんた、生意気だね」


 千歳は取り合わなかった。それも気に入らなかったらしい。

 伯母の鋭い目つきが、千歳へと向けられる。


「生まれた時から恵まれてきて、いい気になってるんだよね。あんたみたいな、最初っから恵まれているヤツ、ちょっと痛い目にあってもたいしたことないんだろ。ケリーの一個や二個すぐに買えるんだろ。ケチケチしないで出せ」


 これは短期決戦を仕掛けてきたのだと千歳は思った。

 どうせすぐにセキュリティ警備員が来る。退室させられる。それまでに脅しに脅して怖がらせて震え上がらせて奪おうとしている。

 でもどうやって逃げる気なのか。どちらか一方が持って逃げて、どちらか一方はとりあえず捕まる。それでも、警察沙汰にはならないと踏んでいる?


「なんだよ。妹みたいにめそめそしてくれたら、優しく可愛がってあげたのに。でも妹は我慢強かったからさ。我慢できないほどにしてやったんだよね。おなじ事、あんた耐えられるかな。お嬢ちゃん」


 そのひと言に、やっと収めた怒りが再燃しそうになった。腸が煮えくりかえるというやつだ。

 報告書には、朋重の母親がどれだけのことをされたのか羅列されており、千歳は知っている。

脅しに強請、自宅急襲に恐喝して強奪。言うことを聞かせるために男に襲わせるという未遂事件まであった。女の尊厳を奪って、離婚されればいいと思ったそうだ。本来なら刑事事件になりそうなところ、親族のしがらみで取り逃がすことになって、なんとか落ち着けたのが、ひとまず餌をやって大人しくさせる誓約。

 こんな酷い嫌がらせだから、子供だった朋重は知らなかったのだ。


 だが、千歳の目の前で朋重が一瞬で青ざめたのを見てしまった。


「も、もしかして……。俺が小学生の時、母さんが……大怪我をして、入院したり。療養のために遠くの親戚の家に行ってしまって帰ってこなかった時期があったけれど……」


 まずい。すぐに千歳は察知した。朋重は知っていたのだ。目に焼き付けていたのだ。でも子供だったから忘れていた。周囲の大人も無残に傷つけられた母の姿を忘れただろう朋重をそっとしていたはずだが、彼はきちんと記憶していた。もしかして、忘れていた記憶がフラッシュバックで蘇った?

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