20.最後のご縁

「お母様が入院されているとか。ここに来るまでに、細野から聞きました」


 手際の良い細野が簡潔に伝え終えてくれていた。

 さすがのメリィも食べていた手を止めて、背筋を伸ばして姿勢を正した。

 祖母が黙って、静かに静かにメリィを凝視している。彼女の額から汗がダラダラと落ちてくる様が伝わってくる。祖母はそれほどの威圧感がある女傑。きっと彼女の母親以上の畏怖を抱いたに違いない。


「さて、どうしようか。あなた、一人になってしまったようだし」


 千歳が報告せずとも、細野の報告でいまの状況を祖母は大方わかっていた。

 メリィも畏れ多いやら、不安やらで、またうつむいて青白い顔のまま震えている。


 祖母が彼女をじっと見つめているのは、祖母も神様と交信しているのかなと、孫娘は推測する。

 その間に、浦和水産の本社から、義父と義兄と朋重が到着した。

 客室に入ってきた浦和家の男たちは、すでに着物姿の祖母がいることを知って恐縮した様子で挨拶をする。


「荻野会長、このたびは、こちらの親族が迷惑をかけまして申し訳ありません」

「正貴さん。大丈夫ですよ。婚姻関係を結ぶのですから、すでに当家とも関係あることです。お気になさらずに。こちらの姪御さんと少々お話しをしたいので、お付き合いくださいますか」

「あの、こちらで引き取りたいと思って出向いてきましたので、お祖母様のお手を煩わすわけにはいきません」

「もちろん。浦和のお家で引き受けていただきたいこともあります。秀重君も、朋重君も、勤務中でしたでしょうに、駆けつけてくれてありがとう。お父さんと一緒に、お話しを聞いていただけますか」


 荻野製菓の女傑と言われている祖母が言えば、ここではもう誰も逆らえない。義兄も朋重も『わかりました』と静かに答えた。

 芽梨衣ひとりを正面に、千歳と祖母と、浦和の義父が並ぶ。千歳の隣に朋重が、義父の隣に秀重が席を取った。


 席が落ち着つくと、それでも義父の正貴が腹に据えかねていたのか、芽梨衣に叱責を飛ばした。


「どの顔を下げてこちらに来たんだ。来るなら叔父さんのところに来なさい! お母さんはどうした。千歳さんから奪った真珠はきちんと持ってきたのか!!」


 いつもは穏やかなハンサム紳士さんと言いたくなる会長さんなのに、今日は鬼の形相になっていて、千歳も萎縮してしまうほど。


 メリィもびくびくしながら、小声で答える。


「持ってきて、ちゃんと返したから……。ママは入院してずっと出てこられない……それで……」


 そこでやっと、荻野の義父も『入院?』と怒りの勢いが怯んだ。

 その隙間に、祖母はそっと入っていく。


「あのあと、どういうわけか食事が円滑に取ることができない状況が続いて、体調を崩されたようですね。吐血をされたそうです」


 祖母の報告に、義父も義兄も吃驚の顔を揃えた。

 千歳の隣に座った朋重だけが『もしかして、神様?』とそっと耳打ちをしたので、うんとだけ頷く。彼はもうそんな不思議なと思えることも、落ち着いて受け止められるようになっていた。

 だが、浦和の父と兄も『荻野の力が働いた?』と悟っても、本当に不思議な加護があるのだと震えているようにも見えた。


「正貴さん。私と芽梨衣さんだけでお話ししてもよろしいですか」

「はい。お祖母様。お願いいたします」


 祖母が『リーサルウェポン』だと知ってるからこそ、浦和の義父が退いてくれた。祖母に一任することを浦和の人間として許してくれる。


 正面に浦和の親族と、荻野の会長と、物を奪い取った跡取り娘と対峙され、メリィはすっかり意気消沈、怯えきっていた。

 そんな子供のような女性に、祖母はやわらかな声で話しかける。


「いま、お母様と離れて心を入れ替えたら、芽梨衣さんはまだまだしあわせになるチャンスがありますよ。このお婆さんが手伝ってあげます」


 浦和の義父がいちばん仰天していたが、祖母は目線で制した。

 千歳を始め朋重も秀重も、祖母がやろうとしていることに驚きを隠せない。


 新たな援助者の登場!? メリィの表情が一気に明るくなり、嬉しそうに顔を上げた。しかも今度の援助者は、有数の製菓会社会長だ。バックアップの力が桁違い。これで安泰と安堵した笑顔だ。


「あの、あの。朋重の従姉、だからってことですか」


 母と離れたら、朋重同様の生活が出来るのかという期待の表れだと、千歳には見えた。しかし、そこは祖母が厳しく糾弾する。


「いいえ。そもそも、あなたのお母様と芽梨衣さんは、朋重君のお母様とは血の繋がりがないですよね。当家と婚姻関係を結ぶ朋重君とは血縁としては無関係。それならそれで『血縁ではなくともできる縁の繋げ方』も努力すればあったし、ささやかながらも末永い恩恵も安泰もあったはずです。あなたのお母様は最初から『縁で得た信頼』を構築することもせず、いちいち破壊をして、すっかり壊してしまったんですよ。もったいない。浦和側でも早い時期に縁を切られている。荻野側も繋がるとしても、はっきりいって不利益しかありません。おわかりですよね」


 気に入らないことがあれば、非情に踏みにじって人を傷つけてきた母・紹子。破壊することで望むものを得る生き方しかできなかった母親。メリィもそれは理解できるのか、また肩を落としてうつむいた。


「ですが。あなたはまだやり直せますよ。いままで一度もしたことがなくても、ここで生まれ変わってください。お仕事を紹介します」


 そこでまた浦和の父と兄が『いやいや、ムリムリ』と首を振り父子で顔を見合わせている。朋重はじっと黙って芽梨衣だけを見据えていた。

 千歳は、この従姉もある意味被害者、救いようがあるのでは――までの気持ちは持てたものの、どうすれば良いかわからなかった。だからこそ、祖母の采配が気になる。お祖母様はどうするのか。


「これがあなたの人生で最後のチャンスです。また誘惑に負けて、与えた仕事ができなければ、数年であなたもお母様とおなじ人生になります。どこかで行き詰まる。でも、真面目に慎ましい生き方ができたら、そのうちに縁談もくるでしょう。このお婆さんがそこまで見届けてあげます。そのかわり、お母様には二度と会わないように。心細かったり恋しい思いも抱くでしょう。ですが、あなたに良いことはなにひとつ与えない方です。この婆さんとの関係が、芽梨衣さんにとって最後の『ご縁』。ここで切れたらあなたにはなにも残りません。どうですか」

「真面目に働いたら、メリィも結婚、できるの……?」


 メリィは戸惑っていた。いままで働いたこともないのは一目瞭然で、母にくっつくまま自由奔放に欲望のまま生きてきたのだから、働くなど苦痛でしかないはずだ。

 だが、メリィもよほど堪えたのか、その人がどうであれ頼れる人が現れたのは救いだったのか。祖母の千草を見て、また涙をぼろぼろとこぼした。


「メリィ、働いたことないから。我慢できないかもしれない。仕事すると虐める人にも会うかもしれない。そうなったら我慢できない……かも」

「そうならない働き口を探します。できる、できないはともかく。芽梨衣さんは、なにがお好きですか」


 そう聞かれ、芽梨衣が一生懸命に考えている。

 毎日、時間に縛られず自由気ままに暮らして、着飾り、食べて、ずる賢く生きてきた人生のなかで、彼女が他に欲した事柄などあったのだろうか。


「ママの、着る服を、選ぶのが好き、でした」


 欲望で穢れた日常生活の中にあった、唯一の彼女の純真。千歳にはそう思えた。それになぜか胸が詰まって、泣きそうになった。そんな親しか選べなかった彼女の、母を想う気持ちと、そこにある華麗な衣服への憧憬しょうけい

 それは祖母にも伝わったのか。祖母がうっすらと優しい笑みを浮かべているのを千歳は見た。


「わかりました。優しく働けるお洋服屋さんを探しておきます。ママではなく、いろいろな人に、素敵なお洋服を選ぶことができますか」


 メリィは黙っていた。働くことなど自信はないのだろうし、いままですることもなかった自分の力での生活することにも恐怖心しかないのだろう。


「少しずつ頑張っていけば、よろしいのですよ。千歳、準備や手配をしてあげて。細野も。あとはよろしく」

「わかりました。お祖母様」

「かしこまりました、会長」


 芽梨衣のその後は、祖母主権で、千歳と細野に手配や監視を任されることになった。

 細野がひとまず身なりを整えるためと連れ出すことに。芽梨衣が力なく立ち上がる。まだきちんと御礼を言えない彼女だったが、それでも、祖母に一礼をして細野と退室をした。


 厄介者の姪を引き受けてくれたことに、すかさず浦和の義父が頭を下げてくれる。


「荻野会長、こちら親族の問題でしたのに、ありがとうございました」

「正貴さんもですが、特に奥様は、これまで大変な苦労をされたことでしょうね。心痛お察しいたします」


 良き妻で母、社長夫人をつつがなく務めてくれた最愛のパートナー。そんな妻を守り通してきた苦労が、義父が伏せた眼差しに現れていた。


「ですが。この悪縁を持ち運んできた奥様のお父様とそのご親族との縁が切れるかもしれませんが、よろしいですか。まだ奥様のお父様はご存命かと――」

「かまいません。妻が危険だった時にかばってくれなかった父親ですので、とっくに妻は見限っております。息子たちにも祖父として会わせてはいません」

「わかりました。あと、紹子さんはいままでの行いが酷すぎたので、もう……回復は……。あとはその類いの施設に行くだけになります。こちらの負担をお願いできますか」

「もとより援助をしてきましたので、いままでどおりとかわりません」

「姪御さんはこちらで引き受けます。もう浦和の親族には対面はできなくなりますので、ご安心ください」


 祖母についている縁結び様からのお達しなのだろう。千歳はそう思った。きっと、浦和の義父もそう思っている。平身低頭、祖母のおっしゃるままで結構ですと覚悟を決められたようだった。


 さらに。祖母が千歳と朋重に、なにかを諭すような目線を向けている。


「朋重君のお母様は、ご実家との縁が切れてしまいます。そのぶん、新しく娘となる千歳と、ご子息の朋重君は、そのご実家に代わって、浦和のお母様が安心する日々を過ごせるように大事にしてくださいよ」


 これまで傷ついて苦労されてきたお義母様を大事にしろと言われる。

 千歳は嫁ではなく婿をもらった立場だが、嫁に行ったつもりで姑を大事にしろと言われているのだ。実子の朋重はいわずもがな。


「これからは、お義母様にも穏やかで、たのしいと思っていただける毎日になるよう努力します」

「私も、母のこれまでの苦労の日々を労りたいと考えています」

「うむ、よろしい」


 祖母が満足げな笑みを見せた。これで一件落着か。


「はあ。お腹が空いたね。私たちも、なにかいただこうか。千歳、いいかしらね。お祖母ちゃまも久々に『こもれびプレート』食べたいわ。せっかくいらしたから、お義父様とお義兄様、朋重君にもご馳走してさしあげて」

「はい。お祖母ちゃま」

「俺も手伝うよ」


 千歳が席を立つと、朋重も一緒に付いてきてくれた。一階本店のカフェにオーダーするだけなのに。

 厨房裏口に現れた千歳が栗毛の婚約者同伴で現れたので、従業員たちの視線が釘付けに。でももう彼が夫になるのは決まっていることなので、千歳も臆せずに紹介してしまった。

 千歳がよく知っているキラッとした快活な彼に戻って、挨拶をしてくれた。


 客室に戻るときも、彼が千歳の手を握って歩いてくれる。


「千歳。お祖母様のこと、お祖母ちゃまって呼ぶんだ。なんだか、ほっとした。まるで主従関係みたいだと思っていたんだけれど。やっぱりお祖母ちゃんとかわいい孫娘なんだね」

「それはそうよ。朋重さんが、ちーちゃんって呼んでくれるのと一緒。家族の前だけね」

「ということは。俺たちはもう家族だから、お嬢様も気を抜いて『お祖母ちゃま』と呼んじゃったってことなんだ」

「うん。じゃあ……。私はこれから『朋くん』って呼ぼうかな。川端さんのおうちで、そう呼ばれているでしょ。私も呼びたい」


『ちーちゃんが、俺のこと朋くん!?』朋重が仰天していたが、元々おない歳同士。これからもっと気兼ねのない関係になりたいと千歳は笑う。



しあわせにおなり。千歳。これからも私と婿殿と荻野を守っていくのだよ。

万民に愛される菓子を守る使命を持って生まれついた長子の定め。


 福神様の穏やかな微笑みが見える。

 夜には保食神様から『お疲れ様。いつでも遊びにおいで』とのお声をいただいた。


 選べない結婚しかできないから、恋は諦めていたけれど。

 素敵な恋に出会えたことも、感謝します。


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